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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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21-おくりもの


 霧の掛かる誰もいない煉瓦の街で、小さな光がぼんやりと揺れる。

 それはゆっくりと、明かりの灯る店の中へと入っていった。

 薄暗い橙色の光の中に、古い木の置棚が立ち並ぶ。木や金属、硝子など、すぐに何かと気付く形もあれば、何なのかわからない部品のような物も棚に並んでいる。総じて瓦落多のようだが、何か価値のある物なのだろうか。

 物珍しく棚の中を見ていると、灰色をした女性はちりちりとベルを振った。奥の棚の間から、黒い動物の面を付けた黒い人間が、ぬっと顔を出した。

「……おや? いらっしゃい」

 只の収拾物とも思われたが、この棚の物は売り物のようだ。その言葉は店にいる人間が口にする言葉だ。

 長身の青年は出された椅子に座り、性別のわからない変な動物面と机を挟んで向かい合った。獏は化物のような容姿ではなく、面を被っているだけで普通の人間のように見える。

「ここはあんまり寒くないんだな」

 開口一番出てきたのは、気温についてだった。マフラーを巻くほど寒かったはずなのに、灰色の女性に連れられて来たこの街は、マフラーが必要なほどではない。まるで突然違う国に来てしまったようだった。

「ここは時間が止まってるから、季節もないんだよ」

 動物面は頬杖を突き、かくりと首を傾ける。

「じゃあ雪も降らないのか」

「うん。降らないよ」

「じゃあもうすぐクリスマスってこともわからないか……?」

「それは知ってるよ。何故かって、僕をサンタクロースと勘違いした子供達の願い事が届き過ぎて困ってる所だからね」

「それは大変だな」

 全くの他人事だが、サンタクロースの気持ちはわからない。だが願いたい気持ちはわかる。

「俺は獏に会いに来たんだが、合ってるよな?」

「合ってるよ。君の願い事は何かな?」

 頬杖を突いたまま、獏は事務的に促した。

「クリスマスの日が、俺が彼女と付き合って丁度一ヶ月なんだ。何を渡せばいいと思う?」

 青年は極めて深刻な顔で、ごくりと唾を呑んだ。

「友達にでも相談すればいいんじゃない?」

 獏は聞くや否や一蹴した。

 ティーカップを持った灰色の女性が台所を一歩出た所で動きを止めた。

「そうしたいのは山々なんだが、生憎俺にはそういう相談ができる友達がいない。彼女がいることを妬むような奴ばっかりだ」

「ああ……自慢して回ったんだね」

「そこで噂を耳にしたんだ。何でも願い事を聞いてくれる獏がいると」

「そもそもこれは願い事なの? 僕にプレゼントの内容を決めてほしいってこと?」

 尤もな言葉だったが、獏が一番的確な答えをくれそうな気がしたのだ。それに縋りに来たのだ。

「それが俺の願いだ」

 青年は真摯に頭を下げた。本当に困っているのだろうと、獏も灰色海月に目配せする。子供達のようにプレゼントを要求するのであれば帰ってもらう所だが、決めてほしいだけならば断りはしない。灰色海月はカップをそれぞれの前へ置き、獏の傍らへ下がった。

