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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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94/124

94-暗流


 土や葉を踏み締める音。

 時折かさかさと葉の擦れる音。

 上下に大きく揺れながら、ぼんやりと考える。

 一体何故こんな所にいるのか。ここは何処なのか。暗くてよく見えない。

 唐突に地面に落とされ「うっ」小さく呻いた。

「……ア? 起きてたのか」

 光を顔の前に置かれ、眩しくて目を細める。

「まァた迷っちまった。もう少しだから大人しくしてろ」

 常夜燈を持ち上げたそいつは、地面から這い蹲って見上げると途方も無い大男に見えた。身長が三メートル程ある気がする。遠くまでは届かない光で辺りを照らす大男を一瞥し、ここは何処なのか周囲へ目を凝らす。

 光の届かない暗闇に細長い影がちらほらと見える。頬を押し付けた地面は木の根と苔と落ち葉や枝で、細長い影は木々だと推測できた。

(森林……?)

 地面に傾斜は感じないが、体に硬い根が当たって傾いている。山ではなさそうだが、偶々平坦な場所かもしれない。その判断は保留にしておく。

 大男は迷ったと言っていたが、ここは相当広い森林なのかもしれない。

(動けない……)

 腕や脚が縛られている。その縄は大男へと続いており、目を凝らすとそれは尻から生えていた。どうやら長い尻尾で縛っているようだ。不審な動きをすればすぐに気付かれるだろう。身動ぐのも慎重になった方が良い。

(尻尾が生えてるなら獣で間違いない……こんな大男、獣以外でいて堪るか)

 頭を動かそうとしたが、痛んで力が入らない。脳を揺さ振られる一撃を受けてから記憶が無い。太い縄――最初は気付かなかったが今ならわかる、あれはこの大男の尻尾だった。それが病室に潜り込み縛り上げられて殴られた。腕は見えなかったが、殴られたような衝撃だった。声一つ出せなかった。殺されたと思った。

(でも死んでない……よな? 殴られた以外は怪我してる感じもない……何なんだ? 何処かに連れて行こうとしてるみたいだが……これから殺されるのか? 埋められる? 知らない獣だと思うんだが……誰なんだ……)

 こんな大男、一度見たら忘れない。

 病院の外に腕と足を落とし、皆いなくなった所で蜃を襲った。最初から蜃だけを狙っていたように微塵も躊躇がなかった。只の憂さ晴らしなら病院でそのまま殺せば良いだろう。わざわざ運び出す理由がわからない。

 考えていると尻尾が持ち上がり、再び軽々と分厚い肩に担がれた。

(単純な力なら絶対勝てない……圧し折られる……)

 後ろに回された手には何やら袋のような物を被せられ、握ったまま開くことができず杖が持てない。隙ができるのを待つしかない。幸い手足は失っていない。逃げる手足がある内は思考を止めない。

 常夜燈の仄かな明かりはあるが、目だけを動かして見る景色は何処も同じように木々が茂り、確かに方向がわからず迷ってしまう。何処へ向かえばこの森を抜けられるのか、先刻まで意識の無かった蜃にはわからない。ならば転送で離脱するのが確実だ。足掻くにしてもその力だけは残しておかなければと肝に銘じておく。

 また暫く歩いた所で再び乱暴に地面に落とされ、大男は常夜燈を翳しながら辺りを見渡す。確実に迷子だ。何処へ連れて行こうとしているのか知らないが、このままでは辿り着きそうにない。

(凄く無駄な時間が過ぎてる気がする……いや、神経を磨り減らそうとしてるのか? どのくらい意識を失ってたかわからないが、持久戦だとしても獣は暫く絶食でも平気だ。窮奇が持って来た御菓子も食べたし)

 まだまだ余裕があると寝た振りをしながら、蜃は隙を待った。尻尾は腕に比べると細いのに、足掻いても千切れなさそうだ。


「……こんな所で何をぐずぐずとしてるんですか?」


 ふと聞こえた大男ではない女の声に、蜃は薄目を開ける。まだ距離があり顔はよく見えないが、常夜燈に仄かに照らされた白い姿はよく光を反射した。鍔の広い三角の魔女のような帽子を被っている。

(変転人……?)

