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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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29-探し物


「変な噂が立っても願い事は来るんだねぇ、ウニさん」

 誰もいない街の静かな古物店の中で、白紙の本に羽根ペンを揺らして日記を書いていた黒色海栗は顔を上げ頷いた。

「噂は学校から出てないってことかな」

 意図しない獏の噂が立ち黒葉菫が噂の制御に奔走しているが、まだ収まってはいない。学校という閉じられた世界の中で閉じられた人間達が囲う噂話はなかなか消えないだろう。怪談のように残ってしまうかもしれない。それでも少しは落ち着いてほしいものだ。

 今は黒葉菫は手紙を拾いに行っているが、どうやら学校の近辺ではないらしい。確かに学校で囁かれる怪談話はなかなか外へは出ないものだ。

「獏は良い人って噂を流す」

「良い人でもないけどねぇ」

 くすくすと笑いながら椅子に凭れ掛かると、大きなリュックを背負った男が勢い良く店に飛び込んできた。狭い通路を駆け込む音に、驚いた黒色海栗の羽根ペンが無意味な直線を引いた。

「はっ、早く願いを叶えてほしい!」

 焦燥した男は掴み掛からんとするように机に身を乗り出し、動物面と少女を交互に見る。

「ど、どっちが獏だ?」

「僕だよ。随分急いでるみたいだね」

 小さく手を挙げ、動物面はひらひらと手を振った。男の視線が黒いマレーバクの面に固定される。

 黒葉菫も急いでドアを閉め、獏に願い事の手紙を渡した。その足で台所に駆け込み、契約の刻印を施す珈琲を淹れる。

「大変なんだ! 仲間を雪の中から助け出してほしい!」

「……雪? 急ぐのはわかるけど、詳しく話を聞かないと」

「悠長に話してる暇はないんだ! 早く来てほしい!」

「君がそうして焦ってる間に少しは話ができると思うけどね」

 椅子に座ろうとしない男から手紙に視線を移し、封を開ける。急いで書き殴ったのだろう今し方男が言っていたことと同じ言葉があった。

「言葉から察するに雪に埋もれてしまったってことなんだろうけど、救助してくれる人間に連絡は取ったの?」

「い……いや」

「連絡を取ってからここに来れば良かったのに。人間より、得体の知れない僕に先に助けを求めるなんて、物好きな人間だね。それとも、連絡できない理由でもあるのかな?」

「とにかく、早く来てくれ!」

 急いで淹れた珈琲を机に置き、黒葉菫は念のため先に黒い傘を出しておく。

「二次被害を出さないためにも詳しく話を聞いておくべきだとは思うけど。その珈琲を飲んでくれたら、行ってあげるよ。でも得体の知れない奴の話は、ちゃんと聞いておくべきだと思うよ?」

 言われた通り男は一気に熱い珈琲を飲み干し、やはり熱かったのか咳き込んだ。その間に獏は人差し指と親指で輪を作り、男に向ける。

 外套の釦を外して黒葉菫に目を遣ると、彼はすぐに鎖の付いた首輪を取り出して獏の首に嵌めた。そのまますぐに、彼にしては素速く店のドアを開ける。男の焦燥が伝わっているのだろう。

