73-空回り
「先に少しだけ謝っておくわ」
誰もいない街の古物店の奥で、洋種山牛蒡は指を組みながら神妙に切り出した。
蒲牢が宵街へ行って手の空いた獏も一階へ下り、彼女の語る噂話に耳を傾ける。灰色海月は台所の前に立ち、獏と黒葉菫に紅茶を淹れたいが洋種山牛蒡の前でそういった行動は控えるべきではないかと葛藤している。
「贔屓の居場所はわかるんだけど、本当に居るかはわからないの。贔屓が昔、宵街を統治してた話をしたでしょう? 贔屓に戻って来てほしくて、噂の場所に行った獣がいるの。でも噂の場所は無くて、周辺も捜したけど何も見つからなかった。何の手掛りも得られなかったの」
贔屓の居場所を訊いてほしいと蒲牢に言われたが、この話の流れは雲行きが怪しい。
「捜し方が悪いのでは、と他の獣も行ってみたようだけど、結果は同じ。噂は所詮噂だった、ってことになった。でも何年も経った後でまた似たような噂が流れたらしいわ。また別の獣が確かめに行ったけど、そこでも何も見つからなかった。結果はいつも同じ。場所も贔屓も見つからなかった」
「……火の無い所に煙は立たないって言うけど」
「そうなのよ。でね、噂の元を辿ろうとしたんだけど、目ぼしい情報が得られなかった。噂の元に辿り着かなかったの」
不思議な話に、獏は動物面を傾けながら唸る。居るはずの場所に居ない、神隠しのような話だ。
「贔屓が見つからないだけなら、偶々そこに居なかっただけとも考えられる。でも場所もっていうのは変だね。場所はそう簡単に動かないし。それとも動くような場所なの?」
「茶屋だったって噂よ」
「茶屋か……屋台だったら動かせるけど」
「そう言えば喉が渇いてきたわね」
不可解な話に耳を傾けながら、黒葉菫は店に入ってからずっと喋り続けている洋種山牛蒡をぽかんと見詰め、当然だろうと思った。
灰色海月は紅茶を淹れるべきかまだ悩む。動こうとしない彼女の心中を察した黒葉菫は刻印の無い普通の紅茶を頼み、獏も構わないと微笑んで頷く。
漸く灰色海月は警戒を解いて紅茶を淹れることができた。黒葉菫にとって洋種山牛蒡は親しい仲だが、灰色海月にとってはそうではない。今の状況では警戒して当然だ。
「あら紅茶だわ。嬉しい」
「好きなんですか?」
「紅茶って淹れるの難しくない? 温度とか時間とか。御茶と言えば私は粉末を溶かすだけの御茶しか淹れないわ」
「そうなんですか」
粉末を溶かす御茶とやらが灰色海月には想像できなかったが、そういう飲み物もあるのだろうと無理矢理呑み込んだ。
「ヨウ姉さんの家に行くと粉末の昆布茶しか出ないからな」
「あはは! スミレ君が珈琲しか出せないのと同じよ」
「私も紅茶しか出せません」
得意な飲み物の話題に切り替わってしまい、このままではその方向で盛り上がりそうな空気になってしまう。急ぐ予定が無いならこのまま談笑していても構わないが、今は急いでいる。獏は微笑みながらも話を戻すことにした。
「話を折ってごめんね、その居場所の噂って具体的にどんなのなの?」
洋種山牛蒡もそうだったと何の話をしていたか思い出す。飲み物より噂話だ。
「フフ……それはね。『贔屓は人の街に隠れている』、『人の街のとある場所に度々現れる』って噂よ。最新の噂だと『とある場所』が店ってことと、店の名前だけはわかるわ。大体の場所もわかる」
獏は動物面の奥で眉を寄せる。具体的なようで漠然とした噂だ。
「……噂が二つあるね」