 白は暗闇でもぼんやりと浮かび上がって視認し易いが、選りに選って嫌いな白が出て来るとはどんな当て付けだ。

 根を踏んで近付いてきた三角帽子は地面に転がる蜃を一瞥し、軽蔑するように冷ややかな目を大男へ向けた。

「何だ鉄線蓮(テッセンレン)か。起きてて偉いじゃねーか」

「貴方の帰りがあまりに遅いので叩き起こされたんです。また迷子ですか? いい加減にしてください」

「んなこと言われてもよ、こんな何もねェ所を歩かされたら迷うだろォ」

「目印でも置けばいいと言いましたよね? ……はあ……もういいです。貴方と会話するのは疲れます。付いて来てください」

「眠いのにすまんな!」

 ちっとも悪いと思っていないように豪快に笑い、大男は蜃を肩に担いだ。

 どうやら白い変転人は鉄線蓮と言うらしい。鉄線の花は朝に開く。彼女の活動時間も朝から精々日中なのだろう。叩き起こされて機嫌が悪そうだ。

(不味いな……この白に加えて最低でももう一人いるのか……叩き起こした奴が変転人ならまだ何とかできそうだが、獣だと面倒だ)

 この鉄線蓮という少女のことも蜃は知らない。弱い変転人なら問題ないが、白花苧環のように例外的な強さを持つ者だとしたら手を焼く。

(このまま大人しく連れて行かれるのは不味そうだが……只の縄なら離す隙もあるだろうに、尻尾じゃ体に繋がってて離れない)

 鉄線蓮に付いて大男はどすどすと大股で歩き、蜃はまた暫く分厚い肩の上で揺られる。頭を背に回されているので背後しか見えないが、暗くて何も見えない。時折聞こえる葉の音は野生の動物だろうか。

(……叩き起こしたって奴が俺に用があるのか……? 生け捕りってことは、何か話すことでもあるのか……。……まあ……大層な拉致だが、大したことない用かもしれないよな。大した……)

 思考の途中で乱暴に落とされ、寸前の所で声を呑み込んだ。

「先に行きます」

 どうやら目的の場所に着いたようだ。薄目を開けると、鉄線蓮が地面に吸い込まれていくのが見えた。

(……?)

 巻いた尻尾を引かれ、蜃も引き摺られる。

 大男は草の中に足を入れ、ゆっくりと下りて行った。蜃は脚を掴まれ、草の中へ引き摺り込まれた。

(!? 穴か! 洞穴(ほらあな)!?)

 浅い穴だったが、拘束されたままだと上手く着地ができず岩に腰を打った。

「オマエ、起きてるだろ? 脚だけ解いてやる。自分で歩け」

「…………」

 脚に絡み付いていた長い尾が解かれ、脚を自由にされた。腕は変わらず自由が無いが、力任せに思い切り岩を蹴り、草に覆われた暗い出入口へ跳んだ。尻尾はぴんと伸びて張り、びくともせず蜃は尻餅を突いた。

「何してんだ? そっちじゃねェ。こっちだァ」

 常夜燈を掲げて示した穴の先へ大男は歩き出し、尻餅を突いた姿勢のまま蜃は引き摺られた。

(駄目だ……抗えないペットの散歩みたいになってる……)

 どれだけ強く引っ張っても巻き付いた尻尾は少しも解ける様子がない。無抵抗な鞄でも引き摺っているようだった。

 ごつごつとした岩の上を引き摺られて尻が痛いので、仕方なく立って歩く。足場が悪い。

 少し歩くとまた斜面になり、大男は常夜燈を持ち上げながら細い道へ両足を下ろした。座りながらではないと進めないほど狭い穴のようだ。大男はもたもたと閊えている。座ると言うより最早寝そべっている。

(崩落とか……しないよな?)

 時間を掛けて大男が下へ下り、蜃も腰を落として下りる。大男が通れる程なので小柄な蜃には余裕があり寝そべる程ではない。だが座りながら滑りそうになる。岩に足を掛けながらゆっくりと下りるしかない。

「……おい。手は解放してもらえないのか? 手が使えないと……」

「足だけで進め」

「……ちっ。一体何なんだよ……俺に用があるならここで」

「黙れ」

 大きな手で顎を掴まれた。骨が軋む。このまま頭部を潰しそうな握力だった。

 蜃が苦痛を顔に滲ませると手は離れ、大男は再び歩き出した。発言は許されないようだ。

 奥へ進むほど体感温度が下がり、息が白くなっていく。

(寒い……、っ!?)