 獏が立ち上がると、男もすぐにドアへ向かった。何か忘れている気もしたが、店の外へ出て黒葉菫がくるりと回す傘で景色が一変する。

 黒い夜の街から一瞬で白が視界を埋め、思わず目を細めた。地面や近くの小屋の屋根も木々も辺り一面の白銀が天に向かって聳える。雪山の麓付近のようだ。

 ポストとは少し離れているが黒葉菫は手紙を拾った時もこの雪を見た。その時思ったことをもう一度口にする。

「寒い……」

 付いて来た黒色海栗も震えながら、寒さに頭が付いて行かずに白い息を吐きながら獏の方を見た。

「僕はまだ平気だけど、二人には寒いよね……」

 すっかり忘れていた。獣も寒さを感じるが、人間程ではない。普通の人間に近い変転人の二人には、積雪するほどの寒さは身に刺さる。

「コートやマフラーでもあればいいんだけど」

 夜の街の店には防寒具はない。忘れていなくても持って来ることはできなかった。男の方に目を遣ってみるが、山の方しか見ていない。こちらを心配する余裕はなさそうだ。

「雪崩れに巻き込まれたんだ! 早く仲間を助け出してくれ!」

「何か防寒具はない?」

「防寒……? 手袋なら貸せる!」

 男は自分の手袋を差し出すが、手袋では駄目だ。掌で力を使う二人に、それを塞ぐ物は付けられない。

「なら二人は小屋の中にいて。風は凌げるはずだから」

「監視役なので、一人で行かせるわけには……小屋の中に何かないか探してきます」

 黒葉菫と黒色海栗は慣れない雪上に苦戦しながらも小屋へゆっくりと駆けていく。これは防寒具が見つかったとしても移動を手間取りそうだ。

 ドアを開けるのを一瞬躊躇う姿を見ながら、獏は状況を少しでも聞き出す。

「雪崩れに巻き込まれたのは何人? 君と同じ男?」

「男が二人だ。オレだけ助かった」

「場所はここでいいの? 巻き込まれた雪崩れの起点と終点はわかる?」

「オレも必死だったから……雪が流れてるような所は見てわかるだろ?」

「仕方ないとは言え、丸腰の獏に丸投げなんてね」

 黒いブーツの踵を白い雪に減り込ませながら小屋へ歩き、ぐるりと中を見渡す。小屋は殺風景で、棚はあるが縄やシャベルしか無く、誰もいなかった。黒葉菫が途方に暮れながら何か防寒具がないか探している。

「スミレさん」

「! すみません、まだ……」

「いいよ。君はここにいて。空が飛べれば空から雪を見ることができたんだけど、今は飛べないから雪の上を走る。君は雪に慣れてないし、付いて来れないと思う」

「でもそれだと……」

「じゃあウニさんを背負って行くよ。ウニさんは小柄だし、走るのに問題ないはず」

 こちらを見る男の首からマフラーを剥ぎ取り、様子を窺う黒色海栗の首に巻く。

「寒さを我慢しなくていいからね。無理だと思ったらすぐにウニさんだけここに戻るんだよ」

 黒色海栗は獏の背中に乗るが、黒葉菫はまだ心配そうな顔をする。山と言うことで、以前の悪夢騒ぎを思い出しているのだろう。今の所はそういう気配はない。

「早く助けてやってくれ!」

「雪崩れはいつ起こったの?」

「さっきだ!」

「起こってから手紙を出すまで迅速だね」

 ぎゅっと雪を踏み締める。柔らかく新しい雪のようだ。

「スミレさんは自己判断ね。菫は春の花だからこの寒さは厳しいよね。自分を最優先で、退屈だったら街に戻っていいよ」

「……わかりました。でも俺は冬も咲いてたので。人の姿の方が慣れない所為か寒いです」

「へぇ。覚えておくよ」

 渋々頷く黒葉菫に笑い掛け、獏はとんとんと足を動かす。

「さてウニさん。少し頭に雪を被るかもしれないけど、驚いて手を離さないでね」

「わかった」

 黒色海栗は獏の首に手を回し、首輪に付いている鎖を掴んだ。まさかそれを掴まれるとは思わなかった。手綱を握られているようだ。

 踏み締めた雪を蹴り、木立の枝に跳び乗る。撓う枝を蹴り、先の枝へ跳び移る。それを繰り返して雪山の斜面を登った。真っ直ぐ進む地面を走るより時間は掛かるが、柔らかい新しい雪はブーツが沈んでしまう。この雪の中では固い枝を跳ぶ方が先へ進みやすい。

「どうやって探す?」

 人影も見えなくなった辺りで、白い息を吐きながら黒色海栗は尋ねた。背中にいれば仕草や表情は獏には見えないので、少しは喋ってくれるようだ。

「生きてれば、気配を感じられるんだけど」

 片手で黒色海栗の体を支え、もう片手で輪を作り辺りを見渡す。

「範囲が広いからね……。最悪死体なら春になれば見つかると思うけど。共に行動してたなら、一人が助かってるんだから雪崩れの端に行ってみようかな。ウニさんは何か感じる?」

