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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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39/124

39-記憶


 誰もいないと思っていた煉瓦の街の石畳を踏みながら白い少年は周囲に視線を巡らせ、足早に明かりの灯る店の中へ入った。灰色の傘を畳みながら、青い髪の少年も後に続く。

 外には気配はなかった。もう街には誰もいないのか、何処か気配を感じられないほど遠くに潜んでいるのか。

 立ち並ぶ古い棚の間を歩き、物音のする台所へ目を向ける。灰色の女性が小さな缶から茶葉を掬い出している最中だった。

 階段の一段目を白いブーツで踏み締め、念のために壁に手を突いて片足に体重を乗せる。まだ少し心許ない気もするが、蹌踉めくことなく体を支えられる。痛みもない。

 ゆっくりと階段を上がり、借りている部屋のドアを開けた。

「…………」

 黒い塊が四肢を投げ出してベッドに突っ伏していた。

「……何をしてるんですか」

 黒い塊はむくりと顔を上げ、黒い動物面で覆った顔をドアの方へ向けた。そのまま動きを止める。表情は見えないが、いつもより反応がぼんやりと鈍い気がした。

「マキさん……とアサギさん……。何処に行ってたの?」

 声に覇気がない。二人が出掛けていた間に何かあったのだろうかと考えるが、罪人の心配をする義理はない。

 獏の質問には、白花苧環の後ろから顔を出した浅葱斑が答えた。

「苧環が普通に歩こうとするので、病院に行ってました」

「服が戻ってるってことは、脚の石膏も取ってもらったの?」

 両脚を石膏で固めていたためズボンが穿けず、ベッドで安静にしている間はずっと白いガウンを着ていた。それが今はいつもの服に戻り、ズボンも穿けている。

「骨がちゃんと付いてたので、石膏も包帯も取れました! 驚異の治癒力だって言われてました。でも短期間でも石膏固めだったんで、筋肉はちょっと落ちたな」

「余計なことは言わなくていいです」

「ごめんなさい」

 獏は白い脚を見るが、ズボンの上からだと違いはわからなかった。本調子に戻るまではまだもう少し時間が掛かりそうだ。

「それで、貴方は何をしてるんですか? オレの包帯が取れてなかったら床に引き摺り下ろす所ですよ」

「それは元気な怪我人だね」

「怪我でもしたんですか?」

「してない」

 埒が明かないと思った瞬間、ゆっくりとドアが開いた。盆にティーポットとカップと残っていた小さなシュークリームを載せて両手が塞がっている灰色海月がドアを押している。白花苧環は代わりにドアを開けてやった。