 岩に足が滑り、転びそうになった。手が使えないので足で何とか踏ん張る。

(苔……? いや、氷!?)

 道理で寒いはずだ。滴った水が凍っている。

 更に進むと地面から氷柱が何本もそそり立っていた。頭上の岩にも小さな氷柱が下がっている。寒さが苦手な蜃は身震いした。

 折れて転がっている氷柱は、邪魔だと大男が折ったのだろう。

 折れた氷柱を跨ぎ、滑らないよう足元に集中している内に最奥へ着いた。穴はまだ続いているが、大男の大きさでは通れない程の狭い穴だ。蜃なら這えば通れるだろうが、それよりも目の前に現れた大きな塊の方が先だ。

「何だこれ……」

 蜃ならすっぽりと収まってしまいそうなほど大きな白っぽい塊が壁に貼り付いていた。蚕の繭のようだ。

「おい、試験だ。これと同じ物を作ってみろ」

 大男は唐突に持っていた常夜燈を置き、太い指で差した。

「試験……?」

 声が聞こえたからか、奥の小さな穴から待ち草臥れたように白い三角帽子も現れる。彼女は岩に座り、脚を組んだ。

「貴方に拒否権は無いです。いいから作ってください。作れないなら、そこの檮杌(とうごつ)が貴方の頭をトマトのように握り潰します」

「…………」

 檮杌と言うらしい大男は笑いながら蜃の頭を掴んだ。大きな手にすっぽりと頭が収まる。

「……質問してもいいのか?」

 檮杌は発言を認めなかったが、鉄線蓮は檮杌とは違う雰囲気を感じた。何より鉄線蓮は変転人だ。変転人は獣を上位とし敬語を使う者が多い。そこに本当に敬意が含まれているかは別の話だが、鉄線蓮は敬語で話している。少しは話ができるのではないかと考えた。

「質問によりますが、試験に必要なことなら」

 試験とは常夜燈を作れと言っていたことだろうが、目の前の白い塊はそれとは関係なさそうだ。だが今一番知りたいのはこの白い塊だ。

「この白いのは何だ?」

 鉄線蓮は白い塊に目を遣り、常夜燈を指差した。

「それに答えるには、まずそれと同じ物を作ってください」

「作れば答えるのか?」

「全く同じ物を作ることができれば、です」

 それくらい蜃には朝飯前だ。杖を召喚できれば、だが。

「じゃあこれを解いてくれ。知ってるだろ? 獣は杖が出せないと力は使えない」

「……檮杌。手を解放せずに試験を始めたんですか?」

「ア?」

 鉄線蓮は眠そうに欠伸を噛み殺し、尻尾と手の袋を解くよう指示を出した。暗がりと眠さで蜃を拘束する物が目に入っていなかったようだ。

 檮杌は言われた通りに尻尾を解いて回収する。何メートルもある長い尾は管理も大変そうで、糸巻きのように自分の体へ巻き付けた。

(何か檮杌って奴より鉄線蓮の方が上位に見えるな……)

 ともあれ杖が召喚できればこちらのものだ。蜃は杖を召喚し、力が使えることを確認する。

(杖さえあれば大人しく言うことを聞く必要はない! さっさと離脱して――)

 くるりと杖を回すが、何も起こらなかった。

(……あれ?)

 もう一度回しても結果は同じだった。転送ができない。

(何で……この洞穴に椒図の閉じるみたいな力が掛かってるのか!?)

 この二人は離脱できないことを知っていて杖を持たせているのだ。変転人にそんな力は無いはずだ。とすると檮杌が怪しい。鉄線蓮を叩き起こした者もまだ姿を現していないが、そいつの可能性もある。鉄線蓮が出て来た奥の穴にいるのかもしれない。気配を探ろうと感覚を研ぎ澄ませるが、気配を消すのが上手いのか何も感知できない。

 くるくると杖を回すだけで何も起こらないのを見兼ねてか、蜃の頭に置いた檮杌の手にみしりと力が籠もる。

(そう言えば窮奇と戦った時も転送ができなかったな……転送を封じる獣は案外存在するのか……? ちっ、今は従っておいた方がいいか……常夜燈を作るくらいなら……)

