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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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47/124

47-拷問


 石壁に囲まれた窓の無い部屋の中で、白花苧環はベッドに浅く腰掛けながらただ扉を見詰めていた。檻よりは広く、机と椅子もある。柔らかいベッドも置かれている。だがそこから出ることは許されず、扉には鍵が掛かっている。食事を運ぶ地霊だけが部屋の中に入ってくるが、それを押し退けて外へ出ても居場所がわかる以上は無駄なことはしない。首輪をどうにかしない限りはここから逃げることはできない。

 監禁されてから思考は続けているが、何も良い策は思い浮かばなかった。掌から武器を生成できない代わりに小型のナイフを一本調達はしたが、獣には取るに足りない武器だろう。狴犴(へいかん)が戦う所は見たことがないが、実は物凄く弱ければ良いのにと思考が脱線する。狴犴が強いか弱いかは今は問題ではない。強さがどうであろうと居場所が筒抜けで誰でも差し向けることができるのが問題だ。

 動かないと更に体が鈍ってしまいそうだ。まさかそれが狙いかと考えた頃、不意に扉が開いた。食事の時間ではないはずだが、土竜のような手足と兎のような長い耳の地霊がぺたぺたと入ってきた。

「狴犴さんから伝令です。罪人の拷問を見に行きましょう」

「この生き物……話せたんですか?」

 最初に言うべきはそれではなかったが、言わずにはいられなかった。獏の善行で同行した動物園で見たような動物の姿をしていて、人語を話すとは思えなかった。思わず身を乗り出してしまった。

 円らな瞳で見詰められ、身を乗り出したままもう一度言われたことを咀嚼する。

「罪人の拷問とは……新たな罪を犯した者がいるということですか?」

「今回の罪過は脱獄です」

「脱獄……!? どうやって檻から出たんですか!?」

 罪人は地下牢で力を使うことはできない。力を使わずにどうやって檻から出ることができたのか。外部から手を貸した者がいるとしか思えなかった。

「それを拷問します」

「そう……ですね。そのための拷問ですよね。睚眦(がいさい)が行うんですか?」

「そうです。行きましょう」

 睚眦のことはあまり良く思っていないが、脱獄には目を瞑れない。罪を反省する所か逃げようなどとは赦せないことだ。ちらりと見ることはあってもはっきりと拷問の見学をするのは初めてだが、白花苧環の所為で拷問された変転人がどんな拷問を受けていたのか知るにも良い機会と言える。足の遅い地霊の後を追い、まだ然程経ってはいないが随分と久しく感じる部屋の外へ出た。

 遠目に視界の隅に三角の帽子を被った白い姿が角を曲がるのが見えたが、白花苧環の穴を補うための変転人だろう。代わりなど幾らでもいるのだ。

 拷問部屋は同じ科刑所の中にあり、監禁されている部屋と同じで外の見える窓はない。上部に一つだけ色の無い小さな窓があるが、光は射していなかった。中の様子を見るための覗き窓だ。

 拷問部屋の中は思ったよりも広く、壁際には拷問道具と思しき物が暗く置かれている。それらは使わないのか見向きもせず、既に睚眦が腕を組んで立っていた。鋭い眼光と女性にしては長身である彼女は立っているだけで威圧感がある。

 中央には罪人にしては小綺麗に髪を結わいた青年が椅子に座らされており、両手を枷で繋がれていた。首輪は外されていたが、烙印を使用するためだろう。拷問でも仕置印を使うのかもしれない。

 青年と目が合う。少しの痛みでは吐きそうにない芯のある目をしていた。力の使えない者がどうやってあの檻から出ることができたのか、それがわかれば白花苧環も監禁部屋から出ることが可能かもしれない。居場所が筒抜けならば無意味な行動ではあるが、それはこの罪人の青年もわかっているはずだ。