感情の籠もらない声で鋭く指摘され、洋種山牛蒡はびくりと肩が跳ねた。具体的にと言われ無意識に分けて話してしまったが、こんな風に話したのは初めてだった。
噂好きな彼女は様々な噂に触れる機会が多く、無意識にこの噂に違和感を覚えていたらしい。
「複合的な噂だね。噂は語り手によって言葉が付加されるから、尾鰭が付いて変化しやすい。だから何処かで別の噂と混ぜてしまっても不思議じゃない。同じ者を示してるとなれば尚更繋げやすい」
「噂は嘘かもしれないってこと?」
「そうとは言ってないよ。噂をそのまま見るか、尾鰭を見るか、はたまた裏か、裏の裏かも」
「こ、混乱する……!」
「ふふ。まあ一筋縄じゃいかなさそうだね」
目を回しそうな洋種山牛蒡に獏はくすくすと笑う。
奇妙な話ではあるが、長年消えずに更新される話なら全くの作り話ではないだろう。作り話を流し続ける意味がわからない。
誰も辿り着けないのなら、この街や宵街の花畑のように別空間に存在するのかもしれない。だが別空間で誰も辿り着けないならそもそも噂にはならないだろう。
(複数の噂を合わせたなら、元を探るのは困難だね。噂の元に辿り着けないはずだ)
探らせないよう意図的に噂を流したのかは定かではないが。
「最初は茶屋だったって話だけど、贔屓はよく御茶する人だったの?」
「……あまりそういう話は聞かないわね。宵街の見回りをする時に、お店を開いてる変転人から御土産はよく持たされてたみたいだけど」
その話を聞くだけで、どれだけ親しまれていたのかよくわかった。獣からも変転人からも慕われていたようだ。
「狴犴は見回りなんてしないから、変転人の中には狴犴の顔も知らないって言う人も多いわ。これだけでも贔屓と狴犴が正反対だってわかるわよね」
狴犴が贔屓と正反対だと言うなら、贔屓は獏の味方になってくれる可能性は充分にあるだろう。理由を話せば解除印を捺してくれるかもしれない。問題は解除印が処分されていないかだ。
「なかなか興味深い噂話だね」
獏はちらりと黒葉菫を一瞥し、紅茶を飲みながらぼんやりとしていた黒葉菫は慌ててゆったりとカップを置いた。
「……それで、その贔屓の居場所の店名は?」
獏の代わりに大事な部分を尋ねる。これを聞いておかないと捜しに行けない。獏が尋ねれば勘繰られてしまうかもしれないため目配せされたのだと、これはすぐに汲み取れた。獏の目は面に隠れていて見えないが、何となくわかるようになってきた。
洋種山牛蒡は少し混乱が残っていたが久し振りの噂話語りを楽しそうに、訊かれたことを話した。噂好きの彼女は純粋に御喋りが好きなのだろう。
獣から何も頼まれない日は宵街でこうして黒同士楽しく遣っていたのだろうと思わせる。獏は微笑みながら、彼女の語る話に耳とティーカップを傾けた。
* * *
一度足を運ぶと度々行くようになるのだなと思いつつ宵街へと遣って来た蒲牢は、獏に頼まれた煙草一カートンをついでに手に狻猊の工房へ向かった。タピオカをまた買いに行きたい気持ちはあるが、そこは我慢した。前回も我慢した。獏のいる街に戻れば団子が待っているのだ。我慢できる。
化生前はこんなに喰い意地が張っていなかった気がするが、食に興味を持つのは饕餮の影響かもしれない。人間の食べ物を知ってしまった所為だ。自分では作れない未知の食べ物に対する好奇心とも言える。
酸漿提灯の並ぶ薄暗い石段を下り、少し横へ折れると箱のような工房が見える。
(……?)
