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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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44/124

44-白


 酸漿提灯の灯る宵の空を見上げるのはいつぶりだろうか。

 石壁に囲まれた石段の上に、病院を過ぎた中層に足を下ろす。白い傘を閉じて掌に仕舞い、昏い上層を見上げた。

 黙って殺されるために戻って来たわけではない。殺そうとするなら、今度は抵抗する。

 足元に次第に増えていく蔦を踏みながら石段を登って行くと、ふと前方に白い少女が立っていた。少女は彼に体を向けずに立ち、冷たい目だけを彼に向けた。


「白の面汚し」


 白花苧環は眉を顰め、少女を見上げた。孤立する彼は、同じ白でも見覚えがない少女の前を擦れ違う。狴犴(へいかん)の通達で捕まえに来たのかと思ったが、そうではないらしい。少女は動かず、白花苧環を見ているだけだった。片腕に包帯が巻かれており、怪我でも負っているようだった。

 常夜燈を取り出し、変わらない暗い石段を登り、相変わらず澱んだ空気の科刑所へ足を踏み入れる。淡い型板硝子から差し込む外の光は今は薄く朧気で、常夜燈の光に掻き消されている。

 狴犴の部屋の前に立つと、以前とは違う緊張感があった。体は動くが、まだ本調子とは言い難い。獣を相手に何処まで抵抗できるのか。抵抗するとは思っていても、無傷では済まないだろう。初めて獏と会った時、体は本調子で、しかも相手は力の制限があるにも拘らず圧されてしまった。所詮、変転人の体は只の人間なのだ。

 常夜燈を仕舞い扉を叩こうと軽く握った手を上げるが、目を伏せて止めてしまう。いつもノックをして返事を待ってから扉を開けるが、今はノックをする気分ではなかった。

 黙って扉を開けると、机上の書類に目を向けていた狴犴が目だけで一瞥した後、書類を置いて顔を上げた。もう少し驚くなり反応があるかと思ったが、いつもと変わらず興味が無さそうな無感動な顔をしている。

 狴犴は立ち上がり、焦る様子もなく白花苧環へ歩み寄った。白花苧環は数歩下がり、手が届かない距離を保つ。それを無理には詰めず、狴犴は立ち止まった。

「戻らないなら殺そうと思っていたが、自主的に戻って来たことは評価する」

「…………」

「一応、反省はしたと言うことか? 傷は治っているようだが、浅葱斑に助けられたか」

 やはり浅葱斑が連れ出したことはわかっていたようだ。事前に呼び出していたのだから当然だ。だが知られているからと言って、無闇にペラペラと解説はしない。何が狴犴の気に障るかわからない。これ以上、傷付く者を増やしたくない。白花苧環は口を噤んだまま狴犴を見上げた。

「喉は潰してないはずだが、声は出さないのか」

 何を言うのが一番被害が少なく済むのか、その答えを出すには白花苧環は狴犴のことを知らなさ過ぎた。

「……オレを殺すんですか」

「いや、殺すのは惜しい。ここに戻って来たということは、その覚悟はして来たんだろう?」

 覚悟はして来たが、それは殺される覚悟ではなく抗う覚悟だ。それでも狴犴の無感動な目を見続けることができず、白花苧環は目を伏せた。

 その目の先に、下ろした手に短い杖が握られているのが見えた。杖に嵌められた変換石が光っている。

「……!」

 気付いて飛び退こうとした時にはもう遅かった。最小限の動きで振られた杖から小さな針が輪を描いた。それは白花苧環の首を囲うようにぐるりと回る。輪に捉えられればもう逃げることができない。どう動こうが、その針は白花苧環に固定される。外そうと手を遣るが、針は白い首に吸い込まれるように刺さり、黒い痣となった。

「ぁ……」

 痛みはないが、違和感はあった。

「何を……」

「お前の行動を制限する首輪だ。飼い主は私だと忘れるな」

「制限……?」

「お前の傘は、私の許可なく使えない。暫く宵街から出るな。他の変転人から悪影響を受けないためにも、自由に出歩くことを禁じる」

「監禁……ですか」

 首に爪を掻くが、そこには何もないように何も感じない。自分の目では首に何があるのか見えない。何も触れる感触はないため、指で外せるような物ではないことだけはわかる。罪人の烙印のような物かもしれない。見えない鎖を繋がれた。

