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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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96/124

96-心喪


「――ねえ、饕餮(とうてつ)も髪を結んでみたら?」

 足元から掛けられた声に饕餮は振り向いて見下ろす。さらさらと指通りの良い綺麗な髪を二つに結んだ幼い少女に眉を寄せる。

「やだぁ。鴟吻(しふん)みたいな髪ならともかく、我の髪は縺れ放題だし。そんな風に結べないよ」

「でも折角長いんだし、饕餮はよく動き回るから、結んでる方が良くない?」

「短く切らないのは、切った方が変になりそうだから……」

 ぼそぼそと口を尖らせつつ、饕餮は鴟吻から離れようと早足で石段を下りた。それでも鴟吻は饕餮を追うので、堪らず饕餮は駆け下りた。

「鴟吻と違い過ぎて変になるだけだから! さては我を笑い飛ばすつもりだな!?」

 それはまだ第六子の覇下(はか)が化生していない頃で、饕餮が化生して初めて宵街へ来て間も無くのことだった。兄弟の中で唯一の妹である饕餮を、姉の鴟吻は構いたくて仕方がなかった。

「そんなことないわ。饕餮は可愛いもの」

「何でそんなに追い掛けて来るの!」

「贔屓が今日は御仕事休みだって言うから。折角饕餮が宵街に来てくれたんだから、一緒にお花を摘んで御饅頭でもどう?」

「御饅頭だけ食べる!」

 千里眼を持つ鴟吻から逃げ切れるはずがなく、饕餮はこの後すぐに捕まった。饅頭に釣られて本気で逃げられなかったとも言う。

 科刑所――いや、この頃は研究所だ。研究所の近くに少し花が咲いていた。その茂みに座りながら煮た野菜を詰めた大きな饅頭を頬張り、饕餮は鴟吻に髪を梳かされた。毛先から順に時間を掛けて梳かされたが、癖のある髪が真っ直ぐになることはない。頑固に絡まる髪を鴟吻は丁寧に時間を惜しまずに梳かした。

 髪質もだが量も多いため、二つに分けて丈夫な紐でぐるぐると巻いて結ぶ。そして摘んだ花を編んで巻き付けた。

「ほら、とても可愛いわ」

「見えなーい」

「饕餮の髪はふわふわで手触りもいいし」

「時々虫が絡んでるのに?」

「ちゃんと梳かせば指も通るわ」

 言われて饕餮も髪に指を入れるが、毛先に辿り着く前に引っ掛かった。だがいつもと比べると断然指が進んだ。鴟吻が手を入れる前は指を入れた位置から微塵も動かなかったのだ。

「おお……」

 感嘆の声を漏らし、饕餮は立ち上がった。研究所の中に鏡があったはずだ。それで自分の髪を見ることができる。

 鴟吻はにこにこと饕餮の後に続き、鏡を繁々と見詰める彼女を微笑ましく見守った。

「鴟吻とお揃いだ! ちょっと違うけど、二つになってる!」

 偶々通り掛かった贔屓も二人の楽しそうな姿を見て微笑む。

「似合ってるよ、饕餮。表情も明るくなった」

「顔は同じだぞ。贔屓も結ぶか? 皆で二つに」

「いや、僕は遠慮しておこう。髪の長さも足りないだろ?」

「確かに。じゃあ無駄に長い狴犴でいっか」

 髪の長い狴犴はぴしゃりと断って触らせなかったが、どうしても結びたいと駄々を捏ねた饕餮に一つだけ結ばせてやった。

 饕餮は天真爛漫で御転婆で悪戯好きだったが、それは兄弟達には程良い癒しになっていた。そして戦闘力も高く判断力もあり、簡単に死ぬような獣ではないと誰もが思っていた。


     * * *


 舗装された駐車場に降り立った獏と贔屓は、眼前に広がる昏い森を見渡した。広がるのは森だけで、背の高い建物などは全く見えない。あるのは黒い空だけだ。観光地と言うだけあって駐車場に建物はあるが、営業時間は疾うに過ぎているので人影は無く明かりも無い。細い月は出ているが、外から覗く限り森の中は鬱然とした闇だった。

