第13話 推理、開始。
「ここ、分かります? 切断面の半分が片側だけちょっと引っ張られたみたいに伸びちゃってるんですよね。それなのにもう半分は綺麗。これって誰かが刃物を入れて、切れやすくした跡ですよ」
俺が弦を掴んで持ち上げると、彼女は驚きに目を見開いた。2人して女子トイレでヴァイオリンを睨めっこしているのも変な絵面だが、だからといって外でやりましょうかと言える雰囲気でもないので致し方ない。
「そ、それって!?」
「誰かが細工をした証拠、ですね。音楽学校の先生ならこれを見せればすぐに何が起きたか判るでしょうから、信用できる教職員に相談した方がよいかと。そうすれば少なくとも、あなたがいわれなき責めを受けることもないでしょう」
「そ、そんなのって! 酷い! 赦せない!」
メラメラと怒りの炎を燃やすクレレ。だが、すぐに鎮火したのか今度はワっと泣き始めた。コロコロと感情表現の激しい娘だが、思春期の女の子であれば無理もないか。
「でも、どんな理由があったとしても、お父さんやお母さんや村長さんの前で私が恥を掻いたのも、お父さんたちに恥を掻かせてしまったのも事実なのよ! 酷いわ! 幾ら私が田舎者の平民だからって、こんなのってないわ!」
「そうですね、酷いと思います。どんな理由でこんなことをしたのかは判りませんが、音楽を志す者でありながらこんな卑怯な真似をするなんて最低ですよ」
もしイカルガ親方が丹精込めて作った楽器にこんなことされたら俺だってブチ切れるわ。この子のために楽器を買い与えてあげた親御さんの気持ちだって、どれだけ辛いか想像もできない。ひょっとしたら、自分たちが安物を買い与えてしまったせいで娘が晴れ舞台で恥を掻いたと自分を責めている可能性だって十分にある。音楽は人を幸せにするもの、楽器はそれを手助けするもの、という信条を掲げて日々働き続けるイカルガ工房の従業員としては、誰かを不幸にするために楽器を利用するなんて赦し難い悪行だ。
「とりあえず、まずは御両親に事情を説明するのが先決では? このままあなたに会えないまま村に帰ることになったら、それこそ気が気じゃないでしょうし」
「駄目! 学院でこんなことされてるなんて絶対知られたくない! ただでさえクラスで肩身が狭いのに!」
「では、このまま顔も合わさずに別れ、これからもその調子でい続けると?」
「……そうよね。折角遠い村から遠路はるばる王都まで来てくれたっていうのに、娘の初舞台こんな酷い形で終わって、しかも逃げてしまったら、きっとお父さんたちは悲しむわよね」
クレレは涙を拭うと、トイレの洗面台で顔を洗い始めた。強い子だ。こんないい子をいじめるような奴がいるのだと思うと、やっぱ入試受けなくてよかったな、とも思う。人間が醜いなんてのは前世で嫌ってほど思い知ったが、異世界でもそうなんだと思うと世知辛いなあという暗い気持ちになった。
「ありがとう。えっと、あなたは?」
「申し遅れました。お……私、イカルガ楽器工房の従業員のメヌエットと申します」
社会人の必携品、必殺名刺交換だ。交換というか俺の名刺を一方的に1枚渡しただけだが。毎度自己紹介をして回るのも面倒なので、わたくしこういうものです、と己の身分を証明する目的でも作って正解だった。眼鏡をクイっとさせながら名刺を差し出した俺に、彼女の表情が驚きに染まる。
「イカルガって、あの!?」
「はい。あの」
彼女は両手で名刺をワナワナと掴みながら、泣き腫らした目を驚きに見開く。やっぱ親方の名前は広まってるんだな。ま、音楽の国の楽器職人で、しかも人間国宝に指定されるような凄腕なんだから当然か。
「もし先生たちになんか言われたら、それを見せるといい。何も後ろ盾がないよりかは、取り合ってもらえる確率が上がると思うから」
「でも、あなたに迷惑がかからないかしら?」
「誰かが大切にしている楽器をこんな風にするような奴が野放しになってるような状況を看過するぐらいなら、迷惑をかけられた方がよっぽどいいと思う」
工房で働いているうちに、いつの間にか俺も自分で思っていたよりもずっとずっと、楽器を愛する心を培われてしまったらしい。親方にくれぐれも騒ぎを起こしてくれるなと言われていたことをふと思い出すが、まあ事情が事情なだけに今回のことは赦してくれるだろう。むしろ俺より怒り心頭になるかもしれん。あの人間国宝はそういう頑固職人だ。
「ありがとう! メヌエットさん! このお礼はいつか必ず!」
「どう致しまして」
彼女は俺を抱き締めると、そのまま名刺とヴァイオリンを大事そうに抱えて女子トイレから飛び出していった。と同時に俺も急激な尿意を催し、慌てて個室に飛び込んだ。