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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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89-尋問


 草花が茂る花畑の中でそわそわと鍋の様子を窺っていた花魄(かはく)は、長い柄が付いたザルを小さな両手で熟年の職人のように構えていた。

「――今だ!」

 金魚掬いかのようにザルを鍋に下ろした花魄は、あっ駄目だ、という顔をした。

 膝を抱えて見守っていた浅葱斑は慌てて立ち上がり、花魄の小さな体を支えた。危うく鍋の中に落ちる所だった。

「感謝……」

 鍋は火が消え冷めてはいるが、掌に乗る程の小さな花魄では溺れてしまう。

「ザル、代わりに遣ろうか?」

 蔦を使って支えてはいたが、通常の人間の大きさに合わせたザルは花魄には大き過ぎる。

「大感謝……。ザルで木霊を掬って、小屋のベッドに寝かせてほしいの。後は目覚めを待つだけ」

「完成したのか!」

 花魄を片手に、浅葱斑はザルで鍋から塊を掬い出した。尻尾は濡れて萎んでいるが、栗鼠のような風貌で、頭には冠羽が、足は鳥のようだ。

「何で足も栗鼠にしないんですか?」

「何か混ざっちゃう」

 生物の生成はきっと想像以上に難しいことなのだろう。浅葱斑はそう思うことにした。

 時間は掛かったが、これで自我を持ち動き回る生物を作り出せるのだから、畏怖すら覚える。

 ザルの中の木霊を見下ろしながら少し屈んで小屋の入口を潜り、木霊の体を軽く拭いてから奥の小さなベッドに下ろした。

「目覚める時って、変転人みたいな感じですか?」

「私、変転人は作ったことないのよね。だからそっちは知らないけど、この木霊は自分が死んだことを知らない」

「え? それはどういう……」

「言葉通りよ。木霊に蓄積された記憶は私を媒介にして新しい木霊に注がれる。だから死ぬ前の記憶をずっと持ち続ける。死んだ記憶だけ抜け落ちるの」

「媒介にするなら、木霊の記憶は花魄も全部共有してるってこと?」

「それは頭が疲れるわ。木霊が私に知らせたいことだけ知らせて、私も知りたいことしか聞かない。だから、もしかしたら木霊の中に重要な記憶があったとしても、私は知らない、なんてこともあるかもね」

「それでいいんだ……」

「使役するだけだからそれで充分でしょ。花畑の管理をしてくれるなら、私はそれでいいの! それに、一つの生命として見てるから尊重はするわ。思考が駄々漏れなんて嫌よね?」

 記憶の媒介とは、中身の見えない小包を受け取って預かるような物だ。その中を花魄は覗かず、小包をそのまま木霊へ引き渡す。それだけだ。死ぬ瞬間は砂のように崩れていくが、そうして細胞が崩れ始めた所で記憶の蓄積は停止してしまう。だから自分が死んだという覚えが無いのだ。

 花魄は浅葱斑の腕を攀じ登り、肩へ腰掛ける。

「久し振りの大仕事だったわ。これから一杯やりたいものね」

「お酒飲むんですか?」

「飲まないわ。花蜜のソーダ割りよ」

「花蜜はいいな」

 死体を操るなど最初は少し怖いと思った浅葱斑だったが、花魄は花のように小さく可憐で、小さな体で失敗も多く愛嬌があり、花蜜を嗜む所にも好感が持てた。その辺の獣より余程親しみやすい。

「木霊が目覚めるまで、花畑を少し見回っておこうかな」

 肩の上で腕を組む花魄の指差す方へ、浅葱斑は小屋を出る。完全に乗り物にされている。

 花魄からは一本の蔦が伸びているので足に掛けないよう注意し、蔦の先にいる白花苧環を一瞥した。電池切れ状態の白花苧環は小屋の外で座らせている。充電と言っても無線状態で何故動くのか花魄にもわからないので、どれほどの時間繋いでおけば良いのかはわからない。次に蔦を離した時にはもう動かない可能性もある。

 白い首に巻かれた蔦は切断された首をきちりと固定し、白い体からは緑の葉がちょこんと生えている。

「緑の……葉?」

 もう一度しっかりと白花苧環に目を遣ると、体から小さな緑の茎が伸びて葉が開いていた。

「ちょ、花魄! 苧環のあれ、何だ!?」

「え、何?」

 花魄も訝しげに白花苧環へ目を遣り、口をあんぐりと開けた。

「何あれ!? どっ、どどどうしよう!? 何か変なことになってる!?」

「花魄もわからないのか!? ってことは花魄の仕業じゃない……」

「私は何もしてないわよ! 何なのあの草! ばっ、獏に何て言えば……」

 あわあわと何度も白花苧環の姿に目を遣り、二人は焦るしかできなかった。おろおろとしている内に浅葱斑は足元に置きっぱなしの鍋に躓いてしまい、肩に乗っていた花魄が花畑に飛ばされた。