「来たか。待ち草臥れたぞ」

 睚眦はにまりと不敵に笑い、壁際に置かれた簡素な椅子へ促した。

「見学席だ。貴様はそこから動くな。血飛沫が飛んでその白い服が汚れるかもしれないが、洗えばいい」

「血飛沫……? そんな出血ではすぐに死んでしまうのでは? 拷問の意味が」

 口を塞ぐように、睚眦は白花苧環の口元を掴んだ。指が頬に食い込む。

「ここでは私に口答えするな。狴犴は貴様に苦しみ悶え命乞いする罪人の姿を見せて恐怖を植え付けたいようだが、口出しするならすぐにここから放り出す」

「…………」

「拷問で私が禁止されているのは、喉を潰さないことだけだ。喉がないと話せないからな」

 言い聞かせるように睨み付け、手を離して罪人に向き直る。

 喉を潰さなくとも、話させる気があるのかわからなかった。何のための拷問なのか……睚眦が欲求を満たすためでしかないのだろう。

 睚眦が背を向けている間、罪人の青年はじっと白花苧環を見ていた。睚眦が見ていないのを良いことに微笑んでいた。これから拷問をされる者の顔ではなかった。

「ではこれから、罪人椒図(しょうず)の拷問を始める!」

「!?」

 白花苧環は目を見張った。これが、椒図――。黒葉菫に会いに行かせた獣が目の前にいる。名前を聞いて息を呑んだのがわかったのか、椒図は少し俯きながらも白花苧環と目を合わせた。その顔にはもう微笑みはなく、覚悟を決めて感情を消していた。

「最初はそうだな――腕を一本落とそう」

「!?」

 背を向けている睚眦には白花苧環がどんな顔をしているのかわからないだろう。白花苧環は表情を強張らせる。拷問の初手でいきなり腕を落とせば、出血多量ですぐに倒れてしまう。拷問の心得はないが、鞭で打ったり指先から痛めるものではないのか。はったりなのか。

「椒図、貴様はどうやって檻から出た? 共にいた奴は誰だ?」

「…………」

 椒図は口を閉ざしたまま微塵も開く気配を見せなかった。少し俯いたまま無表情を変えない。白花苧環が思ったように、やはり誰か手を貸した者がいるようだ。

「そうか」

 睚眦は笑いながら短い杖を取り出し、椒図の腕に向かって勢い良く振った。

「――っ」

 細い枝でも折るようにみしりと右腕が体から千切れ、枷に繋がったまま床に落ちた。夥しい鮮血が溢れ床を汚す。椒図は激痛を堪えるために奥歯を噛み、だが何も言わなかった。俯いた目元だけが歪む。

「今度は脚にするか。逃げる脚を一本奪っておこう」

「…………」

 睚眦の言葉ははったりではない。幾ら獣とは言え、失血が酷ければ死んでしまう。

「もう一度問う。貴様はどうやって檻から出た? 共にいた奴は誰だ?」

「…………」

 椒図はやはり何も言わない。腕の一本を捨てたことで、この拷問にはもう意味がないと白花苧環は悟った。椒図は何をされようと何も言うつもりはない。このままではただ徒に惨殺されるだけだ。

「……何度、拷問をしようと、僕がお前に話すことは、何も無い」

 掠れたか細い声が床に向かって吐き出される。肢体を奪われようと、決意は揺るがなかった。

「そうか」

 杖が振られ、右脚が大腿部でみちりと千切れて落ちる。脚を一本失い体勢を崩しそうになり、それでも椅子の上に留まった。床に広がる血溜まりとは裏腹に、表情は歪めつつも呻き声一つ上げなかった。汗だけが苦しそうに伝う。意識を失い兼ねない仕打ちなのに何が彼の意識を繋ぎ止めているのか、目だけは閉じなかった。

「次はもう片方の脚だ」

「…………」

「貴様はどうやって檻から出た? 共にいた奴は誰だ?」

 同じ言葉だけを繰り返す。質問の仕方を変えるでもなく、やはり睚眦は最初から情報を吐かせる気がない。

「…………」

 そして椒図も、何も言う気がない。

 このままでは椒図は死ぬだけだ。獏に借りを返すつもりで白花苧環は黒葉菫に頼んだのに、何もかも無駄になってしまう。信用しきれなかった黒葉菫だけを危険に晒したことは果たして罪と言わないのだろうか。