「そういうのはどういう物であれ、君が考えて贈るのが一番喜ぶと思うけどね」

「この通りだ」

「考えてはみるけど、僕はプレゼントなんてしたことがないからね」

「え……」

 青年は眉を顰めて哀れむような目で獏を見た。

「そんなに驚く?」

「あ……いや、相談する相手を間違えたのかと……」

「そう思うなら願いを取り下げても構わないよ」

「……相談できる人がいないので、よろしくお願いします」

 切実に頭を下げる青年に獏も苦笑し、紅茶を面の下に潜り込ませて口を付けた。

 街の中では寒くはないが外で冷えていたので、青年も熱い紅茶を飲んだ。体が温まる。

「願いを叶えると代価を貰うんだけど、君の心の柔らかい部分を少しだけ貰うね」

「心……? 心を奪うってことか……? 廃人にする……じゃないよな?」

「そこまではしないよ。僕の言う心って言うのは感情や記憶のことで、ほんの少しだから」

「記憶は心と言うより、頭な気がするが……」

「そこは繋がってるからね」

「じゃあどうでもいい記憶を渡せばいいってことか」

「ふふ。願い事は相談だけみたいだから、それでいいよ」

 柔和に笑う獏を見て、漸く青年の緊張も解れてきた。もっと怖い存在なのではと警戒もしていたが、親身になってくれそうで良い人のように見えた。動物面は表情が見えず不気味ではあるが、少なくとも声は透き通っていて怖い印象はない。女性ではないのだろうかと思う。女性ならば、女性が貰って嬉しい物もわかるだろう。

「早速だが、何か良い物は?」

 ここからが本題だと、青年は身を乗り出した。獏は少し考える仕草をする。

「僕は君の彼女のことは何も知らないけど、好きな物とか、日頃から欲しいと言ってる物とか、何かある?」

「いや特には……。大人しい性格なので言ってくれなくて」

「じゃあ身に付けてる物から好みを探ろうか」

 獏は頬杖を解いて紅茶を飲む。青年は彼女の姿を思い浮かべた。

「まず定番だけど、アクセサリーは付けてる? 首、手、耳、髪、何処でもいいよ」

「付けてないな」

「飾り物は好まないのかな? じゃあクリスマスだし、ディナーのプレゼントとか?」

「あいつ、出不精なので……」

「そうなんだね。じゃあ当日も家でデートかな?」

「そうなるかと。同棲してるので」

「同棲してるの!? それ先に言ってほしかったけど!」

 飲んでいた紅茶を咳込みそうになり、獏は慌てて口元を押さえた。なかなか人間味のある反応だと青年は思った。

「先に言ってたら何か違うのか?」

「全然違うよ。もっと初々しい感じを想像してたからね……」

「初々しいですよ」

「……とにかく、同棲してるなら、家で使うような物でもいいのかな。お揃いは……新婚みたいだから違うかな……?」

「お揃いの物は持ってないな。考えておきます」

「飾り気がないなら消耗品とか、食べ物とか、記念日だし花でもいいかな。百本の薔薇の花束とか。それとも、いつまでも形に残る物がいいの?」

「そこに俺は拘りはないな。百本の花束って邪魔にならないか? 花瓶もないし」

「現実的なことを言うね……。クラゲさんは女性としてどう?」

 傍らで耳を傾けていた灰色海月は、話に上がったプレゼントを想像してみた。

「私としてはどれも興味があります。どんな物なのだろうと」

「じゃあ僕がクラゲさんに何かあげるとしたら、何が欲しい?」

「高くて買えなかったティーカップが欲しいです」

 割れたティーカップの代わりの物は買ったと以前言っていたが、他にも欲しい候補があったらしい。あまり高価なカップを、割られる心配のある場に出したくはないが、単純に灰色海月はティーカップが好きなのだろう。台所の棚にも充分に足りるティーカップが並んでいる。確かに柄も形も少しずつ違って置いておくだけで絵にはなる。

「ティーカップか……それは持ってないな。マグカップしか」

「もう少し君の彼女の好みが知りたい所だね」

 今の所、好みに関する情報が全くない。好まないだろう、という情報しかない。

「好みが出る物は判断が難しいけど……可愛い物が好きなら、ぬいぐるみとか……」

「ぬいぐるみは有りかもしれない」

「あっ、そういう感じの人?」

 漸く目ぼしい情報が出てきて獏は安心した。

「大人も欲しくなるようなぬいぐるみもあるし、いいんじゃないかな?」

「持ってはいないんですが」

「持ってないの!? 好きな人は結構持ってない? ぬいぐるみ」

「そうなのか?」

「一応僕はこういう店を開いてるから物に対しては関心はあるんだけど、好きな物って集まってきてしまうと思うんだよね。同じような物でも自然と増えていくと言うか。だから全く持ってないってことは、興味ない可能性があるね」