     * * *


 患者のいない病室の中で四人の少年少女は険しい顔を突き合わせていた。

 宵街の病院で起こった不可解な事件によりラクタヴィージャは分身を数体作り出し、黒色蟹と共に不審な点がないか走り回っている。その間、贔屓、椒図、饕餮、窮奇の四人は、蜃のいた病室で事件の解明に頭を回していた。贔屓は先ず鴟吻(しふん)へ問うたが、彼女から返事はなかった。母龍の捜索を頼んでいるため、今はこちらに目を向ける余裕がないのだろう。何か問題があればすぐに贔屓に知らせるはずだ。返事すらないなら、彼女は今回の件を何も見ていないのだ。

「ベッドの血が致命傷ではないのが救いだが、蜃の血である確証はないな」

「犯人の血かもってことか?」

「ああ。後でラクタに調べてもらおう。犯人の血なら手掛りになる。蜃の血ではない場合、念のため皆の血液も調べることになるが」

「おいおい、まだ疑ってるのか?」

「念のためだ」

 窮奇は舌打ちし、腕を組んだ。蜃を残して一人で行動した者が怪しまれるのは確かに当然だが、釈然としない。

「怪しいって言うなら、椒図が怪しいだろ。ずっと一人だったし、ここに一番に戻ってた。友達だか何だか知らねーが、今は記憶が無いんだろ? 蜃を殺しかけてるし、実は恨んでたりするんじゃねぇか?」

 疑われても仕方がない。何気ない皆の視線を已むなしと椒図は受け止める。

「確かに一人だった。蜃がいなくなったことにも最初に気付いた。でも腕が落ちてきた時、僕は皆といた」

「ああ。話を聞く限り、腕が落ちてきた時に一人だった者はいない」

 冷静な椒図の言葉に贔屓も頷く。だが窮奇は納得がいかないようだった。

「じゃあ共犯者がいるってのはどうだ? そいつが屋上にいて、」

「僕が蜃を攫ったとするなら、蜃を何処に隠したんだ? 病院の中はラクタが隅々まで探してるし、僕が病院の外に転送したなら、すぐに戻って来ることはできない」

「…………」

 窮奇の言葉を遮り、椒図は淡々と事実を述べた。転送は短時間に連続ではできないことは誰しも知っている。それに外から病院の中へは転送は行えない。出入口の前へ戻って来たら、姫女苑のいる受付の前を必ず通ることになる。目撃されなかったとしても、攫って外へ出て戻って来るにはそれなりの時間を要する。

「論破されてやんの」

 大人しく聞いていた饕餮は笑いながら窮奇を小突く。窮奇はむっとし、舌打ちした。

「怪しいって言うならもうオレ以外全員怪しく見える」

「なんだ我も疑ってるのか? 蜃を恨んでる奴が犯人なら、もっと適役がいるぞ」

「誰だ?」

「――獏」

 空気が静まり、それぞれ黙考した。

「あいつか……。確かにこの場にはいなかったし、すげぇ怪しいな! あの神隠しの街なら攫った蜃も隠しておけそうだ。よし、殴り込みに行くか」

「待て」

 贔屓に思考を任せると言った割に自分でさっさと答えを出して行動しようとする窮奇を呼び止める。焦るのはわかるが、もう少し落ち着いて思考したいものだ。

「この場にいなかっただけで犯人にするなら、僕達以外の不特定多数が全員犯人候補になる。獏に絞ることはできない。饕餮、獏を挙げた根拠はあるのか?」

「……あー……口が堅いなら教えてやらんこともない」

 饕餮は窮奇を一瞥し、窮奇は眉を寄せた。

「オレは別に口は軽くないぞ」

「蜃の身の安全を考えると、あまり我の口から言うものじゃないからね」

「は? 蜃が攫われたことに関係あるなら言うべきだろ。蜃が危険だって言うなら、嫁はオレが守る」

「守れてないだろ」

 返す言葉も無く、窮奇は壁を思い切り殴った。

「……おい、それは誰の耳に入ると危険なんだ?」

「獏だ」

「獏とは別に仲良しでもねーし、言わねーだろ」

「まあね。我もそこまで気遣う気はない。ただお前がヨメヨメ煩いから忠告しただけよ」

 饕餮は贔屓と椒図の肩を掴み、外に漏れないように頭を寄せる。贔屓と椒図はされるがまま頭を突き合わせるが、そんなに警戒しなければならない話なのかと心して聞くことにした。

