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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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28/124

28-噂話


「この前飛び下りた人って、獏の所為なんだって」

「獏? 死神じゃなくて?」

 話題に上げるのは躊躇われるが、実しやかに囁かれる噂は徐々にその学校の中で広まっていった。

 立入禁止になった屋上への出入口の前で待っていると、獏に殺されると――。



 静かな煉瓦の街にぽつんと明かりの灯る店の屋根に座り朧な月を眺めていた獏は、黒い動物面を外して遠くの闇を見詰める。面はこの醜い顔を見られたくないから付けているのであって、好き好んで被っているわけではない。この街に来る前は面など付けていなかった。罪を犯した罰である善行をする際に支障がないようにと、これで顔を隠せば良いと狴犴(へいかん)から与えられた物だ。最初はこんな巫山戯た面、と思っていた。

 自分の顔を見る機会はないが、面で隠れていると思うと安心できた。特に人間には見られたくない。

 屋根から両足を投げ出して寝転がっていると、不意に石畳を鳴らす硬い踵の音がした。

「……あ。上ですか?」

 下から声を掛けられ、獏は動物面を被りながら身を起こし地面を見下ろした。

「おかえり、スミレさん。下りるよ」

 とんと壁を蹴って、黒葉菫の前に飛び下りる。

「どうだった?」

「貴方の言った通り、変な噂が作られてました。もう学校中に広まってました」

「そっか……厄介だね」

 願い事の末路で屋上から二人の生徒が落下することになった。その時に一部始終を見ていた残りの二人が新しい噂を撒いたのだろう。全てを見ながら放置してしまったことが原因だが、そこまで拡散力が高いとは思っていなかった。

「今まで噂の制御はクラゲさんが遣ってくれてたんだけど、スミレさんもできそう?」

「上手くできるかはわかりませんが……ここまで広まると収拾がつくかどうか……」

「他に何か興味をそそることが起これば噂を上書きできそうだけど、早々起こらないよね」

「そうですね……。本当のことが混ざると、完全に消すのは難しいですね」

 噂の中身が全て嘘ならばすぐに風化するだろうが、真実があれば関連付けていつまでも語られてしまう。

「僕はここから出られないけど、クラゲさんに相談するのもいいかもしれないね。その時はクラゲさんが元気かどうか聞かせてよ」

「わかりました。遣れるだけのことは遣ってみます」

 黒葉菫は至極色の頭を下げ、持っていた黒い傘をくるりと回す。

 捻じ曲げられた噂が広まると、願い事の善行にも支障が出てしまう。早急に対処しなければ、獏に願い事など差し出されなくなってしまう。



 遙か上層まで続く先の見えない石段を遙か下から見上げ、黒葉菫は酸漿提灯の並ぶ宵街を一歩一歩歩き出す。獏の監視役代理なのだから、一時的にでももっと石段の上の方に送られたいものだ。心の中で幾ら文句を言っても、変転人は下層にしか傘で転送されないように決められている。

 蔦の這う石壁に空く小さな店へ脇目も振らず、早足で中腹にある病院を目指す。

 酸漿提灯から逸れ、石壁に打ち付けられた不揃いな街灯を抜け、箱が積まれたような病院へ辿り着き受付で案内してもらう。足は止めずに階段を上がって三階へ行き、一番奥の病室を軽く叩いた。

 一歩下がって待っていると、怪訝そうに白い頭が顔を出した。

苧環(オダマキ)……」

「クラゲの見舞いですか?」

 そういえば灰色海月に力の使い方を教えると言っていた。部屋の中に目を向けると、ベッドの上に灰色海月がいるだけで他には誰もいない。

「あ……いや、見舞いと言うか、相談したいことが」

「わかりました。どうぞ」

 場所を空けられると黒葉菫はすぐにベッドの傍まで行き、不思議そうな顔で見上げる灰色海月を見下ろした。手は動くようになったと聞いたが、顔色も良く元気そうだ。まだ包帯を巻いているが相談を持ち掛けても大丈夫だろう。