「私はわからない。手紙と関係ないのは」

「そっか……わかった。ありがとう」

 枝を蹴り、雪の欠片がぼとりと頭に当たって砕ける。黒色海栗が頭を振り、雪が獏の襟の中へ落ち声を上げそうになるのを堪えた。

 雪崩れの端を下から上へ枝を跳びながら指の輪を巡らせる。

「あれ……かな?」

 消え入りそうな微かな気配を感じ、足を止めた。輪を解いて何もない雪に手を翳す。

「……重いな。地道に少しずつ退かせるしかないか」

 人間の頭部程の大きさに雪を刳り抜き、塊を下方へ捨てる。気配はなかったので、下には生きている人間はいないはずだ。

 もっと大きく刳り抜くこともできるが、深さもわからないので力はなるべく温存したい。制限が掛けられた状態では力がすぐに尽きてしまう。

「何か手伝える?」

「今は無いかな」

「下りておく」

 首輪の鎖を離し、近くの枝に足を掛けて獏の背から下り、座って様子を窺う。黒色海栗は本当に何もすることがない。

 雪を掘る単調な作業を暫く続けると、雪と土の色以外の人工的な色が覗いた。そこを中心に雪を捨てる。人の形が徐々に現れる。

「よ……っと」

 雪に飛び下り、掘り起こした人間に近付いて見る。その後ろで黒色海栗も飛び下り、滑って尻餅を突いた。

「下りなくても良かったのに……。滑り落ちないように気を付けて」

「雪、難しい……」

 幹を掴んで這うように立ち上がり、手を差し出す獏に何とか掴まる。

 掘り起こした穴に下り、動かない男の傍らに腰を下ろす。おそらく助けを求めていた仲間の男で間違いないだろう。

「脈はまだ微かにある……けど、駄目だろうね……、ん?」

 男の腕に縄が絡み付いていた。腕にしっかりと巻き付いている。その先はまだ雪に埋もれていたので、その上の雪も刳り抜いて放り捨てた。

「…………」

 その下から出てきたのは、縄で腕を繋がれた女だった。こちらの息はもう既にない。

 指で作った輪を二人に向けるが、男の方も生命が微かで感情が読み取れない。

「縄が引っ掛かって下まで流されずに済んだみたいだけど、男が二人って言ってたし、この女性は数に含まれないよね。そもそも男の方も仲間じゃないのかな?」

 男の服にあるポケット一つ一つに手を突っ込み、何か情報がないか探る。

「……紙、か」

 くしゃくしゃになった紙切れだけが入っていた。この男も繋がれた女も、荷物は何も持っていない。雪に荷物が流された可能性もなくはないが、リュックなら背負っていれば腕が繋がっているのだから腕に引っ掛かるはずだ。

 紙切れを開くと、手書きの地図のようだった。地図の中にバツ印が一つある。

「まるで宝の地図みたいだね。人間を捜すより、こっちの方が楽しそうだ」

「獏、願い事」

「生きた状態で連れて来いとは言われてないし、この人は急いで山から下ろしてももう助からないよ。でもまあ……一度連れて下りておこうかな。この紙のことは内緒だよ、ウニさん」

