表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/124

90-神隠し


 人々はそれを『神隠し』と言った。

 それは陽が暮れ辺りが暗くなった頃に起こることが多かったが、陽のある明るい内でも例外ではなかった。一人で外を歩いているとぱたりといなくなる。その現場を見た者はいない。日常の中で何気無くいつものように出掛けただけなのに、ある日突然帰らなくなる。大人も子供も等しくいなくなる。すぐに歩いて行けないような離れた村でも起こっていることから、人為的な人攫いではなく神隠しと言われるようになった。

 武士が行方不明になれば大きな問題にもなるだろうが、そこら辺の身分の低い人間が時折いなくなる程度では御偉方は動かない。気付きすらしていないかもしれない。神隠しに意志があるなら、大きな問題にならないよう攫う人間を選んでいるのだろう。

 少女は長屋に囲まれた井戸から水を汲み、いなくなった母親の代わりに洗濯をする。周りの大人達には他人の面倒を見る余裕はなかったが、知らないことは教えてくれた。まだ六歳の少女には水を汲み出すのは重く、井戸から桶を引き上げるのは大人が手伝ってくれた。少女に父親はいるが物を売るのに忙しい。父親に全て任せるわけにはいかず、家事は少女が引き受けた。同年代の少年少女は親の手伝いをしながらも外で走り回って遊んでいるのに。

「かごめかごめ、籠の中の鳥は――」

 それを横目で見ながら少女は(たらい)へ水を入れ、着物の袖と裾を捲って汚れた布を手で擦った。羨ましい気持ちを振り払い、他の子供より働く歳が少し早くなっただけだと自分に言い聞かせる。少女にはまだ小さな弟や妹がいる。そのためにも文句は言っていられない。

 子供の力では洗濯は時間が掛かり、帰るのはいつも一番最後だった。この後も遣らねばならない家事はたくさんある。


「もう逃げたい?」


 洗った洗濯物を抱える少女の足元に何かが当たった。見下ろすと綺麗な赤い鞠が転がっていた。刹那誰もいなくなった井戸端に黒い着物を着た少女が立っていた。頭に赤いリボンを結んでいる。この辺りでは見たことのない少女だった。歳が近いこともあり、洗濯物を抱えた少女は警戒しなかった。

「逃がしてあげる」

 黒い少女は何処から出したのか細長い棒を持ち、くるりと回した。誰もいない井戸端に洗濯物を入れた桶が音を立てて転がった。

 瞬きの一瞬の後に、少女は見知らぬ街に立っていた。並ぶ家々は見たことのない形をしていた。

「赤い石の家……?」

 辺りを見渡すが誰もいない。井戸も黒い少女の姿も無くなっていた。

 先程までは朝で明るかったのに、今はもう真っ暗な夜だ。道に沿って点々と明かりは灯っているが、少女の背丈よりも高く伸びて頭上で光っている。それは提灯ではなかった。

 見たことのない家、そして街灯に少女は途惑った。

 途惑いから逃げるように石畳を走ると、所々で明かりの灯る窓があった。

「夢……じゃないよね……」

 明かりの灯る家から物音が聞こえた気がして、少女は縋る思いで音の方へ向かった。恐怖や警戒より、縋りたい気持ちが強かった。

 ドアの前に立ち、取っ手を握る。横に引こうとするがびくともしなかった。

「開かない……」

 反対側に引いても微動だにしなかった。

 隣の家のドアも同じ形で、そちらにも手を掛けてみる。左右どちらに引いてもやはり動かない。

 困り果てて路地を覗くと、幾つか窓が見えた。その中には明かりの漏れる窓もある。見たことのない形の窓だったが、ここにある物はきっと何もかも見たことのない物なのだ。透明な板が嵌められた窓など初めて見たが、一々驚いていると切りがない。

 明かりの漏れる歪んだ硝子を覗くと、中に着物を着た髪の長い少女が座っているのが見えた。知らない少女だったが、人がいたことに少女は安堵した。恐る恐る硝子に触れて叩いてみると中の髪の長い少女はびくりと椅子から跳ね上がったが、窓の外の幼い少女を見て胸を撫で下ろした。