「科刑所の中にお前の部屋を用意してやる。本当に反省しているのなら、また仕事を任せよう」

 獣に力が及ばない場合の逃げる手段として傘は最後の頼みの綱のような物だ。それを封じられるのは、底の見えない崖に追い詰められるようなものだった。

「試しに傘を回してみてもいい。逃げられないことを絶望しろ」

 確かめるために、白花苧環は白い傘を引き抜いた。掌からは変わらず傘を出すことができるが、開いて回しても何も変化はなかった。狴犴の言っていることに偽りはない。

 殺そうとされた方がまだ良かったかもしれない。これでは足掻くこともできず飼われるだけだ。狴犴の動きを待たずに動くべきだった。扉を開けた時点で飛び掛かっていれば、違う結果になっていただろう。

 白花苧環は白い傘を仕舞い、床に目を落とした。苦虫を噛み、だがここで狴犴の言う通り絶望してしまえば彼の思う壺だ。ここは取り乱す所ではない。冷静にならなければならない。

「……一つだけ、訊いてもいいですか」

「そうだな。折角戻って来たんだ、話くらい聞いてやる」

「ここに来る途中、白い女性と擦れ違いました。オレを捕まえようとはしませんでしたが、あれは貴方の駒ですか?」

 狴犴は杖を仕舞い、書類を広げた机へ戻る。

「白花曼珠沙華のことか? あれはお前の不在の穴を塞ぐために動かしているに過ぎない。お前に悪影響を与えたと思しき黒の一人を始末したようだが、思ったよりも使える」

「……そうですか」

 反射的に足が動きそうになったが、寸前で留まった。黒葉菫を襲ったのは白花曼珠沙華という少女で間違いなさそうだ。地下牢に入り罪人と接触したことが理由かと思っていたが、そこは改めなければならない。何処にいようと、既に目を付けられていたらしい。黒葉菫は大人しく宵街に居させるべきではなかったのだ。鵺がいると言っても四六時中共にいるわけではない。黒葉菫も獏のいる誰もいない街にいるべきだったのだ。白花苧環が彼を信じていれば、これもまた違う結果になっていただろう。全て白花苧環が判断を誤った所為だ。

「部屋を用意するまで、自由にしていて構わない。何処にいてもその首の印でわかるからな」

「…………」

 自由とは名ばかりの、籠の中の飼い殺しだった。

 白花苧環は狴犴の部屋を出、無言で扉を閉めた。今狴犴に襲い掛かっても無駄死にするだけだろう。蔦の這う暗い廊下は、心情を映しているようだった。

 もう一度手を見下ろし、指を当ててみる。常夜燈は取り出せたが、武器は取り出せなかった。自由にしていて良いという意味を理解した。抵抗する術を捥がれていては、何もできない。おそらく今が最後の自由だろう。部屋が用意されれば、そこから出されることはない。もしこの自由な時間の中で誰かに助けを求めでもすれば、その誰かを始末するだろう。今は泳がされているのだ。

 常夜燈を提げ、科刑所を下る。暗い廊下が更に陰鬱に伸し掛かるようだ。

 獣の棲まう上層から離れようと、常夜燈を仕舞い光の差す下層へ向かう。白花苧環が傘で宵街に戻る時は中層に現れるので、下層はあまり行ったことがない。以前灰色海月の使いで下へ行ったが、あまり良く思われていないことはよくわかった。

 中層の病院を過ぎ、酸漿提灯に導かれるように更に下る。通達が出てから変転人は怯え外にあまり出ないと黒葉菫は言っていた。その通り誰とも擦れ違わなかった。石壁に空いた穴は閉じていないので店は開いているのだろうが、中に姿は見えない。ただ少し、気配は感じた。こちらの様子を窺っているのかもしれない。

 以前菓子を買った横道も過ぎ更に下ると、今度はまた街灯の数が減り薄暗くなってきた。ここまで宵街を下るのは初めてだった。まさか下層の下方ではまた獣の棲む区域になっているのだろうかと足が止まってしまう。


「苧環……?」


 小さく囁くような声を捉え、それを辿り横道に目を向けた。石壁に絡む蔦が微かに揺れる。

「誰ですか……?」

 横道へ足を向け、確かめるために常夜燈を翳した。

「光はやめて……」

「……」

 石段の上下を確認し、横道に飛び込む。蔦の陰から見知った顔が目を逸らすのが見え、慌てて常夜燈を仕舞った。

「ウニ……?」

 周囲を見渡し誰もいないことをもう一度確認し、陰に座り込んで潜む黒色海栗の傍らに膝を突いた。死角で見えなかった脚にガーゼが貼られていることに気付く。

「怪我をしたんですか? 何でこんな所に……」

 黒色海栗の顔には不安そうな色が滲んでいた。蔦に獅噛み付くように石壁に寄り添っている。

「苧環も何でここにいるの? 逃げてると思ってた」

「…………」

 まずは自分のことかと、白花苧環は目を伏せた。狴犴の出した通達の所為で変転人を怯えさせてしまった。その間彼女は獏の所へは行っていない。事情を知ることなく一人で不安だったのかもしれない。