薄暗いが人間よりは夜目が利く。工房の前に誰かがいることに気付いた。新しく人の姿を与えられた変転人が工房へ入るのを後込みしているのかと様子を窺う。
陰になっていたが、ちらりと手元が光り、小型の刃物が握られているのが目に入った。
蒲牢は気配を消し、煙草の箱を小脇に抱え直して姿勢を低く地面を蹴った。
「!?」
余程ドアの向こうに集中していたのか、刃物を持った人影は蒲牢が腕を掴むまで背後に気付かなかった。
素速く腕を捻り上げて刃物を奪い、足を掛けて地面に倒す。
「あっ……」
人影は強かに体を打ち、声が漏れた。
「ここで何をしてるんだ?」
静かに問いながら、組み敷いた男を観察する。黄色の髪をしている。有色の変転人だろう。無色ならば相手が獣であろうと少しくらい抵抗できるはずだ。
(でも有色が何でこんなこと……)
首を捻っていると、すぐ前のドアが中から開いた。小さな騒ぎが耳に入ったらしい。
「……蒲牢?」
煙草を咥えぷかぷかと煙を吐いていた狻猊は煙草を抓んで背後に遣る。煙の苦手な蒲牢から遠ざけようとする。
「……と、誰だそりゃ?」
「それは俺が聞きたい……。ここで刃物を持って様子を窺ってたから、とりあえず拘束したんだけど」
「刃物……?」
足元に小型の刃物が転がっていることに気付き、狻猊は眉を顰めた。
「何だ物騒だな……」
「恨みを買うようなことでもしたのか?」
「いやいやいや! 恨まれるようなことは何も……たぶん……」
「とりあえず先にこれ、獏から煙草一カートン」
小脇に抱えて邪魔だった煙草の箱を下ろし、指先を伸ばして狻猊の足元へ突き出した。「お? 獏に礼を言っておいてくれや。お前もありがとな」
狻猊は喜ぶが、蒲牢の気分は沈んでいた。煙草は思ったより高価な物らしく、駄菓子のシガレット菓子のような物を想像していた蒲牢は獏から渡された金を片手に暫し固まってしまったのだ。充分な金を貰っていたので足りたが、食べられもしない嗜好品に金を支払うのは些か不本意だった。
「何かこう……近くに置きたくないみたいな渡し方をするな。火を点けないと煙は出ないぞ?」
「……それで、この人どうする? 俺はすぐ行かないといけないんだけど」
「お、おおそうだな。オレが預かる。見た所……有色か? おい有色、工房の前で何してやがったんだ? 新しい服を強請りに来たってわけじゃなさそうだが」
男は踠こうとするが、蒲牢にがちりと固められ身動きが取れず完全に諦めた。獣を二人も前にして抵抗する気力が無かった。
「すっ……すみません! 許してください! お、俺は別に獣様に恨みなんか……っ、ただ頼まれただけで!」
「頼まれた? 誰にだ?」
「むっ、無色の奴です! そいつは獣様に頼まれたと言ってましたが……」
「その獣は誰だ? 何を頼まれた?」
「獣様は獣様としか……。狻猊様を殺すようにと……」
「!」
「で、でも、獣様を殺すなんてそんな大逸れたこと……! できなくて……。工房から出て来た所を襲おうとして……出て来ないでほしいと祈りながら……」
狻猊は蒲牢に目を向け、蒲牢も首を傾げた。
「何だその命令? 獣を殺すなんて有色には不可能だ。無色にだってそうできるものじゃない。最初に頼まれたって言う無色は有色に押し付けたみたいだけど、獣が有色にさせるよう無色に声を掛けた可能性もなくはないな」
「いやいや、有色に獣を殺させる獣って何だ? 嫌がらせか? 冗談か? それともオレが舐められてる……?」
「さあ? やっぱり恨みでも買ったんじゃないか? 狻猊」
「オレの信用はどうなってんだ」
「……とにかく、こんなことに時間を割けない。割くならカフェで何か買う方がいい」
「オレの扱い……」
「ほら、君が取り押さえて」
「お、おう」
狻猊は煙草の箱を工房の中へ置き、蒲牢から男の拘束を代わった。
「何か急いでるみたいだな」
「うん。そう。だからもう行く」
「えっ、オレがこんな目に遭ってるのに……まあ、お前も気を付けろよ。……椒図みたいなことは続いてほしくないからな」