「そうか」

 三度杖を上げた睚眦は笑いながら、椒図しか見ていなかった。

 白花苧環は立ち上がり、隠していたナイフを睚眦の腕へ投擲した。

「!?」

 睚眦は予想外の方向からの奇襲に反応が遅れ、腕に刺さったナイフを一瞥した後に振り返った。

 一瞬だったが、椒図から意識が逸れる。

 椒図は歯を食い縛り、落ちた自分の脚を白花苧環に向かって投げた。

「!?」

 白花苧環は避けきれずに脚を受け止めた。

 もう一度睚眦が振り向く前に椒図は残った左脚だけで白花苧環に向かって思い切り床を蹴り、手に鍵のような長い杖を召喚した。

「貴様!」

 睚眦が杖を振る前に椒図は白花苧環の首に左腕を回して捉え、不敵に笑って杖を回した。

 一瞬の内に二人の姿は拷問部屋から消え失せ、睚眦は時間を掛けて沸々と理解していった。力の使えない獣と罪人を嫌う白の変転人が仲良く消えた。意味がわからなかったが、消えたのは事実だ。

「くそが!」

 睚眦は毒突き、急いで拷問部屋から駆け出た。



 瞬きの瞬間に一変した景色は、見慣れた誰もいない街の中だった。

 白い首に回していた腕がずるりと力無く落ち、片腕と片脚を失った椒図は地面に崩れた。

「お前の……記録から辿ったが……まさかこことは……」

「力が使えないはずでは……どうなってるんですか!?」

「僕の烙印とお前の首輪……場所が感知されないよう封じた……。宵街も……誰も出られないよう……閉じた……。一時的だが……暫く大丈夫……だ。後は……好きに、しろ……」

 瞼がゆっくりと閉じていく。あの出血量で動けるはずないのだ。

「……! オレにもう怪我人を運ばせないでください!」

 白花苧環は椒図を抱え上げ、明かりの灯る唯一の店に向かって走った。枷に繋がったままの右腕が空中で力無く揺れる。

 もどかしくドアを開けると、何の臭いなのかわからないが生臭い噎せそうな酷い悪臭が鼻を突いた。奥の机には誰もいない。白花苧環が宵街へ戻った時は獏は気を失っていた。まだ二階で眠っているのかもしれない。

「アサギ! アサギはいますか!?」

 一拍置いた後にばたばたと階段を駆け下りる音がした。

「はいはい! いますが! もしかして苧環!?」

 最後の数段を飛び降りる音がし、奥から浅葱斑が顔を出した。

「苧環だ!」

 駆け寄ろうとし、数歩足を出してからぴたりと止まった。白花苧環に抱えられている青年の片脚はなく、千切れた片腕は地面に擦れそうになりながら揺れていた。

「そ、それは……」

「この人を急いで病院に連れて行ってください。説明は後でします」

「わ……わかった……」

 浅葱斑は灰色の傘を取り出し、襤褸を纏う見知らぬ青年を受け取った。

 その後ろからふらふらと棚に手を突きながら、白い手が浅葱斑の肩に置かれる。

「傷口は閉じられてるみたいだね。少し待って」

 いつもの黒い動物面を被らずぼんやりとした顔で獏は懐から杖を引き抜いた。青年の両手を繋ぐ枷に杖の先の光る石をこんと当て、枷が割れて落ちる。共に落ちた腕を拾い、千切れた脚と共に浅葱斑に持たせた。

「いいよ。行って、アサギさん」

 浅葱斑は頷き、灰色の傘をくるりと回した。

 獏は杖を仕舞い、眠そうな目を白花苧環に向けた。顔色は良くない。意識を取り戻してはいるが調子は戻っていないようだ。

「君が罪人を助けようとするなんてね……」

 抱えられていた青年の喉元には烙印があった。罪人だと一目瞭然だ。

 獏は踵を返し、再びふらふらと奥へ歩いて行った。

「……この酷い臭いは何なんですか?」

 話を逸らすように白花苧環は鼻を押さえた。気分が悪くなりそうだ。

「クラゲさんが何か作ってるみたいだけど……この臭いの所為で僕も目が覚めたんだよね……」

 階段を上がろうとしていた獏は臭いの強い台所を振り返り、仕方なく覗いておくことにした。中では灰色海月が鍋を覗き込んでいた。

「クラゲさん、少し換気をしてくれるかな」

「! 目を覚ましたんですか? 良かったです、丁度出来上がったので、食べてください」

「食べ物……?」

由宇(ゆう)さんに滋養のある物を訊いた所、(スッポン)を教えてもらいました。なので余す事なく食べてもらおうと、鼈の血で丸ごと鼈を煮込んでみました。大蒜(ニンニク)も良いそうで、入れました。鰻は喧嘩しそうだったので……入れられませんでした」