「オレが宵街に戻った方が、被害が少ないと考えました」

「被害……?」

「スミレが襲われて……病院には連れて行ってもらいましたが、生きてるのかどうか……」

「スミレ、生きてない……?」

 黒色海栗は顔を上げ、自分でも気付かず滴が零れた。微かな光を受けて小さく光る涙が膝に落ちる。泣き出すとは思わず、白花苧環は珍しく慌てた。

「……っ、死んだと決まったわけではないです。獏が何かしていたようなので……助かるように、何か……」

 具体的に何をしていたのかは白花苧環にはわからない。見つけた時には既に意識なく倒れていたのだ。ただ杖が転がっていただけで、本当に何かをしたという確たる証拠はない。

「オレの怪我を治してくれた病院に行ってもらったので、きっと大丈夫ですよ。オレの時も獏が助けてくれたようなので……」

「宵街の病院……?」

「いえ、人間の病院です。……貴方も怪我をしてるなら病院に行った方が」

「宵街の病院は行けない。曼珠沙華が見てるかもしれないから……」

「曼珠沙華にやられたんですか……!?」

 黒色海栗は濡れた睫毛を伏せ、小さく頷いた。

「スミレを襲ったのも曼珠沙華だと思います。貴方も獏の所へ避難してください。これ以上、誰かが傷付くのは……」

「じゃあ苧環も。苧環も危ないから、一緒に行く」

「オレは……」

 首に手を遣り俯く。触れただけではそこに何があるのかわからないが、狴犴に刻まれた首輪がある。それがある限り、行動を共にすることはできない。

「黒い……痣……? そんなの、あった……?」

「……これは先程、狴犴に付けられたものです。オレの行動を制限し、位置を把握するためのものです。オレの傘はもう使えません」

 黒色海栗は濡れた目を見開き、白花苧環を見上げた。

「狴犴は悪い人……?」

「悪いかどうかはオレにはわかりません。何を考えてるのかわからないです」

「苧環の傘が使えなくても、私の傘を使えばいい」

「駄目です。何処に行っても、この首輪で位置がわかってしまいます」

「…………」

 手から傘を引き抜こうとした黒色海栗は、その手を止めた。

「苧環はどうなる……?」

「これから科刑所の一室に監禁されます。今が最後の自由でしょう」

「苧環は良い人なのに、可哀想……」

「良い人……ですか?」

 罪悪は嫌うが、良い人なのかどうかは白花苧環には判断できなかった。罪人である獏に感謝をしている時点で、良いわけではないだろうと思う。

「苧環を好きな人はたくさんいるって、ファンクラブの人が言ってた。苧環は悪くないって思ってる」

「ファンクラブ……?」

「苧環のファンクラブ」

「何ですかその怪しげな組織は」

「紅花が一人でやってるって言ってた」

「クラブとは団体を指すものだと思ってました」

 噂としても全く聞いたことがないが、一人で何をしているのだろうと思う。

「同じ日に変転人になった人、覚えてない?」

「先に工房にいた女性……でしょうか」

「それ。それが紅花」

「ああ……」

 名前は聞かなかったが、同じ日に変転人になったということであれば彼女しか思い当たらなかった。まさかファンクラブなどという怪しげな組織を発足していたとは知らなかった。

「紅花と蕨は良い人」

「……そうですか」

 黒色海栗の友人なのだろうかと心中で首を捻るが、涙は止まったようなので白花苧環は苦笑した。泣いていたことも無意識なのだろう、残っていた滴をハンカチで拭ってやると、黒色海栗は不思議そうに頬に手を遣り首を傾げた。

「ここで貴方に会えて良かったです。少し気持ちが落ち着きました」

「その首輪の外し方はわからない?」

「オレにはわからないです。狴犴にしか外せないものかもしれないです」

「獏に訊いたら何かわかる? 訊いて来てあげる」

 白花苧環は獏が意識を失っている間に宵街に来たので、その後どうなったのか知らない。獏の顔色は悪く瞼が固く閉ざされていて、すぐには目覚めないように見えた。灰色海月が不安そうだったので安心させるようには言ってあるが、黒葉菫に何をしたのか具体的にわからない以上、最悪の可能性も考えられる。

