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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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95/124

95-樹海


 黒色蟹は無色の変転人の最年長であり、所属する黒の中では知らない者はいないだろう。獣に従順で実直、公私を弁える。戦闘力は経験の賜物で、変転人となった当初はよく鍛錬をしていたと言う。それを買われ、彼は多忙な日々を送っている。

 最年長は伊達ではない。黒から慕われる彼を、黒葉菫もまた慕っていた。

 なので不安定になっている透明な街で子猫の世話をしていた黒葉菫は、忙しい彼の突然の来訪に大層驚いた。

「……ああ、ここでいいんだな」

 長身の青年が店を覗き、奥に座っていた黒葉菫は子猫を抱えたまま予想外の来客に目を瞬いた。

「レオ先輩……?」

「獏からの伝言を届けに来た」

 神隠しの街にいる黒葉菫に、ということで黒色蟹は来たのだが、街と言うだけあって建造物が多く何処にいるのかわからなかった。一つだけ明かりの灯っていた建物を覗いたのだが、当たりだった。

「伝言……? クラゲなら二階です」

「いや、スミレに」

「俺?」

 子猫を木箱へ戻し、黒葉菫は背筋を正した。無色として未熟な頃はよく彼に世話を掛けてもらったのだが、獣の用を託かるようになってからは黒色蟹が多忙なこともあり、あまり話す機会がなかった。獏からの伝言も、灰色海月ではなく黒葉菫に対してなので緊張してしまう。

「行ってほしい所がある。確認してほしいことがあるらしい」

「はい……。クラゲじゃなくていいんですか?」

「スミレにと言われた。考えがあるんだろう。スミレに行ってほしい」

 灰色海月はまだベッドに伏せているので、それを見越してのことかもしれない。これが彼女に知られれば更に落ち込むだろう。見つかる前に早く伝言を聞いて店を出ることを決意する。

 黒色蟹から伝言を聞いた黒葉菫は、何故自分への伝言なのか理解した。灰色海月を避けたわけではないことはわかったが、それを彼女がどう捉えるかは想像に難くない。落ち込む今の彼女は誤解をしてしまうだろう。

 黒色蟹と黒葉菫は共に店を後にし、黒色蟹は宵街へ戻る。黒葉菫は一人で獏に頼まれた場所へ黒い傘をくるりと回した。灰色海月には洋種山牛蒡が付いているので心配はいらないだろう。だが獏は急いでいるようで、彼女に説明している時間が無かった。黒葉菫がいなくても慌てないように、短く手紙を書いて置いておいた。

 獏に託かった場所は閑静な住宅街で、夜ということもあり人影は無くしんと静まっていた。

(この道に入って……)

 道筋を頭の中で復唱しながら道を突き当たり、煉瓦の建物を見つける。

(喫茶雨音……この横の路地から回って……)

 夜はもう店が閉まり中に入れないだろうと、裏へ回るよう指示された。レースのカーテンの掛かった窓があり、中はよく見えないが軽く叩く。周囲の住宅に聞こえないよう小声で、だが何とか中に聞こえるよう名前を呼んだ。

「……ウニ、いるか?」

 獏は鵺と黒色海栗がいる喫茶店へ行けと言った。二人に確認してほしいことがあると。二人との付き合いが長い黒葉菫を指名した。

 もう一度窓を叩いて暫し待つと、窓が開いて黒葉菫は安堵した。

 黒色海栗が出て来るとばかり思っていたが、顔を覗かせたのは凜とした目をした幼い少女だったので一瞬言葉に詰まってしまった。

「……スミレちゃんじゃない。お迎えかしら? 窓から来るとは思わなかったけど」

 鵺は一度振り向いて背後へ手を招く。窓の外に立つ者が誰かわからず黒色海栗は怯えてしまったようだ。黒色海栗は恐る恐るソファの陰から立ち上がった。

「獏に頼まれた用で来ました」

「獏? 世話になったみたいだから御礼は言いたいけど、来てないわけね」

「……怪我の具合はどうですか?」

「見ての通り歩けるけど、ちょっと複雑に遣られたから……潰されて捩られて回復に時間が掛かってるわ。まあ大体大丈夫よ」

 それは本当に大丈夫なのかと黒葉菫は眉を寄せたが、獣の体はよくわからない。獣は人間より丈夫だが、個体差はある。鵺が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろうと思うしかない。

「それで、用って何? 街に戻れ、とか?」

「いえ。ここで静養を続けても良いと。襲われた時のことで訊きたいことがあるそうです」

「……ん。わかったわ」

 鵺は黒葉菫を店の中へ手招く。彼には毛布の置かれていないソファを勧め、鵺は毛布の上に座った。黒色海栗はきょろりと見渡した後、黒葉菫の隣に座った。

「早速なんですが、二人が襲われた部屋に血を踏んだ大きな足跡と思しき物がありました。その足跡の主に心当たりはありますか?」

 鵺は肘掛けに頬杖を突き、不快そうにぴくりと幼い眉を動かした。

「あー……それね。一瞬だったけど見たわ。まず悪夢に襲われたんだけど、ウニちゃんを外に逃がした後にね、その足跡の奴に脚を潰されたの。躱さなければ全身潰されてたわね」