「いいか、蜃は昔、獏を見世物小屋に売ったの」

「……見世物小屋? 人間の遣ってた変な興行か? 変わった人間とか、奇異なものを集めてたとか……?」

 最近ではとんと見ないが、昔はそのような物に人間が群がっていたと窮奇は記憶を手繰る。人間のすることには興味が無かったため、記憶は薄い。椒図は化生したばかりで、言葉を聞いただけではそもそも思い浮かぶ物が無かった。人間の街で暮らしていた贔屓は心当たりを見つけ、険しい表情をする。

「窮奇の言う物で間違いないが、それはいつ頃の話だ? 饕餮」

「明治に入って割とすぐだった気がする」

「だったらまだ法整備されていない頃か? 人間が人間を見世物にする、人権的にも問題があった頃だな」

「そこで獏は檻に入れられて連日人間共に好き勝手遊ばれてた。最初は面白そうだと思って我も見てたんだが、すぐに詰まらなくなった。それからどうやって外に出たかは知らん」

「自力で出たんじゃないのか?」

「自力は無理だ。あの頃の獏は死ぬほど弱かったからな」

 獣の力は確かに一定ではなく、名が通ったり修行次第で強くなることはある。だがそこまで弱い獣が強くなれるのかは首を捻る所だ。獏は杖を使わないようなので、力の質がそもそも贔屓達とは違うのかもしれない。

「じゃあもう犯人は獏で決まりだろ。人間に玩具にされるなんざ獣にとっては屈辱でしかねぇ」

 吐き捨てて頭を離そうとした窮奇の襟を贔屓は強引に掴んで引き戻した。まだ話は終わっていない。

「饕餮、蜃は何故そんなことを?」

「色々ごたついてたみたいだね。椒図が地下牢に入れられたのを恨んでるっぽい」

「例の神隠しか」

「だーかーら、獏が犯人だろ? 早く行こうぜ」

 襟を掴む贔屓の手を叩いて急かす窮奇の焦燥が手から伝わる。どのみち獏に話を聞かないと窮奇も落ち着かないだろう。証拠はないが、動機はあるのだから。

「わかった。だが窮奇、まずは話だ。犯人と決め付けて襲わないと約束してくれ」

「よっしゃ、覚悟しろ獏」

 頭を離した窮奇の顔に間髪を容れず贔屓は杖の先を突き付けた。窮奇は加重されるのではと反射的に構えてしまった。加えて饕餮からも耳を引っ張られた。

「わかったけどよ……何でそんなに獏を庇うんだよ……」

「獏は何で自分が見世物小屋に捕まったか知らないの。知らないのに教えたら拗れるだけだ。だからその口縫い付けておいて。我にまで(とばっち)りが来たら面倒だからね」

「おー……そういうことな」

 漸く納得し、外套の内側を弄って取り出した学帽をぽんと被る。饕餮と揃いの帽子なのだが、窮奇は風を操る能力のため普段は被らない。風で飛ばしてしまうかもしれないからだ。二人で揃えている物ではなく四凶(しきょう)で揃えている物だと贔屓は知っているが、椒図はそれを知らず、二人は仲が良いのだと思った。

「久し振りに被ったなお前」

「すぐに襲わない、つまり風を使わないってことだろ? 帽子が飛ばないよう意識するために被った」

「被ってても飛ばさず風を使えるよね?」

「頭に血が上ったら飛ばすかもしれないだろ?」

 被る姿を久し振りに見たので饕餮は少し気分が良くなった。同じ物を身に着けると仲間という感じがして格好良い。と饕餮は思う。

「じゃあまあ、我が転送してやるか」

 高揚を悟られないように饕餮は杖を召喚し、三人を順に見遣る。贔屓と窮奇は頷き、椒図は頷かなかった。

「僕は残る」

「どうした?」

「狴犴と蒲牢が目を覚ました時のために、僕はここにいる」

「はあ!? やっぱりお前が犯人か!?」

 喰って掛かろうとする窮奇を制し、贔屓は椒図の頭にぽんと優しく手を置いた。

「わかった。ベッドの血も調べてくれるようラクタに言っておいてくれ。もしまた何か起こったら、無茶はするな」

 椒図は頷き、転送に巻き込まれないように下がる。窮奇は椒図を睨むが、椒図には狴犴と蒲牢のことも等しく大事なのだ。蜃のことは三人に任せておけば良い。獏の所へ行っても、昔の記憶の無い椒図では理解できないことが多過ぎて話が進まないだろう。