「あの街へ行くのは賛成です。ですが獏は今は……意識のない状態です」

「え……何で……?」

「スミレを助けるために力を使ったと思うんですが、その反動なのか意識を失ってます。外傷がないので、寝かせておくしかできないのが現状です」

「獏……」

「すみません、オレの所為で。一人で解決できたなら、巻き込まずに済んだんですが」

 周囲を見渡し、白花苧環は立ち上がる。薄暗くとも、その白い姿は闇で目立つ。

「そろそろ行きます。迎えが来ても厄介ですから。貴方まで見つかってしまわないように」

「苧環……」

「あまり心配ばかりされても惨めなので、武器は出せませんがナイフの一本くらいは調達して戻りますよ」

 見上げる黒色海栗に苦笑する。丸腰で監禁など御免だ。自分の身を守れるのは自分だけだ。

「苧環は強いから、強がる……。強がるは強いじゃないのに」

「?」

「宵街にも味方はいるから、苧環は一人じゃない」

「…………」

「ファンクラブもいる」

「……それは一人ですよね?」

「すぐそこに地下牢と繋がってる横穴があるの、教えてもらった。科刑所と地下牢は繋がってるから、きっと逃げられる」

 黒色海栗が指差した方へ目を向けるが、暗くてよく見えなかった。こんな所に横穴が伸びているとは知らなかった。

「それは良い情報ですが……監禁されるので逃げられるかは何とも……」

「苧環は私を助けてくれたから」

「そのために危ない橋を渡ろうとすることだけはやめてくださいね。オレは見返りが欲しくて助けたわけではないので。――獏が目覚めたら、罪人らしく大人しくしていてくださいと伝えてください」

 身を乗り出す黒色海栗を見下ろして微笑み、踵を返した。黒色海栗が制止する声は聞こえない。石段を戻りながら白花苧環は、こんなに自然に微笑むことができていただろうかと考える。よく胡散臭く微笑む獏の表情が移ってしまったのだろうかと虫唾が走りそうだった。


     * * *


 しんと静まる誰もいない透明な街。霧の中にぼんやりと灯る小さな店の中で、目を開けようとしないベッドの上の獏を見下ろし、灰色海月は一人で呆然と座っていた。以前にもこんなことがあった。街の端へ行って意識を失い、黒葉菫が連れ帰ってきた。あの時のように疲れたのだろうか。

 休めば目を覚ますと白花苧環は言った。それを信じてはいるが、いつ目覚めるのかは誰にもわからない。もうすぐかもしれないし、何日も先かもしれない。この時間の停止した街の中では食事も睡眠も必要ないため何をする必要もなく、ただ黙って待つしかできない。

 傍らの小さな机の上には小さな悪夢も黙って座っている。こちらは黙っていると完全に置物だ。頭の上には変わらず蒲公英の花が咲いている。

「……あの、セリさん……は、この状態をどう思いますか?」

 悪夢は灰色海月を見上げる仕草をし、紙の束とペンを取り出した。考えているのかすぐには書き出さない。

「先代の方にもこんな状態になる時があったかなど……」

『せんだいは つよいちからない。これは はじめてみる』

「そうですか……」

『ちからがでなくて こうなってるなら、ごはんたべる いちばん』

「寝ながら御飯は難しいです。……あ、点滴ということですか?」

『てんてきは ステーキ?』

「何言ってるんですか?」

 悪夢は紙の束を下ろし、文字を自分に向けて見下ろして動きを止めた。

「御飯のことなら由宇(ゆう)さんに相談すればいいんでしょうか……」

 菓子なら作るが、灰色海月は食事を作ったことはない。獏の善行を通じて知り合った由宇が以前オムライスを作っている所は見ていたが、卵を巻くのは技術が必要なように見えた。すぐに作れそうにない。手を握りフライパンを動かす動作を真似る姿を、悪夢は不思議そうに見ていた。

「すぐに作れそうな簡単な料理を教えてもらうしかないですね……」


「焼くだけの料理なら失敗も少ないだろ」


「そうで……、!?」

 返事をしそうになり、頭上から聞こえた初めて聞く声に灰色海月は慌てて跳び退いて距離を取った。いつの間に窓を開けられたのか、枠に黒衣の人影が蹲んでいた。

「……!」

 黒いフードから覗く髪は炎のようで、白花苧環が言っていた炎色の髪という言葉を思い出す。これが白花苧環を襲った者に違いない。灰色海月は手首に小さな変換石を嵌めた腕輪を生成した。距離を取ったのは間違いだったかもしれない。眠って動けない獏から離れてしまった。

