天才として生きるには
皆様の周りには天才と呼ばれる方はおられるでしょうか。
天才と呼ばれる方は、1つの得意な分野で存分に才能を発揮している人なのでしょう。
自分が高校3年の時にある先生から天才について聞いた言葉はこうでした。
「天才の奴なんてのは一生に1回会えるか会えないかだぞ」
「実際は世の中で天才と呼ばれている奴は秀才なんだからな」
「秀才になるにも、どんな環境でも、努力、体力、精神力、経験が必要なんだよ」
その時は、意味も分からずそんな話を聞いていました。
その後、自分が大学生の時にある教授からこんな話を聞かされました。
「頭が良すぎると活躍する分野が限られる」
「脳はある一定以上の圧力を超えてしまうと、プツンといってもう元には戻らない」
「だから勉強し過ぎ、ストレスの溜め過ぎには注意せよ」
「人間はこまめにストレスを発散しないと、真面な精神状態が保てない面倒臭い生き物なんだよ」
「それでも天才が続けられるようなら素晴らしい」
その時は、仕事や勉強に並行してストレス発散の重要性について考えさせられました。
社会人になると、ある先輩からこんな事を言われました。
「もし、天才になれるんだったら若い時が一番いい」
「結局は、仕事なんて覚えるまでが一番大変なんだから、そこまでの過程が短いなら短い分だけいいからな」
「でも、年を取ったら天才のままだと都合が悪いんだよな」
「やっぱり、あんまりべらぼうに頭がいいと周りの皆から避けられる存在になるからな」
確かにね、職に就いたばかりの時に知識や経験がジャンプアップ出来たらどれだけ楽なんだろう。
だけど、職場が研究所や専門職でもない限り、出る杭は打たれるだけだから、そこからは人間関係を重視しないと自分だけ孤立するからね。
人間は、あるコミュニティーの中で個として認識され、その中で必要とされて初めて幸福感を得るように脳が出来上がっていると聞いた事があります。
やはり、例え天才でも孤立は避けないといけませんね。
自分の周りにいた皆様は天才についていろいろと語ってくれました。
現在のネット社会全盛期になると、あちこちであの人は天才だと持て囃す記事が多く見受けられます。
ですが、これまで自分が天才について教えられた事を考察すると、安易に天才という言葉を乱発してしまっていると思わずにはいられないのです。
あまり情報が無い時代、情報が溢れ過ぎている時代、それぞれの時代で生み出された天才には心より敬意を表します。