 饕餮も小さく頷き、理解を示す。気儘な性格だが、兄弟を大切に思う気持ちは彼女も同じだ。化生したばかりの末子の気持ちは尊重する。

 窮奇だけは腑に落ちないようだったが、饕餮の様子を見て納得することにした。彼女とは付き合いが長い故、その分の信頼がある。疑うような言動をしたが、彼女に対しては本気で言ったわけではない。

 饕餮はくるりと杖を回し、三人の姿が宵街から消える。転瞬の後に更に暗い街へ現れ、石畳を踏み締めた。

「ここが……」

 贔屓が神隠しの街を訪れるのは初めてだ。墨を流したような黒い夜の空にぽかりと作り物の月が浮かび、古い煉瓦の建物が立ち並ぶ。ぽつりと疎らに立つ街灯が寂しげに灯っていた。

「この規模の実体を一人で創り出し、現存しているとは……」

 感心を越えて背筋が寒くなる。この能力で単純に大岩を作るだけで町が一つ潰せるはずだ。神隠しは蜃にとっては本当にちょっとした悪戯の程度だったのだろう。

 街の中で一つだけ明かりのある建物の前で饕餮が手を振り、窮奇がドアに手を掛けている。促された贔屓も建物を見上げながら急いだ。

 ドアを開けると、それぞれの身長より高い置棚が両側にそそり立ち、狭い通路の先に見慣れたマレーバクの面を被った獏が座っていた。机を挟んで座る至極色の青年は贔屓には初めて見る顔だったが、変転人だろう。三人の姿を見るや彼は緊張した面持ちで動きを止めている。

「……あれ? また来たの? 贔屓まで……街の見学?」

 ティーカップを傾けていた獏はきょとんと首を傾ける。見た所、不審な点はない。

「実は……」

 贔屓が説明をしようと口を開くと、先に窮奇が机を叩いて牽制してしまった。

「よお獏……話を聞かせてもらおうか」

「……何の?」

「お前が切り出すな。贔屓に任せろ」

 饕餮は凄む窮奇の腕を引き、横へ引っ張って退かした。窮奇が話し出せば何処かで襤褸が出そうだ。

 気を取り直して贔屓は獏へ向き直り、獏も怪訝ながら聞く態勢を取った。

「蜃が何者かに襲われたんだ。姿が見当たらず、戻って来ないことから、攫われた可能性が高い」

 以前窮奇に襲われた時のように瀕死でなければ、自力で病院に戻ることは可能だ。だが病院で手掛りを探している時に蜃は戻って来なかった。つまり蜃は現在、自力で動けない状態のはずだ。

「え……?」

 面を被っているので細部まではわからないが、獏はきょとんと首を傾げた。全くの想定外の言葉に理解が追い付いていない、そんな様子だった。

「蜃はまだ病院にいたんだよね? 病院の中で誘拐されたの?」

「ああ。おそらく相手は計画性がある。蜃が病室に一人になるよう誘導した」

 獏は殺気立って睨み付けてくる窮奇を一瞥し、現状を理解した。

「……僕が疑われてる?」

「窮奇の言葉を借りるなら、自分以外は怪しい」

「成程ね……。じゃあ犯人の目星は付いてないってわけだ。僕が犯人じゃないのは僕が知ってるからね」

「一番怪しい奴が何言ってんだ! あの時病院にいなかったし、お前は蜃を恨んっ」

 すぱぁんと饕餮に(つの)を叩かれ、窮奇は口を閉じた。恨んでいる理由は言っていないのだから大丈夫だと思ったのだが、饕餮は窮奇の牛角を掴んで揺すった。駄目だったようだ。

「君達は蜃に恨みがある人が犯人だと思ってるんだね。確かに僕には動機があるけど、嘸かし酷い現場なんだろうね」

 窮奇が制止されていることを確認し、贔屓は再び口を開く。そのまま押さえていてくれと饕餮に目で訴えた。

「詳しく話そう。――最初は蜃の病室に饕餮と窮奇、黒色蟹がいた。そして窓に人の一部が投げ付けられ、その音で全員が窓を見た。蜃以外の皆はそれぞれ病室を出て警戒した。饕餮は当時一緒にいた僕とラクタに知らせ、黒色蟹はその落ちた人の一部を拾った。椒図は狴犴と蒲牢の病室へ様子を見に行った。窮奇は屋上へ行き、犯人の姿は見ていないが頭に一撃を喰らった。犯人は一時、獏が破壊した病室に潜伏していたようだ。その後、最初に蜃の病室へ戻ったのは椒図だ。その時には蜃はいなくなっていた。ベッドに置いていた焼菓子が床に散乱し、ベッドに血痕が少し。この血はまだ誰の物かわかっていない。――どうだ? 何か気付いたことはあるか?」