「……わかってる」
思わぬ所で時間を喰ってしまい、蒲牢は急ぎ杖に跳び乗った。狻猊を殺そうとした獣は気になるが、先の用を優先する。変転人に任せるくらいだ、頼んだ獣も本気で狻猊を殺そうとは思っていないだろう。只の悪戯かもしれない。
螭の居場所より手前に病院があるため先に病院へ寄ってみるが、受付で訊いても鵺と黒色海栗の情報は無かった。幾ら追い詰められていても宵街の病院へは行かないだろうと思っていたが、少しくらいは期待していたのだが。
気を取り直して上層の科刑所の裏手へ向けて、蒲牢は杖を飛ばした。
石段から外れ蔦の絡まる暗い茂みへ杖を飛び降り、炊事所を目指す。
その目的の石壁の前に動くものを捉え足を止めるが、ずんぐりとした黒い影にすぐに地霊だとわかった。頭に兎のような長い耳を生やした円らな目の土竜のような地霊は、ひくひくと鼻を動かし蒲牢を見上げている。炊事所へ入ろうとすると地霊は道を塞ぐようにのそりと動くので、杖の先で地霊の頬を突いた。
「土竜を見ると捨てたくなる……。螭に用があるんだ。通してほしい。わからないなら螭に訊いてきて」
地霊は暫し鼻をひくつかせた後、のそりと踵を返して扉を開ける。そのまま付いて行こうとした蒲牢は大きな爪に阻まれ、仕方無く待つことにした。地霊相手に押されることはないが、ここで騒ぎを起こすわけにもいかない。
地霊が中に入って間も無く、すぐに割烹着を着た螭が顔を出した。辺りをきょろきょろと見渡し、小さく手招く。
招かれるまま中に入った蒲牢は良い匂いのする台所へ通され、玉暖簾を潜り中央の席に座った。
「突然いらっしゃるので、何かと思いました……」
蒲牢はまだ何も言っていないが、螭は安堵したように胸を撫で下ろした。
「俺も良い報せで来たわけじゃない」
「え……」
途端に不安そうな顔になるので、早く話してしまおうと蒲牢は口を開いた。
「椒図が化生して、一旦は見つけたんだけど、状況を説明したら宵街に行ってしまった」
螭は目を瞬きながら咀嚼し、蒲牢の向かいに座る。
「それは……説明不足だったのでしょうか?」
「説明は獏がしたけど、化生が早過ぎて些か未熟だったみたいだ」
「まあ……。化生が早いとそんな弊害があるんですね」
「未熟とは言え椒図の意思であることには変わりないから、無理に言うことを聞かせる気はない。自分で見て決めると言ってたけど、もし狴犴の味方をするなら、宵街は閉じられてしまう」
「そう……ですか。事情はわかりました。宵街が閉じると出られないので、報告に来てくださったんですね」
「うん。俺は獏に戻って来いって言われてるからすぐ戻る。君は君の判断に任せる」
「わかりました。何かあった時のために、私は宵街に居ようと思います」
宵街が閉じられた場合、戦力が全て外に居れば中のことに手出しができない。螭の判断は正しい。蒲牢は頷き、席を立った。あまり長居をするわけにはいかない。
炊事所を出る蒲牢を見送るため、螭も席を立つ。急ぐ事情はわかった。折角来たのだからと呼び止めることはしない。
「それじゃ、またな」
「はい。お気を付けて」
誰もいないか外の様子を窺い、地霊しかいないので蒲牢は杖をくるりと回した。
「…………」
もう一度くるりと回す。冷汗が流れそうになる。
「……どうしよう……宵街から出られない……」
「え?」
獏に絶対戻って来いと言われたのに、戻ることができない。
「椒図さんが狴犴さんの味方をして宵街を閉じたということですか……?」
「たぶん……そう」
余裕綽々で煙草を買いに行ったことが悪いのか狻猊の工房で想定外の出来事があったことが悪いのか、椒図はもう決断を下したようだ。狴犴にすぐに話を聞いたとしても、考える時間は必要だろうと思っていたのに。
(まさか工房でのあれは、足止め……? 時間稼ぎか? 俺が宵街に来るなんてわからないはずだし工房に寄るとも……。獏が宵街に来た時のための対策か……? でももし獏が宵街にいる時に閉じてしまったら、椒図に近付く機会を与えることになる……筋が通らない)