 灰色海月もティーカップを並べているし、と獏は心の中で頷く。

「ああ……。参考になる。この棚の物を見た時は、相談していいのか不安になったが」

「どういう意味なの?」

 青年は意に介さずと紅茶を飲み干した。

「……現実的な物だったら、この時期だと寒いしマフラーとか手袋でもいいんじゃない?」

 獏は不服そうに紅茶を啜りながら投げ遣り気味に言う。

「そうか……それでもいいのか」

「いいの?」

「彼女、冷え性なので」

「じゃあ丁度いいかもしれないね」

「温かいマフラーを贈ります」

 情報がほぼ無く無難な候補しか挙げられなかったが、何とか決めてもらえたようだ。プレゼントとは難しいものだ。

「それじゃあ願いは叶えたってことで」

 紅茶を飲み干し、獏は動物面に手を掛けて身を乗り出した。

「お望みの代価はある?」

 青年は少し黙って考え、思い付いたことを口にした。

「俺が一人で考えたってことにしてほしい」

「あー……はいはい」

 折角の交際一ヶ月記念とクリスマスのプレゼントを他人に決めてもらったと記憶しているより、自分一人で頑張って決めた方が物にも愛着が湧くかと獏も納得する。

「じゃあ、僕が案を出したって記憶は食べるね」

 青年の綺麗な目を手で塞ぎ、口付け――ようとして、獏はぴたりと止まった。

「街の中だから杖が使えるんだった」

 青年から手を離し、懐から透明な石が付いた杖を取り出す。

 伸ばして先端の石を青年の額に当てると光り出した。それを、つい、と掬い取るように引き上げる。

「はい、お終い」

「……これでいいのか?」

「うん。クラゲさん、元の場所に送ってあげて」

「はい」

 灰色海月は頭を下げ、机を回り込む。

 獏は指で輪を作り、青年に向けた。

「ねえ、僕からも少し、クリスマスのプレゼントしていいかな?」

「何かくれるのか?」

 獏は机に紙幣を置き、青年の前に出した。

「僕はここから出られないから君に買って来てもらうことになるんだけど、折角のクリスマスの食卓は華やかでないとね。これで当日、花を買うといい」

「これでは薔薇を百本も買えないが?」

「百本じゃなくていいし、薔薇じゃなくてもいいよ。その子にはきっと花が似合う」

「確かに女の子に花はいいな。ありがとうございます」

 紙幣を受け取り、灰色海月に付き添われ青年は店を出た。

 暫くドアを見詰めた後、空のティーカップに杖の先を当て、霧のように代価の記憶を注いだ。それを飲みながら台所へ行くが、あまり美味しくはなかった。不満そうに眉を寄せて台所へカップを置き、獏は再び席に着く。