 白花苧環はドアを閉め、壁に寄り掛かって腕を組み用が済むのを待つ。

「噂の制御の仕方を教えてほしい」

「噂の……? 獏の噂ですか?」

「そう。変な噂が広まって支障が出る」

「制御もできないとは、やはり私ではないと駄目なんですね」

 何だか嬉しそうだが、それを尋ねている暇はない。

「学校中に広まって大変なんだ」

「学校と言うことは、その学校で何かあったんですか?」

「願い事の末路で、屋上から生徒が二人落ちて死んだ。そこにいた他の生徒が二人、野放しになってる」

「屋上に獏もいたんですか?」

「いた。落ちた……と言うか落として落ちた生徒の方の願い事で学校に行ってた」

「野放しにした生徒達が広めたんですね。逃がす前に何か処置をすべきだったと思いますが……獏は何もしなかったんですね」

「調子が悪そうだった。言われたことにショックを受けてたような」

 その言葉に灰色海月は目を丸くするが、すぐに目を伏せた。

「ショックを受ける言葉……私でも言ったことがないです」

 日々辛辣な言葉を吐いていた灰色海月だったが、それで獏が落ち込むようなことは今までなかった。辛辣さを認め苦笑することはあったが、嫌がる素振りは見せたことがない。本当は心の中では嫌がっていたのだろうかと、若干は気不味くなる。

「何を言われたんですか?」

「悪魔と言われたのを気にしてるみたいだったが、制御と関係あるのか?」

「悪魔……。そう言われても差し支えのないようなことをしたんですね。噂を完全に消すには学校を消すしかないので無理ですが、より衝撃の大きい別の噂で上書きしてしまうか、噂の解釈を曲げるしかないです」

「できるのか?」

「最初の二人から広まったことを考えると、またその二人に新しい無害な噂を流してもらうのがいいと思います。上手く立ち回れるかはスミレさん次第ですが……」

 まだ包帯の取れない両手を見下ろし、残念そうに睫毛を伏せる。可能なら自分が制御に回りたいと思った。両脚なら問題なく動くのに、手はまだぎこちない。傘を持つことは難しい。

「……できれば、私が力になりたかったです」

「それは獏にも伝えておく。何とか遣ってみる。助かった」

 軽く頭を下げ、黒葉菫は白花苧環を一瞥して足早に病院を後にした。

 顔を俯けたままの灰色海月に目を遣り、腕を解いて白花苧環は椅子に座り直す。力の使い方を教えていたが、すぐに再開できるような空気ではなかった。

「随分と獏のことを慕ってるんですね」

「! それは……」

 跳ねるように顔を上げた灰色海月だったが、真っ直ぐに目を見詰められ、すぐに逸らしてしまう。

「罪人に興味はありませんが、罪を犯す前に何かあったんですか?」

「それは……助けてもらったので……」

「勘ですが、貴方に人の姿を与えたのは獏ですか?」

「!」

「素直な人だ」

 白花苧環は苦笑した。罪人は悪だが、それを犯す前まで悪と言うことはできない。

「あ、あの……」

「他の方は知らないんですね。それがわかっていれば、獏の監視役なんて任されるはずがない。――安心してください。オレは罪人と関わりたくないので、他言はしませんよ」

「信用できません……」

「なら、何かオレのことを一つ訊いてください。それで対等にしましょう」

 灰色海月は包帯の両手を見下ろし、不安げに思考を纏める。立場を揺るがせるような情報が彼にあるとは思えなかった。そんなものがあれば、簡単に情報を訊けとは言わないだろう。一人では、的確な質問をできない。