「貴方は誰なんですか……」

 今ここに戦える者は灰色海月しかいない。灰色海月が一人でこの黒衣の赤髪を退けるしかない。

 フードと髪で顔はよく見えないが、赤髪は灰色海月を一瞥した後、獏を見下ろした。

「邪魔者は少ないほどいい。千載一遇の好機だ」

「何を言って……」

 その手に杖が握られていることに気付き、灰色海月は腕輪を嵌めた手を振り上げた。変換石から出力された触手は一直線に赤髪へ伸び、窓を掴んでくるりと躱した空間を穿つ。

 石で出力させた触手は譬え切られても手が切断されることはなく、触手の本数で強度も変えられる。

「手を切られた時とは違う触手だな」

 ベッドを挟んで向こう側へ降り立ち、赤髪は杖を上げた。

「何故それを知ってるんですか……!?」

 灰色海月に槍が降り注ぎ、慌てて床を蹴る。避けきれない槍は触手で薙いで折る。床に刺さった槍はそのままで、折れた槍は煙のように消えた。

「君達は俺を探してたみたいだな?」

「そうです! マキさんを襲ったのは貴方ですよね!?」

「そうだが、それより前から探してただろ?」

「前から……?」


「――俺が、この街を創った蜃だ」


 刺さった槍が邪魔をしてすぐに動けない灰色海月の前で、蜃と名乗った赤髪はくるりと杖を回した。先程と同じように槍を何本も空中に出力し、今度は眠る獏へ刃先を向けた。

「俺は何度でも獏の死を望む」

「やめっ……」

 降り注ぐ槍に触手を振るが、柄が折れても刃は止まらなかった。

 無感動な目を見開き、目の前で刃が突き刺さる。


「――がっ、ふ……」


 眠る獏の上に覆い被さった黒い小さな悪夢は、背に槍を何本も突き立て膝を突いた。

「――!」

 悪夢は獏以外では触れることはできないはずだ。なのに背に槍が刺さった。

 薄く伸ばされた黒い体は靄となり、黒ではない姿を現していく。口から血のように黒い靄を吐き、奥歯を噛みながら肘を突く。

「毒、芹……?」

 少女の姿になった悪夢は黒ではなく白い髪をベッドに流した。その姿に蜃は目を見開く。

「お前は、死んだはず……」

「死んだ……けど、悪夢の、御陰……」

 喉の奥から風が吹くように黒い靄を吐きながら呻く少女は、ぎこちなく顔を蜃に向けて笑う。

「今度は……獏を、守れた……。悪夢で、生きてて、良かった……。守って死ねる……なら、本望……」

「しぶと過ぎるだろ……」

 蜃の顔が引き攣る。百年以上も生きている変転人など異常だ。

「私を……知ってる、ことは、記憶を、引き継いでる、のか……。ふふ……は……悔しいか、ば――か……」

 体を支えていた腕が崩れ、獏の上に倒れ込んだ。もうすぐ消えてしまうくらいに小さな体となっていた悪夢は、最期の力で人の形を作った。悪夢は獏以外には触れられない。触れるようにするには、悪夢の(がわ)を剥ぐしかない。悪夢を内側に押し込み、最後の力で少しの間だけ、人の姿を得た。姿を忘れないように、いつも毒芹の花を持っていた。暫く声を出していないのに、意外と話せるものだ。