 黒葉菫は隣に座る黒色海栗を一瞥し、想像以上に壮絶な奇襲だったのだと改めて息を呑んだ。

「……これは獏からではなく俺の疑問なんですが……いいですか?」

「あら珍しいわね。いいわよ。変転人は皆主体性が無いと思ってたけど、獏の所為かしら? 人間らしくなったわね、スミレちゃん」

 にこりと快諾する鵺に至極色の頭を下げる。確かに獏の影響はあるかもしれない。どんな発言も否定せず許容してくれる獏の寛容さに感化されたのかもしれない。

「襲われた部屋の血痕はどちらに遣られたんですか?」

「殆ど悪夢ね。獣からは一発喰らっただけだから」

「獣……」

「さっきの話の続きね。最近活発だから目を着けてはいたんだけど、その足跡の主は檮杌(とうごつ)よ。……狴犴と情報共有はしてたんだけどね、まさかあの街に現れるとは……。目的は不明だけど、故意に私を狙ったのなら即地下牢行きでもいいわね」

「……獏の推測通りです」

「え?」

 きょとんと眉を寄せながら鵺は頬杖を下ろす。

「推測……? どの部分よ」

 事前に獏から聞いていた情報と黒色蟹から新たに得た情報を頭の中で反芻し言葉を纏める。バラバラだった点が繋がってしまった。

「足跡の主は檮杌ではないかと、獏は推測してました」

「獏と檮杌は面識があったの?」

「いえ。別件に繋がってるようです」

 鵺は黙って先を促す。さすが長年狴犴に就いて罪人を見ていた彼女は動じない。

「まだ仮定ですが、蜃が檮杌に攫われたそうです」

「!」

「獏の推測では、狴犴を病院送りにした件もそれ絡みではないかと」

「……狴犴が病院送り……は初耳なんだけど」

「あ」

「時間があるなら、洗い浚い情報を共有してもらえる?」

 顔は笑っているが、幼い容姿から似付かわしくない殺気が滲み出ている。黒色海栗は無意識に黒葉菫の服を抓んだ。

 鵺と黒色海栗が襲われてこの喫茶店で静養している間の出来事を黒葉菫はできるだけ順を追って話した。伝聞が多いため、できるだけ自分の言葉には直さず聞いたまま伝えた。

 黒葉菫が全てを話し終えると鵺はソファに凭れ掛かり、鋭い眼差しを虚空へ向けた。まさか意識が飛んでいる間に狴犴の身に大事が起こっているとは夢にも思わなかった。

「……蜃が檮杌に攫われたかはまだ確証があるわけではなく、でもそのつもりで動いてるそうです」

「狴犴は頭の緩い奴だと思ってたけど……そうね、確かに最近の緩さは目に余ってたかもしれないわね。あいつに正常な判断が下せないままマキちゃんも……だったら悲惨過ぎるわ」

 鵺は爪を噛み、情報をもう一度整理する。狴犴が薬をいつから呑んでいたかは、鵺にもわからない。変化が現れるのが緩やかで、おそらく気付き難いようわざと時間を掛けた。

「確証は無くても充分怪しい。だから犯人と仮定して動いてるわけね。檮杌が何を企んでるかは知らないけど、狴犴が邪魔だったのね。狴犴を邪魔だと思ってる奴は多そうだけど。狴犴が寝てるなら私の行動もとやかく言われることもないし、空っぽの科刑所に一度戻った方がいいわね」

 意識を失ったついでに烙印の解除印を盗もうとしたことも忘れてくれると助かるのだが。

「その点に就いては、贔屓が統治者の代理を引き受けているそうです。睚眦(がいさい)にも話して協力してもらってます」

「もう手を回してるのね。それならいいわ。現時点で誰か檮杌を追ってるの?」

「それがかなり不味いらしく……」

「不味い? 後手に回ったの?」

「当たりを付けて樹海へ、饕餮(とうてつ)と窮奇が向かったそうです」

「饕餮と窮奇!? ……ああそうか四凶か……でも確かに不味い。二人の力じゃ……」

「そこで獏と贔屓が後を追いました」

「……かなり切迫してるわね。完治してれば私も行きたい所だけど……とりあえず宵街の病院へ行ってみるわ。スミレちゃんはウニちゃんを連れて待機してなさい。安全が確認できてるなら獏の牢の街へね。狴犴の所には誰かいる?」