 簡単にではあるが、流れは一通り話した。獏は面を少し俯け、黙考する。その間窮奇は喋りたくてうずうずしていたが、饕餮に無言で角を掴まれて我慢した。

「……これは僕の憶測だけど、君達は根本的に間違ってると思う」

「と言うと?」

 否定を切り出した獏に贔屓は余裕のある様子で尋ね、獏はふふと笑った。贔屓は獏が犯人ではないとわかっている、と察した。

「たぶん蜃に恨みがある人の犯行じゃないよ。窮奇は血を見て動転しちゃったのかな」

 彼を一瞥して苦笑する。この中で一番蜃に執着しているのは窮奇だろう。彼を納得させるためにここに来たようだ。贔屓は最初から獏を疑っていない。

「もし恨みがあるなら、僕だったら誘拐なんてまどろっこしいことはしない。その場で殺す」

「…………」

「争った形跡はあるみたいだから、親しい間柄じゃない。犯人は知らない人か、関係の良くない人かな。呼べば来てくれるような関係だったら血は流れないでしょ。だから椒図でもない。今の話だと椒図も疑ってるんじゃない? 血の量は少ないみたいだから、すぐに気絶でもさせられたかな。声を出せば向かいの病室にいた椒図が気付くでしょ?」

「…………」

「あと僕じゃない決定的な証拠……って言うのかな。最初に窓に人の一部が投げ付けられたってとこ。紐を結んで上から振って叩き付けたなら、君達に紐が見えないはずはないよね。そんな音が出るほど強く当たったなら、四階だし、飛んで投げたと考えるのがいいと思うけど、今の僕は飛べない」

「あっ……」

 飛べない獏を掴んで飛んだことを思い出し、窮奇ははっと両手を机に突いた。すっかり頭から抜け落ちていた。

「飛べない獏は只の獏……」

「何言ってるの?」

 だが愕然とする窮奇の角から手を離した饕餮は不思議そうだ。

「飛べなくても、獏は手を使わずに物を飛ばせるよね?」

「…………」

 窮奇がはっと顔を上げて獏へ視線を戻した。

「よく見てるね君……」

「獏! お前! 自分に不利な情報を隠したな!? 自分が怪しまれないように適当なこと言っただろ! 怪しい! すげぇ怪しい!」

「獏は我が見たことある獣の中で断トツで面白い! 狴犴が固執してることも含めて面白い! 暇なら見てた」

「暇潰しにされてたなんて」

 獏の動物面に人差し指を突き付けつつ訴える窮奇は無視された。誰に訴えれば良いのかと窮奇はきょろきょろとしてしまう。

「獏は犯人ではないと思っていたが、そうか、飛べなくても自分の力で投げ付けられる獣はいるんだな」

「贔屓!? 獏を犯人だと思ってたんじゃねぇのか!?」

「そんなことは一言も言っていないが」

「じゃあ何でここに来たんだよ!」

「窮奇を納得させるためと、獏と蜃は仲が良さそうだったから蜃の交友関係を聞こうと思ったんだ」

「泳がされてたのか……くそが……」

「他人の言葉を無闇に鵜呑みにせず裏を取ろうとするのは良いことだよ」

 今の椒図には訊いても蜃の情報は得られない。ならば喫茶雨音で蜃と親しげにしていた獏に訊いてみようと考えたのだ。

 獏は蜃に恨みがあると見世物小屋に売った話を饕餮はしていたが、獏がそれを知らないならそこで恨みは生じないのだ。

「僕が不利になりそうなことは言いたくないんだけど……蜃とは仲良くないよ。最初は蜃は僕を殺そうとしてたし、大切な変転人を殺した。僕を殺そうとしてたことはもういいけど……変転人のことはちょっとね。蜃がまだ僕を殺したいと思ってるかはわからないけど、そんなだから仲良くはないよ」

