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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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27-酔客


 瓦落多の並ぶ棚に囲まれた店の中で、机に腕を敷いて黒い頭は微動だにせず置物のように伏せていた。

 カーテンの掛かる窓の外は変わらず夜が広がり、仄かに灯る橙色の明かりの中で静かに息を殺すようにそれぞれ椅子に座っている。物音一つ響かないので音を立ててはいけないような気がして、動きが慎重になる。

 音を立てないように椅子から立ち上がった黒葉菫は、床を軋ませないように台所へ行く。以前獏が淹れていたハーブティーを見様見真似で淹れ、ふと置き去りにされている物が目に入った。紙袋に入ったそれを覗き、薄紙に包まれた中身を取り出す。仄かに甘い香りがした。

 ハーブティーと皿に出したそれを持ち、伏せる獏の前に置く。動かないので、まるで供え物のようだった。再び椅子に座り、それを眺める。

 棚の隙間から出てきた黒猫が様子を窺うように獏の背後に回り跳び乗った。動かないのを良いことに、頭の上に乗って丸くなる。黒い雪達磨のようだった。

 黒色海栗は白紙の本を広げ、ちらちらと獏と黒猫を見ている。少し羨ましそうだ。

「……手紙、取ってきてもいいですか?」

 思念の羅針盤に反応があり、黒葉菫は伏せる獏に声を掛けてみる。前回の善行から獏はこの調子だ。伏せたままで動かないので、寝ているのかとすら思う。

 時間は掛かったが初めて獏はゆっくりと顔を上げた。黒猫が背中を走り床へ下りる。

 顔を上げたからと言って表情が見えるわけではないが、黒い動物面は俯き加減でぼんやりと傍らに置いたティーカップと皿に目を遣る。

「マキさんが持ってきたケーキ……まだ食べてなかったね」

 灰色海月が持って行くように頼んだらしい蜂蜜ケーキをフォークで突き、もそもそと食べた。白花苧環が選んだ菓子なのでどんな物かと少し警戒はしていたが、美味しい菓子だった。

「元気が無い時は甘い物……って言ってたっけ」

 半分ほどもくもくと食べた所で漸く獏は黒葉菫に返事をした。

「軽めの願い事だったらいいよ」

「軽めと言うのは……?」

「面倒臭くないもの」

「善処してみます」

 席を立つ黒葉菫に付いて黒色海栗も店を出る。

 一人残った獏はぽつんとハーブティーに口を付けた。急いたのかやや薄いが、優しい味がした。気を遣わせてしまったようだ。

(……ずっと一人だったけど、誰かがいるのも温かいものだね……)

 柑橘の香りが身に染みる。申請すれば灰色海月の見舞いにも行かせてはくれないだろうか。宵街に行くことは禁止されていないのだが、病院に罪人がほいほいと行って良いものではないだろう。


「たーのも――!」


 感傷の余韻も何もなく、静寂を引き裂く大声が響いて頬が引き攣った。

 顔を上げると、豪快にドアを開け放ち蹌踉めいている女がいた。

「…………」

 背後にやや困った顔の黒葉菫と無表情の黒色海栗がいることで、この女が手紙の差出人だと察することができた。顔が赤くなっているので、熱でもあるのではないだろうか。獏も反応に困る。