「内緒にする」

 紙切れを仕舞い、凍える男の体を抱き上げる。縄を引いて女の体も寄せるが、二人を持ち上げるのは無理だ。

 黒色海栗は黒い傘を引き抜いて、くるりと回す。

 一瞬で元の小屋へ戻り、小屋の前で座っていた男がすぐに気付いて駆け寄ってきた。

「見つかったのか!」

「この人で合ってる? この女の人ももしかして男?」

「あ……いや、合ってるが、こっちは女で合ってる」

「男が二人って話だったから、もう一人埋まってるんだよね?」

「ああ、そうだ」

 男は焦るように男のポケットを漁っている。息があるか確認するでもなく、真っ先にポケットの中を確認する。

「じゃあこの女の人は、初めから死体だった?」

「な、そ、そんなわけないだろ! 早くもう一人も見つけてくれ!」

 ポケットの中に何もないことに肩を落とし、男は焦りながら獏の腕を掴んだ。

「わかったよ。だから落ち着いて」

 小屋の前で控える黒葉菫に目を遣り、男から離れる。男が小屋の前に戻るのを確認し、小屋の裏手へ回る。黒葉菫も察して獏の後を追った。

 ぐるりと周囲を見回して誰の気配もないことを確認し、歩きにくそうな黒葉菫を手招いた。

「僕がいない間、あの男は何か言ってた?」

「いえ、何も。余程焦ってるのか辺りを見回したり、足をガタガタ揺らしてるだけでした」

「小屋の中にいれば少しは寒くないのにね……」

「貴方の方は何かありましたか?」

 よくぞ聞いてくれたとばかりに獏はにまりと笑いながら、男のポケットから拝借した紙切れを広げて見せた。

「面白い物を見つけたよ。宝の地図みたいでしょ」

「宝……って何ですか?」

「それはわからないけど、この山の何処かを示してる。連れ帰った男のポケットに入ってた」

「ポケットって、そういえばさっき必死に(まさぐ)ってましたね」

「生死より先にそっちを気にするなんて、見つけてほしいのは人間じゃないのかもね」

「人間の救助ではなく貴方に願いとして依頼したのもそれが理由でしょうか?」

「かもね。面白そうだから、次はこっちを探してみるよ。スミレさんは引き続きここにいて」

「わかりました」

「僕を欺こうなんて、いい度胸だよね」

 紙切れの地図を頭に入れ、黒い頭をかくんと傾ける。

「行こうか、ウニさん」

 再び黒色海栗を背負い、雪を蹴る。枝に跳び乗り、頭の中に広げた地図と距離を照らし合わせる。どうやら雪崩れの中のようだ。雪の所為で地形が読み取りにくい。

 背の高い木の折れない程度に上の枝へ跳び上がり、辺りを見渡す。そしてまた枝から枝へ跳び移る。それを何度か繰り返し、大凡の当たりを付けた。

「一気に雪を剥がしたいな……制限するにしても、もう少し力を使わせてくれてもいいのに」

 夜の街の中よりも更に力を制限されている外では殆ど人間と変わりない。少し物が浮かせられる程度だ。黒色海栗を下ろし、仕方なくまた人間の頭部程の大きさに雪を刳り抜いて捨てる作業を繰り返す。

「獏、弱い?」

「カップの中の水と同じで、力には限りがあるんだよ。少しずつ使えばそれだけ水の減りは遅いけど、一気に使うとカップを引っ繰り返すようなものだから」

「また水を注ぐことはできない?」

「休んで回復を待つか、食事を摂れば注げるかな?」

「御飯は大事」

「この場合の食事は人間の食べ物のことじゃないから、今すぐここで食べることはできない」

「私は?」

「ふふ。監視役から食事を摂ったら、凄く怒られそうだ。気持ちだけ受け取っておくよ」

 話す間も手を休めずに雪を捨てていくと、窪みがあることに気付く。更に雪を払うと、内側に抉れた大きな段差があった。

 雪に飛び下り、雪を退けながら中を覗いてみる。木の根が絡んだ土の屋根が小さな空間を覆い、奥には雪は入り込んでいなかった。代わりに落葉が詰まっている。立つことはできない高さだが、這って中に入り、落葉を掻き出した。

「箱がある」

 丈夫な金属でできた、腕で抱えられる程度の四角い箱だった。外まで引き摺り出すと、鍵穴があることに気付く。おそらく金庫だ。扉に手を掛けるが、鍵が掛かっている。

「これが地図にあった宝かな?」

「開けられる?」

 黒色海栗も雪上をゆっくりと歩いて、獏の背から覗き込んだ。

「勿論」

 鍵穴に手を翳しがちゃりと開ける。鍵を開けるくらいなら、力の制限があっても造作無いことだ。

 重い扉を開けると、中には眩しく輝く宝飾品が詰まっていた。

「……本当に宝だったとは」

「綺麗」

「これが欲しくて僕に手紙を出したのかな。人間に救助を頼まないってことは、これは良くないことをして得た物かもね」

 一つ抓み上げてみると、小さな宝石が連なった首飾りがキラキラと垂れる。それを地面に置き、他の物も一つずつ取り出しては地面に並べた。

「きらきらの石がたくさん」

「どれか欲しい?」

「え? いいの?」

「これは願い事の中には出てこない物だし、いいよ」

 これが誰の物かは知らないが、獏には持ち主に返すことはできない。小屋にいる男にしか渡せない。獏は善人ではない。願い事以上のことをするつもりもない。

 並べられていく色々な色の宝石を興味深く眺めていた黒色海栗は、顔を上げて獏の面を見る。この石の価値はわからなかったが、宝と言うならとても素敵な物なのだろうと思う。全身真っ黒な海栗にこんな鮮やかな色が合うのだろうかと、蹲んだ膝に手を置いて考える。