 情報が少なく状況が理解できない内は素直に従っておこうと考え直す。面倒だが転送以外の逃げる方法を考えねばならない。

 小さく杖を振ると、檮杌の置いた常夜燈と全く同じ物が隣にもう一つ出現する。光源が二つになり、先程より明るくなった。

 鉄線蓮は微かに目を見開き、吟味するように常夜燈の傍らへ蹲んだ。作られた常夜燈に触れようとすると、するりと指が擦り抜ける。

「……実体にできますか?」

「できるが」

 蜃は顎で軽く示し、鉄線蓮はもう一度常夜燈に手を伸ばした。今度は擦り抜けず掴むことができた。持ち上げた常夜燈はすぐに霧散するが、実体だということはわかっただろう。

(寒いからか、蜃気楼を保てる時間が短いな……)

 温度に合わせて力を調整する必要がある。ここはまるで冷蔵庫の中のようだ。

「……確かに実体でした」

「じゃあさっきの質問の答えを聞かせてくれ」

 鉄線蓮は今度はあっさりと答えてくれた。

「その白い塊は繭と呼んでます」

「繭……? 中に何かあるのか? 巨大な虫とか……」

「それを答えるには次の試験を合格したら、です」

「まだやるのか……」

 繭と言われても、見たままだ。しかも『呼んでます』とは。実際は違う物だとしても、呼び方なんて各々の自由だ。最初から質問になど答える気がないのかもしれない。

「次の試験は、想像した物を作れるかどうかです」

「想像した物?」

「実物を見たことがなくても作ることができるかどうか、の試験です」

「ああ……架空の物とか?」

 あまり大きい物は作り出せないが、この洞穴以上の大きさの物は作れと言わないだろう。一体何を作らせたいのか。そしてその試験内容から、蜃の力で何かを作り出してほしいためにここまで攫って来たのだと理解した。わざわざ力を借りようと思うのだから、その辺の店で売っていたり簡単に手に入る物ではないだろう。

「今から私が言う物を正確に作ってください」

「俺の力のことを何処で知ったんだ?」

「私の想像した通りの物を作り出せない場合、殺します」

「…………」

 この質問には答える気がないらしい。頭がみしりと軋む。

「まず……そうですね。ベースは熊にしましょう」

「熊? 生き物は作れない」

 頭がまたみしりと軋むが、生物は作れないのだ。正確には生物の実体が作れない。生物の実体とは新たな命を作り出すことであり、そんな能力は蜃には無い。実体の無い幻の状態なら作ることは可能だが、鉄線蓮の求めるものは実体だ。

「ぬいぐるみや玩具の熊でいいです」

 どうやら生物は作れなくても問題ないようだ。

「とにかくベースは熊です」

「おう……」

 試験だと言うのだから最終的に作らせたい物は別にあるのだろうが、突然熊のぬいぐるみを作らされることになった蜃は眉を顰める。

「そして耳は猫。鹿の角を生やし……尻尾はライオンにしましょう。それから白いマフラーを」

「……キメラ?」

 確かに架空のものだが。蜃は杖を翳し、抱き易い大きさのぬいぐるみを想像する。ぬいぐるみと言うならリアルさは無くても良いだろう。

「君の想像と言ったな? 可愛い感じに仕上げるのか?」

「それで構いません」

 子供が抱くようなぬいぐるみで良いだろう。杖を振り、言われた通りの物を創り出した。熊をベースに猫の耳、鹿の角、ライオンの尾、そして白いマフラーだ。

「……素晴らしい再現度です」

 鉄線蓮はじっくりとぬいぐるみを観察した後、触れようとした。また実体ではないと文句を言われる前に、触れる直前に実体に切り替える。持ち上げたぬいぐるみはふわふわと柔らかく、手触りも良い。

「持ち上げてすぐに消さないでください」

 実体が数秒しか持たせられないことは知らないようだ。幻と実体を作り出せるとしか情報を得ていないらしい。

(数秒しか実体を作れないなんて弱点にしかならないからな。知らないならバレないようにしよう)

