第14話 悪役令嬢の嫉妬。
自分の愚かさについてはあの時思い知ったつもりでいたが、結局のところ私は本当に愚かなのだと痛感させられたのは、新入生歓迎会の日に事件が起きた時だった。
「それでね! ここのアップルパイがすっごく美味しいらしいの!」
「そうですか」
「ね、今度3人で行ってみない?」
「お気持ちはありがたいのですが、遠慮しておきます。甘いものってそんなに好きじゃないんで」
「まあ、そうなのですか? では、ヌエ様はどのような食べ物がお好きなのでしょう?」
「B……燻製肉とか干し肉とか、後はスモークしたチーズなんかが好きですね。ナッツ類なんかもよく食べます」
「ワイルドなんだね! 意外……でもないか! だってメヌエットさんだし。ね、ね、私もヌエって呼んでいい?」
「ご自由にどうぞ」
クレレは『Perfect Harmony-君と僕の完全調和-』、略してPHに登場する親友キャラだ。平民の特待生である主人公と同じクラスになり、平民同士意気投合して仲よくなる。だが主人公であるメヌエットが不在のため、単なるモブとして平和に過ごしているだろうと思い込んでいたのだが、事実は違った。特待生であるメヌエットが受ける筈だった平民いじめの矛先が、彼女に向いてしまったのだ。
「ジャーキーといえば、我が家ではお父様が狩猟をなさる際に新鮮なお肉をお土産に持ち帰ってくださいますの。よければ今度、料理長に頼んで作らせますわ」
「いえ、お気遣いなく。マンダリンお嬢様の手を煩わせてしまうのも申し訳ありませんから、お気持ちだけありがたく頂戴しておきますよ」
「うちの村でもたまに猪とか鹿を狩ったりするんだよ! お父さんが熊を仕留めた時はお祭り騒ぎだったなあ! 今度仕送りをしてもらう時に燻製肉がないか頼んでみるよ!」
「お2人とも俺の話聞いてました?」
4月の遠足イベントに続き、5月の新入生歓迎会イベントで起こる筈だった楽器に細工事件。メヌエットの存在が気に食わない悪役令嬢によって引き起こされる筈だった事件はしかし、主人公も悪役令嬢も抜きで、勝手に発生してしまった。なんらかの因果律か、運命の悪戯か。ステージの上で頬から血を流し、呆然とする彼女の姿を私はただ茫然と見つめることしかできなかったのである。
『え!? 公爵家のマンダリン様!?』
『どうしてあなたがここにいるの!?』
だが最も予想外だったのは、演奏会の後でショックを受けて行方をくらましてしまった彼女がいつの間にかヌエ様と関わりを持っていたことだ。偶然知り合った、とのことだが、果たしてその偶然が必然でなかったと誰が言いきれるだろう。原作ゲームにおいて、このイベントの顛末は現実に発生したものとは少し異なる。というのも、才能あふれるメヌエットは私とフォルテ王子がやったようにクラスメイトのモブ男子と共に独唱パートをもらい、そこでモブ男子の演奏する弦が細工により切れてしまうのである。だがメヌエットはそこで、伴奏なしの状態でアカペラで歌を披露する。その咄嗟の機転、その並外れた舞台度胸、そしてアカペラでなお響き渡る美しい歌声に観客たちは魅了され、同時に攻略対象たちの興味を強く惹き付ける、とまあこんな感じだ。
「……」
入学を放棄した筈の主人公と、主人公の代わりにいじめられる立場に置かれてしまった親友キャラが、私の与り知らぬところで仲よくなっていたという事実が、心に暗い陰を落とす。いけない、こんな調子じゃまた、心が駄目になってしまう。
『ま、なんであれお2人が仲よくなってくれるのであれば俺としても一安心ですよ。部外者の俺は学校の中の問題には関与できませんから』
イカルガ楽器工房でクレレと鉢合わせて以来、私と彼女もまたお友達になった。というか、ならざるを得なかった。確かに主人公の替わりにいじめられている彼女をそのまま無視するのはちょっと後味悪いので、なんとかしてくれと言われれば公爵家の令嬢としてそれとなく尽力はするが、同じクラスならともかく隣のクラスなのでできることも限られている。
「ヌエちゃんの髪の毛ってサラサラで綺麗だよね! 羨ましいなあ!」
「マンダリンお嬢様ほどではないですけどね」
「わたくしは、そうですね。毎晩侍女の皆さんに入念なお手入れをして頂いているので」
「すっごーい! 実家通学のお金持ちってやっぱ違うんだね!」
ヌエ様の方は彼女に対しても私に対しても平等にドライというか、冷たいわけじゃないのだがクールというか。逆にクレレの方は事件の直後に助けられたこともあってかかなり彼女に懐いている様子だった。私の方が先にお友達になったのに、と幼稚な嫉妬心を燃やす権利は私にはない。ないのだけれど、彼女が若者向けの雑誌を片手に妹のようにヌエ様をベタベタ慕う姿を見ていると、ちょっと馴れ馴れしすぎるのでは? と感じてしまう。
「あ、俺もうそろそろ晩飯の買い出しに行かなきゃいけない時間なんで、今日はこの辺でお開きということで」
「えー!? もう!?」
気持ちは解らないでもない。ヌエ様はなんというか、カッコイイのだ。原作ゲームやアニメでのメヌエットはいかにも元気溌剌な庶民的な女の子、といった印象だったが、男物の服を着て伊達眼鏡をかけ、男っぽく振る舞う彼女はさながら宝塚の男役、とまでは全然いかないが、女子高の王子様めいたカッコよさがある。おまけに声帯は約束された大御所声優による美声だ。
「なんなら俺抜きで2人で楽しんでください。別に遠慮は要りませんから」
「であれば、公爵家の馬車で途中までお送り致しますわ」
「ありがとうございます。でも、歩いて数分のところにありますからお気遣いなく。公爵家の馬車から降りてくるところを見られたら、商店街の連中がひっくり返っちゃいますよ」
げに怖ろしきは主人公補整、と斬り捨ててしまうのはたぶん、彼女に対する侮辱だ。この世界はゲームの世界だけれど、彼女たちはただのキャラクターじゃないと、そう思い知ったばかりなのだから。