 小さな物まで全て並べ終えた宝飾品の中に、目を引く物が一つあった。首飾りや指輪に付いているような大きな石ではなかったが、色がとても惹かれた。

「これがいい」

 抓み上げたのは、小さな美しい海の色が揺れる耳飾りだった。

「それは片方しかないね……? それでいいの?」

「海みたいだから」

 嬉しそうに揺らす黒色海栗がそう言うのだから、無理に他の物は勧めない。獏は微笑み、全ての宝飾品を取り除いた底にあった小さな箱を取り出す。他の宝飾品はそのままばらりと放り込まれているのに、これだけ箱に入っている。余程価値のある物なのか。

「何が入ってるんだろ」

 固く閉められた箱をそっと開ける。

「!」

 黒色海栗は覗き込んでいた顔を少し引いた。獏も眉を寄せる。

 小箱に入っていたのは、土色をした人の指だった。性別はわからないが血も完全に止まって乾いていて、切り取られてから随分経っているようだ。指には宝石の指輪などもなく、価値のある物だとは思えなかった。

「何だろう、これ……」

 箱からは出さずに、傾けたりぐるりと観察する。指の他には何も入っていない。少なくとも契約者の男と先程見つけた男女の指ではない。あれらに欠けている指はなかった。

「木乃伊なら歴史的価値がある物もあるだろうけど、これはそんなに古い物でもないし……大事な人の指か……邪推するなら、用があるのは指紋とか?」

「指紋?」

「指紋認証で開いて手に入れたい大事な物があるのかと思って」

 小箱の蓋を閉め、それは金庫には戻さず、並べた宝飾品だけ戻す。宝飾品の詰まった金庫は再び重い蓋を閉め、元のように鍵を掛けておく。

「じゃあこれを持ってもう一度小屋に戻ろう」

 重い金庫を持ち上げようとした所で、ふと雪を踏む音が聞こえ手を止めた。黒色海栗は足を動かしていない。後ろから覗き込んでいるだけだ。野生の動物にしては音が大きい。

「っ!」

 振り向き様に腕を振って黒色海栗を突き飛ばした。その腕にナイフが刺さる。雪に血の赤が散った。

「それはオレのだ! 返せ!」

「まさか生きてるとは……」

 痛みに顔を歪め、強引に腕を引いてナイフを抜く。ナイフを握っている男は手を引かれて、足を逃げる方へ動かせなかった。獏に腹を蹴られ、雪に転がる。

 リュックを背負ったこの男は、願い事の契約者である男が言っていた見つけてほしい仲間だろう。雪崩れに巻き込まれたと言っていたが、共に行動していた一人が助かっているのだから、もう一人も無事だという可能性を考えるべきだった。巻き込まれたなら下へ流されているだろうと下方は探したが、流されていないなら上方にいたのだろう。道理で気配を感じないはずだ。

 ナイフを構えながら立ち上がる男を睨む。突然問答無用で刺してくるのだから、この金庫は当然良くない物なのだろう。

 黒色海栗は倒れたまま掌からボウガンを引き抜き、男の脚を射る。細い逆刺が刺さり、抜こうとして折れる。

「ぐっ……! うぅ!」

 脚の中にある毒の棘は熱を帯び、男は雪に転がった。熱を冷まそうと刺さった脚を雪に押し当てる。

「……ねえ、もしかしてだけど、君が金庫の鍵を持ってるの?」

「は!? ……な、うぐっ……」

 痛みで上手く喋れないようだ。契約者の男が見つけてくれと言った仲間がそれぞれ地図と鍵を持っていたのなら、探してほしい理由としては充分だ。契約者の男は仲間を助けたいのではなく、只この金庫が欲しいだけだったのだ。