「マキさんとアサギさん……いなくなって心配しました。戻ってたんですね」

「すみません。置き手紙でも残しておけば良かったですね。病院で包帯を取ってもらってました」

「治ったんですね。良かったです」

 机に盆を置き、カップに茶を注ぐ。いつもの紅茶の香りではなかった。

「ハーブティーです」

 先程台所で彼女が掬っていたのは紅茶の茶葉ではなく、乾燥したハーブだったようだ。

 身を起こす獏にカップを手渡す。獏は枕を背に座りながらハーブティーを啜った。

 明らかに様子がおかしい。顔は見えないがやはりぼんやりとしている。

「何かあったんですか?」

 獏に訊いても答えが返って来ないので、灰色海月に訊いてみる。二人で願い事を叶えに行っていたはずだ。

「願い事が不毛な結果になると、こうなることがあります。元気が無くなります」

「失敗したんですか?」

「失敗ではないです。ただ……契約者の方が死んでしまうと……」

「えっ、死んだんだ……」

 浅葱斑は身を縮め身震いした。どんな願い事だったのかは知らないが、罪人への罰なのだから厳しいものなのだろうと心の中で一人で納得した。

「死んでしまえば成功とは言えないと思いますが」

「…………」

 目を伏せる灰色海月を一瞥し、獏はカップを口元に遣ったまま呟くように漏らした。

「クラゲさんを責めないでよ」

 傾けたカップから温かい柑橘の香りが漂う。それが気持ちを落ち着かせてくれた。

「願い事を叶える以上のことは遣るつもりがないから。僕は善人じゃない」

「だったら何故、元気を無くしてるんですか? 後悔してるんじゃないですか?」

「綺麗な白の君にはわからないよ。醜い気持ちなんて」

「わかりたくないので、これ以上は訊きません。……ですが、オレも綺麗なわけではないです」

「綺麗だよ。性格は悪いけど。悪は嫌いなんでしょ?」

「本当に綺麗なら狴犴(へいかん)に殺されそうになってませんよ」

 自虐的に嗤い、椅子をベッドから離して座った。包帯が取れたと言ってもやはりまだ疲れやすいようだ。

「……記憶は戻ってないの?」

「残念ですが、全く思い出せないです。そんなに嫌なことだったんでしょうか」

 白花苧環は自衛のために記憶を閉ざしたのだと思っているらしい。頭蓋を割るくらいの衝撃を与えられたのだから、その衝撃が原因である可能性の方が高いはずだが。

 狴犴に頭を割られ両脚を潰されたことについて、その経緯を白花苧環は思い出せない。怪我は治ったが、思い出せないまま宵街に戻るのは危険だ。

 先日黒葉菫をこの街に連れて来たが、彼に勝手に契約の刻印を施したことを白花苧環の口からは何も言わなかった。謝罪するつもりがあるのかないのか、長引くほど楔は深く食い込んでしまう。獏から先に庇う言葉は掛けておいたが、黒葉菫がどう思っているのか本心はわからない。

「脚がもっと動くようになったら、宵街に戻ろうと思います」

「えっ……戻るの? 狴犴の思う壺じゃないの?」

 カップから口を離し、獏は初めて顔を上げた。ぼんやりとした態度に少しだけ魂が戻ったようだった。

「直接訊くのが一番だろうと思いました。この罪人の牢に居続けるのもオレには辛いので」

「僕には止められないんだろうけど……誰かと一緒に……そうだ鵺に付いて来てもらいなよ。そうしたら心強いよ」

「でもこれはオレの問題なので」

 俯いて床を見詰める彼は、頼り方もわからないのだろう。孤立し孤独だった故に一人で解決しようとしている。

「もしそれが理由でここにいたくないなら、そんなこと気にしなくていいよ。一人で抱えきれないなら、誰かが一緒に持ってあげないと」

「罪人が優しい言葉を吐くと気持ち悪いので黙っててもらえますか」

「元気が無い人によく言えるね」

 言葉は突き放しているが、罪人相手に素直に頷くこともできないのだろう。面倒な性格だ。

「……あ」

 突然小さく声を上げた獏に、白花苧環も少しだけ顔を上げて目を向けた。

「スミレさんが来た」

 刻印を施したため、獏には彼の行動が手に取るようにわかる。知らない内に行動を監視されていると知ったら彼は何と言うだろう。

「また呼んだんですか?」

「壊れた窓の修理だよ。風通しの良いままにはしておけないから。宵街には、僕がうっかり割ったってことにしておいたから安心して。窓が付いてる方が、誰かがまた壊しても開けるだけでも音でわかるでしょ? 寝てない限りは」

「…………」

「今のは嫌味じゃないよ」

 獏はベッドに座ったまま動こうとしないので、灰色海月が部屋を出た。階段を覗き込むと、ガタガタと窓を持ち上げる黒葉菫と目が合った。

「手伝いますか?」

「いや、いい。あの人は?」

「バク科バク属のマレーバクなら、ベッドでくたばってます」

「くたばっ……、え?」

 窓が破壊された獏の部屋のドアを開けて待たれたので、黒葉菫は新しい窓を中へ運んだ。部屋の中には誰もいないので、向かいの灰色海月の部屋の方にいるのだろうと黒葉菫はドアを軽く叩く。中からの返事を待たずに灰色海月がドアを開けてしまったが。

