第10話 親方の憂鬱。
「死にたい」
「なんだ、藪から棒に」
「いっそ殺して」
「ぼやくなぼやくな。よく似合ってるぞ」
「だからこそ辛いんすよ! 俺が! 誰もが認める極上の美少女なばっかりに! こんなにも似合っちゃうなんて!」
「なんだそりゃ。ますます意味が解らん。それに、工房じゃないんだから伊達眼鏡は外してきてもよかったんじゃないか?」
「少しでも顔隠したいからこれでいいんです!」
演奏会に向かう馬車の中。俺はドレス姿で頭を抱えるヌエの美しさに正直驚いていた。
『あの、すみません。求人票を見て来たんですけど』
最初に会った時は随分と可愛らしい顔の男の子だと思った。女の子だと知ってからはもっと驚いた。よそ様はどうか知らんが、うちの工房は男所帯だ。昔は女の職人もいたが、いつの間にか逃げ出してしまった。そのせいで今じゃ、工務店と見紛わんばかりのむさ苦しい野郎ばかりが残った。そんな職場で働きたい、と言い出すからには、よっぽど追い詰められた事情があるんだろう、と素性を調べたところ、ヌエは貧民街の孤児院に住む孤児だった。生活には困窮しているかもしれんが、別段うちの工房にこだわる理由はない。あの面ならもっといい仕事だってできただろう。
『理由ですか? お恥ずかしながらお賃金がよかったもので。私お金が必要なんです。孤児院で待ってる大勢の子供たちのために。お願いします。どうかここで働かせてください』
嘘だ、と一発で判った。こいつはそんな殊勝なタマじゃねえ、と顔を見れば判る程度には、この娘は出会った時から随分と性格がねじ曲がっていた。だが、うちの工房にいるのはそんなはみ出し者ばかり。俺もそうだった。昔から世間様に上手く迎合できず、不器用で、だが楽器作りへの情熱だけは誰にも負けない。そんな碌でもない偏屈ジジイが頭領を務める輩の巣窟に飛び込んでくるにはお誂え向きの、男勝りなじゃじゃ馬娘。
『親方ー、飯できたっすよー。今日のスープは俺的には上手くできたんじゃないかなーと思うんすけど、どうすかね?』
『徹夜もいいですけど、あんま根詰めすぎないようにしてくださいね。親方になんかあったらうちはおしまいなんすから』
『え? 風呂上がりにそんなカッコでウロウロすんなって? 平気平気、誰も俺なんかに興奮しねーって』
『んじゃ俺買い出し行ってきますんで。え? 誰かと一緒に行けって? いやでもみんな作業中だし……分かった、分かりましたよ。心配してくれてありがとうございます』
『うちの親方は下手なお世辞なんか言わねえんだよ! 相手が王族だろうが神様だろうが音楽に関しては下手なもんは下手、上手いもんは上手いってハッキリ本音を言う人なの! それをなんだ、お世辞だ社交辞令だなんだって! 勝手な思い込みだけで、人をバカにするのもいい加減にしろ!』
良縁に恵まれなかった俺にとって、ヌエは娘みたいなもんだ。男子3日会わざればと言うが、女子の成長はもっと早い。ガサツでチンチクリンな色気のないガキだとばかり思っていたが、いつの間にかこんなにも美人さんに成長していたとは。俺の目も曇ったかな。
「はあ。まあ、しょうがないですけどね。折角親方が経費で買ってくれたもんですから、捨てるわけにもいきませんし。てか、本当によかったんですか?」
「構わん。お前もうちで働いてる以上、こういった機会は今後も増えていくだろうからな。それに、きちんとしたドレスが1着でもあれば、そのうち知り合いの結婚式や貴族の夜会なんぞに招かれた時にでも着回せるだろ?」
「そっかあ。そういう機会もあるのかあ」
「なんだ他人事みたいに。……お前もいつかは結婚して、うちを出ていくだろうよ」
給金は弾んでるから、とっくに引っ越せるだけの貯蓄はあるだろうに。このバカタレは『親方のとこが一番家賃安いし、職場に近いから朝ギリギリまで寝てられるから』とかいうふざけた理由で俺の家に下宿し続ける気満々のようだ。だが、それを心地よく思ってしまってる俺がいる。熱くて眩い工房とは真逆の、暗くて冷たい家に独りでいた頃とは全然違う、娘(のような奴)がいる生活。
「冗談きついっすよ親方。結婚? ないない。俺は一生独身ですよ。絶対に誰とも結婚しませんし、そもそもできませんて」
「だが、その姿を見れば言い寄ってくる男は多いんじゃねえか? 実際工房の奴らもメロメロだったからな」
「ふーん。パンチラ1回3000コインとか言えば金取れますかね」
「おい!」
「冗談っすよ、冗談! あんま挑発しすぎて襲われたら洒落になりませんし。ま、うちの職人たちは親方筆頭にみんな見た目は野獣ですけど中身は紳士ですから、大丈夫だとは思いますけど」
「野獣で悪かったな!」
油断も隙もあったもんじゃないというか、このがめついゲスさだけはなんとかならないもんか。むさ苦しい男所帯の中でずっと働いてきたためか、時折思考や発言が酷くおっさん寄りになるのは若い娘にあるまじき哀れさだ。とはいえおおよそは娘どころか孫と呼ぶべき年齢の可愛い小娘であることに変わりなく、年頃の娘を持つ父親の気持ち、というのをこの歳になってようやく知るとは思わなんだ。ノイズ公爵の気苦労にもこれまで以上に実感を伴って共感できてしまえたのは、間違いなくこいつのせいだろう。
「親方は来賓席に行くんでしたっけ。そんじゃ、中に入ったら別行動ですね」
「ああ。念を押しとくが、くれぐれも気を付けるようにな?」
「信用ないですね。さすがに国立音楽学校で騒ぎなんか起こしたくありませんよ俺だって。それに、潰れるのが俺の面子だけならまだしも、工房に迷惑かけるわけにはいかないでしょう」
そういう意味で言ったわけじゃないんだが、まあ、こいつの場合はそっちの心配もあるか。心配、の二文字が後から後から込み上げてくる。普段は無造作に結っているストロベリーブロンドのサラサラの長髪。黙ってさえいれば公爵家のお嬢さんに優るとも劣らない美しい顔立ち。普段はさらしとオーバーオールで隠しちゃいるが、年頃の娘の中でも特に人目を引く豊満な体付き。貴族連中が寄ってこないか。上手にあしらうなんて器用な真似ができずに騒ぎを起こすのではないか。出来の悪い子ほど可愛いなどと言うが、そういった意味ではこいつほど可愛がり甲斐のあるバカ娘もいないのではないかと、まるで親バカのように俺は思ってしまった。