「当たりが付けられればいいけど、何処に進んだかわからないよね?」

「蜃がいるなら、その方向だとは思うが……」

「饕餮と窮奇にそれがわかるの?」

「誰か、までは難しいが、窮奇は索敵ができる」

「うわ……また面倒な力を持ってるね。とりあえず僕達は真っ直ぐ行ってみる? 下手に動き回ってもね」

「そうだな。とりあえず様子を見てみよう。何か痕跡が見つかるかもしれない」

 贔屓は常夜燈を取り出し、二人は樹海へ足を踏み入れた。地面には木の根が蔓延り倒木が高低差を出している。本当に真っ直ぐ進めているのか、感覚だけが頼りだ。月や星が見えれば方向の目印になるのだが、それも見えない。

「……できるとは言っても、窮奇はあまり索敵はしたくないそうだ」

「そうなの? 便利なのに」

「索敵する範囲が広ければ広いほど、影響範囲を広げるために風を薄く伸ばすそうだ。その分風力は弱まり、微かな風は温くて性に合わないらしい。派手に風を巻き起こしたい性分のようだな」

「ああ……。でも今は派手に遣ってくれた方が見つけ易いね」

 揺れる常夜燈の光に照らされる足元の根に気を付けながら、獏は周囲に目を遣る。

(悪夢の気配がする……こんな人気(ひとけ)の無い所に。誰かが持ち込んだってことかな。鬱蒼として、首を括るには丁度良いもんねぇ)

 悪夢の気配はまだ遠く襲って来る様子もない。今は放っておこうと前を向く。

 その先で贔屓が立ち止まっていることに気付き、獏は首を傾いだ。

「饕餮……」

「?」

 ぼそりと呟いたかと思えば贔屓は突然走り出した。

「あっ、ちょっと!」

 夜目の利く獏には何も見えていないが、何か見つけたのかと後を追う。大きな根と黒い岩を避けながら、速度を落とさずに無言で走った。

「贔屓……随分走るけど急にどうしたの?」

 贔屓は振り向かず、珍しく取り乱したように口を開く。

「死を……饕餮の死を感知した……」

「え……? それ、場所がわかって走ってるの?」

「いや……」

 贔屓の声には酷く焦燥が滲んでいた。必死に居場所を探そうとしている。走れと脅迫されているかのように。

「もしかしたら悪夢に出会したのかもしれない。悪夢なら僕が気配を辿れるから」

「悪夢……? ここにもいるのか?」

「何体かいる。窮奇の風なら効くと思うんだけど……状況がわからないね」

 贔屓を手招き、悪夢の気配のある方へ走る。他の気配は疎らだが、数体が集まっている気配がある。

 然程遠くない距離に地面が抉れた場所があった。真っ直ぐに何かが通ったような抉れ方だった。その抉れた道にあった木々は圧し折られて転がっている。

「何これ……?」

「獏!」

 抉れた道を覗き込んでいると贔屓に腕を引かれ、黒い触手が地面を打った。

「大丈夫だよ。悪夢がいることはわかってるから」

 常夜燈に照らされる黒い塊を振り返り、獏はにまりと笑った。腐っているとか自我がどうのとかではない、この眼前にあるのは何も考えなくて良い純粋な食事だ。

「獏、これは風の通り道かもしれない。窮奇がいるなら饕餮もいるはずだ。任せていいか?」

「うん。贔屓は先に行って。悪夢の処理は僕の仕事だから」

 贔屓は頷き、杖を召喚しながら走った。

 残った獏は懐から折り畳まれた杖を抜き、ぴんと伸ばす。

「さて。さくっと食べてしまおう」

 自分を捕食できる獏が来たと理解しているのか、悪夢は贔屓ではなく獏に狙いを定めた。

 足下に気配を感じ、獏はとんと地面を蹴って樹上へ跳び乗る。地面から生えた黒い触手が撓り、跳び退いた枝を打つ。

(地下からの攻撃……これは気配を感知できないと避けるのは難しいだろうね)

 黒岩の隙間から生える黒い触手の猛襲を跳んで躱しながら杖を振る。光のナイフをばらりと出力し、触手の一本一本を打ち付けた。

 木々を蹴り、黒い塊の上へ身を躍らせ、光の槍をくるりと回す。

「――はい、御終いっと」

 頭だか体だかわからないが脳天から真下へ槍を突き刺し、恍惚と動物面を外した。

 光のストローを出力し、黒い塊に突き刺す。早く食事を済ませるため、少し太めのストローだ。じっくりと味わいたい所だが落ち着いて食事を摂る時間は無く、急ぎながら悪夢を吸い取った。