 ベッドの上で背の枕に凭れながらカップを傾ける獏の姿を見つけて安心した。くたばったなどと言うので、死んだのかと思ってしまった。

「生きてて良かったです」

 灰色海月が先に何を言ったのかは三人は知らないため、窓が破壊された件だろうと勘違いをした。

「抵抗しただけで逃げるんだから、相手は非力なのかも。僕のいないタイミングを狙う辺りも」

「少し首を絞められただけなので、平気です」

 微妙に話が噛み合わない気がして黒葉菫は首を捻った。

「……くたばってると聞いたので」

「ふふ。クラゲさんかな。僕なら大丈夫だよ。喋ってる内に落ち着いたから」

 飲み干したカップを机へ置き、小さなシュークリームを口に放り込んだ。それを白花苧環が横目でじっとりと何か言いたそうに見る。きっとまた、罪人の癖に何を優雅にティータイムをと思っているのだろう。

「もうベッド使っていいよ、マキさん」

 ベッドから足を下ろし、黒葉菫を促して獏はドアへ向かう。

「もう治ったので寝ませんよ」

「固い椅子に座るより、柔らかいベッドの方がいいでしょ? 疲れてるなら、ね」

「……それだけ気遣えるのに、何で罪を犯したんですか?」

 ドアに手を掛けたまま獏の足がぴたりと止まった。何気無く訊いただけかもしれないが、手が震えそうになりドアノブを強く握り締めた。

「君は僕の何を知ってるの……?」

 振り向かずにぼそりと呟き、ドアを開けた。心臓の鼓動が速くなる。

 白花苧環は獏の背を見詰めただけで、何も言わなかった。少し違和感を覚えただけで、罪人に興味が湧いたわけではない。見世物小屋にいたことに関係するのかと言い掛けたが、ここには灰色海月がいる。彼女には知られたくない獏の気持ちと、何も知らない彼女に吹き込みたくない白花苧環の気持ちは一致している。ここで話すわけにはいかなかった。

 震えそうな手でドアを閉めると、少しだけ落ち着いた。深呼吸を一つし、気を取り直して向かいの部屋のドアを開ける。壁に新しい窓が立て掛けてあった。

「ベッドの上の破片もそのままなんだよね。それも片付けないと」

「大丈夫ですか?」

「え? 何が?」

「声が少し震えてたので……」

「……」

 手の震えを止めるのに必死で、声が震えていたことには気付かなかった。慌てて口元に手を遣ったが、それは震えていたことを肯定する動作だ。

「……ねえ。僕の罪って、何をしたって聞いてる?」

「暴食ですよね?」

「それだけ?」

「だと思いますが……他にも何かあるんですか?」

「それだけなら、いい」

 灰色海月には話さないように訴えたが、それ以外にも暴食としか広まっていないらしい。白である白花苧環はともかく、黒にも伝わっていないことは怪訝に思う。

「僕のことって、もしかして隠されてる?」

「え?」

 ベッド上の窓の破片を拾い集めながら、黒葉菫は首を傾いだ。だが確かに、そう言われるとそのようにも思えてくる。宵街の地下牢ではなく離れた空間にあるこの街に隠されているとすれば、特別な扱いを受けていることにも納得がいく。その理由はわからないが。

「貴方のことを口止めはされてませんが」

「君じゃなくて、その上で口止めされてそうなんだけど」

「俺がまだ知らないことがあるってことですか?」

「いや、知らないならいい」

「そこまで言われると気になるんですが」

 目に付いたベッドの周囲の破片を蹲んで拾い、獏は悪戯をした子供のように、困ったように笑いながらベッドに顔を覗かせた。

「言ったらこんな風に喋ってくれなくなるでしょ?」

 それはもう喋りたくなくなるようなことをしたと言っているのと同義だが、くすくすと笑うだけで何も言うつもりはないらしい。


「それは黙って俺に刻印するより、喋れなくなることですか?」


「!」

 一瞬で表情が凍り付いてしまった。面の御陰でそれは見えないだろうが、強張ったことは気付かれただろう。

「知ってたの……?」

「確信を持ったのは、貴方から炎色の髪の誰かを俺が手引きしたかもしれないと疑ってる話を聞いた時ですが、それまでも少し違和感はありました。普通の人間だと気付かないんだと思いますが、思念を辿ったりできる変転人なので。少しですが、変な感じがしてました」

