第11話 学院、突入。
「メヌエットさん! 来てくださったのですね!」
「お久しぶりです、マンダリンお嬢様。本日はお招きに与り光栄です」
開演前で忙しい、或いは緊張しているだろうに。親方と別れ指定席に向かうと、偶然にもご学友と連れ添って歩いていたマンダリンお嬢さんと再会した。本来は花束の一つでも持参すべきどころだが、会える保証もなかったため親方と連名で公爵家の方に花束を、学院の方にはイカルガ楽器工房名義での花輪を贈ってあるためほとんど手ぶらだ。
「もう! わたくしのことはリンと呼んでと言ったじゃない!」
「畏れ多いことです」
「どうか見ていてくださいね、ヌエ様。今はまだまだかもしれないけれど、わたくし、きっとあのギターに相応しい歌手になってみせますから」
「今でも既に十分だとは思いますが、マンダリンお嬢様がどれ程の高みに上り詰められるのか、親方共々楽しみにしております」
「リン、こちらの御令嬢は?」
「ああ、わたくしとしたことがつい。申し訳ありません殿下。ご紹介致しますわ」
なんと彼女と連れ立って歩いていたイケメンたちはこの国の未来の重鎮たちだった。制服に身を包んだ王子様、宮廷楽団長の息子、大臣の息子。それとまだ入学前なので独りだけ私服の公爵家の弟君。無礼を働けばそれだけで大問題不可避の錚々たる顔ぶれだ。帰りてえ。
「お初にお目にかかります。イカルガ楽器工房に勤めておりますメヌエットと申します。お目にかかれて光栄です」
「ああ、君が噂の。僕からもお礼を言わせてほしいな。君という友人ができてからリンは以前よりぐっと明るくなってね。思わず妬けてしまいそうになるぐらいさ。一体どんな魔法を使ったんだい?」
「恐縮です」
「イカルガ工房……ああ。あの腕はいいが偏屈で名高い人間国宝、イカルガ殿の工房か」
「失礼ですよソプラ。失敬、お嬢さん。彼に悪気はないのです。どうか赦してやってください」
「フフ。親方がとても気難しい方なのは事実ですから」
こいつらさっさとどっか行ってくんないかなーという気持ちで愛想笑いを浮かべ続ける。頬の筋肉が攣りそうだ。
「これから発表に臨まれる皆様方の貴重なお時間を頂戴してしまうのも恐縮ですので、私はこの辺りで失礼させて頂きます。頑張ってくださいね、マンダリンお嬢様」
「ありがとう、メヌエットさん!」
ふう。死ぬかと思った。無事にお嬢さんたちとオサラバできた俺は、そそくさと女子トイレに立ち寄ってから指定の席に急ぐ。他に知り合いはいないから、これ以上絡まれることもないだろう。後はコンサート中に居眠りしちゃわないように気を付けるだけ。前世の頃からコンサートって苦手なんよな。誰かが歌ってる時はいいけど楽器の演奏だけになると途端に眠気に襲われるというか。そんな俺が音楽の国に生まれてもって感じ。これが美食の国とかならよかったのに。そうすりゃ音楽学校でコンサートの代わりに料理学校で美味いもん市とかさ。なんて考えてたら腹減ってきたな。まさかホットドッグやポップコーンを売ってる売店なんかないだろうし。
――
「はあ……えがった……」
演奏会は恙なく終わった。てっきり居眠りしちゃうんじゃないかと危惧していたがそんなことはなく、多くの楽器が奏でる音色に耳をすませているうちに、数多の先達たちが情熱を注ぎ込んで作り上げたであろう楽器でなければ放てないであろう特有の調べに夢中になってしまった。所詮は学校の備品と侮るようなことはなかったが、伝統ある名門校の発表会で使われるような楽器には年季の入ったよさがあるのだと、気付けたことにまず興奮してしまったよ。音楽関係の知識なんて皆無だった俺が、それだけの聞き分けができるようになったのも全ては工房での生活の賜物だろう。まさに門前の小僧なんとやら。
「継続は力なりって奴なのかね?」
マンダリンお嬢さんの歌が凄いのは知ってたし、親方特製の紅いギターも問題なく弾きこなせていた。王子のピアノもなかなかだ。途中、ある1年生の楽器の弦が演奏中に切れてしまい、一時中断されるなどのハプニングこそあったものの、最終的には概ね無事に終わって何よりだ。観客は口々に王子とその婚約者を褒め称えていた。
「晩飯どうすっかなあ」
親方はこの後来賓の方々と共にお食事会に参加するとのことで、俺は先に帰ってろと辻馬車代をもらっている。人の流れに乗って学院の正門へ向かう途中、尿意を催した。コンサートの途中は席を立つのはマナー違反だからと我慢していたツケが来たらしい。コンサートホールに戻るには少し距離があるが、勝手に校舎内に入るわけにもいかないし、と周囲を見回したところで、体育館脇にトイレがあるのを見付けた。あそこならお借りしても問題ないだろう、たぶん。
「うん?」
「うっうっ! ううう!」
最近はもうすっかり立ち入ることにも抵抗のなくなった女子トイレ。用を足そうとしたが、不意に女の子の泣き声が聞こえてきてなんだか気味が悪くなった。誰かが個室の中で泣いているようだ。まさか幽霊じゃないよな? ドワーフ族やエルフ族やオーガ族やオーク族、ゴブリン族なんかがいるんだから幽霊がいてもなんらおかしくはないと思うのだが。
「……死のう。もう死ぬしかない。私なんか、ヴァイオリンの弦で首を吊って死んじゃえばいいんだ」
「おい早まるな!」
「誰!?」
「それはこっちの台詞だけど! とにかく早まるんじゃない!」
しまった、ついトイレのドア越しに声をかけてしまった。