「あぁ――美味だ」

 うっとりと堪能し、光の武器を消し去る。面を被り直してくるりと方向転換し、食後の運動にと贔屓の常夜燈の光を追って走った。その先にも悪夢の気配がある。

 足の速い贔屓より遅れて到着した獏は悪夢を視認する前に杖を振った。光の刃をくるりと回し、彼らに迫る触手を切断する。

「大丈夫!?」

 跪く贔屓の前には、片膝を突いて両肩に二人の少女を担ぎ血を流す窮奇の姿があった。

「助かった。窮奇に刺さった触手が抜けず困っていたんだ」

「早く離脱して病院へ! 悪夢は僕が払うから!」

 ぼこりと地面から生える触手を光の刃で切り裂きながら、獏はちらりと様子を窺う。蜃を発見できたようだが、無事とは言い難い。担がれた蜃と饕餮はぐったりとしたまま動かない。

「どうやら転送できないらしい。走って出るしかない」

「わかった。僕は転送できないから、念のために付けておいた目印が役に立ちそうだね。光の針を刺してあるから、それを辿ったら出られるよ」

「悪夢は一体ではないようだが、任せられるか?」

「当然。どんな理由があろうと悪夢による被害は獏の責任だからね。責任を持って食べてあげる」

 待ちきれないと唇を舐め、獏は光のナイフを空中へ出力した。

 一人でも難無く悪夢を遇う姿を確認し、贔屓は窮奇に手を差し伸べる。

「立てるか? 二人を貸せ、僕が担ぐ」

「……いい……オレが運ぶ」

 苦しそうに全身で息をしながら立ち上がる窮奇の体を支え、贔屓は渋りながらも頷いた。背に触手を刺された窮奇に二人も担がせては傷を広げるだけだが、彼から無理に二人を引き離すこともできなかった。窮奇はまだ饕餮が死んだことを知らないのだろう。いや知っていて何も言わないのか。蜃の方も息をしているようには見えず絶望的だった。

「……わかった。できる限り支える」

「うるせー……オレは走るからな。付いて来られるもんなら……ゲホッ」

 走れるはずがない、と思ったが、窮奇は地面に足を突き、力一杯蹴った。その体を支えるために贔屓は併走する。誰かの見ている前で弱音を吐きたくないと意地を張っているように見えた。今の窮奇を動かしているのは空っぽの意地だ。

「目が覚めたらなぁ……! オレ一人で助けたって言えよ!? その方が格好良いだろ!」

「……ああ」

 疲れた顔をしながらも笑う窮奇の背に薄く殻を張り、申し訳程度だが止血をする。それに窮奇は気付く余裕も無く、待針のような形の光の針を頼りに直走った。

 その背中を見送りながら、獏はくるくると舞うように悪夢の触手を仕留めていく。

(視認できる悪夢が一体。地下から攻撃する奴とは別かな。離れてもう一体いる。そいつか)

 離れている方は夜目が利く獏でも視認が難しい。動かなければその辺の岩だと思ってしまう。だが獏には悪夢の気配が感じられる。隠れることはできない。

 窮奇達には離れている悪夢は見えなかっただろう。目の前の一体に気を取られてその奥に気付かなかった。それで反応に遅れ避けられなかったのだろう。

 離れている悪夢に向けて光の矢を放ち、当たったことを確認する。闇の中で見失わない光の矢が空中で揺れている。距離があるからか何本かは避けられたようだ。

(烙印を半解除してもらった御陰で大分戦い易い……)

 半解除前は杖に全て頼っていたが、今はそうではない。杖の変換石を限界まで使用せずとも戦える。石が割れる心配をせずに戦えるのは良いことだ。意識していないと許容量を超えそうになるが。