 破片を近くのゴミ箱へ落とし、またゆったりとベッドの上の破片を拾う。その彼の表情は怒っているわけでもなく、いつも通りの顔をしていた。

「知ってたのに、何で言わなかったの?」

「貴方が何も言わなかったので、触れてはいけないことなのかと。……あ、うっかり言ってしまいましたが……」

「ん……。君らしいと言うか……。怒ったりしてないの?」

「疑われてるなら、しょうがないです。怒ってないです。でもこれ、どうすればいいんですか?」

「代価を貰わないと外せないから、代価を何か貰わないといけない」

「……そうですか。では不要になったら言ってください」

 やや間はあったが、本当に怒っていないようだ。眉一つ動かさない。思えば人の姿を与えられる前の花だった頃に、仲間から一人外れて咲いていたことにも特に何も思っていないようだった。ゆったりと緩慢で、無頓着なのだろう。ただ風に揺られるだけの花のように。

「それを聞いたら、マキさんも安心するんじゃないかな」

「えっ。これ貴方がやったんじゃないんですか? 苧環が?」

「マキさんだと怒る?」

「いえ……気持ちは変わりませんが。てっきり貴方がしたことなのかと」

「マキさんの独断だよ。僕も驚いた。いきなり僕と紐付けられたからね」

「獣に無断なんて怖い……」

「ふふ。僕は少し叱っておいたよ」

「怖い……」

「そんなに怖がらなくても。願い事の依頼者にするようなことはしてないよ」

 破片を捨て、黒葉菫は壊れた古い窓枠を外す。願い事の依頼者にと言うと、言葉で追い詰めたりといったことだろう。白花苧環を追い詰めようとしたら、彼は同じくらい言い返してきそうだ。

「窓枠の外側に小さい変換石が埋まってますが、外しますか?」

「!?」

 獏はすぐに身を乗り出し、枠の外を覗き込んだ。

「何これ……いつの間に……」

 枠をぐるりと見回すが、変換石はその一粒だけだった。だが埋められていたかのような窪みが他にも見受けられた。浅葱斑の爆弾で吹き飛ばされたのかもしれない。

「窓に糸みたいな物が仕掛けられてたって聞いたけど、そのための石か……。矢の仕掛けの時も変換石が使われてたし」

 爪を立てて変換石を抜き取る。爆弾で劣化していたのか簡単に取ることができた。

「スミレさんはそのまま修理してて。他にも変換石を見つけたら教えて。僕のじゃないから」

「例の襲ってきた奴ですか? わかりました。気を付けておきます」

 察しが良くて助かる。頷く黒葉菫に窓は任せ、獏は急いで皆のいる部屋へ駆け込んだ。

 三人は灰色海月の淹れたハーブティーで一息吐いていた。飛び込んで来た獏に灰色海月は心配そうに、白花苧環は目を逸らした。浅葱斑だけは特に何も無くもくもくとシュークリームを食べている。二人は獏の声が震えていたことに気付いていたのだろう。

 今はそれに言及している暇はない。窓枠から外した小さな変換石を皆の前に突き出す。

「皆、聞いて。探してほしい物がある。この店の中に変換石がないか、外にこれくらいの変換石が落ちてないか探してほしい」

 最初に反応したのは灰色海月だった。心配そうな顔を怪訝な色に変える。

「わかりました。私は中を探してみます」

「ありがとう。中にはあるかわからないけど、念のためにね。この石はマキさんが襲われた窓の外側に取り付けられてたんだけど、爆発で幾つか飛んだみたいなんだ。おそらく糸の仕掛けをするための物だと思う」

 白花苧環は眉を寄せながら獏の方を向いた。指で抓まれた石は小さい。こんな暗い夜の街で見つけるのは困難だ。だが自分を襲った者が仕掛けた物なら、見つけなければならない。