「貴方の……弱味を教えてください」

 ならばと出した答えは、相手にそれを尋ねることだった。それは想定していなかったのか、白花苧環は口を結んで床に目を落とした。口元に手を遣り黙考する。

「難しいですね……オレのことは噂になってる部分もあるみたいなので、弱味と言われると……」

「…………」

「助けてもらったことは似てると思ったので、その話で良ければ話しますよ」

「マキさんも誰かに助けられたんですか?」

「少し気分を悪くされるかもしれませんが。オレを変転人にしたのは、獏に烙印を捺した狴犴です」

「…………」

 灰色海月は黙って眉を寄せた。狴犴のことは以前にも聞いた。罪を犯せば罰を受けるのは当然だと理解はしているので、烙印を捺したことを恨んだりはしない。だが少しだけ、胸がちくりと痛んでしまう。その狴犴に人の姿を与えられたと聞かされ、もやもやと複雑な気持ちになった。

「花の頃に脚が千切れ頭が潰れていたことは噂として広まってるみたいですが、その原因は知れてないらしいです」

「……随分悲惨な最期だったんですね」

「死んでませんよ。死んでたらここにはいない。オレは崖に生えてたんですが、その上から突き落とされた人間がいて、縋るようにオレを掴んで引き千切ったんです」

「それで悪人を憎んでるんですか……?」

「理由の一つだとは思いますが……。狴犴は能力の高い変転人を作ることを求めていて、実験的にオレを選んだんです」

「実験……?」

 あまり良い言葉とは思えなかったが、白花苧環は淡々と話している。

「元の姿が潰れてると、潰れた状態の人が出来上がる。失った脚を補い、潰れた頭を修復するために力を使ったそうです。上手くいく保証はなかったので、実験的と言うわけです。結果上手くいったようですが、オレは純粋な変転人とは少し違います。獣の力が及んでます」

「隠れてる右目は……潰れてるんですか?」

「いえ、これは……。潰れてないですよ」

「間がありました。弱味ですか?」

「弱味ではないと思いますが、狴犴に見せないよう言われてるので」

 わざわざ右目の視界を塞いでいることに理由があるらしい。正常な目がそこにあるなら隠す必要はないだろう。視認できる異常があるようだ。

「その目が強さの秘密ですか?」

「目が? ふ……それはないですよ。それに純粋な獣に比べたらオレなんて全然です。でもこれらを知られたら、益々孤立するかもしれませんね」

 憂えるように微笑む。これを弱味と呼ぶかはわからないが、話せば何らかの影響はあるだろう。同じように獣に助けられた過去を持つ灰色海月の健気な姿に動かされるものがあったのかもしれない。或いは両手を切断した償いだ。

「人の姿を与えてくれた獣は親のようなものなので、それには理解を示すつもりです。それが罪人でも。どうです? 信用できますか?」

「……それが弱味なら」

 まだ少し不安はあるが、灰色海月は小さく頷いた。罪人である獏の前では彼の態度が違い過ぎるので躊躇っているとも言える。悪以外には穏和だと鵺も言っていた。つまり今は穏和な状態らしい。