「現在の確認はできてませんが、椒図と負傷した蒲牢、黒色蟹がいると思います」

「レオちゃんがいるの? 優秀じゃない。獏が病院へ戻ったら、伝言の件は私から伝えるわ」

「……御武運を」

「檮杌の行動が読めないから、スミレちゃん達も気を付けて。クラゲちゃんにも報告して、危険だと思ったらすぐ離脱なさい。獏が牢の方に戻ることもあるだろうけど、放っておいて宵街の病院へ避難しても構わないわ。贔屓が付いてるなら、罪人を野放しにはならないはず」

「はい」

「もし檮杌に遭遇することがあれば、今度は半殺しにしてやる。鵺様を虚仮(こけ)にした報いは受けてもらうわ」

 贔屓が付いているならと、獏を街から出しておくことに鵺は口を出さない。今は状況が混迷している。狴犴を陥れた者を一刻も早く捕らえねばならない。檮杌の単独の犯行ではない可能性もある。

(贔屓なら大丈夫だと思うけど……これ以上被害を広げないでよ)


     * * *


 深く黒い木々の前に現れた窮奇と饕餮は、明かり一つ無い樹海の中へ目を凝らした。饕餮はすとんと窮奇から降り、額に手を翳しながら周囲を見渡す。

「……静かね」

 音も風も無い。まるで停止した世界の中にいるようだ。

「相当広そうだな。手当たり次第だと夜が明けちまう」

「じゃあ誘き寄せる? 蜃を人質と考えると、こっそり近付く方がいいと思うが」

「少し入って様子を見る。木の感じを見て、最適な力の使い方を先に考える」

「お。考え無しに来たと思ってた」

「それで突っ込んで返り討ちに遭えば格好悪過ぎだろ! 仮にもオレ達と同格の檮杌と遣り合うんだからな、楽勝とは行かねー。だがオレが勝つ。お前はこんな森の中で刀なんて振れるのかよ」

「当然だろ任せろ」

 饕餮は腰に手を当て、親指を立てて見せた。

「オレが明かりを持つ。饕餮は両手が空いてる方がいいだろ」

 窮奇は常夜燈を取り出し、気が急きながら樹海へ一歩踏み込んだ。風を操る窮奇は片手で杖を握れば良いだけだが、饕餮は杖に加えて刀も使う。両手が自由になっている方がいざと言う時に動き易い。

「確かに」

 饕餮も彼に続いて黒い樹海へ足を踏み入れた。

 足元は木の根が絡み、倒れている木も散見され、苔が滑り易い。想像以上に足元が悪いが、暗い地面を確かめながら直進してみる。不気味な静けさがあるが、獣が怖がっていては生きていけない。

「……洞窟とか話に出てたが、落とし穴みたいに地面に穴があっても落ちないでよ、窮奇」

「饕餮も後ろで勝手に落ちるなよ」

 暫く真っ直ぐ歩いたが、二人以外の声も物音も聞こえなかった。

「広過ぎて埒が明かねーな。仕方ねぇ、力を使うか」

「木を吹き飛ばすのか?」

「蜃まで吹き飛んだらどうすんだ」

 窮奇は杖を召喚し、静かに軽く振る。

「気配を探れ――微風(そよかぜ)

 無風だった森にさらさらと空気が流れた。頬を微かな風が撫でる。いつも派手な風を巻き起こしているが、それしかできないわけではない。どんな風でも操ることが可能だ。

「樹海全体を探れそう?」

「いや……それは厳しい。けどまあ、大体は探れるだろ。微風は温いからな」

「窮奇は力が強いから、均衡を取るために阿呆になったのかもなぁ」

「……地上に生きてる人型の気配は無いけど、洞窟の穴っぽいのは複数あるな」

「じゃあそれを目指すか。小さい穴の方が隠れるには良さそうだし、檮杌が通れる程度の小さい穴に行こう」

「あいつが通れる時点で小さくはねぇだろ。たぶん通れる……のは、こっちか」

 指差す方へ方向転換し、真っ直ぐではなく少し傾いて再び歩き出す。

「生きてる人型ってことは、死んでる人型はあるの?」

「ある。状態まではわからないけど、どうせ檮杌が遣ったんだろ」

「ふぅん。好き放題やってるね」

 背後の樹海の入口は疾うに見えず、周囲の木々は同じ景色を作り出しながら続いている。目指す場所はあるが、迷っていないとは言い切れない。

「好き放題と言えば、何で神隠しとやらにオレを誘わなかったんだよ」

「誘ってほしかったの?」

「蜃がいたんだろ? 知り合うなら早いに越したことはないだろ」

「その頃の蜃は男だぞ。化生して女の体になったからね」

「化生か……誰だ? ()ったのは」

「白い変転人らしい」

「変転人!? ……うわ……屈辱過ぎる。でもまあ女に化生させてくれて感謝だな」

「蜃の何処がそんなに良いの?」

「顔と胸」

「清々しいなお前。少しくらい中身にも興味を示してやりなよ」

「中身ィ? 中身は目に見えないし触れもしないだろ。形の無いもんはどうにでも変容する。そんな不確かなものに興味を示してどうすんだよ」

「風と性格を同列にしてやるなよ」

 風を力とし扱っている故の見解なのだろう。それでも腑に落ちなかったが饕餮はからからと笑った。本当に外見にしか興味が無いなら、饕餮とは疾うに縁を切っているだろう。饕餮は胸が無いと言ったのは窮奇自身だ。それに本人が気付いているかは定かではないが。