「貴方が見つけたのはそれだけですか?」

「うん。これだけ窓に残ってた」

「なら、おそらく後二つです。糸は三本張ってありました」

「もっとあったらどうしようかと思ったよ。二つなら何とかなるかな……? 常夜燈を持って来るよ」

「わかりました。オレが外を見ます」

「じゃあ僕も夜目が利くから外に行くよ。アサギさんは中をお願い」

「了解です。……あの、ボクが吹き飛ばした所為で御手数を掛けることになってしまって……」

「気にしないで。窓を取り替えようとしなかったら、気付かないままだったから」

 浅葱斑は何度も頭を下げた。あまりに何度も下げるので、獏は彼の頭を押さえ付けた。

 店の中は灰色海月と浅葱斑に任せ、獏と白花苧環は常夜燈を手に外に出る。店の横には細い路地があり、そこから裏へ回れる。窓の下には狭いが開けた空間があり、石畳が敷かれている。建物に沿って花の咲く鉢も並んでいる。路地はあるが建物に囲まれているので、飛ばされた変換石もそう遠くへは飛んでいないだろう。

「石畳があるのがちょっと厄介なんだよね……隙間に入り込まれると見つけにくい」

「爆発の規模は小さかったので、店の側から探します」

「わかった。じゃあ僕は、転がった可能性を考えて離れた所を探してみようかな」

 とは言え小指の先ほどの小さな透明な石を探すのは難しい。鉢の花も分けて探すが、見つからない。常夜燈を翳すが、全体は照らせないので影が濃くなるだけだ。

「貴方の力で照らせませんか?」

「どの力?」

「光る物を出してたじゃないですか」

「あー。光の槍とかだよね? あれは確かに光ってるけど、周囲を照らす物じゃないから明るくはならないよ」

「そうなんですか?」

「悪夢に取り込まれないように反対の性質で光らせてるだけだよ」

 ただ光っているだけだと思っていたが、一応考えられた結果があれなのだと納得できる答えだった。そんなことは報告書には書いていなかったが。訊けば答えるが、訊かれなければ答えないらしい。

 何気無く話し掛けてみたが、獏の声はもう震えていなかった。いつもの声だ。

「……貴方は一人で抱えようとするんですね」

「え?」

「オレには一人で抱えるなと言っておきながら」

「ああ……さっきの? 罪人嫌いが、罪を一緒に抱えたくなったの?」

「それは嫌ですが。罪人に興味はありませんが、改心するならある程度評価できます」

「ふふ。何それ」

「今はその罪を抱えるのが重くなったんじゃないですか?」

「抱えたくない割に言うねぇ」

「では賭けをしますか? オレが先に石を見つけたら、言ってください」

「今日はまた押しが強いね。そんなに知りたいの?」

「……記憶が一部失われた所為か、何か埋める物を探してるのかもしれません」

「それには適さないと思うけど……」

「自信がないんですか? 貴方の方が夜目が利くのに。二つもこの辺りに転がってるんですから、貴方が先に見つければいいことです」

「……。そんなに言うなら」

 口を割っても良いと思った理由は二つあった。頼んだ通り、見世物小屋のことを灰色海月の前では口にしていないこと。そして罪人を嫌う彼に言った所で、獏の評価がマイナスから更にマイナスになるだけだ。最初に会った時のように有無を言わせず襲って来るような、そんな彼に戻るだけだ。誰にも話したことのない秘密を話した時にどういう反応をされるのか、全く知りたくないと言えば嘘になる。

「言いましたね? 確認のために石をもう一度見せてください」

 言われた通りに石を差し出す。確認した所で、暫く探して見つからなかった小さな石がすぐに見つかるとは思えない。まだ探していない所は何処かと夜目の利く有利な目を巡らせる。

「見つけました」

「何で!?」

 石を見せてすぐに白花苧環は迷いなく歩いていた。まるで最初からそこにあったことを知っていたかのようだった。

「さては、既に見つけてたのに賭けを持ち出した……?」

「いえ。今見つけました。窓の糸は同時に張られた物と考えるのがいいでしょう。取り付けた変換石を連動させたんだと思います。その力の繋がりを追いました。もう一つもそこに」