「良かったです。この話を人に話したのは初めてですが、クラゲは灰色なので良しとしました。……さて、力の使い方の続きを話しましょうか」

「獏にも穏やかにできないんですか?」

「それは死んでも嫌です」

 この態度の違いは根深そうだ。途端に険しい表情になってしまう。

 力の使い方について頭を切り換え、手元に視線を移す。実践はまだできないが、体内生成する武器の形を決めなくてはならない。それが一番難しい。

「マキさんの針はどうやって考えたんですか?」

「オレのは紡錘です。花の形と糸繰草という別名から考えました。元の自分の形から連想していくと馴染みやすいです」

「やはり私は触手でしょうか……」

 包帯の手を見下ろしていると、窓硝子が震え外で音が鳴り響いた。

「あの……偶にこの音が聞こえるんですが、何の音なんですか?」

 突然に鳴るので灰色海月は不思議に思っていた。病院に来てからもう何度も聞いている。時間が決まっているわけでもなく、音の数もいつも違う。

「祝いの花火ですよ。年が明けて一ヶ月程はよく上がります。年明け直後が一番上がりますが、クラゲは……治療してましたからね」

 彼女の両手を切断してしまったのは自分なので、白花苧環は気不味く言い淀んだ。

「花火とは何ですか?」

「火薬玉を打ち上げて火の花を咲かせるんです。ここからでは見えないので、車椅子を持ってきましょうか。スロープがあるので、屋上に行けますよ」

 言いながら立ち上がり、白花苧環はすぐに病室を出る。相変わらず行動が早い。灰色海月が嫌がる素振りを見せれば足を止めただろうが、音の正体がわかるのなら止める必要はない。

 火薬玉を打ち上げるとは、随分と物騒な祝い方をするものだと灰色海月は眉を寄せた。

 白花苧環は程無く車椅子を押して戻り、灰色海月を抱き上げて座らせる。

「両脚は何ともないのに車椅子は変じゃないですか?」

「そうですか? 何処かで躓いて手を突くのは危ないので、変ではないですよ」

 ゆっくりと車椅子を動かし、病室から出る。入院してから部屋の外に出るのは初めてだった。

 階段とは少し離れて廊下の端に緩やかな坂道がある。緩やかではあるが後ろに倒れてしまいそうで、車椅子は慣れそうにないと灰色海月は思った。

 積まれた石の屋上からは宵の空が広く見えた。疎らに星が瞬く。そこに色取り取りの小さな光の粒が放射状に大きく広がり、すぐに消えた。

「あれが花火……ですか?」

「そうですよ。綺麗でしょう?」

「街が燃えるのかと思ってしまいました」

「そんな物は好んで打ち上げないですよ」

 火薬玉と言ったので、そういう想像に及んでも無理はないかと白花苧環は苦笑した。

 灰色海月は儚く消えていく光の花に一抹の寂しさを覚える。

「あの人にも見せてあげたかったです」

「……獏ですか? あの街に閉じ込められてるのは自業自得ですよ」

「…………」

 あちこちで疎らに上がり、刹那の瞬きの後に跡形もなく消えてしまう。儚い光だ。

「興味があるなら、もっと早く連れて来れば良かったですね。この時期だけの菓子もあると聞いたことがあるので、それを見舞いに持って行けば良かったかもしれません」

「その御菓子は気になります。何で持って来てくれないんですか」

 やや剥れる灰色海月に、白花苧環はつい笑ってしまう。

「すみません、菓子には疎くて。まだ売ってれば買ってきますね」

「今すぐでもいいです」

「今ですか? 人使いが荒いですね」

「善は急げです。ここで待ってます」

「まさか本気だとは」

 車椅子を固定し、白花苧環は困ったように溜息を吐いた。弱味を訊かれたが、一番の弱味は両手を切断した罪悪感なのではないかと思う。

 すぐに踵を返し、早足で病院を出る。病院は宵街の中間辺りに位置するが、先程の花火は下層側で上がっていた。年明けの名残を引き摺るそちらへ酸漿提灯の石段を下る。左右の石壁に空いた穴にある店に目を遣りながら下りるが、それらしい菓子はなかった。

 石段から横道に目を向けると、石壁に打ち付けられた不揃いな街灯の先から声が聞こえてきた。ちらりと外に簡易な布の屋根が見える。

 何かあることは確かなので、細い路地に入って行く。その先の小さな広場に布の屋根を張った出店が数軒並んでいた。祝いの名残の出店に、祝い足りない人々が疎らに談笑している。

 幾つか見慣れない菓子があり、内心安堵した。とは言っても白花苧環にとっては見慣れない物の方が多いのだが。どれにするか、それとも全部だと言われるか、菓子を見ながら考える。