 姿を保てなくなり、目は虚ろに霞んで見えなくなっていく。最期に獏と会えて、守れて、本当に良かった。最期に我儘が叶うのなら、その目を開けて見取ってほしかった。

 感覚を失っていく中で、頭に柔らかな熱を感じた。それが手だと気付くことはもうできなかったが、毒芹は黒い靄を零しながら笑った。

「本当に……願いを、叶えて……くれる、獏だ……」

「セリ……」

 悪夢の靄を吸った獏は雲から月が現れるように双眸を開き、哀しげに微笑んで口付けた。

 形が崩れ只の靄となった毒芹は獏に喰われ、姿を消していく。後には蒲公英の花と、枯れた毒芹の花だけが残った。

 獏は一度目を閉じ、ぼんやりとする体を起こした。机に手を遣り、石の光る杖を拾った。

 既に石が光っている――蜃はその意味に気付くのが一瞬遅れた。

「――ぐっ!」

 蜃は壁を作り盾にするも、間に合わず光の槍を数本食らった。

 ベッドの上にふらつきながらも立ち上がった獏は血を流す蜃を冷たく見下ろした。

「槍が足りない」

 畳まれた杖を一振りして伸ばし、くるりと回す。短い光の槍が視界を埋め尽くした。

「君は獏を殺したんだってね」

「お前も記憶があるのか……?」

「ないよ。何も覚えてない。セリから聞いただけ」

 杖を振り、光の槍が蜃を襲う。今度は反応を遅らせない。蜃は杖を振り、周囲にぐるりと壁を作った。槍が刺さると壁は霧散する。

「何で殺したの?」

 淡々と冷静に言葉を紡いでいるように見えるがそこには一片の感情も籠もらず、孤月のような瞳が浮かぶ。蜃のことを見ているのに見ていないような、違和感のある視線をする。

「お前が覚えてないのは憎いな。俺が何を言っても、お前は事実かどうか確かめる術がない」

「僕が裏切ったんだって? マキさんを襲い、セリを殺した君が相手なら、裏切ったのも納得するよ」

「お前は俺達を騙した。お前を可愛がってた椒図は未だ牢の中だ。お前を庇って捕まったことも、お前は知らない。この街を消すことができないのも、お前の所為だ」

「は……?」

「この街の端を見たんだろ? あれはお前の所為だ。あれの所為で俺達の遊びが露見した」

「遊び……?」

「神隠しのことだ。毒芹から聞いてないのか? ……ああ、毒芹には言ってなかったのか」

「順を追って話してくれないと、わからないんだけど」

「はっ。話した所で覚えてないんじゃ、聞いても無駄だろ――がっ!」

 杖に嵌めた石が光っていることには互いに気付いていた。先に杖を振ったのは蜃だった。

「!」

 剣を空中に並べ、獏へと飛ばす。

 獏は不安定なベッドの上から跳び、窓枠を掴んで蹴って避ける。同時に杖を振り、短い光の槍を蜃へ飛ばした。

 蜃は盾を作り、光の槍が刺さると霧散させる。その隙に獏は壁を蹴り、蜃の頭部に蹴りを繰り出す。盾は間に合わず、上げた腕で蹴りを防いだ。

 片足を軸にくるりと体を捻りながら、続けて蹴りを放つ。腕で防ぎながら蜃はもう片手で杖を振り、それを捉えて獏は靴底を押し付けてくるりと舞うように蜃と距離を取った。

 獏が離れたことで、一気に串刺しにしてやろうと蜃は杖に力を籠めた。それを振ろうとした瞬間、獏が離れた意味に気付いた。

「くっ……!」

 出力する物を咄嗟に変更し、頭上に盾を張った。瞬間、針の雨が天井を突き破って降り注いだ。

「長い……っ!」

 豪雨のように注ぎ、床も負荷に耐えきれず割れる音がした。

 獏は穴の空いた天井に向けて杖を振り翳す。光の球が飛び、屋根の上で弾ける。その瞬間、ぴたりと雨が止んだ。

 蜃は膝を突き、ばたばたと血の流れる腕を押さえた。

「……っ、はあ……はあ……獏じゃないな……? 誰だ……?」

 少しの間があり、見覚えのある角の生えた女が頭のヴェールを揺らしながら、ふわりと杖に乗り屋根から降りてきた。

(みずち)……?」

 背に掛けられた声に彼女は振り向かない。跪く蜃を見下ろし、杖から床に足を付けた。くるりと槍のような杖を回し、鋭利になっている先を蜃に向ける。

「黒葉菫を襲ったのは、貴方ですか」

「は……?」

 蜃は痛みに顔を顰めながら眉を寄せる。

「何の話だ?」

「恍けないでください。白の変転人を差し向けたんでしょう?」

「白……? 俺が? 白と仲良くするなんざできるか! 何の冗談だ!」

「……? ……獏さん、この人は何なのですか?」