 不満そうに鉄線蓮は立ち上がるが、もう一度作り出せとは言わなかった。

「それで、この繭の中身は?」

「触れてみて構いません」

「えっ」

 答えるより先に触れても良いとは、大事な物ではないのか。蜃が無言で途惑っていると、鉄線蓮が先に指先で繭に触れた。特に何も起こる様子はない。

 恐る恐る蜃も繭に触れてみる。柔らかいような硬いような、不思議な感触だった。表面は少しざらついており、ほんのりと温かい気がした。

「中身はあります。貴方に作ってほしいのは、この繭を開ける鍵です」

「鍵? 見た所、鍵穴は無さそうだが……」

 一部は壁に接しているのでぐるりと全体は見られないが、見える範囲には鍵穴と思しき物は無い。どころか穴一つ無い。

「中身を取り出したいなら、叩き割ればいいんじゃないか? 中身は何なんだ?」

「……。叩いても切ろうとしても、傷一つ付きません」

 檮杌の手で壊れないのなら、相当頑丈な物だろう。鍵を使うのが正攻法と言うわけだ。中身については頑なに口を閉ざしている所から、知られたくないものが中に入っているようだ。

「中身を教えてくれないと、鍵を作る気にならない」

「頭を潰されても?」

「頭を潰して殺せば、鍵は作れない」

「…………」

 これは蜃が優位だ。相手は蜃の力を求めている。求めている間は蜃を殺そうとしない。これなら上手く掌で転がせそうだ。

「……わかりました。では、貴方を殺さない代わりに、貴方の知人を殺します」

「知人……?」

「椒図……と言いましたか?」

「!」

 完全に油断していた。ここでその名前が出て来るなんて微塵も想像していなかった。

(椒図も知ってるのか……!? まさか椒図の知り合い……? でも檮杌も鉄線蓮も聞いたことがない……)

 暗いが蜃の顔色が明らかに変わったことに鉄線蓮は目敏く気付く。

「まだ病院にいますよね、椒図は。檮杌なら簡単に殺せます」

 化生後の椒図の姿も認知している。一気に形勢が傾いた。この場に椒図はいないが、椒図は自分が狙われていることを知らない。椒図がこの檮杌の握力に勝てるとは思えない。

(駄目だ……椒図だけは巻き込みたくない!)

「貴方が鍵を作れば、椒図には何もしません。勿論、鍵が使い物になれば、の話ですが」

「……鍵って……鍵穴も無いのに……」

「ドアに挿す鍵だけが『鍵』ではありません。じっくり繭を観察して考えてみてください。……私は……眠い……」

 鉄線蓮は欠伸を噛み殺し、踵を返した。

「……檮杌、後は任せます。考える間、逃がさないように」

 奥の小さな穴へ屈み、鉄線蓮は姿を消した。檮杌は体に巻いた尻尾を解き、蜃の片足へ巻き付けた。杖は持っていても構わないらしい。杖を持たせておいても大丈夫だと高を括っているのだろう。椒図を人質に取られては、足掻くのも困難だ。

(鉄線蓮が起きるまでに鍵を作らないといけないのか!? ……ああもう! もう少しヒントくらい……)

 両手で繭に触れるが、穴が無ければ突起も無い。

(叩いても切っても……ってことは、多少乱暴なことを試しても文句は言われないよな!?)

 短い槍を作り出し、目一杯力を籠めて繭に投げた。鋒で繭が削れることもなく、少しも刺さらなかった。確かに言う通り頑丈だ。やはり鍵が何なのか考えなければ。

 檮杌も岩壁の(きわ)に腰を下ろして胡座をかいている。共に考える気は無さそうだ。

(たぶんこの二人も鍵が何なのか知らないんだ……知ってればこんな間怠っこいことはしないはず。中身を取り出すのが目的なんだから……)

 それで丸投げされては堪らないが。

「……なあ、この繭に何で()()()()だと思ったんだ?」

 鍵も知らないのに何故『鍵』が必要だと判断したのか。繭と言うのも勝手に言っているだけのように聞こえた。なら鍵も勝手に言っているだけかもしれない。

「開けるためには必要な質問だ。この繭について知ってることを全て話せ。これを開けたいならな」

 檮杌は蜃を不思議そうに見詰め、首を傾げた。言っていることが理解できないのか。

「情報が無いと繭を開けられないって言ってるんだ。君の知ってる繭の情報を話してくれ」

「何も知らねェ。……ただ、この中には仲間がいる。それだけだァ」

「仲間……? 獣か?」

「そうだァ。昔はよく連んだもんだァ」

 確かに人一人すっぽりと中に入りそうな大きさはある。仲間が入っていると聞いて、蜃は途端に同情してしまった。仲の良い仲間が閉じ込められているのなら、それはとても辛いことだ。蜃だって、椒図がこんな物に閉じ込められて解放の仕方もわからなければ取り乱すだろうし、少しでも可能性があるならどんなに危険なことでも遣ろうとする。

