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第12話 相談、開始。

「ごめんなさい、ご来場のお客様にお恥ずかしいところを見せてしまって」


「いえ、別に」


「ありがとう、優しいのね。優しくされるとますます惨めになって、死にたくなってきたわ!」


「めんどくせーな。気持ちは解るが落ち着け」


「ごめんなさい。じっとしてると気持ちが悪い方へ悪い方へ引っ張られてしまって」


「ああ、うん。あるよね、そういう時って。俺も仕事でミスった時はかなり引きずる方だからさ」


 体育館脇の誰も来ない女子トイレで泣いていた彼女はクレレと名乗った。頬に一筋の赤い跡が走っているのが痛々しいが、それ以上に泣き腫らして真っ赤になった目と涙の跡が憐れみを誘う。理由は今日の新入生歓迎会で大失敗をしてしまったためらしい。そういや演奏の途中で唐突にヴァイオリンの弦が切れてしまい、切れた弦が頬を掠めて血が噴き出してしまったがためにクラスの演奏を中断させてしまったという。あったなあ、そんな騒ぎ。ステージから結構な距離があったため当事者の顔まではよく見えなかったのと、半分うつらうつらしてた矢先にいきなりホールにどよめきが走ったからなんだなんだと慌てて飛び起きたせいで、彼女がその生徒だとは気付かなかったよ。


「私、田舎から出てきたの。村のみんなが私のためにお金を積み立ててくれて、クレレなら立派な音楽家になれるって。今日だって村長さんとお父さんとお母さんが観に来てくれて、でも、それなのに、私! 私! あんなことになるなんて!」


 身の上話をしているうちに、まだ盛大に泣き始めてしまった。あまりの狼狽ぶりに俺の尿意も一時的に引っ込んだよ。


「それは確かに顔を合わせ辛いですね」


「そうよ! ううん、それだけじゃないわ! 伝統ある演奏会でクラスの演奏を駄目にしてしまった! きっとクラスのみんなから恨まれるに決まってるわ! 私のせいで来賓の方々からの不興を買ったんじゃないかって! 全部私のせいよ!」


「まあ、大事な舞台の前に楽器の手入れを怠ったのは大問題でしょうね。弦の確認ぐらいちゃんとすべきだったかと」


「怠ってなんかないわ! 入学してからずっと、毎日のようにヴァイオリンの手入れは欠かさずやってたもの! 確かにクラスのみんなが持ってるような立派な楽器からすれば安物かもしれないけれど、それでも私にとっては大事な大事な宝物よ! だから昨夜だって、ちゃんと全部問題ないって3回も確認したのに! それなのに今日になって急に切れちゃうだなんて! きっと私は音楽家にはなれない運命なのよ! 音楽の神様が、お前のような才能のない田舎娘は田舎に帰れって怒ったんだわ!」


 それが本当なら、なんかきな臭い話だな。この手のアイドル系とかスポコン系の少女漫画とかだと、野暮ったい、冴えない田舎娘がいじめに遭って靴に画鋲とかラケットに細工、みたいなのは定番だ。とはいえ誰かが彼女のヴァイオリンに細工をした、なんて証拠はどこにもないし。


「うーん……」


 どうしたもんだか。正直に言うなら、俺はあまり面倒事には関わり合いになりたくない。ここの生徒でもない俺は部外者でしかないし、この娘にも同情はするがそこまで肩入れしてやるだけの縁があるわけでもない。だが、やっぱり、もしそうなら気に食わないよなあという気分になった。


『いいか、ヌエ。楽器ってのは、どんだけ法外な高値がつこうがただの道具だ。道具はそれを使う人間がいてこそ初めて成り立つ。俺らは愚直に楽器に向き合うことしかできねえ不器用な楽器職人だが、だからこそ『人』を疎かにしちゃなんねえんだ』


 腹が立つのはきっと、俺も楽器工房で働いてる人間の端くれだからだ。親方を筆頭に、毎日毎日楽器作りに没頭する職人たちに囲まれて暮らしているうちに、いつの間にか俺にも楽器を愛する心が芽生えていたのかもしれない。であれば、知らん顔をして見て見ぬフリをするのも寝覚めが悪い。


「そのヴァイオリン、どこにあります?」


「え? こ、ここにあるけど」


「便所にヴァイオリンを?」


「だ、だってしょうがないじゃない! 医務室に連れてかれて手当てしてもらって、それで、うちのクラスの演奏はとっくに終わってて、それで、それで! うわあああああん!」


「分かった分かった、分かったからもう泣かないで」


 参ったな。泣いてる女の子の慰め方なんか知らんぞ。どうやら弦が切れて頬から出血して医務室送りにされてから手当てを受けてホールに戻り、その後ここに逃げ込むまでずっと抱きかかえっぱなしだったらしい。俺は楽器作りに関してはド素人だが、親方や職人連中が熱心に仕事してる横で仕事してるため保存状態の良し悪しだとか、その手の判断ぐらいならばつくようになった。門前の小僧なんとやらだ。


「とにかく、そのヴァイオリン、俺に診せてもらえます?」


「え? い、いいけどなんで?」


「俺、小間使いですけど一応は楽器工房で働いてるんで。自然に切れたかどうかぐらいは見分けられるんですよ」


 たぶん俺の眼鏡は今キラーンと光ったと思う。知らんけど。俺は受け取ったヴァイオリンを手に取り、うっすらと血の滲んだ弦を眺めた。げ、思った通りだ。当たってほしくない予想に限って当たるとか、人生は皮肉なもんだな。

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