第18話 絶対、絶命。
純粋に何かを『怖い』と感じたのは転生してから初めてだったかもしれない。いや、前世においても恐怖を感じた経験なんてほとんどなかった。体を壊した時も、会社を辞めた時も、そして自殺した時も。恐怖心なんて欠片もなかった。たぶん、心が壊れて感性が麻痺してたんだと思う。首を吊ろうと思い立って、家にあったバスタオルを切り裂いてロープ代わりにして。ああ、俺はこれから死ぬんだ、と実感した時。そこにはようやく楽になれる、もう苦しまなくていいという喜びしかなかったように記憶している。だから、死の恐怖を味わうのが初めてだった。
「おとなしくしてたか」
「はい。そうするしかないので」
「ヒッヒッヒ! 可哀想になあ?」
「全部身から出た錆って奴だ」
「出しゃばらずに済んだならこんな目に遭わされることもなかっただろうによ。勇気と蛮勇を履き違えたな、あんた」
俺を誘拐したのはいかにもチンピラめいたゴロツキの男たちだった。気付いた時には縄で縛られ、見知らぬ部屋に閉じ込められていた。窓もなければ灯りもない。カビ臭く薄暗い嫌な感じのする狭い部屋に。ここに連れてこられてからどれだけの時間が経過したのだろう。意識を失っていたのと、窓がないせいで時間の感覚が狂ってしまい、今が昼なのか夜なのかも判らない。
「俺を殺すんですか?」
「おい聞いたか? 俺だってよ!」
「必死に虚勢張っちゃって、可愛いねえ」
「ま、殺すかどうかは上からの命令次第だが。その前に、あんたをとことん甚振ってやれとの仰せでね」
最悪だ。男たちの下劣な視線から薄々察してしまったが、まさか自分が性的に襲われる羽目になろうとは。言っておくが俺はまだ純潔である。中身がおじさんなんだから当たり前だが。だがおじさんだろうと見知らぬ男たちに襲われ、誘拐され、監禁され、そして辱められようとしているこの状況は凄く怖い。声は震えるし涙は出てくるし。よくドラマや映画なんかじゃ敵に捕まったヒロインや女主人公なんかは勇敢に立ち向かっていくけれど、あれって実は物凄く勇気が要ることだったんだなと実感してしまう。刃物を持った大の男3人に13歳の小娘が太刀打ちできるわけがないのに。
「ああ、まだ殺しはしねえが、下手な考えを起こすんじゃねえぞ。指の1本、目玉の1つぐらい、欠けても文句は出ねえだろうからよ」
「おとなしくしてりゃ可愛がってやるよ。あんたみたいな別嬪さんに相手してもらえる機会なんぞ、滅多にねえからな」
「ま、心配すんなって。最初は痛えだろうが、すぐによくなるだろうぜ」
終わった。今すぐ舌を噛んで死ぬべきだろうか? いや、そもそも噛み切れる自信がない。前世で死ぬ時はあんなに無敵だったのに、今はこんなにも死ぬのが怖い。死にたくないが、凌辱も嫌だ。助けが来ることを期待して、今は何をされても耐え忍ぶしかないのか? 俺の目からはボロボロと涙が溢れ始めた。嫌だ、嫌だ、誰か助けて! 親方! 助けて!
「な、なんだあ!?」
ズボンとパンツを脱ぎ捨てた男たちが、いやらしい笑みを浮かべながら俺に迫ってくる。伸ばされた手が俺の顔に、体に触れそうなまさにその時。ドゴオン! と凄まじい音が響いた。ドタドタという足音。それから、バン! と扉が蹴破られる。
「ヌエ! 無事か!」
「親方! それにみんなも!」
怒涛の勢いで雪崩れ込んできたのは、イカルガ楽器工房職人様御一行だった。丸太のような剛腕を持つ親方のドワーフ鉄拳が炸裂し、顎を砕かれた誘拐犯が口から血を吐きながら宙を舞う。
「なんだテメエら!?」
「それはコッチの台詞だ!」
「よくもヌエちゃんを誘拐しやがったな!」
「しかも何しようとしてたか丸分かりじゃねえか! お前ら全員、無事に済むと思うなよ!」
多勢に無勢。怒り狂った武装職人たちに複数人がかりでボコボコに叩きのめされ、あっという間に下半身裸の誘拐犯たちは、見るも無残な半殺し、いや9割殺しの屍と化した。
「ヌエ!」
「親方!」
俺の手首足首を結んでいた縄を手で引きちぎり、俺を抱き締める親方。俺は恥も外聞もなく親方に抱き着いて号泣してしまった。だって本当に怖かったのだ。命の危険を前にすると、あんなにも恐怖を感じるなんて知らなかったのだ。嘘だと思うなら包丁を持った知らない男が自分の乗ってる電車に乗り込んでくるところを想像してみ。怖いだろ? それが現実に起きたら嫌だろ?
「怖かった! 俺、怖かったあ!」
「ああ、もう大丈夫だ! 大丈夫だ! 無事でよかった! 本当によかった!」
半狂乱になって泣き叫ぶ俺。そんな俺を悲痛な表情で強く抱き締める親方。俺をこんな目に遭わせたことに怒り心頭で、誘拐犯たちをタコ殴りにする職人たち。そのまま俺は声が枯れるまで泣いて、泣いて、泣き続けた。