 髪の長い少女はきょろきょろとした後、入口の方を指差した。

 幼い少女は路地を出、開かないドアの前に立つ。ドアはゆっくりと向こう側から開き、ぶつかりそうになり二歩下がった。

「そういう開き方……」

「私も最初は横に引いてしまったの」

「ここの家、全部同じ開け方?」

「たぶん……」

 髪の長い少女は辺りを見渡し、幼い少女を招き入れた。幼い少女は草履を脱いでドアの横へ置く。

 髪の長い少女は倒れた椅子を起こし、幼い少女にも椅子を勧めた。見慣れない形の椅子に座り、漸く一息吐く。

「……あの、ここは何なんですか? 常世……なんですか?」

 安心すると疑問が一気に湧いてきた。

 髪の長い少女も困惑したように眉を下げるが、自分より年下だろう少女を前に弱音を吐くわけにはいかないと心の中で自分に言い聞かせた。

「ここは……私にもわからないけど、神隠しに遭ったんじゃないかと思うの」

「! 神隠し……」

「だって全然見たことのない物だらけだし……それに、私はここにもう何日もいるはずなのに空は夜のままだし、お腹も空かないの。眠くもならないし……」

「食べなくても平気なんですか?」

「何も食べてないけど、食べ物ならあるよ。偶に外に市場みたいに食べ物が並ぶし」

「売ってる人がいるんですか?」

「ううん。勝手に持って行っていいみたい。お腹は空かないけど食べられないわけじゃないから、食べ物を持って行く人はいるよ」

「他にも人がいるんですか!?」

「うん。普段は何処の家にいるのか知らないけど、両手くらいは顔を見たよ。待ってたらまた市場が開かれると思う」

 話しながら髪の長い少女は外を指差す。どうやら市場はすぐそこで開かれるようだ。

「あの、私もここで待ってもいいですか?」

「勿論! 私も一人で心細かったから、一緒にいてくれると嬉しいよ。あ、そうだ。家の中を案内するね。私もよくわかってないんだけど……」

 苦笑いをしながら髪の長い少女は立ち上がり、幼い少女も後に続く。隙間風も無い煉瓦の家は、安心してしまえば元の家より快適だった。

 まず隣の部屋を覗くと釜があり、籠の中に芋や大根など作物が入っていた。腐ることもなく状態は良い。別の部屋には入口と同じようにドアがあり、中は厠だった。食事の必要がないので厠にも行くことがないと言う。

 階段を上がると二階がある。階段のある家に初めて入った幼い少女は物珍しげに一段一段踏み締めた。

 二階の部屋は二つあり、双方に脚の生えた布団が置かれていた。まるで宙に浮いているようだった。

「変な布団……」

「でも寝心地は悪くないよ」

「そうなんですか……」

 半信半疑でベッドに手を突き、確かに家にある布団よりふかふかで柔らかいと幼い少女は納得する。

 一階へ戻ると、外で物音がした。足音が聞こえる。

「市場かも」

 ドアを少しだけ開けて外を覗くと、髪の長い少女の言ったように石畳の上に籠や木箱が並び、たくさんの作物が顔を覗かせていた。それを数人の大人達が物色している。

「行ってみよう」

 髪の長い少女に手を引かれ、幼い少女も草履を履いて外へ出る。先程は何もなかったのに、いつの間にこんなに物を置いたのだろうか。

 物色する大人達の顔を見上げる幼い少女へ、一人の女が経木(きょうぎ)に包まれた何かを差し出した。女は疲れたように微笑み、持参した籠に作物を入れて引き上げて行った。

 後からも何人か大人が遣って来たが、知った顔はいなかった。もしかしたら、いなくなった母親もいるのではないかと幼い少女は期待したのだが、よく知る姿は見つからなかった。

 少女達も家へ戻り、女から貰った経木の包みを広げる。

「お団子だ!」

「偶に甘い物も置かれてるの。でも少しだけだから、譲ってくれたんだね」

「こ、これ、食べてみたかったの!」

「食べたことないの?」

「ごはんを食べるだけで精一杯だから……」

 幼い少女の家は貧しく、団子が食べたいなどと強請(ねだ)る余裕はなかった。茶屋の前を通る度に、美味しそうに頬張る人々を羨ましく見ていた。

「たっ、食べ……食べていいのかな!?」

「いいよ。私は食べたことあるから、全部食べていいよ」

 待ちきれないと軟らかい団子を一つ手掴み、幼い少女は頬張った。

「甘い……! 甘くて美味しい! こんなに美味しいの初めて食べた! 神様って優しいのかな!?」

「それはわからないけど……食べ物を置いてくれるなら、少なくとも悪くはないのかも?」

 団子の御陰で幼い少女の警戒心は更に解け、それからは髪の長い少女と共に街の探検によく出掛けた。街は広く、少し歩いただけでは出られそうになかった。

 街を探検すると歩いた分だけ疲れ、眠くなった。何もしないと眠くならないのに不思議だ。いつも空が黒い夜なので時間がさっぱりわからないが、規則正しく眠っている気がする。