 無駄口を叩きながら歩くと、暗闇の中で微かに動くものを捉えた。先に窮奇が立ち止まり、闇を凝視する。

「何かいる……? でもこの辺りに動くような気配は無かったはず……見落としたか?」

「足の速い動物とかか? 我にはまだ気配は感じられないぞ」

「オレも気配を感じてるわけじゃ……」

 微かに前方の地面が動いた気がした。木の根だと思っていた物が持ち上がったような気がして、饕餮は咄嗟に窮奇を突き飛ばして跳び退く。

「!」

 木の根が一気に持ち上がり、二人のいた場所を裂くように跳ね上がった。

「何だこれ!?」

「悪夢だ! 窮奇! 避けろ!」

 言われるまでもなく窮奇は地面を蹴り、手近な太い枝を掴んでくるりと木の上に着地する。木の根だと思っていた黒い触手が地面を穿つ。

「悪夢ってあれだろ!? 獏しか処理できないとかってあれ!」

「そう! あれだ!」

「何でこんな所に!? 人間なんていねぇだろ!」

「死体はあるってお前が言ってただろ! たぶん発生源はそれだ!」

「ああ……それか……」

「もしかしたら悪夢に足止めをさせてるのか……?」

 饕餮の推測は筋が通っている。だが窮奇は鼻で笑いながら杖を召喚した。

「そんな発想、檮杌ができるわけねぇ。だが檮杌もほいほいと他の獣の言うことを聞くような奴じゃない。渾沌の奴、会話だか何だか、動けなくても意思疎通はできるみたいだな」

「窮奇! 想定外だ。悪夢相手だと我はポンコツだ」

「おう。任せとけ」

 暗くてよく見えないが、悪夢は一体だ。大きさは明確には目測できないが、触手は長い。饕餮の太刀では悪夢に触れることができず、擦り抜けるだけだ。処理はできないが、窮奇の風で退けるしかない。

「竜巻で周りの木ごとごっそり吹き飛ばすのが楽だが……人質ってのは面倒くせーな。庇いながら戦うってのも性に合わねー……」

 敵だけを見て戦いたいが仕方ない。少し効力は落ちるが、これも蜃のためだ。救い出した暁には犯人を殺してすっきりしてやる、と自分に言い聞かせて杖を振る。

「風の塊で押し出せ――」

 圧縮した風を悪夢へぶつけ、常夜燈を翳す。やはり風は効く。悪夢は風を受け後方に地面を擦っている。だが悪夢もそのまま大人しく吹き飛ばされてはくれない。触手を周囲の木々に絡み付けて耐えている。

 何もできない饕餮は悪夢から距離を取り、窮奇の明かりからは遠離らないよう位置を確認する。

「木が邪魔か……」

 悪夢に直接攻撃はできないが、干渉する物には攻撃が可能だ。触手の動きを目で追いながら、饕餮は最小限の動きで周囲の木々の間を縫い、触手の絡む木を太刀で両断した。何百年もこの太刀を握っているのだ、木々が蔓延っていようと振り方くらいわかっている。支えを失った悪夢は後方へ煽られた。

「素速く木を切っていけば吹き飛ばせる!」

 饕餮が動いたことに窮奇も即座に気付き、彼女の進路にある風を歪める。回り道をしていては時間の無駄だ。悪夢に猶予を与えるわけにはいかない。饕餮の背を押すように風を送る。伊達に腐れ縁をしているわけではない。念入りに示し合わなくとも息くらい簡単に合わせられる。