 大切な変転人。毒芹のことだ。名前を出しても皆には誰だかわからないだろう、名前は伏せた。

「……そうだったのか」

「でも蜃を捜すなら手伝うよ。蜃の交友関係は、この街の外のことはわからないけど……」

「先に獏が言ったように恨みを持つ者ではないなら、蜃を攫った理由は何だと思う?」

「うーん……蜃の利用価値だよね……。獣が獣を攫う動機が想像できないけど……人間が人間を誘拐する時なら、多いのは人質とか? 身代金を要求するとか」

「人質なら蜃と犯人は顔見知りである必要はないな。僕達の中で恨みを買った人がいて、その人への報復か……」

 全員、恨みを買った覚えがあり過ぎて気不味く俯いた。

「蜃に人質の価値があるなら、我達の中だと窮奇が一番有力か? ヨメヨメ煩いからな」

「確かに嫁だが、金銭を要求されてもオレは何も持ってねーぞ」

 無い袖は振れない。それに獣が金銭を要求する場面も想像できなかった。饕餮は腕を組んで考える。獣が獣を攫う理由を改めて考えてみる。

「……蜃を甚振って窮奇を精神的に苦しめるとかか?」

「そんなことすればただ殺すだけじゃ足りねぇ」

「そういうことをしそうな奴に心当たりはないの?」

「獣なんか性格の悪い奴だらけだからな……」

 窮奇が関係ある前提で話が進められているが、大幅な脱線はしていないので獏と贔屓は静聴した。

 一人だけ場違いなのではと思い始めた黒葉菫は音を立てずに立ち上がり、思ったより話が長くなりそうなので立ったままの三人へ椅子を譲った。足りない二脚も持って来て静かに置く。黒葉菫は少し離れて壁を背に立った。

 椅子を差し出されても三人は座ろうとしなかったが、一瞥はしたので存在には気付いているだろう。

 饕餮と窮奇は思考が行き詰まり、二人して贔屓に目を遣った。助けを求められた贔屓は暫し黙考する。その間に獏は気になっていたことを二人に尋ねた。

「蜃の傷痕って奴は辿れないの? 前にそれで蜃の居場所を追ってたでしょ?」

 饕餮と窮奇ははっとした顔をするが、すぐに肩を落とした。

「……辿れない。傷が完治したのかもね」

「もっと強く傷付けとくべきだった……」

「お前は蜃をどうしたいんだ。嫁だろ」

「だってよ……」

 窮奇の言いたいことはわかるが、竜巻を受けて蜃は瀕死に近い状態だった。あれ以上傷付けていれば死んでいたかもしれない。倒れていた蜃を拾った贔屓は手当て前の状態を知っている。あれ以上は耐えられない。

「犯人がそれを知っていたかはわからないが、蜃の傷が完治するのを待って行動したんなら相当に面倒だな」

 その場合、かなり前から蜃は監視されていたことになる。蜃を喫茶雨音で治療していた時、贔屓は周囲に怪しい気配を感じていなかった。気配を隠すのが上手いのか、鴟吻のように遠方から観察できるのか。どのみち面倒な相手だ。