「願い事――! お願いしゃす!」

「スミレさん……この人大丈夫?」

「たぶん酔ってるんだと思います……」

 熱ではないのなら安心だが、酔っ払いの手紙は初めてだ。酔った勢いの願い事だと、酔いが醒めた後が面倒そうだが、一先ず話だけは聞くことにする。

「えっと……とりあえず座って」

「ひゃい!」

 相当出来上がってしまっている。大丈夫ではないかもしれない。獏も二日酔いの頭に響くような大声に辟易してしまう。二日酔いの経験はないが。

「結構飲んでるみたいだけど……誰に手紙を出したかちゃんと理解してるかな?」

「獏れす! 願い事叶えてくれるって、聞きました!」

 椅子に座ったは良いが、机に凭れ掛かるようにぐったりとしている。呂律も回っていない。残っている蜂蜜ケーキに手を出そうとするので慌てて皿を避けた。

「理解はしてるみたいで良かったよ。でも酔いが醒めた時に願わなくて大丈夫かな? 酔った勢いで後悔しても知らないよ」

「気遣い痛み入るぅ。私の夢は、空を飛ぶことれす!」

「聞いてるようで聞いてないね話。夢って言ってるけど、願い事だよね? それとも、願いは別にあるのかな?」

「空を飛ぶぅ、願い事れす」

「既に頭の中は飛んでそうだけど。飛行機じゃ駄目なの?」

「魔法使いの箒みたいな感じれす」

「ああ……成程」

 蜂蜜ケーキの皿とカップを持って立ち、台所へ一旦避難させる。視界の内に置いていては駄目だ。台所から様子を窺っていた黒葉菫は少し横に詰めて場所を空けた。

「刻印は珈琲じゃなくて、水を用意してくれるかな。少しは酔いが醒めるかも」

「わかりました」

 願い事と代価の支払いを結ぶ契約の刻印は酔っていようが必須だ。水に印を施してもらう。

「それと、宵街(よいまち)に飛べる人はいる? 僕は飛べないから」

「え? (ぬえ)は飛んでますが……貴方も飛べるのかと思ってました」

「獏は本来飛ばないよ。けど僕は飛べたんだけどね……この街では制限が掛かって飛べないんだ」

「杖が無い所為ではないんですか」

「杖は関係ないね。街の外に比べると力の制限は緩いけど、できないこともある」

 罪人に全ての力をそのままに与えておくことはない。杖を使って自由に力を使用しているように見えて、できないことは多い。

「やっぱり不便なこともあるんですね」

「まあね。……鵺でもいいか……それで、鵺を連れて来ることってできる? 空を飛ぶ願いを叶えたいんだけど」

「すぐに捕まるかわかりませんが、探してきます」

「うん。なるべく早く頼むよ……あんなだから」

 台所から依頼者の女に目を遣る。ぐったりと机に倒れ込んでいる。今にも寝てしまいそうだ。

「わかりました。行ってきます」

 印を施した水の入ったカップを獏へ渡し、黒葉菫はばたばたと黒い傘を抜きながら店を出る。黒色海栗も付いて行こうとするが、手で制した。彼女まで宵街へ行くと、監視役がいなくなる。灰色海月が一人で監視役をしていた時は獏を一人にすることは多々あったが。

 ぐったりとする女の前にカップを置くと、無色透明な液体を酒だと思ったのか一気に飲み干し、只の水だと気付いて残念そうに眉を寄せながらまた倒れ込んだ。

「願い事を叶えるから、寝ないでね」

「ふぁい!? 本当れすか!」

 瞼が重そうだが、閉じきる前に鵺を連れて戻ってきてほしいものだ。

 寝そうになれば話し掛けて起こすことを何度か繰返していると、たっぷりと時間を掛けて黒葉菫が戻ってきた。ドアを開けたその後ろに、幼い少女の姿がある。面倒臭そうな顔をしているが、来てくれたようだ。