「知らないで襲ったのかよ! ――い、っ……」

 叫んで傷に障ったのか腕を握り締め背を丸めた。杖だけは離さないが、石は光らない。

 獏も眉を顰め、顔を下げる蜃を見下ろした。

「その白を差し向けたのはたぶん狴犴だと思うけど」

「!?」

 螭はゆっくりと獏を振り返った。顔が真っ青だ。

「申し訳ありません……関係ない知らない人を半殺しにしてしまいました……」

「謝らなくていいよ。僕も殺そうとしてたから」

 床に血を滴らせて蹲る蜃を見下げ、獏は螭の横を過ぎて歩いた。血を踏まない距離で立ち止まり、押さえている腕の傷にブーツの踵を捩じ込んだ。

「ぐっ……! ぅ……」

 蜃は獏を睨み上げることしかしない。思ったよりも深手を負ったようだ。

 黒いフードを剥ぐと、束ねた燃えるような赤髪が黒衣に垂れた。俯き、顔はよく見えなかった。

「君はマキさんを襲った。クラゲさんにも攻撃した。セリを殺した。そして獏を殺した」

「…………」

「君は死んでもいいよね。どうせ死んでもまた化生するだけだけど。君は記憶を引き継いでるんだよね? 次も引き継ぐのかな。引き継ぐとしたら、飛び切り苦しめて殺したら、その苦しみをずっと覚えてるのかな。何度も殺したら、その分、死の記憶が積み重ねられて、いつか壊れるのかな」

 感情のない双眸で淡々と呪うように呟く。

 蜃は痛みで歯を食い縛りながら睨む。

「……お前を、殺さないと……終われなかったからな……」

「終わる……?」

「お前が……悪夢に…………ぐぅ……っ」

 蜃は床に倒れ、呻くように乱れた息を吐く。黒衣に染みた血の色は目立たないが、腕の他にも背や脚から鮮血が滲んでいた。

「このままだと死ぬね、君。死ぬ前に全部話していってよ」

「は……はっ…………随分……可愛げの無い奴に……なったな……」

 表情を歪めながら何が可笑しいのか笑う蜃から足を引き、獏は一歩下がって見下ろした。

 その横から螭が駆け寄り、杖を構える。

「螭?」

「あ、あの……! これは私の勘違いです……。取り乱してしまい、本当に申し訳ありません……! 半殺しから完治させることはできませんが、できる限り癒しますので!」

「ちょっと、螭!」

 獏が止める前に螭の杖にある石は光り、水のような光のリボンが舞った。それは蜃を覆うように広がり、傷に巻き付く。

「いいよ治さなくても!」

「いいえ! 殺したいなら私が治してからにしてください!」

「無茶苦茶だ……」

 断固として引かない螭を力尽くで引き剥がすことは、力の制限がある今の獏にはできないだろう。それに獏自身もわかっていた。毒芹の悪夢を食べた時に烙印を封じるために力を使い、蜃と戦い、杖の変換石の劣化が進んでいる。割れるほどの力を注げなくされたので割れることはないが、制限を取り払うように無茶な力の籠め方をした。外に罅として力が逃げることができず、内側で劣化が進んでいることだろう。これ以上無茶はできない。

 黙って治癒が完了するのを待つことになるとは、地獄のような時間だった。傷は完治していないがぐったりとした蜃は重そうに頭を持ち上げ、まだ息が整わないまま床を蹴った。窓枠に足を掛け、外へ跳ぶ。足元が覚束無いので、癒したと言ってもほんの少しなのだろう。動けない状態から辛うじて動ける状態に、が正解な気がする。

「待ってください!」

 その足に螭は杖を振り、水のような紐を巻き付けた。外で煉瓦の壁にぶつかる鈍い音がした。

 それぞれ窓に駆け寄り覗き込むと、足を縛られた蜃が逆様にぶら下がっていた。顔を押さえているので、顔面をぶつけたのだろう。

 螭は杖を振り、紐を引いて引き上げた。

「くそっ……何なんだよ!?」

「とんでもない勘違いをしてしまったので、どう謝罪をすればいいのかと……」

「黙って俺を逃がせばいいんだよ! 巫山戯んな!」

「こんなこと……地下牢に入れられる失態ではないですか……?」

 切実に瞳を震わせる螭に、蜃も顔が引き攣りながら目を逸らした。

「……治したんなら、別にいいだろ」

「許してくれるんですか……? なんて心の広い方……」

「何なんだよお前……。……ちっ、折角獏を殺せる好機だったのに」

 温い空気に、獏は眉を寄せる。螭は勘違いだったかもしれないが、こっちは毒芹を殺されているのだ。有耶無耶にされては困る。石に力を籠め、螭に気を取られている蜃に向かって杖を振り上げた。