 獏は面の下で嗤い、親指と人差し指で作った輪を男に向けながら一歩歩み寄る。ナイフの傷からは未だ血が流れ指先から赤い滴が滴るが、痛みは意識の外へ追い遣った。

「自分達で隠したのかなぁ? 盗んだ熱りが冷めた頃にまた取り出そうと。雪が積もったのは誤算だったのかな? 春まで待てば良かったのに、我慢が足りない人間だね」

「は……、は?」

「我慢が足りないからこそ、盗んだんだろうけど。――ねえ、この金庫の底に入ってた指は何なの?」

「は? 指……?」

「小箱に入った指だよ」

「何だ……それ……?」

 恍けているようには見えなかった。指の輪で覗いてみても、白を切っている様子はない。本当に知らないようだ。

「……じゃあ、君の仲間といた女の人は? 縄で繋いでたでしょ?」

「!? 何でそれを……!?」

 雪の冷たさで痛みが引いたのか、顔を顰めながらも立ち上がろうとする。黒色海栗は起き上がりながらもう一方の脚にも棘を打った。

「ぐああ!」

「ねえ?」

「何なんだお前らは!」

 血を滴らせながら近付く動物面を被った獏を見上げ、ナイフを振り上げる。その手は痛みの所為か恐怖の所為か小さく震えていた。

「僕は獏だよ。君の仲間の願い事を叶えてる所だ。雪崩れに巻き込まれた仲間を見つけてほしいってね」

「な……、獏!? は? じゃあお前はオレを……?」

「そのつもりだったけど、刺してきたからね。助けてくれとは言われたけど、生死は言及されてない」

「……は!? っ、言われたんなら……! オレを助けろよ!」

「だからさぁ、一緒にいた女の人は何なの?」

「あ……あいつは、な、仲間だ」

 獏の動きが一瞬止まり、ざくざくと雪を踏んで速度を上げながら男に近寄る。雪の上で思うように動けない男の横へ回り、負傷していない手でナイフを払ってくるりと足を回し、刺さっている棘を蹴り折る。

「あっ……!?」

 折れた所に硬い踵を真っ直ぐ踏み付け、釘を打つように脚に棘を押し込んだ。

「あああああ!」

「嘘吐きは御仕置きだね」

 ナイフを拾い、くるりと回す。

「……ち、ちが……! あ、あの女は…………、獏の話を……教えてくれた……」

「僕の? 噂は広まってるから、不思議なことではないけど。何で繋いでたの?」

「よくわからねぇ……ことを言う女で……気味が悪いから……」

「どういうこと? 気味が悪いなら離れればいいのに」

「オレ達が盗んだ家に偶々帰ってきた女で……警察に言わない代わりに獏を殺してくれ……と。……あ、ああ、そうだ! 思い出したぞ! オレは中は見てないが、その女から箱を貰った!」

 箱とはあの指の入った小箱のことだろう。中身を知らないのは本当のようだ。

「恨みには身に覚えがありすぎて特定はできないけど、顔に見覚えはなかったな。金庫を回収した後にどのみち僕は呼ばれるはずだったのかな?」

「いや……気味が悪くて、山に捨てるつもりだった……」

「ああそっちか。君達に僕を殺す気がなくて良かったよ」

「だ、だろ!? だから助けてくれ!」

「嘘は言ってなさそうだけど、君に刺された腕は凄く痛いんだよ?」

「え……」

 ぎゅ、と雪を踏み、踊るように黒衣を翻し、拾ったナイフで男の腕を切り飛ばした。

「あっああああああ!」

 断面から真っ赤な血がぐしゃりと白に散り、男の体が傾いた。

「ふふ。トマトジュースを零したみたいだね。これでおあいこだ」

 くすくすと笑い、血の付いたナイフを振る。

「人間に舐められるのと利用されるのは嫌いだから、これはその分――」

 激痛と恐怖で歪む男の顔を、脚を開いて力の入る体勢を立て、ナイフを一閃させ切り離した。男はすぐには何が起こったのか理解できず、切り離された状態で瞬きをした。

「大きな雪玉を作ったら、雪達磨が作れそうだねぇ」

 ナイフを投げ、転がった男の頭部の傍らに突き立てる。

「何もしてこなければ何もしないのに、人間は本当に愚かだね」

 刺された腕の傷を押さえ、片膝を突く。弱味を見せまいと痛まない振りをしていたが、刺されれば当然痛い。血が流れれば勿論足元が蹌踉めく。

「獏!」

 頭部を切り離された男がもう動かないことを確認し、黒色海栗は急いで獏の許へ転びそうになりながら駆け寄った。

「死なないで」

「いや……さすがにこれだけじゃ死なないけど。手当てはしたいね……その男は放っておいていいから、金庫を持って、小屋に戻ってほしい」

「わかった」

 重い金庫を雪に滑らせながら引っ張り、獏の許でボウガンから黒い傘に持ち替えてくるりと回した。

 小屋の前に行くと、契約者の男がすぐに駆け寄り、負傷している獏を見て一瞬足を止めた。黒葉菫も慌てて獏に駆け寄り、膝を突きそうになる体を支える。男は獏と金庫を交互に見、金庫の前に屈んだ。