 手前の一体を貫き、奥の一体を幹に張り付けておく。それでも触手を新たに生やして攻撃してくるが、光の刃で切り刻みながらストローを刺して啜る。

「一日に複数食べるのと、一度に複数食べるのって違うなぁ……」

 悪夢によって体積は異なるため一概には言えないが、一度に複数を食べると腹が膨れる。

「この悪夢、大きい……三体は無理かも……」

 食事は美味しいと感じられる内が華だ。それ以上はどんなに美味な物でも苦痛になってしまう。以前蜃に少食と言われたことを思い出し、成程と感じた。

 一体を食べ尽くし恍惚と余韻に浸っていると、かさりと鼠でも這うような小さな草の音が聞こえた。だが鼠ではなく、野生の動物の気配ではなかった。獏は反射的に黒い動物面を被って気配を消し、蹲んだまま動きを止める。

「…………」

 奥にいる悪夢からも咄嗟に光の武器を消したが、光の武器は目立つため気付かれたかもしれない。目を凝らして注視すると、ぽつんと人影が見えた。距離があるため顔は見えないが、大男と言う輪郭ではない。

檮杌(とうごつ)じゃなさそうだけど……)

 だが共犯者や、そもそも犯人が檮杌ではない可能性もある。

(蜃を捜しに来た……? その割には焦ってる様子はなさそう……)

 風の無い蝋燭の火のように静かにそれは横切り、やがて闇の中へ溶け込み視認もできなくなった。

(……深追いはやめておこう。贔屓達が樹海から出られたか確認しないと)

 窮奇がどのように蜃を助け出したか話を聞けば、人影も推測できるだろう。顔を合わせているかもしれない。

 奥の悪夢も放っておくことにし、気配を消したまま獏は退いた。悪夢と交戦して人影が戻って来ては面倒だ。

 小さく光る針を辿りながら順に消していき、時折背後も確認する。人影は追って来ていない。

 遠く悪夢の気配は感じていたが襲っては来ず、光の針を回収しながら無事に樹海の外へ出ることができた。駐車場に生えている木の下に贔屓の姿があった。

「良かった。誰もいなかったらどうしようかと思ったよ」

「転送できないと言っていたからな。窮奇は先に病院に行かせた。転送ができないのは樹海の中だけのようだ。獏は怪我はないか?」

「僕は大丈夫。悪夢は食べきってないけど……」

「逃がしたのか?」

「逃げられたわけじゃないよ。遠くに人影が見えたから、鉢合わせない方がいいと思って引いたんだ」

「人影? 獣か?」

「少なくとも人間じゃないよ。只の人間が足場の悪い森の中で明かりもなく静かに歩けるはずないもん」

「そうだな……」

 熟考を始めそうに口元に手を遣るので、獏は慌ててその思考を制した。

「何だか不気味だったから、僕達も早く戻ろ」

「……ああ、そうだな」

 夜明けも近いので、ここで長居をしていては人間も遣って来るだろう。贔屓は持っていた杖をくるりと回し、宵街へと戻った。

 一瞬で景色が変わり、変わらぬ宵街の姿に安心して石段を少し下り、病院へと戻って来た。足元には点々と血痕があり、窮奇も病院へ辿り着けたのだろうと血痕とは裏腹に安堵した。

 病院へ入ると透かさず受付から姫女苑が身を乗り出し、二人を呼んだ。

「お疲れ様です、贔屓様、獏様」

「先に戻った窮奇の様子は?」

「窮奇様はそちらの治療室で……」


「――ぁいぃってえええ!」


「治療中です……」

「みたいだね」

 受付の斜め向かいのドアを示した姫女苑は大声にびくりと肩を縮めた。

「痛くない!」

 先程から彼は『痛い』と『痛くない』を繰り返しているのだが、突然大声が上がるので心臓に悪い。贔屓と獏もドアを見遣り、窮奇は元気そうだと安心した。

「饕餮様と蜃様は手術室です」

 治療は受けているようだが、二人の状態は絶望的だ。饕餮に関しては既に死を感知している。

「……生きているのか?」

 はっきりと回答を出されることは躊躇うが、いつまでも現実から目を背けるわけにもいかない。蒲牢と椒図も死を感知しているはずだ。二人へ説明するためにも訊いておかねばならない。

 姫女苑は廊下の奥を一瞥し、やや躊躇いながら口を開いた。

「少々複雑なようで……」

「複雑?」

「御二方共、心臓は停止しています」

「そうか……」

 贔屓は睫毛を伏せ、声を落とした。やはり助からなかったのだ。死は覆ることはない。もう少し早く、一歩でも早く動けていれば違う結末もあっただろう。何をもたもたとしていたのだと自責が全身を支配する。