「皆あの女の子に連れて来られたのかな……」

「女の子?」

「黒いお着物を着て、頭に赤いリボンを結んでた子です」

「そうなんだ……。私は違う人に連れて来られたよ。髪が緑色でちょっと怖かったけど……男の人だった。ちょっと格好良かった……」

「え? 神様は一人じゃないのかな……」

 首を捻りつつ、二人は街を歩いた。

 明かりの灯る家は日を追う毎に増えていく。人が増えたらしい。

 日を重ねると擦れ違うことも多くなったが、それでも幼い少女の母親は見つからなかった。神隠しではなく、全く関係の無い行方不明なのかもしれないと思い始める。

 人が増えると市場で争いが起こるようになった。まだ充分に作物が並んでいるのに奪い合う人が多くなった。偶に置かれる菓子は更に酷く、殴り合うこともあった。殴り合いに参加してまで菓子を取る勇気は少女にはない。

 少女達以外にも街に子供はいたが、市場で奪い合う大人達を隠れて遠目に見るだけだった。腹が減らないので、無理をしてまで食べ物を取ろうとは思わない。

 知らない街に閉じ込められて皆苛立っているのか、家の中にいても外で怒号が聞こえることがあった。以前は静かだった街が騒々しくなる。

 そんなある日、髪の長い少女が目を覚まさなくなった。悪夢に魘されるように眉間に皺を寄せ、揺すっても起きなかった。きっと病気なのだと幼い少女は幼い頭で考えた。これまで街は散々歩いたが、何処に医者がいるのかはわからなかった。何処にも医者の看板は無かった。

 他に何をすれば良いのかわからず、眠る髪の長い少女の額に滲む汗を拭うことしかできなかった。

 汗を拭ってあげようと布切れを持って部屋に戻ろうとした時、中に誰かがいることに気付いた。隙間の開いたドアからそれを見た時、幼い少女は目を丸くした。隙間からそっと覗くと、黒い着物に赤いリボンのあの少女と緑の髪の青年、そして赤い髪の少年がいた。リボンの少女はあの時の細長い棒を持ち、眠る髪の長い少女へ振った。リボンの少女は口を窄め、着物の袖で口元を隠す。

 それだけで三人は窓から外へ出、まるでそこには何もいなかったかのように消えてしまった。

 幼い少女は慌てて眠る少女に駆け寄り様子を窺う。髪の長い少女は眉間の皺を解き、穏やかに寝息を立てていた。

 その後、髪の長い少女は何事もなかったかのように目を覚ました。そして何でもない風に今まで通りに街で過ごした。きっとあの三人は神様で医者なんだと幼い少女は考えた。

(皆……心配してるかな……)

 時間の感覚が無く、ここにもう何日いるのか最早わからない。父親や弟妹は帰らない少女を心配しているだろう。

(……うん。今日は真っ直ぐ歩いてみよう)

 髪の長い少女も誘ってみたが、彼女は最近とても疲れた顔をしている。病気は治ったはずだが、外から怒号が聞こえる所為で気分が良くないのかもしれない。

 幼い少女は一人で家を出、飛ばした草履の先が向いた方へ歩き出した。夜なので暗いが、街灯や月はある。草も生えていない石畳は寧ろ歩きやすいくらいだった。

 何もしない限り体には変化がないのだが、歩き続けると疲れるし足も痛くなってくる。暫く歩いて、路地の小さな階段に腰掛けて足を摩る。同じ景色が続くので、どのくらい歩いたのかもわからないが、足が痛くなるのだから相当歩いたはずだ。

(全然景色が変わらない……)

 子供の足では街から出られないのかもしれない。

(戻ろう)

 今日の所は諦め、来た道を引き返した。

 前方から怒号が聞こえ、迂回することにする。路地に入り階段を上がってまた下り、一本奥の道を歩く。方向を覚えていなければ迷子になってしまうだろう。

 奥の道にも明かりが灯る家があり、どんな人が中にいるのだろうかと考えながら横切ろうとし、ドアから音がして慌てて路地に隠れた。もし怖い人だったら、こんな所で助けを求めても誰も来てくれないだろう。隠れるのが最善だ。

 そろそろと顔を出すと、家から出て来たのは女性だった。もう背を向けているので顔は見えないが、手に桶を抱えていた。

(井戸があるのかな?)