 同時にドアが開き、灰色海月の後ろから先程とは別の青年が入ってきた。

「椅子にどうぞ」

 灰色海月が台所へ行ってからも呆然と立っているので、椅子を勧める。青年は周囲の棚を見回していたがハッとし、慌てて座った。

「ばっ……獏っていうのは、貴方ですか……?」

「うん。僕が獏だよ」

 人差し指と親指で輪を作り、首を傾けながら青年を覗く。

「願い事は何かな?」

「願い事と言うか……」

 青年は困ったように目を伏せた。横から視界に入ってきた紅茶を一瞥し、黙り込む。

「君が言いたいことを言えばいいよ。願い事じゃなくても折角ここまで来たんだから、話は聞くよ」

 紅茶を啜る獏を顔を伏せたまま一瞥し、自分の前に置かれた紅茶を見る。不安そうな顔が映り込む。

「……願い事……なのかわからないんですが、友達が……妄想が酷くて」

「妄想?」

「彼女ができたって言ってて、それで同棲するからと、オレが部屋を出ることになって。……あ、ルームシェアしてたんです。家賃とか負担が少なくなるので……」

「それは大変だったね。新しい部屋は見つかった?」

「あ、いえ……今は実家に……。それで、その後はオレの荷物を取りに行ったり、何回かそいつの所には行ったんですけど、無いんです」

「無い?」

「靴が……そいつの靴しか無くて。彼女はいつも出掛けてるのか、会ったことなくて」

「それは確かに……出掛けてるとしても、靴を一足しか持ってないってことはおかしいのかな? でも本当に一足しか持ってないのかも?」

「オレもそこはわからなくて……食器は彼女の分もちゃんとありました。でも、無かったんです」

 獏は黙って先を促した。今度は何が無いのだろうかと、次の言葉を待つ。

「ベッドが、あいつの分しか無くて」

「同じベッドで寝てるんじゃない? 狭いかもしれないけど」

「なっ、そ、そうなんですかね……? そうなのか……」

 俯いたままカップに手を遣り、映り込んだ顔が掻き消えた。

「じゃ、じゃあ、歯ブラシが無いのは? まさかこれも共有……なんてしませんよね?」

「随分疑ったんだねぇ。でもそうだね。それは確かに共有しないかな」

「だから彼女は妄想……ですよね?」

「妄想なのか、君を追い出したい口実のための嘘だったのか」

「家事はちゃんとしてましたよ! 当番を決めて……」

「それで、それが本当に妄想だとして、君はどうしたいの?」

「どう……」

 緊張で口の中がカラカラに渇いてしまった青年は、見下ろした紅茶を飲んだ。

「目を覚まさせて、ルームシェアを再開したいの?」

「何か悩みがあって妄想に取り憑かれたんなら、気付かなかったオレにも責任があるのかもしれないと思って……」

「気付かなかったんなら、気付かせたくなかったのかもね」

「…………」

 黙ってしまう青年を紅茶を啜りながら見守るが、次の言葉は紡がれなかった。考えているのか、話はもう終わりなのか。獏はカップを置いて指を組む。

「妄想から目を覚まさせたいって言うのが、君の願い事かな?」

「あ…………はい……そう、かもしれないです」

 少し歯切れが悪いが、悩みがあるならそれに気付けなかった自分を責めているのだろう。友達としては良い奴なのかもしれない。

「じゃあ叶えてあげる。けど、そんなに思い詰めるなら、ちゃんと現実を見て対話しないとね」

「はい……悩みがあるなら、聞きます」

 青年は紅茶を飲み干し、強く頷いた。遣る気があるのは良いだろう。

「じゃあ日取りを決めようか」

「日取り? ……あ、はい」

「ルームシェアしてたんなら、合鍵はまだ持ってる?」

「はい。持ってます」

「なら大丈夫かな。もうすぐクリスマスだから、ケーキでも持って家に行ってごらん。クリスマスにケーキは付き物だからね。留守でも構わないで、部屋に入って待ってるといい。びっくりするかもしれないけど、甘い物を食べてゆっくりと話すといいよ」

「クリスマス……」

「予定でもあった?」

「……いえ、大丈夫です」

 青年は立ち上がり、直角に深く頭を下げた。

「ありがとうございます。そうしてみます」

「頑張ってね。――クラゲさん、送ってあげて」

 灰色海月は一礼し、頭を下げたままの青年を促す。これだけ思い詰めて友達のことを考えるなら、獏の言った通りにするだろう。

 紅茶の残ったカップを持ち、台所へ処分しに行く。もう続けて依頼者が来ることはないだろうと、席には戻らずカップを洗っておく。

「ありがとうございます。カップ……」

「おかえり、クラゲさん」

 水を切り、タオルを持つ灰色海月にカップを手渡す。

「代価の話をしてませんでしたが、忘れたんですか?」

「忘れてないよ。ただ代価は必要ないってだけ」

「え?」

 拭いたカップを見下ろし、手が止まる。代価がいらないのなら、刻印の紅茶も必要なかったのではと思う。飲みはしたが、代価が必要ないのならあの青年に刻印は施されていないはずだ。