 触手の絡む木を全て切ると悪夢は漸く風に煽られ吹き飛んだ。後方の木々にぶつかり悪夢の体は歪み、まるで弾力のあるゼリーのようだった。

「戻って来る前に急ぐぞ!」

「おーよ! ……わ、っ」

 地面の中から生えた触手が足を掴み、饕餮を宙に浮かせた。

「――饕餮!?」

 先の悪夢は視認できない距離に飛ばされた。悪夢はもう一体いたらしい。

「せめて気配だけでも感じ取れればいいのに……!」

 触れられないだけでなく、獏でないと気配すら満足に感じ取れない。頼れるものが目しかなく、暗い夜の中では不利だ。

「すまん窮奇……! 放っておいて行ってくれればいいから!」

 太刀を近くの幹に突き立て、触手に引き摺られることは阻止する。我儘を言って付いて来たのにこの様だ。足を引っ張るくらいなら置いて行ってくれた方が良い。

 窮奇は足元を注意深く見渡し、近くの木の上へ跳ぶ。地面から生えて追ってきた触手を風で押し遣る。

「馬鹿か! 獣一人見殺しにするような奴に嫁が惚れるわけねーだろ!」

「窮奇……」

「足、持って行かれんなよ!」

 杖を構えるが、先程とは状況が違う。無理に吹き飛ばそうとすれば饕餮も共に吹き飛んでしまう。どうにかして足に絡む触手を解かねばならない。木と同じように足を切るわけにもいかない。

「ごちゃごちゃ考えても何も変わらねぇ。遣ってみるしかねーか。これをどうにかできたら滅茶苦茶格好良いしな!」

 杖を頭上へ突き上げ、邪魔な枝葉を風の刃で切り落とす。性質も動きも未知が多い悪夢に対してはとにかく情報を得るために叩くべきだ。

「圧し擂り潰せ――(おろし)

 杖を回し、頭上に風の塊を作り出す。風の良い所は目に見えない所だ。悪夢に目があるかは知らないが、見えなければ反応が遅れる。杖を振り下ろし、風の塊は紐を解いたように広がりながら悪夢を上から圧迫した。悪夢は風の重みに耐えきれずべしゃりと平たく地面に広がる。

 贔屓の加重に似ているが、贔屓の力のように長時間の圧迫が可能なわけではない。吹き下ろした風が一気に伸し掛かる、短時間の集中型だ。贔屓のように重さの調節も細かくできないため、加減はできない。

 触手も共に圧迫されているはずだが、饕餮はその場から動かない。

(生き物なら体を叩けば手も緩まると思ったが……悪夢は生き物じゃないと考えた方がいいのか)

 杖を振って風の方向を変える。

「掬い上げろ――廻風(かいふう)

 今度は地面から吹き上げるように悪夢の体を押し上げ、宙に浮かせた。

「撚れ」

 小型の竜巻のように風が渦を巻き、悪夢は翻弄され空中で回転した。饕餮を掴んでいる触手もどんどん捩れていく。

「あっ、ちょ、きゅっ……うぅ……!」

「耐えろ饕餮」

「うぐぅ……」

 気を抜くと触手と繋がる足も撚られそうだ。饕餮は足を体に引き寄せ、歯を喰い縛って持って行かれないよう耐える。

 最早何回転したかわからないが一分は掛からなかっただろう。捻られ綱のようになった触手は漸く饕餮の足から離れ、悪夢は宙に投げ出された。

「窮奇! 人間だったら搾り殺されてたぞ!」

「饕餮は獣だろ?」

「獣でも関節は外れるだろ!」

「外れたか?」

「外れてない!」

「じゃあ大丈夫だろ」

「ぐぬ……」

「外れたら嵌めてやるって」

 地面の様子を確認し、饕餮を救出できたことに満足して飛び降りる。饕餮も周囲を警戒しながら駆け寄るが、走る姿に少し違和感があった。上手く隠しているつもりだろうが、足を痛めたようだ。

「また悪夢が出て来たら面倒だし、饕餮は宵街に戻るか?」

「まさかこんなに悪夢がいるとは思わなかった……。檮杌や渾沌相手ならともかく、悪夢ばかりでは我は足を引っ張る……」

「おう。足引っ張られてたな」

「いやお前の言うのとは違うんだが」

「饕餮の分も檮杌を殴っといてやるよ。何発くらいだ?」

「じゃあ十発くら……待て、何の音だ?」

「?」

 二人は口を閉じ、耳を澄ませた。黒く佇む木々の向こうから何かを引き摺るような音が微かに聞こえた。

「悪夢は音を立てて歩かないはず……何の音?」

「檮杌か? 向こうから出て来てくれるなら好都合だが」

「でもこっちには向かって来てない……どうする? 見に行ってみる?」

「遠目に見て悪夢だったら退避しようぜ。檮杌なら殴る」

「わかった。さすがに慎重だな、窮奇。蜃に少ーし良く口添えしてやろう」

「マジか。格好良く盛っといてくれ」

 地面は黒く、またいつ触手が生えるかわからない。二人は木の上に跳び乗り、樹上を跳んで移動する。饕餮の足に不安はあるが、折れたわけではないので涼しい顔を装って跳んでいる。