「あれ? もしかしてハズレ?」


 人々は疎らなので談笑の中にも消えてしまうことなく、その言葉は白花苧環の耳に届いた。あまり顔は動かさず、声のした方へ一瞥をくれる。こちらを見ている有色の男がいた。獣と関わりの少ない有色の変転人にまで『ハズレ』という呼び方が広まっている。有色はその身分の低さから獣に逆らう者はいない。獣がハズレと呼べば、思考を放棄して鵜呑みにする。

 無色は獣の手伝いに駆り出されるので獣の棲む上層近くの中層に棲む者が多く、下層は有色が多い。勿論全てではないので無色でも下層に棲む者もいるが、それでも下層の上の方だ。ここは下層でも下の方に当たる。ここまで来る無色もあまりいないのだろう。特に白は。

 聞こえていない振りをし、菓子の説明を聞きながら白花苧環は白いふわふわとした菓子を買った。綿飴と言うらしい。確かに吹けば飛んでいきそうな綿のようだ。他にも買っておいた方が良いだろうかと宝石のように赤く艶やかに輝く林檎飴という物に目を遣るが、固い物を齧って必要以上に手に力が入ることは避けたい。

「ハズレが何でこんな所で買物? よく宵街を歩けるよな」

 本当に聞こえていないと思っているのだろうか。この狭い広場でその声量で本当に聞こえていないと思うなら御目出度いものだ。

 繭玉のような小さなカステラに蜂蜜が入っているとのことで、それも買っておく。

「白って昔、獣様を殺したんだろ? なのに何でまだ……」

 白花苧環はカステラが詰まった紙袋を受け取りながら眉を顰める。聞こえていない振りができない不可解な言葉が耳に入った。白が獣を殺した話など聞いたことがない。尤も孤立する白にそんな噂話を耳にする機会もないのだが。

 菓子を入れた紙袋を抱え、御目出度い有色の男に歩み寄る。本当に聞こえていないと思っていたようだ。焦るように辺りを忙しなくきょろきょろと落ち着かない。自分が言ったのではないと訴えているのだろうか。その行動こそが自らの発言だと裏付けているのに。

「威勢がいいですね」

「……! な、何だよ……」

 有色に特別な力はない。普通の人間と変わりはない。争いにもなれば、特殊な力を持つ無色には敵わない。そのことがわかっているため、男は後退りながら辟易ろいだ。

「白が獣を殺したと言うのは、どういうことです?」

「し……知らないのか……? それが原因でもあるだろ……? 白がハズレって……。さてはお前、最近変転人になったんだな?」

 男の背後にいる仲間は、こちらを見て慌てて目を逸らしながら必死に頭を下げている。この御目出度い男は白い少年を誰だか気付いていないようだが、後ろの仲間は気付いているようだ。

 白花苧環は少し口の端を上げた。

「ええ。なので、教えてもらえると嬉しいです」

 嘘を吐くことは悪だと思っていない。必要な嘘は存在すると思っている。勿論、悪である嘘も存在するが、それは今ではない。

 男の目は泳いでいるが、恐れているのか話してくれた。

「白は罪が嫌いだろ……? それで罪人を死に追い遣ったって……話だ。俺も詳しいことはわからないけどな……」

「その獣は誰ですか?」

「罪人に興味あんのか? 珍しい白だな……確か…………蜃様とか……言ったか」

 ぴくりと端整な眉を動かしてしまう。蜃と言えば、獏を閉じ込めている街を作ったという獣だ。獏に話を訊かれたことを思い出す。

「……そうですか。教えてくれてありがとうございます」

 罪人だとは聞いていたが、まさか死んでいて、そこに白が関わっていたとは想像すらしなかった。同じ白とも関わることがあまりない白花苧環には知る術などなかった。

「お、おう……じゃ、じゃあな」

 話は終わりだと男はじりじりと後ろへ下がっていく。

 白花苧環は胸に手を当て白い頭を垂れる。背を向けると、背後で仲間に名前を教えられて騒ぐ声が聞こえた。相変わらず名前は知れているのに顔は知られていない。あまりうろうろと出歩かない所為かもしれない。