「何があったんですか?」

 獏は数歩後退し、男から距離を取る。小声で話せば聞こえない程度に離れ、口を開いた。

「あの男の仲間が生きてて、刺された」

「そいつはどうしました?」

 黒葉菫はハンカチを取り出し腕の傷を縛る。獏は小さく呻くが、奥歯を噛んで耐えた。

「殺した。さっき連れ帰った女の人も僕を殺してほしかったみたいだね。……詳しくは後で話すよ」

「獏は私を庇った……」

「雪の上じゃ上手く動けないのはわかってたから、気にしなくていいよ」

 しゅんと落ち込む黒色海栗に目を遣ると、心配そうに獏を見上げている。

「殺した男を連れて来ないと願い事が達成できないのでは……」

「それは大丈夫だよ。あの男が欲しいのは埋まった仲間じゃなくて、仲間が持ってた物だから。目的はあの金庫だよ」

 契約者の男は金庫を傾けたり、蓋を開けようとしている。鍵を掛けたので、人間の力で開くはずがない。

「……その金庫、開けてあげようか? それが目的だよね?」

「!」

 腕の痛みは彼方へ追い遣り、苦しむ顔は見せずに男に歩み寄る。面の御陰で表情が晒されることがなくて助かる。

 男は縋るような目で獏を見た。何故金庫を見つけられたのか、何故持って来たのか、何故目的だとわかったのか――目の前にある金庫のことしか頭にないのか、何も訊かない。

「開けられるのか!?」

 金庫に手を翳すと、がちゃりと鍵の開く音がする。男は暫く獏と金庫を交互に見詰めていたが、意を決したように重い蓋を開けた。

「お……おお!」

 人間ではない獏には見られても構わないのか、もう隠す素振りはせず堂々と宝飾品に手を突っ込んだ。宝飾品を掘るように掴み出し、じゃらじゃらと手に載せる。底に指が触れると、ゆっくりと動きを止めた。