 引き摺る音は徐々に大きく、近付いていることがわかる。方向は間違っていない。それは二人が跳ぶ速度より遅く、簡単に接近することができた。

 ここまでは冷静でいられた。急く気持ちはあるが、暗くて先もよく見えず音も碌に無い。情報の欠如した状況で焦って足を取られては格好が悪過ぎる。

 それを視界に捉えることができたのは随分と接近してからだった。黒い塊がゆっくりと歩いていた。二人には気付かず歩みは止めず、目的があるのかないのか進み続ける。その黒い体から後方に一本の黒い触手が生えていた。触手が何かを掴んで引き摺っている。引き摺られているものは白く、常夜燈の仄かな光でもぼんやりと視認できた。木の根でそれが転がされ陰になっていた赤い髪がちらりと見えると、窮奇の全身の毛が逆立った。

「――っ!」

 考えるよりも先に杖を振っていた。双眸が紅く染まっていく。


「蜃を離せええええ! ――(あた)のっ」


 力を使おうとし、全身に静電気が走ったかのような感覚を覚えた。

(力が使えない!? ……いや、強力な力が使えない……!?)

 まるで冷水を浴びせられたかのようだった。饕餮を一瞥するが、彼女は悪夢を見下ろして眉を顰めている。手に太刀の柄は握るが、悪夢相手では刀は効かないので動けずにいる。頼りは窮奇の風だけなのに、それが使えない。紅くなった双眸も徐々に熱を引いていく。

(冷静になれってことか!? だが力を制限するって何なんだ……? 檮杌にそんな力は無い。この悪夢の仕業か? それとも他に何か……近くにいるのか?)

 引き摺られている蜃に意識は無いようだ。白いガウンが黒く染まり、通った草に黒い物も付いている。おそらく血だ。蜃が消えた病室に残された血の量とはまるで合わない。悪夢なのか他の誰かに遣られたのか、一刻も早く病院へ連れて行かなければ。

「くそっ……とりあえず集中だ! ――颪!」

 風が起こせるか心配だったが、この力なら出せるようだ。強風を吹き下ろし、悪夢を地面に張り付ける。身動きが取れないことを確認し、蜃の許へ飛び降りた。饕餮も周囲に他にも悪夢がいないことを確認して飛び降りる。

「おい! 蜃! ……やっぱり意識がねぇ!」

「切られたような傷だね……悪夢に遣られたわけではないかも」

「檮杌でもない……誰だ!?」

「渾沌……? だが渾沌は動けないし……」

 蜃の白い頬に触れると冷たく、血色も悪い。指一つ動かず悪夢にされるがまま引き摺られている。最悪の事態が脳裏を過ぎり、窮奇は振り払うように頭を振った。

「さすがに不味いな……悪夢を引き剥がすまで持ってくれよ……」

 とは言え先程のように捻るわけにはいかない。意識の無い蜃には耐えることができない。

「少し生命力を分けておくか……」

「吸い取られないように抑えなよ」

 悪夢へ風を下ろしながら常夜燈を置き、蜃の頭を持ち上げる。息をしていないように見えるが、それは考えない。

 以前は口付ける前に起きてしまったが、今度は起き上がることなく冷たい唇に口付けた。鉄の味がする。生命力は注げているが、それで回復はしていない。口を離し、固く閉ざされた瞼を見下ろす。

「……饕餮は蜃を見といてくれ。悪夢を剥がしたらすぐ離脱しろ」

「窮奇はどうするんだ? まさか一人で……」

 本人に自覚はないだろうが不安そうな顔をする饕餮が視界に入り、窮奇は目を逸らした。

「ああもうわかったわかった! オレも悪夢を吹き飛ばしたら離脱する! 心配すんな!」

 心配されるのはどうも苦手だ。饕餮はいつでもからからと笑っているが、本当に不味いと思った時には素直に心配する。いつでも笑って任せておいてくれれば良いのだが。

 饕餮は蜃の傍らへ蹲み、代わりに窮奇が立ち上がる。彼女達から離れるために杖を翳したまま一旦悪夢から距離を取る。

「引き剥がせ――疾風(はやて)

 風向きを変え、黒い塊に風をぶつける。連続で何度もぶつけ、引き摺られそうになる蜃の体を饕餮は慌てて押さえた。

「おい悪夢! 聞こえてんならなぁ! さっさと蜃を離せ! お前が持ち去っていいもんじゃねーんだよ!」

 悪夢にどの程度効いているのかわからないが、重い岩の塊をぶつけているのと同程度の威力で風をぶつけている。人間なら簡単に頭が割れる威力だ。悪夢の体はぶよぶよと定まらず、嘲っているようにも見える。ゼリーのような体は威力を吸収しているのかもしれない。

 時間が掛かりそうだと思った瞬間、悪夢は思いの外あっさりと触手を離した。まるで頭を押さえるように触手を自身の頭上に当てた。悪夢によって、性質と言うのか性格なのか随分と違うようだ。最初に窮奇と饕餮が近付いた時も叫んだ時も、この悪夢は攻撃を仕掛けてこなかった。あまり戦う意志がない悪夢なのかもしれない。

「すぐ離したことは褒めてやる! だがなぁ! オレはお前を信用しねぇ!」

 杖を振り、突風を悪夢へ放つ。悪夢は粘るが、徐々に後方へ押されていく。

 今が好機だと饕餮も太刀から杖へ持ち替え、くるりと杖を回した。

「……!?」

 だが転送はできなかった。もう一度回すが、何も起こらなかった。

(太刀が使えるんだから力が使えないわけじゃない……窮奇も力を使ってるし……。転送だけができない……?)