「それと……一つ気になるんだが、蜃を人質に何かを要求するとして、どうやって連絡するんだ? 獣は殆どが電話なんて持っていないはずだが」

 贔屓の純粋な疑問に、電話なんて所持していない窮奇は舌打ちした。金も無いのに電話なんて持っているわけがない。

「連絡手段が無いならそれは犯人もわかってるだろうし、蜃自身が何らかの理由で必要とか?」

 獏も指を組み、考えながら首を傾ける。

「それなら、蜃の何が必要か、だな。僕は蜃の力の詳細は知らないが、この街を創れる程なら利用価値は余りある」

「この街を創ったのは化生前で、今はそこまでの力は無いよ。一度本気で戦ったけど、強いとは思わなかった。本気と言っても僕は烙印で抑制されてるしね」

「化生しているのか? 知らなかったな」

「化生前のことは僕もよく知らないけど……。蜃に神隠しのことをもっと聞きたかったのに、タイミングが悪いよ……」

 椅子の背に凭れ、天井を見上げて肩を落とす。もし蜃に万一のことがあれば、神隠しのことを何も知れなくなってしまう。

「それなら攫われる前に我が少し聞いておいたぞ」

「えっ、本当?」

 腰に手を当てて饕餮は得意気に踏ん反り返る。獏も体を起こして身を乗り出した。

「悪夢で騒ぎが大きくなる前に、早い段階で変死体が見つかったと言ってたぞ」

「変死体……? それってどんな?」

「潰れたような、とか言ってたぞ」

「どんな風に?」

「それは知らん」

「そこが肝心だよ、饕餮」

「む……今度から情報を教えてやらん」

「おや……ごめんね」

 獏が戯けたように微笑むと、饕餮は顔を顰めた。性格が悪い癖に素直に謝る所は調子が狂う。

「そう言えば窮奇は頭に一撃喰らったんだよね? その攻撃に心当たりとかないの?」

「あ?」

 窮奇はまだ獏を疑っているのか喧嘩腰だが、自身は犯人ではないと知っているのだから獏は気にせず言葉を待った。

「最初は僕を疑っていたようだが」

 先に贔屓が口を挟み、窮奇は思い出す。

「贔屓くらい重い一撃だったからな……押し潰そうとするような」

「押し潰す……」

 何気無い言葉に、饕餮は僅かに目を伏せて考える。心当たりがないわけではなかった。それに窮奇も気付き、片手をひらひらと首を振った。

「いやいや、有り得ないだろ。贔屓が言っただろ、これは計画性のある犯行だってな。あいつは何も考えない馬鹿だろ?」

「まあ……そうだが」

 二人は誰かを思い浮かべているようだが、獏と贔屓には心当たりはなかった。

「参考までに聞かせてくれるか?」

 二人は目を合わせ、饕餮が話すことにした。

「押し潰すと言うか叩き潰すような力なんだが、我ら四凶の内の檮杌(とうごつ)って奴だ。そいつは人の話も碌に聞かないし、頭も回らない。計画を立てるなんて逆立ちしても不可能だと思う。だから気にしなくていいだろ」

「随分な言い様だな……。四凶の中で僕が面識があるのは窮奇だけだ」

「まともに会話できるオレはそこそこ頭が良いってことだな」

「いやお前は阿呆だろ」

 うんうんと頷く窮奇に饕餮はぼそりと呟くが、彼は意に介しない。もう慣れているようだ。

「押し潰すなんて力も、別に珍しくないからね。風を使う窮奇の方が余程珍しい」

「何かわからないが褒めたか?」

「褒めてはない」

 息の合った二人の遣り取りはいっそ微笑ましかった。

「……そう言えば、最近不可解な圧死をした人間がいるって聞いたな」

 獏は願い事を叶えるために赴いた先で聞いた話を思い出した。落下物があったわけでもなくベランダで潰れたらしい人間だ。

「はあ? 人間? 今一番どうでもいい単語だな! こうしてる間にも蜃はオレに助けを求めながら泣いてるかもしれないんだぞ!?」

「いつの間にそんなに仲良くなったの?」

 饕餮はじっとりと呆れ、贔屓は苦笑した。蜃と窮奇はそんなに仲良くなっていない。

 これ以上は考えても乗り上げた暗礁から抜け出せないようだ。静かに様子を窺っていた黒葉菫は項垂れる窮奇の視線が外れた所で獏に耳打ちした。獏は小さく頷き、黒葉菫は二階へ行く。呆れて二階へ待避したわけではない。噂好きの洋種山牛蒡を呼びに行ったのだ。彼女がこの街に来てからは外の噂は得ていないが、その前なら何か手掛りになるような話を持っているかもしれない。

「蜃は可愛いから……オレの他にも嫁にしたい奴がいるに違いねぇ……くそ、宣戦布告か……」

 窮奇と関係があると決まったわけではないのだが、彼の頭の中ではもうすっかり関係がある前提で進んでしまっている。

 ぶつぶつと項垂れる窮奇を眺めながら待っていると、すぐに洋種山牛蒡が階段を下りてきた。獣が集まる場を目にし、息を呑んだのがわかった。

「やばい会合だわ……」

「……変転人か?」

 黒葉菫が獏に耳打ちしていたことには気付いていた。贔屓は訝しげに獏に尋ねる。

「うん。黒の洋種山牛蒡だよ。物知りな情報通なんだ」

 変転人如きに何がわかるのかと、ぼやいていた窮奇も顔を上げる。

「あ? 変転人の情報なんて高が知れてんだろ」

「贔屓の居場所も教えてくれたんだよ」

「本物じゃねーか……」

 贔屓が宵街を去ってからの行方は妹である饕餮も知らないと聞いていた窮奇は素直に驚愕した。人間の街で贔屓に出会した時は身の安全が第一だったのであまり驚く暇はなかったが、今こうして手の届く範囲に居ることが夢なのではないかとまだ疑ってしまう。まだあまり実感が無いのだ。

「おい変転人。蜃の居場所を教えろ」

「まずヨウさんに説明しないと。何も知らないんだから」

 窮奇は焦ったように口を尖らせるが、獏と贔屓が説明する間も大人しく椅子に座り脚を組みながら待った。饕餮も座って椅子の足を上げ、ゆらゆらと揺らす。

 話を聞いた洋種山牛蒡は使えそうな情報がないか考えるが、能力も含めて獣を詳しく知っているわけではない。だが四人の獣に囲まれ、呼ばれたからには何か答えなくてはと緊張が走る。宵街の元統治者に四凶の二人とは、息が詰まる。罪人ではあるが獏が一番無害そうなので洋種山牛蒡は一歩獏の方へ近付いた。