「まだ気を落とさないでください、贔屓様」

「……?」

「心臓は停止してますが、脳死はしてません。窮奇様が生命力を分け与えたそうで……それが上手く嵌れば助かるかもしれないと、ラクタヴィージャ様が。私にはそれ以上の説明はできませんが、治療が終わるまで待ってください」

 贔屓はゆっくりと顔を上げ、振り返って治療室のドアを見た。饕餮の死は感知しているが、蜃は助かる可能性があるようだ。

「窮奇と話はできるか?」

「はい。そろそろ縫合も終わると思います。……声がしなくなったので」

 姫女苑は急いで廊下へ出て治療室のドアを開ける。中では簡易なベッドに俯せになった窮奇がだらんと両腕を下げて歯を喰い縛っていた。少女のラクタヴィージャによく似た分身体の青年が窮奇の背中から伸びる糸を切り、顔を上げる。

「丁度終わったよ」

「治療の方が痛い……」

「早く治すための痛みだ。我慢しろ」

 鋏と針を片付けながら、ラクタヴィージャの分身体は冷たく遇った。窮奇は恨めしそうに首を動かし、贔屓と獏へ錆びた機械のようにぎこちなく顔を向ける。

「笑いたければ笑え……だが嫁にはこの格好悪い姿を言うな……殺す……」

「饕餮と蜃の容体は聞いたか?」

「……聞いた」

「窮奇が生命力を与えたと聞いたんだが」

 窮奇は目を逸らし、体勢を変えようとして背中に痛みが走った。仕方なく両腕を投げ出したまま答える。

「……すぐに病院に連れて行けなさそうだったからな。放っとくと死にそうだし少し分けたんだ。分け過ぎると今度はオレが動けなくなるし、程々だったんだが」

「獣二人分だろう? 窮奇は大丈夫なのか?」

「少しだけだ。……もっと多く分けときゃ良かった……」

 ぼそりと後悔を口にし、窮奇は枕に顔を伏せた。

 道具を片付けた青年ラクタヴィージャは窮奇の背に包帯を巻いていく。

「窮奇は元々大きな力を使うからか、生命力が高いようだ。正確な数値は検査してみないとだけど、してみるか?」

「いや、いい。どうでもいい。救えない生命力なら只のゴミだ」

「そう腐るな。話を聞く限り、生命力を与える判断は早かった。ほら、二人にも話してやれ」

「また話すのかよ……」

 治療を受けながら状況を話していたのだが、同じことをもう一度話さないといけないらしい。

「お前が話せラクタァ。間違ってたら訂正してやる」

「丸投げか」

 体力があるとは言え怪我人に何度も話させるよりは休ませておいた方が良いだろう。ラクタヴィージャは作業の手を止めずに話し始めた。話が長くなりそうなので姫女苑はそっと受付へ戻り、贔屓と獏は勧められた長椅子に腰掛けた。

 饕餮を襲ったのは悪夢であり、蜃を攫った犯人とは遭遇しなかったことや、悪夢が蜃を引き摺って現れたことなど、樹海に入ってからのことを順を追ってラクタヴィージャは話した。窮奇は横から口を挟むことはなく、枕に顔を埋めたまま動かなかった。