「――っ!」

 蜃は寸前で身を引き、腕が吹き飛ぶことだけは避けた。だが千切れそうな腕から杖が落ち、床を叩く前に消える。

「くっ……」

 最後に獏を睨み、蜃は腕を押さえて窓枠を蹴った。

 あの腕では暫くは襲いに来ることもないだろう。

「……螭。店を壊したことは何も言わないから、早く帰って」

「ぁ……」

 派手に穴の空いた天井を見上げ、突き破りこそしなかったが割れた床を見下ろし、螭は顔を伏せた。

「……はい」

 頭が真っ白になって、周りが見えていなかった。冷静さを欠いていた。こんなに取り乱したのは初めてかもしれない。

「すみません……」

「宵街に修理を頼まなくていい。今は静かにしておいて」

「はい……わかりました。失礼します……」

 頭を下げ、螭は部屋を後にした。互いにまだ言いたいことはあったが、そんな空気ではなかった。

 結局黙って見ていることしかできなかった灰色海月は腕輪を握り締めて俯く。獏が殺されそうになった時、自分が動かなくてはいけなかったのに、死という重圧に体が動かなかった。守らなければという意志の前に、その先にある死が頭の中を支配してしまった。

「……すみません。力の使い方を教わったのに、何もできませんでした……」

 俯いたまま拳を握る灰色海月の手に腕輪があるのを見つけ、獏は目を伏せる。割れた床から離れ、ふらつきそうになりながらベッドの傍らに蹲んだ。

「そういうのは経験だから。でもこんなこと、そう何度も経験したくないよね」

 落ちていた蒲公英の花を拾い、立ち上がる。時間の経過のないこの街ではいつまでも枯れずに咲いたままだ。

「僕がちゃんと動けていれば、こんなことにはならなかったんだよ」

 蒲公英を机に置こうとして踏み出した足に力が入らず、床に膝を突いた。

「大丈夫ですか!?」

 慌てて駆け寄った灰色海月に支えられ、獏は握り潰さないように指を開いた手元に目を落とす。最初に真似をして頭に蒲公英を載せた時からずっと、気に入ったのか黒い頭に載せていた蒲公英だ。

 あの時毒芹は『みとって』と言っていた。こんな最期でも毒芹は笑っていた。本当に嬉しそうに。こんな結果を悔しいと言えば彼女のあの感情も否定してしまいそうで、何も言えなかった。でもそれでも、悔しい気持ちは否定できなかった。灰色海月から顔を逸らし、口元が戦慄く。視界がぼやけて苦しかった。こんな気持ちは初めてだった。毒芹と過ごした時間は短かったのに、それ以上に感情を重く感じるのは、先代の記憶が魂にでも刻み付けられているのだろうか。

「少しだけ……一人にしてほしい」

「…………はい」

 声が少し震えていることに気付き、灰色海月は素直に従った。灰色海月が動けなかったことよりも、一番苦しいのは獏の方だと、頭を下げて部屋から出た。

 床に膝を突いたまま、ぱたぱたと見慣れない滴が落ちていく。

「力があっても、こんなんじゃ……」

 ベッドに手を置き、拳を握る。黒葉菫を助けるために生命力を注いだことは後悔していない。白花苧環の時より厳しい状態だったため注ぐ量は多かったが、自分の活動に支障が出るほど注いでしまったようだ。あの時は必死だった。それを後悔はしていない。

 その動けない機を狙われるのも自然なことだったのだろう。動けなくても、何らかの手を打っておくべきだった。そこには後悔があった。何を考えても、悔しい気持ちしかなかった。

「…………」

 ぼやけた視界の中にぼんやりと、床とは少し違う色があることに気付いた。そのベッドの下に手を伸ばすと、乾いた感触が指に当たる。それは小さな悪夢が口なのか何なのか体内に入れていた枯れた毒芹の花だった。おそらく最期に人の形を作り出せたのはこの彼女の花の御陰だろう。枯れていてもこれは彼女を構成する花なのだ。

 目元に溢れる滴を拭い膝を上げようとし、もう一つ床に違和感があることに気付く。床に視線が近いことで気付いた。立っていたらゴミだと思ったかもしれない。床に転がった小さな粒はゴミではなかった。

「種……?」

 呟いてハッとした。白花苧環が言っていた。植物の変転人は死ぬ時に種子を遺すと。これがその遺した物なら、植えれば毒芹の花が咲くはずだ。譬えそれを再び人にしたとしても記憶のない真っ新な状態になるだろうが、これを放っておくわけにはいかなかった。

(花なんて育てたことない……けど、失敗はできない……)

 獏は祈るように種子を握り締めた。焦ってすぐに埋めるわけにはいかない。時期があるはずだ。

 種子を大事に仕舞い、花を机に置こうと顔を上げて手を伸ばし、その手は鈍い音を立てて床に落ちた。


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