 窮奇を呼ぼうと顔を上げるが、悪夢が踏ん張ってなかなか飛ばないため、それを追う彼の背が遠くなる。

「窮奇ー! 転送ができない! 走って樹海から出る!」

 返事は無かったが、常夜燈を取り出し引っ掛けた杖を浮かせて蜃を抱え上げる。木々の上へ出て出口まで飛んで行こうと上昇するが、葉に阻まれるようにがくんと杖が下がった。

「何!? 力が抜けたみたいに……上に出られないってこと!?」

 転送ができないのだから他にも制限が掛かっている可能性はあったが、樹海から出られないよう細工されているようだ。

「はんっ……大丈夫よ。方向くらい覚えてる。近道しようかなーと思っただけだから」

 誰かに言い訳でもするように呟き、来た方向へ杖の先を向ける。

(檮杌も渾沌もこんな細工ができる獣ではないはずだが……把握してない能力があるかもしれない……)

 飛び始めて間も無く、前方に違和感を覚えた。只の闇ではない。ぐにゃりと脈打ち、触手を幾本も繰り出した。

「また悪夢!?」

 先程退けたどれかである可能性もあるが、まるで人に餓えているようだ。故意に狙っている。そんな気がした。人を襲って悪夢に利点があるのか知らないが、引き寄せられているようにも見える。神隠しでもそうだった。悪夢は人を襲う。何もせず放浪するわけではなく、姿を見れば襲うものだ。

 蜃を抱えながら飛んでいては避けることも困難だ。触手の奇襲を(すんで)の事で躱し続けるが、暗闇で目立つ長い白髪を掴まれた。

「!」

 あの時の鴟吻(しふん)が脳裏を過ぎる。結わえた髪を掴まれ床に叩き付けられていた鴟吻の姿が重なる。

 杖から引き摺り下ろされ、饕餮は宙へ投げ出された。蜃も地面へ落ち、杖も消える。然程高度はなかったので蜃に怪我は増えていないだろう。

 空中で饕餮はもう一度杖を召喚し、槍を作り出す。悪夢には効かないことはわかっているが、足掻かなければと体が動く。

 槍は黒い触手を擦り抜け、虚しく地面や木に刺さった。触手は止まらず四方から饕餮を貫き、ばたばたと昏い鮮血が草を鳴らした。

「かっ……は……」

 急激に体が冷えていき、意識が遠くなる。この悪夢は殺し方を知っている悪夢だ、と饕餮は思った。もたもたと嬲る他の悪夢とは少し違う。偶然かもしれないが適確に心臓を貫いていた。

「きゅ……き…………すまん……」

 蜃を樹海の外へ連れ出せなかった。黒い触手に昏い血が伝う。

 長年連んできてここまで窮奇が興味を示した獣は初めてだった。子供のように燥いでいて、見ていると面白かった。蜃の方は彼に興味は無さそうだが、長年共にいて初めて見る一面が新鮮で、一応は応援していたのだ。特に何かをするつもりはなかったが。

 なのに、この先はもう見ることができそうにない。

 視界が滲み、ぼやけ、薄れていく。もう何も聞こえない。口も動かない。


 だらんと動かなくなった体から引き抜かれた触手は直後に突風に煽られ、木に叩き付けられ幹を圧し折った。

「貴様ああああ!」

 悪夢を吹き飛ばして戻って来た窮奇は両の目を紅く染め、鋭利な風の刃を叩き付けた。切るための風は悪夢には効かないが、周囲の木々を切り倒し、悪夢に伸し掛かる。それはすぐに透過するが、それで理解できた。悪夢は自身が触れるものを選んでいる。同じ木でも触れることと触れないことを選べるらしい。

「制限を解き放て! オレの体を破ってもいい! ――(あた)の風!」

 双眸を紅く染め、行き場が不安定になった力は肉と皮を突き破り、血を撒き散らす。代償を支払った風は威力は充分とは言えなかったが、木々を薙ぎ払い悪夢を突き飛ばした。その軌跡は苔を削ぎ草を刈り、土煙を巻き上げた。