蒲牢は考えるが、答えは出せなかった。
(誰に向けての対策だったのかは今は置いておこう……。引っ掛かったのは俺だ。その事実は変わらない。それにこの件とは全くの無関係だってことも有り得る)
表情が乏しいながらも項垂れる蒲牢に、事態の深刻さが窺えた。螭は宵街に居ると言ったが、蒲牢はそうではない。
「椒図さんを説得しましょう。宵街を閉じたからと言って、目的は私達を外に出さないことではないはずです」
「……説得、できればいいけど」
宵街へ行くなと言っても聞く耳を持たず行ってしまった椒図が話を聞いてくれるだろうか。
「立ち止まっててもしょうがないから、狴犴の所に行ってくる。螭はここでいつも通りにしてて。宵街から出たいのは俺だけだから」
「はい。御兄弟なら話を聞いてくださいますよね。……御武運を」
「……そうだといいけどな」
皆で暮らしていた頃の幼い椒図はよく狴犴と家事を担当していた。記憶は無くとも蒲牢より狴犴の方が無意識に馴染みやすいのではないかと考えてしまう。椒図は蒲牢の歌を好きだと言ってくれたことがあったが、その歌も今は歌えない。言葉の無い歌など好きだと言ってくれないだろう。
急ぎ炊事所近くに立つ暗い科刑所へ向かうと、入口で地霊が邪魔な蔦を千切っていた。科刑所の動きを見ることも含め螭が配置しているのだろう。地霊は蒲牢を見上げて鼻をひくつかせ、道を空けた。
淡い型板硝子の落とす薄い光を踏みながら階段を上がり、短期間に再び訪れることになった狴犴の部屋の扉を開ける。
「……?」
部屋の中はしんとしており、机がぽつんと佇んでいるだけだった。
(誰もいない……)
見渡しても長身の彼が隠れられるような場所はない。
幾ら書類を見るのが忙しいとは言え部屋を出ることもあるだろう。タイミングが悪かったようだ。
見えない印に注意しながら机に向かい、重厚な椅子に腰掛ける。少し待てば戻って来るだろう。戻って来るのが狴犴だけだったとしても、椒図の居場所は知っているはずだ。
そう言えば鵺が引出しを漁っていたことを思い出し、左右に並ぶ引出しを順に勝手に開けてみる。
(……烙印の解除印はない。大事な物は肌身離さず持ってるだろうな)
代わりに仕置印は転がっていた。
(筆記具にノートが数冊……携帯食と栄養剤……)
ノートを手に取りぱらぱらと捲ってみる。どうやらメモ帳として使用している物のようだ。雑多に書き殴られている。
(……と、薬?)
小さな袋から幾つか白いカプセル薬が飛び出して転がっていた。携帯食や栄養剤と共に転がっているので、栄養剤の一種だろうかと一粒抓んでみる。だが何か病気を患っている可能性もある。狴犴に直接尋ねるのが一番良いのだろうが、もし病気なら逸らかす可能性が高い。一粒預かって病院で尋ねようとポケットに突っ込んだ。
(後は過去の予定……覚書……。このノートは……『植物系変転人』について? 『死後に遺す種の育て方』? 『苧環の花期』……? 『木霊』にバツが付いてるな。矢印の先に『花魄』……。そう言えば前に会ったあの有色……俺のことを苧環とか……)
首を捻りながら付箋の貼ってある頁に目を通し、引出しにノートを戻した。『苧環』に関する日記のようなものが其処彼処に書き殴られていて、遡っていくと『苧環』に人の姿を与えた時のことも書かれていた。花の欠損部位の経過観察とやらには日付も書かれ、注視していたことが窺える。
椅子の背に体を預け、蒲牢は冷たい石の天井をぼんやりと見上げた。
(ノートによると『苧環』は狴犴が大切に育ててた変転人みたいだ……。元々面倒見は良かったからな。このノートみたいな人柄を椒図が見たんだとしたら、狴犴の味方をする選択をしたことも頷ける。俺も獏から聞いたことしか知らないし、狴犴からも話を聞くべきなんだろうな。……そもそも鵺があの街に引っ張って行ったから……)
扉に目を遣るが、誰も来る気配はなかった。暫く待つことになりそうだ。机上に散乱した書類を拾い、暇潰しに目を通す。狴犴は一人で良く遣っている。そう思った。