 少女が過ごしている家の付近では井戸は見たことがなかった。そう言えばあまり路地の奥へは行ったことがなかった。路地の奥は暗くて踏み込むには勇気がいるが、行けば井戸があるのかもしれない。家には水壺(みずつぼ)があるが、もしかしたら髪の長い少女が汲んで来たのかもしれない。

 少女は女の後を追い、やがて少し開けた場所に出た。壁の陰から覗くと、奥に井戸が見えた。井戸の蓋を開け、女は縄を括った桶を中へ落とす。ゆっくりと縄を引き上げる後ろ姿を見詰めながら、少女は足を休めた。

(町からは出られなかったけど、井戸があるってわかった)

 それだけで今日は良しとしよう。空の桶に水を注ぐ女の横顔に向かって頷く。

(……あれ?)

 暗くて遠いので明瞭には見えなかったが、横顔の輪郭に見覚えがある気がした。

(もしかして……!)

 母親かもしれない。陰から飛び出そうとし、その足は前に出ることなく釘で打たれたように止まってしまった。

 女は突然、井戸諸共ぐしゃりと潰れた。女は地面に貼り付き、夥しい血を広げた。少女は叫び声も上げることができず目を見張り、その場から動けなくなった。

 結果として声が出なかったのは良かったのだろう。屋根の上に大きな人影が一瞬見えた。それはすぐに去り、戻って来ることはなかったが、声を上げれば目の前の女のように少女も潰されたかもしれない。

 漸く足が動くようになったのは、どれくらい経った頃だろうか。摺り足で漸く動き、恐怖を抱きながらも潰れた女に向かって歩いた。

「…………」

 顔がわかる距離まで近付いて立ち止まり、少女の足は竦んだ。呼吸が忙しなく、全身が震えた。

 すぐに踵を返し、少女は家まで走った。どの道を通って戻ったのか覚えていない。幼い少女は家に戻ると、布団を頭まで被って震えた。全身が凍り付いたように寒かった。

 井戸と共に潰れた女は臓腑をぶち撒け、顔も半分が地面に減り込んで潰れていた。半分でも少女には充分だった。あれは捜していた母親だった。やはり神隠しでここに連れて来られていたのだ。

 空から何か降ってきたわけでもなく、何も無いのに突然ぐしゃりと体が潰れた。きっとあの屋根にいた人影が遣ったのだ。暗くて顔も姿も見えなかったが、去る足は素速かった。神様が医者なら、殺したあの人影は悪魔なのだろう。

 それ以来少女はベッドから出ることができなくなった。髪の長い少女は何かあったのかと心配したが、やがてそれもなくなった。外に出たまま戻って来ない。外の怒号に悲鳴が混ざり始めたのはいつからだっただろうか――。



 少女は久し振りにベッドから出た。ぼんやりとする頭で、またあの団子が食べたいと思った。市場は出ているだろうか。もう随分と見ていない。

 虚ろな目でよたよたと階段を下り、口から黒い靄を吐く。その靄は少女には見えない。

 誰もいない一階を真っ直ぐにドアへ向かい、ゆっくりと押した。石畳の上に作物が残った籠や木箱が転がっていた。その中に団子はあるだろうか。

 家から出た少女の視界はすぐに黒くなり、少女は屋根から伸びた黒い物に頭から呑まれた。だらんと腕が下がり、着物が瞬く間に赤く染まる。少女は動かなくなった。

 転がった籠と木箱の周りには作物が散乱し、人間の部品が幾つも転がっていた。千切れた腕や脚を、少女は人間と認識できなかった。

 少女から漏れ出した黒い靄はやがて、意志を持ったかのようにぐにゃりと形を変えた。



 ――その後、急激な悪夢の増殖と氾濫により獏は対処できなくなり、椒図は神隠しの全責任を負い自ら地下牢へ、そして蜃は追い詰められることになる。


経木…木を凄く薄く切ったもの。おにぎりなどを包むアレ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