「またそんな君にしかできないようなことを! 最初からそれで見つければ良かったのに!」

「チェスでは勝てませんが、盤の外では何とかなるものですね」

「知らない能力に気付けるわけない……」

「変転人だからと油断しましたね。とにかく賭けはオレの勝ちです」

 悔しがる獏に満足し、拾った小さな変換石を手に載せた。大きさも先の石と同じくらいで、窓に取り付けられていた物と見て間違いないだろう。

「……知ったら、知らなかった頃には戻れないよ」

 石を握った拳を下ろし、獏は白花苧環と距離を取った。最初に会った時のように反射的に襲って来るのではないかと、そして白い彼とはあまりに違い過ぎる醜い自分を遠ざけるために。

 月明かりも微かにしか届かない暗がりで、常夜燈の光だけが鈍く照らしていた。


「僕は――人間を大量虐殺した」


 白花苧環の瞳孔が微かに見開かれる。暴食の罪しか知られていないのが嘘のような酷い罪だった。だが白花苧環の足は動かなかった。

「軽蔑した?」

「……思い当たる節はあります。そもそもオレは、貴方の善行に死人が多いから視察を頼まれたので」

「うん。僕は人間が嫌いだから」

「それは見世物小屋にいたことと関係あるんですか?」

「何で?」

「貴方に会いたいと言っていた願い事の件です。貴方の取り乱しようは尋常ではなかった。復讐……なんですか?」

「そうかもしれない。けど、小屋から逃げて、自分の力に気付いて物にするまで随分掛かってね。その頃には小屋に来てた人は殆どが死んでた。だから復讐とは言えないかもしれない。一気に殺すと目立つから、少しずつだけど」

「ただ見られていただけで?」

「見られてただけ? 君は常に誰かに見られてたことがあるの? ――ああ、花は観賞されるものだから慣れてるのか。狭い檻に入れられて周囲を囲まれて悪魔だと言われ好き勝手に言葉を投げ付けられて、卑しい人間に好き勝手に檻に手を入れられて手足を掴まれ傷を付けられて、まるで玩具みたいに。逃げ場もなく震えることしかできなかった気持ちなんてわかるはずがない。それが何年も何年も地獄のように続く。正常でいることなんてできない」

 ただ、見られていただけ。その言葉が獏にとってどんなに残酷な言葉だったか、白花苧環はすぐに理解した。花だった頃に毟られて頭が潰れ、それが何年も続いたとしたらそれは地獄だろう。痛みはなくとも、水を呑むことも結実することもできずに存在しているだけというのは、あまりに残酷だ。そのことが罪人を嫌う理由の一つだった白花苧環に、獏の人間嫌いをどうこう言うことはできなかった。罪ではないことが苦しめてしまった、それだけの違いだ。

「……思慮が足りませんでした。それでも罪になったのは貴方の方ですが、どう責めていいのかわかりません」

 花は痛みを感じないが、獏は傷を付けられれば痛みを感じる。屈辱と痛みはきっと想像以上に獏を蝕んでいるのだろう。

「君だったら考え無しに飛び掛かって来るんじゃないかと思ったけど、思ったより冷静だね」

「それは…………うっ、ぐ……」

「マキさん?」

 突然白い頭を押さえ、白花苧環は地面に膝を突いた。距離を取っていたことを忘れ、獏は駆け寄る。蹲んで確認するが、見た限りでは怪我をしているようには見えなかった。

「頭が痛いの? 傷が治ってなかった……?」

「ち、が……」

 苦しそうに歪む顔を隠すように蹲る。体を支えるのも困難なのか、獏の方へ倒れ込んだ。

「マキさん!」

 体が重い。意識のある人間の重さではなかった。

 気を失った白花苧環を抱え上げ、店の窓を見上げる。丁度開いていた。地面を蹴って跳び上がると、修理をしていた黒葉菫が驚いて一歩下がった。良い判断だ。下がらなければ膝が顔面に入っていた。