「……どのくらい閉じ込められてるんだ?」

「どのくらい……忘れた。数えてらんねェ」

 遠くを見ようとする檮杌の目は、昔を懐かしんでいるのだろうか。この様子だと一年や二年というわけではなさそうだ。獣の一生は長い。途方も無い年数を閉じ込められているのだ。

「……わかった。何とか開け方を探ってみる」

 気を引き締め、もう一度繭に触れた。檮杌にとってこの中身は、蜃にとっての椒図と同じだ。何としても再会させてやりたいと思った。

(開け方なんて見当もつかないが……例えば蚕の繭だと……煮沸? いやそれは中身を殺す奴か)

 軽く叩いてみると、鈍い音がする。中が空洞ではない音だ。きっちり中身が詰まっている。

(それならドアみたいに開ける物じゃないよな……)

 椒図がいれば知恵を貸してくれるだろうに、ここに彼はいない。あの頃の彼はいない。蜃一人で切り抜けなければならない。歯痒く思いながら黒い岩壁に接している部分に明かりを作り、照らして覗いて見る。繭は岩と融合していると言うより、岩に刺さっているように見える。岩を退ければ繭の形状は丸いのかもしれない。

「この洞穴は何なんだ? この繭は君達が運んだのか?」

「運んでねェ。最初からここにあった」

「最初から?」

 それは妙だ。蜃が通った道も奥にある穴もこの繭が通れる幅は無い。

(年月が経って洞穴が崩れたのか……?)

 繭と接する岩を叩いてみて、漸く腑に落ちた。普通の岩石の感触ではなかった。明かりを移動させ、他の壁や天井も照らす。凸凹と歩き難いと思っていたが、よく見ると小さな穴が多い。

(この岩……熔岩か!)

 この洞穴はおそらく熔岩の通り道だった穴だ。周囲も全て冷えて固まった熔岩だ。つまりこの繭は熔岩に流されてここに辿り着いた。熔岩の熱でもびくともしない繭なんて、只の繭なわけがない。

(獣の力で作られた物か? それとも印で……? 印だとすると、俺に壊せるか……?)

 こんなことなら誰かに印の手解きでも受けておくんだったと悔やむが、蜃はここに印をどうにかしてほしいために連れて来られたわけではない。何か他に解決方法があるはずだ。

(考えろ……開く……から……椒図の閉じる力とは反対の……開く――)

 そうして考えて暫くの時間が経ったが、陽の届かない暗い洞窟の中では時間の感覚が無かった。洞窟の外では何日も経過していたのだが、それには気付かなかった。鉄線蓮は無言で暫くの猶予をくれた。

 繭を見詰めながら蜃は考え続け、ふと一つ思い付いたことがあった。正解かはわからないが、試す価値はある。

(俺は想像した物を何でも作れる……なら、()()()()()鍵を創造したらどうなる……?)

 繭から離れ、杖を翳した。変換石に力を籠め、暗い穴の中を仄かに明るく照らす。檮杌は腰を上げる気配がない。許可を得ずに力を使うことを容認している。

「……よし、これで――」

 杖を振ると、思ったよりも大きくなってしまったが、四方八方に突起が伸びる奇妙な形の鍵が出来上がった。繭が大きいので、鍵まで大きくしてしまった。それを実体化し、両腕で抱える。

「――開け!」

 先端を繭に当てると、微かに繭が光った。変化があったということは、干渉できる効果があるということだ。落とさないよう実体を保ちながら回し、鍵が霧散すると同時に細い光の線が走った。繭からも光が漏れ出す。

「やったか!?」

 喜びが漏れそうになった瞬間、蜃の体に細い光が走った。

「――ぇ」

 途惑う間も無く体中から鮮血が迸った。

 そのすぐ後には岩にも亀裂が入り、膝を突いた蜃には状況を理解することもできず轟音が押し潰した。

「……御苦労」

 それが誰の声だったのか、轟音に掻き消されて蜃の耳には届かなかった。

 音が止んだ後は耳が痛む程しんと静まり、まるで世界が止まってしまったようだった。

 繭は確かに開いた。だが蜃はその中身の影しか見ることができなかった。後はひたすら黒く暗く、意識が落ちた。


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