「無い……?」

「どうしたの?」

 獏が金庫の中の物を全て出した時に戻さなかったのは、黒色海栗が貰った耳飾りと指の入った小箱だけだ。無いと言うならそれしかない。獏は何も知らない風に首を傾げる。

「おい獏。お前は今、鍵もないのに開けたな? ここに持って来る前に開けたか?」

「中に何が入ってたの? 宝石が一つ足りないとか?」

「宝石じゃない……とにかく、開けたか!?」

「これのこと?」

 失敬していた小箱を取り出して見せると、男は飛び掛かるように手を伸ばした。

「……おっと。余程大事な物なのかな? これは何なの? 教えてくれたら、返してあげる」

「それは……っ」

 言えないことなのか、男は獏に飛び掛かった。負傷しているなら勝てると思ったのか、浅い考えだと不満そうに獏は口を結ぶ。

 獏が避けるまでもなく、黒葉菫は男に足を掛けて転ばせた。柔らかい雪ならまだ体勢を取りやすい。走ることは難しいが、足を掛けるくらいはできる。

 男は這うように獏に手を伸ばすが、黒色海栗にボウガンを向けられるとぴたりと動きを止めて顔を強張らせた。

「ねえ、そんなに大事な指なの?」

「……っ! 中を見たのか! こ……殺される……!」

「……? それは、僕に殺されるってこと?」

「な、なあ獏! もう一つ願い事をする!」

「それは君の一つ目の願いは叶ったってことでいいの?」

「いい! いいから、もう一つ願いを聞いてくれ!」

「じゃあまずは一つ目の代価を貰わないとね」

「代……価?」

 男の顔が更に強張る。そんな話は聞いていない、と言うように。当然だ。言っていないのだから。全ての説明を聞かずに急かしたのだ、自業自得だろう。

「スミレさん、念のために取り押さえておいて。暴れられると食事ができない」

「わかりました」

 這い蹲る男の背中に膝を当て、両腕を背に押さえ付ける。頭を掴んで無理矢理顔を上げさせた。

「やっ……やめ……! 何を……する気だ!?」

「今ね、少しお腹が空いてるんだ。何を食べようかな」

「ひぎっ……!」

 無理に首を逸らされ声を出しにくそうだが、気にせず獏は笑いながらじっくりと考える。

「面倒事は嫌だし、この指に関する記憶を食べようかな。君もさ、殺されるなんて怯えるより、何も知らずに殺される方が、気持ちが楽なんじゃない?」

「そっ……その指は蒐集家に売り付ける物なんだっ……! 許してくれ!」

「蒐集家?」

「人外の指なんて、高く売れるだっ……」

 最後まで言葉を聞かず、獏は男の顔面を掴んだ。みしりと締め付け、骨が軋む。


「獣の指を切ったの……?」


 ざわりと、雪の所為ではない寒気が場の全員に走った。得体の知れない怖気が全身を侵蝕する。

「あ……あぐっ……!」

 だから頑なに言おうとしなかったのかと、顔面を掴む手に力が籠もる。そのことに獣である自分が利用されたことに、獏は面の下の金色の双眸で忌むように睥睨する。

「スミレさん、ウニさん。最近指を失った人がいるって話を聞いたことある?」

 黒い二人はすぐには思考できず、数秒の間の後漸く記憶を漁ることができた。獏の感情がぴりぴりと肌に刺さるように痛い。声を出すことはできず、二人は首を振るのが精一杯だった。

「そう……じゃあ宵街にはいないのかもね。でも人間に奪われたなんて、人に言いたくはないか」

 男の両目を覆うように手をずらし、動物面を外す。そこに笑みはなく、感情の無い金色の双眸が只の硝子玉のように見下ろしていた。

「記憶を食べるのは不味いね。恐怖も痛みも苦しみも残してあげないと。喜びや楽しい感情を食べてあげるよ」

「っ……!」

 首の骨が折れない程度に頭を上げさせ、獏は口を付けた。

「……苦労したのに碌な食事じゃないよ」

 吐き捨てるように言い、動物面を被る。感情を喰われ、男は惚けたように虚ろな目を虚空に彷徨わせた。

「スミレさん。その男を連れて宵街に行って。上の判断を仰ごう。この指の持ち主が探してるかもしれないからね」

 指の入った小箱を黒葉菫に渡し、獏は感情を抑える。黒い二人まで恐怖で硬直していては可哀想だ。

「わかりました……」

「スミレさんも金庫の宝石、何か欲しい? 代価として」

「え? あ……いや……」

 突然話が切り替わり、返事が遅れてしまう。

「そう? ここに置いてたら鴉が持って行っちゃうよ」

「置いて行くんですか?」

「死体と一緒に発見された方がいいのかなって」

 小屋の壁際に置かれた男と繋がれた女の死体を一瞥する。

「そう……ですか。俺は興味ないので……ウニは?」

 視線を向けられた黒色海栗は、慌てたように片方だけの海色の耳飾りを取り出す。

「これ貰った」

「もう貰ったのか」

 耳飾りをゆらゆらと揺らして見せる彼女は表情が乏しいながら嬉しそうに見える。

「指輪をたくさん嵌めると富豪ごっこができるよ」

「しませんが」

 大きな宝石が嵌った指輪を抓み上げて見せる獏は、あっさりと切り捨てられてしまい黙って金庫に戻した。怖がらせてしまったので場を和ませようと思ったのだが、上手くいかないものだ。

 雪山の上で遭遇した男と何があったのか、聞いたことも含めて獏は全て黒葉菫に話した。女が指の入った小箱を持って来たことも、獏を殺してくれと頼んだことも。その間彼は黙って話を聞いていた。黒い彼は人の死にとやかく口を出さない。

「そろそろ行きます」

 獏が話し終えると、黒葉菫は男の背中から膝を下ろし体を起こした。男の頭はまだ呆然としているようだ。

「うん。よろしくね」

 黒葉菫は黒い傘を開いてくるりと回した。獏は姿を消した空間を暫く見詰め、黒色海栗に向き直る。

「食事はしたけど、怪我の所為で調子は良くないね。早く街に戻って手当てしよ」

 こくんと頷き、黒色海栗も黒い傘をくるりと回した。そこには最初から誰もいなかったように、忽然と姿を消す。雪の上の足跡だけが、確かにそこに存在していたことの唯一の証明だった。


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