「はあ……はぁ……饕餮! 無事か!?」

 虚空を見詰めたまま動かない饕餮へ駆け寄り、血に濡れた胸元へ耳を押し当てるが気が逸って上手く音が聞き取れない。自分の心臓の音が煩い。

「すぐ病院に……」

 くるりと杖を回し、離脱できないことに窮奇も気付いた。

「は……? 何で……」

 考えていても仕様が無い。できないものはできないのだ。惚けている場合ではない。

「ちょっと待ってろ饕餮。すぐここから出てやる」

 樹海の外へは距離がある。その間に手遅れになっては御終いだ。窮奇は饕餮にも口付けて生命力を分け与え、蜃と饕餮を両肩へ担いだ。

「さすがに……力が……」

 少しとは言え獣二人に生命力を与え、足に力が入らず蹌踉めいてしまう。何とか歯を喰い縛って踏ん張り、窮奇は黒で塗り潰された暗闇の中へ走った。


     * * *


「……ぁ」

 薬水を飲んでいた蒲牢はコップを下ろし、傍らに座っていた椒図に目を遣った。椒図は虚空を見詰めながら暫し放心していたが、視線を感じて蒲牢へ目を向ける。蒲牢の手の中の薬水が小さく震えていた。

「蒲牢……」

「……椒図も感じたか?」

 静かな病室の中で唾を呑む音さえ聞こえそうだった。この嫌な感覚は間違いない。椒図が死んだ時と同じだ。

「やっぱり僕も行って……!」

 身を乗り出した椒図ははっと目を見開いた。蒲牢のベッドの向こう、カーテンの向こうの狴犴の布団が動いた。

 息を呑んで見守る椒図を見上げ、蒲牢も隣のベッドへ目を遣る。震えそうになる手で机にコップを置き、床に足を下ろした。椒図もベッドを回り込み、カーテンを見詰める。


「饕餮か……」


 掠れたか細い声が耳に届き、蒲牢と椒図はベッドを囲うカーテンを勢い良く開けた。狴犴はゆっくりと目を開き、ぼんやりと二人を見上げる。

「蒲牢……椒図……? 饕餮は……」

 離れていても兄弟の死は感知することができる。これほど辛いことは無いのかもしれない。

「我儘を許すんじゃなかった……止めていればこんなことには……」

 俯き唇を噛む蒲牢を見上げ、狴犴は状況を察した。まだ頭はぼんやりと不鮮明だが、気分は然程悪くはない。

「……饕餮が自ら選んだことなのだろう? 責める相手が違うだろう、蒲牢」

 責めるべきは彼女を手に掛けた相手だ。それはわかっているが、納得できるはずがなかった。

「でも……饕餮はこのままじゃ化生もできない!」

「……?」

 兄弟の順を乱す化生はされない。饕餮は第五子だ。下に四人の兄弟がいる。更に四人も死ぬなんて耐えられない。

 そのことを狴犴はまだ知らない。怪訝な顔をする狴犴にはまだ話さない。目覚めたばかりの頭に一気に情報を流し込むわけにはいかない。狴犴の疲労はまだ癒えていないのだ。今は脳も安静にしておいた方が良い。

「……椒図、ラクタに狴犴が目を覚ましたって言って来てくれるか? 少し……落ち着こう」

「……わかった」

 椒図は少し足踏みをして躊躇いながらも小走りで病室を出て行った。

 動揺する椒図の気を紛らわせるためにラクタヴィージャを呼びに行かせたが、落ち着かなければならないのは蒲牢の方だった。過去に兄弟全ての死を見送った記憶に加え、最近また立て続けに死を感知して精神が参ってしまっている。吐き気を催しそうだ。

「蒲牢、お前も休んだ方がいい。怪我をしているのだろう?」

「……狴犴は随分落ち着いてるな」

「いや……感情を持つ体力がまだ回復していないだけだ。薬を……」

 蒲牢は狴犴の胸座を掴もうとし、手を出せずにベッドにその手を突いた。

「駄目だ! わかってて薬を呑んでたのか!? あの薬は君の体を蝕んでるんだよ!?」

「そうだな……だが、私は休むわけにはいかない」

 何日意識を失っていても頑なに科刑所に獅噛み付こうとする。頑固な所はずっと変わらない。その意志を曲げさせることができないとしても、止めないわけにはいかなかった。

「もう兄弟の死は感じたくない……! 君は暫く何もするな! 代わりに贔屓が……遣ってくれるから……」

「贔屓が……?」

 初めて狴犴の目に驚きが見えた。微かに目を見開き、窓の外へゆっくりと視線を遣る。ここから科刑所は見えないが、暗い宵の空を見上げる。

「贔屓が戻って来たのか……」

 気の所為かもしれないが、まるで安堵したかのように狴犴の口の端が微笑んでいるように見えた。

 蒲牢はベッドから手を離し、ふらふらと自分のベッドへ腰を下ろした。大声を出すと腹の傷に響く。頭の中がぐちゃぐちゃだ。そのままベッドに倒れ、蒲牢はシーツを握り締めた。


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