「獏から呼び出しなんて珍しいじゃない。善行に関する問題らしいから来てあげたけど」

 詳しくは聞かされていないらしい。急ぐために説明を省いたようだ。

「この人の願い事が空を飛ぶことなんだけど、僕は今飛べないから鵺にしてほしいんだ」

 面倒臭そうな顔が更に険しくなった。

「獏の善行を私が? 確かに力の制限はしてあるけど、その中で叶えるのがお前に求められるものよ」

「その中で他人に頼ってはいけないって制限はされてないから」

 にこりと面の奥で微笑み、窺うように首を傾ける。

「私は人間に与するような獣じゃないんだけど。人間に善行を施すなんて嫌味なくらいだわ。私は罪人じゃないのよ」

「だったら鵺の願い事を一つ叶えてあげようか?」

「罪人に叶えてほしい願いなんてないわ。下手な交渉はやめてちょうだい。マキちゃんを多少手懐けたからって調子に乗るんじゃないわよ」

「え? 手懐けられてる?」

 白花苧環なら相変わらずだと思っていたのだが、多少何らかの変化はあったらしい。確かに問答無用で襲い掛かるのは初対面の時だけではあったが、懐いている気は全くしない。

「私はそう思ってるけど? 最初はすぐ面倒起こしてたけど、あんなにすぐに我慢を覚えられるなんて思わなかったわよ。意外と我慢強いのかしら?」

「そうなの……? 変わらず敵意を向けてくるけど……」

 話が逸れてきたので、すぐに戻す。

「ともかく、飛べる人に飛ばしてもらわないと、僕には高所から突き落とすことしかできないよ。交渉が駄目なら、ゲームでもする?」

「ゲーム?」

 唐突な申し出に、鵺は訝しげに首を傾げる。

「チェスでもどう? 勝った方の言うことを聞くとか」

「人間の娯楽じゃない。嫌よ」

「自信ないんだね」

「は?」

 鵺の頬が引き攣る。幼い少女に似付かわしくなく表情を歪めた。

「この鵺様に喧嘩売ろうっての? 上等じゃない。罪を犯した豚如きが」

「クラゲさんの台詞移ってない? 買ってくれるなら僕は本気でいくからね」

 わかりやすい挑発に乗る鵺に微笑ましく動物面の奥で笑い、依頼者を端に遣って机上にチェス盤を置く。

「ルールは知ってる?」

「ええ勿論よ」

 黒葉菫は息を呑んで見守る。彼にチェスのルールを教えたのは鵺だ。人の姿に慣れるために教えられた。故に双方の実力を知る黒葉菫にはこの勝負どちらが勝つのか容易に想像ができた。黒色海栗はルールを知らないため、並べられる黒白の駒を只じっと眺める。

「そっちが先手でいいわよ」

「へえ。白を持つのは久し振りだ」

 獏は早速白の歩兵(ポーン)を抓んだ。

 交互にこんこんと迷い無く駒が動かされる。

「あら? 随分弱気ね」

「ん?」

 打たれる駒を見守り、盤上から下ろされる駒を見詰める。チェスでは奪った駒は盤上に戻されることはない。減っていく一方――と言うより、こんなに駒が減る戦局も珍しい。黒葉菫は目を覆いたくなった。