 贔屓と獏は黙って耳を傾け咀嚼した。相手が悪夢でなければ饕餮はこんなことにはならなかっただろう。あれほど悪夢が巣くっているとは予想できない。

「……獏。森には悪夢がいるものなのか?」

 広大な樹海ではあるが、あれだけの数が現れることに疑問はあった。贔屓は腕を組み、獏へ目を遣る。

「必ずいるわけじゃないよ。只あそこは丁度良い木もたくさんあって、首を括る人間はいるかもね」

「……成程。そういう人間なら悪夢も見るか……」

「けど……幾ら樹海が広いとは言え、あの悪夢の増え方は神隠しの街を彷彿とさせるね」

 窮奇も首を動かし、枕から顔を覗かせて眉を顰めた。

「檮杌が潰した人間もいる。……檮杌が遣った確証はないけど、ぶら下がった気配じゃなかった」

「索敵をしたのか?」

「…………した」

 言いたくはないようでぼそりと小声で呟き、再び枕に顔を埋めた。索敵とはある程度なら状態もわかるらしい。

「じゃあ余計に悪夢が集まっちゃったみたいだね」

「――ああそうだ」

 話に割って入った青年ラクタヴィージャは包帯を留め、話の途中ですまないが、と断り話した。急を要する話だろうかと三人は口を閉じる。

「獏。鵺が来てるよ。獏からの伝言を聞いたと言ってた。鵺も負傷してるようだから少し寝かせたけど、会うなら案内する」

「あ、来てくれたんだ」

 鵺の負傷はもう大分癒えているはずだが、ラクタヴィージャに捕まってしまったようだ。黒色蟹に頼んでいた伝言の件でわざわざ来てくれたらしい。

「じゃあ一応、贔屓も話を聞いてよ」

「構わないが、何の話だ?」

「鵺を襲ったのが檮杌かどうか確認する」

「!」

 反応を示したのは贔屓だけではなく、窮奇も勢い良く起き上がった。案の定背中に痛みが走って背を丸める。

「現場にかなり大きい足跡みたいな物があったから、訊いておこうと思ってね。わざわざ来てくれたってことは、関係あるのかも」

「オレも行く!」

 眉を寄せながら痛みに耐え、窮奇はベッドを飛び降りる。背中に何本も触手を突き刺されたと言うのにやたらと体力がある。

「窮奇、傷口が開くからあまり動くな。暫く安静にしてろ。開いたら倍の痛さで縫合する」

「っ……! 安静って……」

「走るな。跳ぶな。戦うな。歩くことだけは許してやる」

「嫁を抱っこするのは?」

「歩くことだけ、許してやる」

『歩く』を強調され、歩く以外はするなと言われていると漸く窮奇も理解できた。これだから病院は窮屈で面倒臭い。

「別に縫合なんかしなくても、放っときゃ勝手に治るのによ」

 治療室から出るラクタヴィージャの背に向けてぶつくさと文句を言いながら、上着を羽織って付いて行く。その後ろに贔屓と獏も続く。窮奇は一応は言い付けを守り、走ることはしなかった。

 二階へ上がり、階段のすぐ近くのドアを開ける。むっとした不機嫌な表情の鵺がベッドに脚を組んで座っていた。

「あのね……私はもう充分安静にしてたのよ。これ以上寝てたら体が鈍り過ぎて腐っ……あら、獏じゃない」

 青年ラクタヴィージャの背後に人影があることに気付き、鵺は脚を解いて木履を鳴らし立ち上がった。もう大分癒えた傷を改めて診察され、改めて綺麗に包帯を巻かれた。追加の治療は特に無い。このまま自然に任せて大丈夫だと判断されたのに病室に連れられるとは、鵺は納得が行かなかった。

「元気そうだね、鵺」

「贔屓と窮奇も? 騒々しいけど、伝言の件を聞きに来たのかしら?」

「ああ。僕達にも聞かせてほしい」

 ラクタヴィージャは病室の隅から椅子を持ち、窮奇の前へ置いた。怪我人は座れと言うことらしい。医者の前なので窮奇は素直に座った。片脚を膝に上げると透かさず払われたが。余計な力を掛けるなと無言の圧力を掛けてくる。

「贔屓と窮奇にもわかるように最初から話せばいいかしら?」

「そうしてくれると助かる」

「わかったわ。あの街……何て言えばわかりやすいか……」

「神隠しの街と言えば伝わるよ。二人共あの街に来たことがあるから」

「自由に出入りしてるのね……一応罪人の牢なんだけど」

 あの街の中で善行以外の面会については想定しておらず、狴犴から言い付けられていることはない。だがもうすっかり牢だということを忘れられている気がする。やはり獣は適当な生き物なのか。