「……犯人や蜃の居場所はわからないけど……話に上がった檮杌なら、最近活発に動いてると聞いたことがあります」

「活発? 活発に誘拐でもしてんのか?」

「人間を殺してるらしくて、あまり数が増えると地下牢に入れられるとか、噂を聞きました」

 片手で頬杖を突きながら、窮奇は眉を顰める。洋種山牛蒡は窮奇の攻撃範囲がかなり広いことを知っている。攻撃されれば一溜りもない。その彼に睨み付けられ、気が気ではなかった。

「あいつは馬鹿だからな。昔もよく殺してたし、その内狴犴に目を着けられるくらい過剰に殺して本当に地下牢に入れられるかもな」

 窮奇の言う『昔』とは贔屓が宵街の統治に就くよりも前のことだ。その頃は何をどうしようと咎める者はいなかった。

「度々馬鹿って言ってるけど、仲間として連んでたんでしょ?」

 怯えている洋種山牛蒡から一度意識を逸らそうと、獏は相手を代わる。無色とは言え変転人には威圧感が強過ぎるようだ。

「そりゃ渾沌(こんとん)が頭張って仕切ってたからだ。オレと饕餮だけなら扱いきれずに早々に見限ってる」

「お前はよく喧嘩してたもんね。食べようと狙ってた人間を檮杌に悉く先にミンチにされたりして」

 その時のことを思い出して饕餮はけたけたと笑う。窮奇は思い出したくないことを思い出し、不快感を露わに眉を顰めた。

「渾沌って、残りの四凶?」

「そうだ」

「君と饕餮みたいに、檮杌と渾沌が手を組んでる可能性ってないの?」

「は? 無い無い」

 ひらひらと手を振りながら、窮奇は然も可笑しそうに笑う。

「渾沌は人間に遣られて動けないんだ。そんな状態で馬鹿の相手なんざしねーよ」

「人間に? それは同情するね……」

「詳しい状況は知らねーけど、動けないよう封印されたとか? 運が悪かったんだろ」

「そんなことができる人間がいるんだね……。頭を張ってたって言うから、渾沌が計画を立てて檮杌が実行に移すなら有り得るのかなって思ったんだけど、その様子だと無さそうだね」

「それこそ意味がわかんねぇ。動けない渾沌がどうやって蜃のことを知るんだよ。それにあいつは嫁を欲するような奴じゃない」

「その動機からは離れようよ」

 仲間のことは窮奇と饕餮の方が詳しいだろう。二人が口を揃えて可能性が無いと言うなら、他の犯人候補を探さなくてはならない。

「連絡手段は無いって言ったけど、病院に何らかの連絡とか、犯人の残した手掛りとか、もう一度調べた方が良さそうだね。僕も知り合いは少ないし、心当たりも浮かばないし御手上げだよ」

「なら、獏も病院に来てくれるか? 考える人数は多い方がいいだろう?」

「僕は……」

 贔屓の誘いに獏は躊躇った。あまりこの街から離れるわけにはいかない。だが贔屓の誘いとは別に、白花苧環と浅葱斑もいつまでも花魄に預けているわけにもいかない。忘れかけているが、杖も修理に出したままだ。

「……何か手掛りが掴めてからでもいいかな。この街の悪夢を牽制して観察中なんだ」

「そういうことなら僕達が足を動かして、進展の有無に拘らずここに報告に来よう。君には手間取らせない」

「うん。それならいいよ。僕も頭の中を整理しておくね」

 獏は軽く手を振って三人を見送った。窮奇はやや不満そうに振り向いて横目で睨むが、饕餮に引き摺られて行った。

(……面倒そうな事件だなぁ)

 蜃を攫った犯人とその行方は不明だが、一つわかったことはあった。悪魔を食べてほしいと願われて行った子供達の父親を潰したのはおそらく檮杌だ。饕餮と窮奇が話していた檮杌の力と、洋種山牛蒡の語った最近の檮杌の動向は一致する。窮奇が言うには檮杌の行動に不思議な点はなく、あの子供達の父親は運が悪かったのだろう。

 ――それとは別にもう一つ。

(変死体……か)

 神隠しで早い段階で見つかったと言うそれは、早い段階と言えど悪夢の仕業である可能性はある。人間同士の争いである可能性も否定できないが、悪夢で騒ぎが大きくなる前にこの街で何かが起こったことは確かなようだ。


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