 黒葉菫が以前白花苧環の噂話を口にしていたので、黒の彼なら今の話も聞き齧ったことがあるかもしれない。また会うことがあれば一度訊いてみるのも良いだろう。狴犴ならば何か知っているだろうが、人の姿を与えてくれた親のような者だとは思っているが、話し掛けるのは苦手だ。事務的な会話ならできるのに。

 思いもしない情報を得られて急ぎ灰色海月の待つ病院の屋上へ戻ると、彼女は空を見上げて待っていた。今はもう花火は上がっていない。

「お待たせしました」

「遅いです。待ち過ぎて海月に戻るかと思いました」

「戻りませんよ」

「御菓子は見つかりましたか?」

 花火も終わってしまったので車椅子を下げ、積まれた石に腰掛ける。

「綿飴と言う物を買ってきました」

 ふわふわとした白い物に木の枝が刺さった菓子を灰色海月の口元に差し出す。彼女は指は動かせるが、まだ物を持つのは難しい。特に小さな物や細い物は時間が掛かる。白花苧環が持ってやる方が良い。

「綿ですか?」

 綿花のようなそれを恐る恐る食むと、灰色海月は驚いたように目を瞬いた。

「甘いです。何ですかこれは?」

「材料は粗目糖だそうですが……専用の機械で作ってましたよ」

「凄い機械です。――待ってください。貴方は何を食べてるんですか?」

 片手を灰色海月に遣りながら、もう片手で膝の上に載せた紙袋から繭玉のような物を取り出して齧る白花苧環に目敏く気付いた。

「カステラと言う菓子だそうです。繭玉に似せてるんでしょうかね」

「繭玉……? 私も食べたいです」

「よく食べますね。繭玉は、枝に丸めた餅や団子を付けた正月飾りですよ」

 苦笑しつつ、紙袋の中にはまだたくさんあるので、蜂蜜入りのカステラを灰色海月の口元へ差し出す。余程菓子が好きなのか、表情が乏しいなりにとても幸せそうな顔をする。

「オレから言うことはないので、獏の所へ戻る時にでも伝えてほしいことがあります」

 カステラを食みながら、灰色海月は白花苧環の横顔を見る。表情を歪めることなく獏を話題に出すことを意外に思いながら促した。

「まだ暫く先になると思いますが……」

「以前、蜃について尋ねられたんですが。オレは罪人と言ったんですが、既に死んでるそうです」

「え……?」

「オレの情報は罪人であることから止まってるので、化生後はおそらく宵街を訪ねていない。あの街を作った蜃はもういないです」

「化生……?」

「獣は死ぬと新しく生まれ出るそうです。どのくらいの時間が掛かるかはわかりませんが」

「ではあの街の話はもう聞けないんですか?」

「記憶が引き継がれてなかったり他の誰かに話してなければ、そうでしょうね」

「それは早く獏に知らせないと」

「その包帯が取れるまでは無理ですよ。そのことは謝りますが」

「ではマキさんが伝えてください」

「嫌ですよ。何故貴方に話したと思ってるんですか。会いたくないからですよ」

「私の……手……」

 両手を見下ろして落ち込む灰色海月の姿は、やはり白花苧環の弱味と言って良いかもしれない。罪悪感が締め付けてしまう。

「カステラも食べていいので、罪人と関わらせようとするのはやめてください。狴犴は経験を積ませたいらしいですが……穏便にと言われてるので、オレも気持ちを抑えるのに苦労してるんです」

「……では機会があればでいいです。あの人に怪我をしてほしくないので」

「そんな機会はあってほしくないですが……わかりました。あればついでに話しておきます」

 溜息を吐いて眉を寄せていると、忘れたように一つ、花火が打ち上げられ空に花開いた。黒くなった空に光の花は美しく映えていた。

 誰かと見る花火は初めてだった。誰かと見る花火は、妙に物淋しいものだった。


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