 ぐったりとする白花苧環をベッドに横たえ、様子を窺う。苦しそうに眉間に皺を寄せている。原因はわからないが、寝かせておくしかない。

「どうしたんですか……? 苧環……」

「急に頭を押さえて苦しみ出して」

「怪我が治ってなくて、無理したんですかね……」

「わからない。窓の修理に支障があったら部屋を移すけど」

「それは大丈夫です。もうすぐ終わるので」

「じゃあ少しここは任せるね。寝てるマキさんを一人にはしておけないから、付いててあげて。僕はクラゲさんとアサギさんに声を掛けてくる。外の石は見つかったから」

 寝ている所を一度襲われた彼を一人にはできない。また狙われる可能性はある。折角修理した窓がすぐにまた壊れてはさすがに鵺に怪しまれる。

「わかりました。石が見つかって良かったです」

 獏は急ぎ階下へ行き、棚の隙間を念入りに凝視していた灰色海月と浅葱斑を呼ぶ。二人はすぐに棚から顔を出した。

「どう? 何か見つかった?」

「いえ。何も見つかってません。まだ探せてない所があるのかもしれません」

「物が多くて大変だけど、こんな所に仕掛けても使う機会あるかなぁ?」

 首を傾げる浅葱斑の意見は尤もだ。

「店の中は念のためだから。無いならそれでいいよ。外の石は見つかったから」

「見つけたんですか? 凄いです」

「マキさんって結構色々できるよね……」

「マキさんの御手柄なんですね。褒めたいと思います」

「そのマキさんなんだけどね、」

 興奮する灰色海月から浅葱斑へ目を移す。面に隠れて見えないだろうが、表情が曇る。

「ねえアサギさん。マキさんの怪我って本当に完治したの?」

「はい。ちゃんとレントゲンも撮って確認したよ。綺麗にくっ付いてるって」

「頭も?」

「損傷部分はもう大丈夫だって。でも見えない部分……記憶については様子を見ないとって」

「記憶か……何か思い出すのかな……」

「何かあったんですか?」

「頭を押さえて気絶した」

「え!? 治ってなかったのかな!?」

「それまでは何ともなさそうだったけど……」

 まさか獏の罪が衝撃的過ぎて脳が許容せずに倒れたのではないかとも思うが、そんな軟弱な性格はしていないはずだ。

「ボク達のことまで忘れたらどうしよう!」

「更に記憶が失われるってことはないと思うけど……。目が覚めるまで待とう」

「苧環が自分のことを忘れてたら、穏やかで優しい人だって擦り込もうよ。そしたら怖くない」

「罪人じゃないアサギさんには元々そっちの性格で接してたんじゃない?」

「超強くて暴力的な人じゃないんですか?」

「それは言い過ぎかな……。クラゲさんに力の使い方を教えたり、意外と面倒見はいいよ」

 罪人相手には言い過ぎと言うこともないが、それ以外には穏和らしいので否定はしておく。

「そうなんですか? だったら怖くないな」

「ふふ。その方がマキさんも喜ぶよ」

 苦笑しながら階段へ目を遣る。黒葉菫はもうすぐ窓の修理が終わると言っていた。あまり引き留めると宵街に怪しまれてしまう。

「修理が終わりそうだから、様子を見てくるね」

「私も行きます」

「ボクも」

 獏に続いてぞろぞろと階段を上がり、部屋のドアを開ける。

 修理は終わったようで黒葉菫は窓から離れ、白花苧環の頭に手を遣っていた。

「毛繕いでしょうか?」

「違う」

 灰色海月の言葉に素早く否定し、黒葉菫は白い髪から手を離した。

「怪我の所為なのかと確認したんですが、傷はもう完全に塞がってました。新しい傷もなかったです」

「見てくれたの? ありがとう」

「血でも出ていれば目立つ髪色なので、わかりやすいです」

「だねぇ。修理は終わったみたいだから、怪しまれない内に宵街に戻っていいよ」

「わかりました。炎色の髪もそれとなく探しておきます」

「うん。無理はしないようにね」

「苧環とは話した方がいいんだろうと思いますが、またの機会にします。また何か壊れたら来ます」

「そう壊れてほしくないけどね」

 頭を下げて部屋を出る黒葉菫に軽く手を振り、再びベッドの上に戻ってしまった白花苧環を見る。記憶を思い出そうとしているのなら良いことだが、気を失うほど抵抗があるのは素直に喜べなかった。

 彼は眠りながらも眉を険しく寄せている。悪夢でも見ているかのようだった。


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