 呆れながらもそれに言及している暇はない。鵺は黒葉菫に話したことをもう一度話した。悪夢の後に檮杌の襲撃があったことを聞き、窮奇は眉を顰めた。

「潰す……っていうのが、檮杌の力なんだよね?」

 確認のために獏は窮奇を見る。窮奇は真剣な顔付きで床を睨んでいた。

「……まあ、そうだな。押し潰すと言うか」

「確かに活発に動いてたみたいだね」

「一つ気になったんだが」

「何?」

「神隠しで潰れた人間がいるって、蜃が言ってたよな? ……いや偶然かもしれないけど……潰れ方もオレは見てねーし」

「……」

 それについては獏も饕餮から聞いている。どのような状態をそう表現したかは本人に確認を取る必要はあるが、その言葉を使ったことは引っ掛かる。

「その昔の犯人は知らないけど、鵺を遣ったのが檮杌とすると……すると?」

 真剣な顔付きで窮奇は贔屓を見上げた。その先の言葉が思い付かないらしい。違和感はあるが纏められないようだ。

「神隠しの街の存在を既に知っていて、何らかの目的があって再び侵入した……この可能性はあるな。鵺が個人的に恨みを買っていたわけではないなら」

 それそれ、と言うように窮奇は無言で指を差した。

「恨みと言うなら、目は着けてたけど。でもそれは活発に人間を殺してたからだわ。それにここ最近はマキちゃんのことやら悪夢やらでごたごたしてて、檮杌の方には目を向けてなかった」

「狴犴を遣ったのも檮杌が関係しているなら、科刑所への恨みの線もあるだろうが……単に蜃を攫うために邪魔だったのか。狴犴が目覚めてくれれば話を聞けるんだが……」

 そうそう、と窮奇は無言で指を差した。纏まらない言葉を贔屓が全て纏めてくれた。本当にそこまで考えていたかは定かではないが。

 思考がまた暗礁に乗り上げた所で、青年ラクタヴィージャは小さく声を上げる。皆の視線が一斉に刺さった。

「そうだ、狴犴が目を覚ましたんだった」

「は!?」

 一際大きな声を出したのは窮奇だったが、皆一様に声を上げた。

「椒図が知らせてくれたんだけど、その後すぐに窮奇達が来てな。話しそびれてた。様子を見てみるか?」

 何故そんな大事なことをと開いた口が塞がらないが、確かにあの窮奇達が飛び込んで来ては話す所ではない。あの饕餮と蜃を置いて悠々と話していられない。

「……目が覚めたなら、話を聞きに行こう。話ができる状態ならいいが」

「私もまだ顔を見に行ってないけど、椒図が言うには会話はできるようだ。……椒図はともかく、蒲牢と揉めてなければいいけど」

 最後にぼそりと加えられた言葉で、贔屓は唐突に不安になった。忘れてはいないが、贔屓も狴犴と大喧嘩をして宵街を出てからは初めて会うのだ。気不味いに決まっている。

「覚悟して行くよ……」

「わ、私は遠慮しておくわ! 皆で行ってきてちょうだい。私はここにはいないってことで」

「僕も会わない方がいいかなぁ」

 狴犴に逆らい解除印を盗もうとした鵺と、罪人である獏は目を逸らした。今は首輪も付けていないのだ。贔屓は許してくれたが、下手をすると監視役である灰色海月が処罰され兼ねない。

「いや、獏は来てほしい」

「何で!?」

 冗談で言っているわけではないということは目を見ればわかったが、牢にいるべき罪人が徘徊していることをわざわざ話す理由を聞かせてほしい。情報なら共有したので、話を聞くのは贔屓だけでも充分なはずだ。

「獏の烙印を半解除してしまったし、それも話しておかないと」

「それバラすの!? あーやだやだ、これだから真面目な奴は……」

「悪夢の説明は獏の方が詳しくできるからな。それに狴犴も眠っていた間のことを聞きたいだろう。苧環のこととか」

「やだ……」

「健闘を祈るわ、獏」

 鵺は木履を脱ぎ捨て、さっさとベッドに横になって頭の先まで布団を被った。もう寝たくないと言っていたのに。

 嫌がる獏は抗えない握力で贔屓に腕を掴まれ引き摺られて行った。

「……オレも待ってるわ」

 ぼそりと呟いた窮奇の背を青年ラクタヴィージャはそっと押し、窮奇は悲鳴を上げた。

 騒々しく病室を出て行ったそれぞれに健闘を祈りながら、鵺はそっと布団から顔を出した。安全だとわかれば、後で狴犴の様子を窺いに行こう。


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