「の……喉を通るほど回復はしてないから、マキさんが食べてみてよ」

「オレは滋養を摂る必要がないので遠慮します」

 見てはいけない物を見てしまったと獏は目を逸らし、ふらふらと階段に向かった。鍋の中をちらりと見てみたが、血の池地獄かと思った。

 身代わりに盾にされた白花苧環も獏の後に続いて階段を上がった。こんな覚束無い足取りでは階段を踏み外してしまいそうだ。

「そうですか……? ではもう少し回復するまで置いておきます」

 灰色海月は残念そうな顔をするが、当分回復したとは言えない状況になってしまった。

 二階に上がり自室のドアを開けた獏の背中越しに、穴の空いた天井と割れた床が目に飛び込んできた。白花苧環が宵街にいた間に何があったのか、ふらふらとベッドに横になる獏を目で追う。

「何があったんですか……?」

「僕も君に何があったのか聞きたい。その首輪のこととか、さっきの罪人とか。ぼんやりするから、横になりながらでもいいかな?」

 かなり憔悴している。動物面はベッド脇の机に置かれているが、被ることを忘れるくらい頭が動いていない。机には他に蒲公英の花と小瓶に挿した枯れた花が置かれていた。蒲公英と言えばそれを頭に載せていた悪夢の姿が見えないが、何処かに潜んでいるのだろう。

「あの罪人は椒図です」

「椒図……」

 眠そうな金色の目が僅かに見開かれる。接触を試みた地下牢の罪人がまさかこの街に来るとは思いもしない。

「助けられたのはオレの方です。不可解な点はありますが、それを訊くためにも、死んでもらっては困ります」

「そう……。スミレさんもまだ目を覚まさないから、何も聞けてないんだ。そっちから来てくれるのは都合がいい」

「スミレは無事なんですか……!?」

「うん。クラゲさんの部屋にいるよ。ウニさんが付いてくれてるみたい」

「ウニもいるんですね……良かったです」

 白花苧環は胸を撫で下ろした。椒図は先程、宵街から誰も出られないように閉じたと言っていた。黒色海栗にここに避難するよう言ったが、あの後どうしたのかは知ることができなかった。ここにいるなら一先ず安心だ。

 白花苧環は宵街に戻ってからのことを獏に話した。狴犴に付けられた首輪のことや監禁、拷問のことを。白い彼の話を聞き終えてから獏も、眠っていた間のことは不明だが目が覚めてからのことを話した。蜃が襲ってきたこと、白花苧環を襲った炎色の髪は蜃だったこと、そして眠っていた獏を庇い毒芹が死んだこと。天井と床の有様は勘違いした螭の仕業だということを。

「螭は温厚そうな人だと思ってましたが……」

「うん……きっと一生懸命過ぎるんだろうね……」

「スミレを襲ったのは白花曼珠沙華だと思います。ウニを襲ったのもそうです。脚の怪我がそうです」

「ウニさんも? ぼんやりしてるからかな……怪我に気付かなかった」

 本当に眠そうに瞼を揺らしている。灰色海月に回復していないと言っていたのはその場限りの嘘ではないようだ。

「疲れてるならもう寝てください。椒図も暫く戻ってこないと思うので」

「ん……だけどこの強烈な臭いが寝させてくれなくてね……落ちそうになると引き戻される」

「……。逆効果じゃないですか」

「マキさんは怪我してない?」

「はい。それは大丈夫です」

「僕がベッドを取っちゃったから……椒図も戻ってきたらベッドがないけど、どうしようか……」

「他の建物からベッドを持ってきましょうか?」

「天井の穴からなら運び込めるのかな……」

「では布団だけ持ってきます」

「マキさんが優しくて助かるよ」

「それは虫唾が――」

 いつもの軽口にいつもの文言で返しそうになり、ふと口を閉じた。

「多少は……感謝してるので」

 灰色海月に礼は直接言えと言われたことを思い出し、まさかここに戻ってこられるとは思っていなかった白花苧環は獏に背を向けながら呟くように言った。声を掛けられる前に部屋を出て行く。