「タダ働きですか?」


「だって妄想なんて、ないんだから」


 灰色海月は理解ができず、思考が一時停止してしまった。現実を見ろとは、そういう意味だったのか。

「彼女なんていないという妄想……だったってことですか?」

「妄想は言い過ぎかな? 一度疑うと、確たる証拠がないとなかなか信じられないよね」

「ではクリスマスを選んだのは……鉢合わせるためなんですか? きっと彼女の方も一緒にいますよね?」

「そうだね……どうなるかは、わからないけどね」

 どうなるかわからないというのは不安な言葉だったが、灰色海月はカップを棚に仕舞うことしかできなかった。この獏には指の覗き窓からどのくらいの物が見えたのか、彼女には推し量れなかった。



 クリスマスの当日は冷え込み、ちらほらと雪もちらつく空模様だった。濁った空が重苦しい。積もることはなさそうだが、冷え切った手を擦り合わせた。

 青年は獏に言われた通り、ケーキを買った。折角のクリスマスなのだからケーキ専門店のホールケーキが良いのだろうかと思ったが、財布の中を見てコンビニへ行った。

 その足でルームシェアをしていた友達の家へ向かう。つい一ヶ月程前までは自分の家でもあったので、変な感じだ。

 小さなマンションの前に立って見上げ、よし、と頬を叩いて気合いを入れた。頬も手も冷え切っていて、少し痛みを感じた。

 慣れた足取りで部屋まで行くと、ドアには鍵が掛かっていた。留守でも構わずと獏は言っていたので、構わず合鍵で中に入った。部屋は暗く、しんとしていた。友達の靴は無かった。出掛けているらしい。彼女の靴も相変わらず見当たらない。妄想なので当然か。

 明かりを点けて部屋に入ると、机の真ん中に水の入ったコップが置かれていた。覗き込んでみるが、何の変哲もない只の水のようだった。

(寒いけどいつ帰ってくるかわからないし、一応冷蔵庫に入れておこうかな)

 手に提げたケーキを見下ろし、台所へ向かう。台の上が目に入り、一瞬足が止まってしまった。

(洗ってない食器……じゃないな。クリスマスの準備か……?)

 皿やマグカップが既に棚から出されて置かれていた。彼女の分なのか、きちんと二人分用意されている。ということは、チキンでも買いに行っているのかもしれない。それも二人分なのだろうか? 妄想の彼女は食べないはずだが、現実をわかってもらえたら、捨てるなら自分が食べれば良いと思った。

 コンビニの袋からケーキを取り出し、冷蔵庫を開ける。冷気が外へ流れる。

 青年の手から力が抜け、ケーキが滑り落ちてぐしゃりと床に落ちた。

「――っ、あ、うわああアア!」

 開いた冷蔵庫の扉の陰から、濁った目をした知らない少女が現れた。虚空を見詰めながら膝を抱えている。学生服の少女の腹は赤黒く染まっていた。

 青年は尻餅を突き、がちがちと歯を打ち鳴らした。足に力が入らない。腰が抜けた。

 少女の首にはぎこちなくマフラーが巻かれていた。いつからこの中にいたのか、青年が最後に冷蔵庫を開けたのは、この部屋を出て行く前のことだった。どう見ても死体だ。開け放たれた冷蔵庫の扉が警告音を発するが、そこに手を伸ばす勇気はなかった。

「あ……あ……」

 これを友達の青年が知らないはずがない。これを知っていて、彼は――。

 背後で、みし、と床を踏む音は、自分の震えと冷蔵庫の警告音で掻き消え、耳には届かなかった。

 手に薔薇の花を二本持って、その長身の影は座り込む青年を感情の無い冷たい目で見下ろしていた。

 死体にはきっと花が似合うことだろう。


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