 やがて守る者も疎らになった盤上で呆気なく勝負はついた。

「え……鵺って……」

「弱いですよ」

「うっ煩いわね!」

 後先考えない無謀な攻めの手が多く彼女がチェスが弱いことを黒葉菫は知っている。勝負を受けた時点で敗北は目に見えていた。

「何で!? 獏がこんなに強いなんて聞いてない!」

 鵺の厄介な所は、自分が弱いことを自覚していないことだ。打ち方は早いが、あまり考えて打っていない。

「僕が強いと言うより……鵺が弱過ぎる……。怪鳥だから鳥頭なのかな」

「煩い! 頭部は猿よ!」

 弱くても悔しいことには変わりなく、幼さの残る顔が泣きそうになる。

「もう一回勝負よ!」

「何度やっても同じだと思うけど……それに、契約者が寝そうだから、早く願いを叶えて帰したいんだけど」

「……! 屈辱……!」

 机上を叩き、駒が揺れる。泣きそうな目で渋々杖を召喚し、小さな鈴が軽やかに鳴った。

「他に誰もいないのが救いだわ……さっさと終わらせるわよ」

 机に倒れ込んでいる女の首根っこを掴むと「ふがっ」殆ど寝ていたのではないかと思う声を上げ店の外へ引き摺った。

 長い杖を浮かせ、鵺は尻尾を敷かないようにぴょんと横向きに跳び乗る。

「早く乗りなさい」

「うわああ! 憧れの魔法使い!」

 女は歓喜しながら片脚を上げて杖に跨り、鵺の小さな腰を掴んだ。

「横向きに乗った方がいいわよ。跨ぐと股が痛くなるから、杖乗りは横向きが主なのよ。立ち乗りもいるけど」

「ははあ、そうなんれすね」

 一度下りて横向きに座り直す。細い杖の上で体勢を整えなければならないのでどの乗り方であれ難度は高いのだが。

「私も支えるけど、しっかり掴まってて。落ちたらそこにいる誰かが受け止めると思うけど」

「あまり高度があると腕が折れます。人間の体なので」

 慌てて問題点を指摘する黒葉菫に目を遣り、鵺は木履で軽く地面を蹴る。ふわりと浮く体に、腰を掴む女の手にも力が籠もった。

「わかってるわよ。獏もそのくらい働きなさい」

 ゆっくりと上昇し、屋根の上まで飛ぶ。

「どう? 初めて空を飛んだ感想は」

 星は無いが、霧の上にある月は地上で見るよりも明るく誰もいない街を照らしている。遠くは闇に染まり見えないが、停滞した風が杖が動く度に髪を揺らす。

「凄い……凄く……気持ちが……わる……」

「え? 何?」

 口元を押さえるので、鵺は直ぐ様女の頭を押さえて首を後ろへ回した。

「こんな所で吐かないでくれる!?」

 頭上から叫ばれる声に、黒葉菫と黒色海栗は同時に黒い傘を差した。撥水効果もある傘なので、雨が降ってきても安心だ。二人は獏の体も収まるように傘を寄せる。最悪な雨だ。

「あれだけ酔って出来上がってたら、それは吐くよね……」

 頭上から叫び声が降ってくる。

「獏には好きなだけぶっ掛けていいけど、私には掛けないでちょうだい! もっと離れて!」

「無理ですぅ……離れると落ちるぅぅ」

「もう! 下ろすわよ!?」

 地上に降ろされた女は石畳にぐったりと突っ伏した。黒い二人は傘を下ろして軽く振る。とんだ災難だった。

「僕は何もしてないから、鵺が代価を貰いなよ」

「口付けたくないからでしょ!? 私はそういう食事はしないんだから、お前が処理しなさいよ」

「いいよ今回はタダ働きでも」

「聞き分け良く逃げたわね……でも契約はしたんでしょ? 財布から幾らか抜いておきなさい。それから元の場所に帰してきなさい」

「じゃあ小銭でいいよ」

 まるで拾った子犬か子猫でも戻してこいと言うような言葉だったが、傘を開いたついでにと黒葉菫は倒れ込む女のポケットから財布を抜いた。中身を確認するが小銭は一枚しか入っておらず、その十円玉を獏に手渡した。そのまま女の腕を掴んで傘をくるりと回す。酔いが醒めた時、空を飛んだことは夢だと思うかもしれない。代価も十円なのだから、それも良いだろう。

 なかなか騒々しい差出人だったが、人間関係の絡み合う複雑な願い事よりはずっと平和で良い。それに、少しは笑うことができた。

「ああもう暇じゃないのに無駄に疲れたわ。私は帰るから、ウニちゃん後はよろしくね」

 黒色海栗はこくんと頷く。

 踵を返す鵺に獏は少し躊躇いながら呼び止めた。

「……鵺、一つだけいい?」

 杖を振ろうとしていた鵺は怪訝そうに顔を上げる。

「何かしら? 手短に頼むわ」

「クラゲさんの調子は……どう?」

 気軽に宵街に見舞いに行けない獏は、他者から聞くことでしか灰色海月の様子を知ることができない。両手を切断され繋ぎ合わされているはずだが、経過が知りたかった。

 鵺もその心配には理解を示してくれる。

「ああクラゲちゃんね。指は動くようになったわよ。でもまだ安静にしないと。少しずつマキちゃんに力の使い方は習ってるわ。あいつ悪以外には真面目だから安心なさい」

「それなら良かった……。マキさんにもよろしく言っておいてよ」

「それは嫌がらせにしかならないわね」

「ふふ」

 呆れたように苦笑しながら、鵺は杖を振って姿を消した。軽やかな鈴の音だけが耳に残る。

「僕達も中に戻ろうか」

 黒色海栗は頷き、獏の後を追う。元気の無かった獏はもう元に戻ったようだった。彼女もそれに安心した。


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