 眠い目を丸くし、予想外の言葉に獏は目を瞬いた。

「隕石でも降ってきそうだね……」


 その言葉に驚いた所為か鼈の鍋に意識を繋ぎ止められている所為かどうにも眠る気にならず、ベッドの足元で布団を広げる白花苧環に目を遣りながら獏はぼんやりとしていた。こんなに調子が悪いことは初めてだ。外傷はなく内臓も正常なのに一向に疲労のようなものが取れない。生命力を与え過ぎたにしても、これだけ休めば少しくらい回復すると思うのだが。椒図の枷を外すために少し力を使ったが、その程度の力の出力だけで息が上がる程だった。何とか気付かれないように繕っているが、あまり無理はできない。こんな状態で白花苧環が善行しろと言わなくて本当に良かった。

 うとうととしていると唐突にドアが開け放たれ、またはっと目を開けた。ドアに目を向けると、灰色海月が焦ったように駆け込んできた。

「あっ、あの……本物のマキさんですよね……?」

 布団を敷き終えた白花苧環は不思議そうに顔を上げた。

「偽物がいるんですか?」

「さっきはあまりに自然に出て来たので意識できませんでした……。マキさんが生きてて良かったです。何で布団を運んでるのかわかりませんが……」

「椒図が戻ってきた時のために運びました。部屋は狭くなりますが、怪我人は動き回らないので大丈夫でしょう」

「椒図……? ここに来るんですか?」

 大声で浅葱斑を呼んでいたのが聞こえていなかったようだ。それだけあの強烈な鍋に集中していたのだろう……。灰色海月にも改めて経緯を説明した。

 折角会える機会が訪れたのに、椒図を『いいひと』と言っていた毒芹はもういない。心を刺されるような気持ちだったが、毒芹は最期に笑っていた。それに対して泣くことは避けたいと、灰色海月は唇を噛み締めた。

「あの、獣でも人間の病院で診てもらえるんですか?」

 その何気無い問いで初めて白花苧環と獏はハッとした。その人間の病院で治療してもらった白花苧環と黒葉菫は変転人であり人間だ。だが椒図は獣であり、獣は人間ではない。人間の医療が通用するのか誰にもわからなかった。

 白花苧環が獣である獏の方を見るので、灰色海月も視線を追った。獏は考えるように天井を見た。

「人間の病院なんて行ったことないからな……。姿は人型なんだし、内臓もそんなに変わらないとは思うけど……輸血はどうなるんだろうね……」

「多量に血を失った獣は普段どうしてるんですか?」

「血染薬を呑む……かな」

「大丈夫なんですか? そんな物騒な名前の薬……」

 灰色海月は生まれて間もない。知らなくても不思議ではない。

「血染めの鼈は良くて血染薬が拒絶されるのは解せないけど、血染花っていう花が宵街にあってね、それで作った薬だよ。体内の血液を増やす効果がある。人間の血はもしかしたら獣には合わないかもしれないね……」

 病院に連れて行って安心していたが、心配の種ができてしまった。それでも待つことしかできない。

 布団を軽く整え、眠そうな獏を一瞥し白花苧環は今度こそ部屋を出る。

「スミレの様子も少し見ておきたいので、いいですか?」

 やはり自分の目で生きていることは確認しておきたい。眠そうな獏の部屋で会話し続けるのも忍びない。さりげなく灰色海月を促した。

「ウニさんが疲れて眠ってるので、静かにお願いします」

「皆疲れてるんですね。宵街が閉じられてる内は安心していてもいいんでしょうか」

 具体的にどれほどの時間閉じられているのかは定かではないが、暫くは宵街からここに来る者はない。狴犴がまた通達を出したとしても、宵街から出られないのなら身動きは取れないはずだ。

 白花苧環も宵街にいる間は常に気を張っていたので、静かにと言うなら共に休ませてもらうことにした。部屋に充満する酷い臭いだけはどうにかしてほしかったが、元凶を処分しろとも言えなかった。


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