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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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112-選択


 それはとてもふわふわしていて、何も掴めなかった。

 意識が朦朧として、その中で何かに導かれるようだった。

 誰もいない空間の中でぼんやりと、何も見えない空を見上げる。霧でも掛かっているかのように何も見えない。

 それを可笑しいとは思わなかった。何が正常なことで、何が『普通』なのか、それを考えることすら浮かばなかった。まるで頭が無くなってしまったかのようだった。

 一人で誰もいない何も見えない空間を歩いていると、時折晴れるような空間の揺らぎがある。そこからは手が一本伸び、掌を上に向けて動かない。まるで誘っているようだったが、何も考えることができず、見ている内に手は消える。

 たぶんもう何度もその手を見ている。だが掴むための自分の手は動かず、動かせない。

「…………」

 俯くと、重い白髪が顔を覆う。

「髪が邪魔だよ……鴟吻(しふん)……」

 暫し立ち止まり、何も見えない空を見上げる。

「鴟吻って……誰だっけ」


     * * *


 怪我人とは思えない脚力で廊下を走り、病室のドアを力任せに吹き飛ばす。外れたドアは壁に叩き付けられ呆気無く拉げた。

「おっ……おい! おいおい……! 饕餮(とうてつ)がいなくなっ……ああ!」

 騒々しくも腹を抱え膝を突いて蹲った窮奇(きゅうき)を、病室に集まっていた一同はぽかんと呆れて見下ろした。

「そんな勢いで駆け込んだら傷が開くでしょ……幾ら体力が有り余ってると言っても、贔屓(ひき)みたいに頑丈ってわけじゃないんだから」

 ラクタヴィージャは慌てて駆け寄り、空いている手前のベッドに窮奇を引っ張り上げた。

 あまりの勢いに狴犴(へいかん)と贔屓は言葉を失ってしまう。白花苧環(シロバナオダマキ)秋水仙(アキズイセン)も言葉が出なかった。

「こんなことならレオを行かせなかったわ……」

「いなくなったって……また拉致か!?」

 腹の傷が痛むのも構わず、窮奇は声を張り上げる。とりあえず状況を説明しないと本当に彼の傷が開く。

「拉致じゃないわ。目撃したレオの話によると、饕餮はフラフラと廊下に出てたみたいね。丁度蒲牢(ほろう)が戻って来てて、声を掛けたらすぐに饕餮は消えた。何処に転送したかわからないから窮奇に心当たりを訊いてみるようレオに言ったけど……話をちゃんと聞かずに走って来たのね。蒲牢も慌てて転送したみたいだけど、何処に行ったのやら……」

 手術を終えた秋水仙に聴取を行っている際、急ぎ足で黒色蟹が病室に遣って来たのだ。手術室で掃除をしていた黒色蟹は、覚束無い足取りで饕餮が集中治療室から出ていることに気付いたが、目の前で彼女は消えた。偶然鉢合わせた蒲牢もそれを見て焦った様子で姿を消した。

「それは……自分の意志で何処かに行ったってことか……?」

「状況から見てそうだと思うけど、靴も履かずに出て行くなんて、ちょっとおかしいわよね」

「……靴を買いに行った?」

「不自然でしょ……」

 座ったまま動かない窮奇を寝かせようとラクタヴィージャは肩を掴むが、抵抗して耐える彼を横にさせることはできなかった。あまり力ませると傷に響く。仕方無くラクタヴィージャは手を引いた。

 唖然としていた贔屓も吹き飛んだドアを一瞥し、苦笑しながら窮奇のベッドへ歩み寄る。心配する気持ちは理解できるが、自分の体も顧みてほしいものだ。贔屓は自分のことは棚に上げた。

「一見自らの意志による行動に見えるが、(しん)の先例があるからな。蜃のように菌糸で何かされていた可能性はあるか?」

 饕餮の死は確かに感知したのに何故動くのかと疑問はあるが、花魄(かはく)の能力のように死体が操られているのかもしれない。菌糸が動かせる対象が明確には定かではない。

「わからない……。でも、嫁は攫われた先で何かされたが、饕餮は攫われてない。渾沌(こんとん)には会ってない」

「では転移する可能性はあるか?」

「転移?」

「蜃と同室にいた饕餮に、蜃が受けた菌糸とやらが移った可能性があるかどうか」

「……!」

 目を見開いて顔を上げるが、窮奇に心当たりは無かった。渾沌の力を全て把握しているわけではない窮奇には、答えることができない問いだった。

「ラクタには移っていたからな。自然に移る物なのか遠隔操作で移しているのか、どちらかはわからないが」

「もし菌糸が転移するものだったら……饕餮は渾沌の所に行ったのか……?」

「それは僕にはわからない。だが、もし饕餮が渾沌に招かれたとして、その使い道は何だ? 饕餮の力なら僕も把握している。饕餮は物理的な攻撃を得意とする。蜃のような特殊な能力じゃない。わざわざ引き込む理由は何だ?」

「饕餮は……」

 窮奇も考えるが、納得できる答えは浮かばなかった。贔屓の言う通り、饕餮には特殊な能力は無い。単純に物理的な力が強く小回りが利く、それだけだ。……或いは贔屓や窮奇の知らない能力があるのか。

「オレにはわからない……」

「……そうか」

「いや、今は頭を回すより、捜さないとだろ! 誰か居場所の特定はしてねーのか!? これだけ人数がいて進展が無いとは言わねーよな!?」

「…………」

 窮奇の問いには誰も答えられず沈黙が流れた。つまり進展が無い。窮奇に行方を尋ねようとした時点で居場所がわからないと言っているようなものなのだが、彼はそこまで頭が回らなかった。窮奇は苛立ってベッドを殴り、発条(ばね)が悲鳴を上げるように軋む。

「何で何も進んでねぇんだよ! なあ!? お前らっぶっ」

 普段なら避けられないはずがない攻撃を頭に受け、窮奇は我に返る。ぼとりと落ちた枕に目を落とした。

「煩いわよ! そんなに言うならあんたが捜しに行きなさいよ! 足が二本あるでしょうが!」

「お……おう……」

 声を上げられ、漸く隣のベッドに変転人が横になっていることに窮奇は気付いた。獣の方ばかり見ていて、ベッドの上に転がっているものに意識が向かなかった。変転人は獣に従順で逆らうことはなく、況してこのように怒鳴ることはない。はずだ。見知らぬ変転人に突然叱咤され窮奇は途惑いを隠せなかった。

「な、何だこいつ……」

「秋水仙だよ。仲間を殺され、腕も潰され、気が立っているんだろう……」

 贔屓に宥められ、秋水仙は舌打ちした。『気が立っている』では説明しきれない態度だ。獣に恨みでもあるのだろうかと勘繰ってしまう。……いや恨みと言うなら檮杌(とうごつ)がそうだろう。

「こいつの腕、檮杌に遣られたのか?」

 秋水仙の右の袖に中身が無いことに気付き、窮奇は彼女が枕を投げ付けたことを許す――はずがなかった。

「腕以外は無事らしいな!」

 枕を投げ返し、身動きの取れない秋水仙の顔面に勢い良く直撃した。腹が痛むため本気は出していない。

「二人共……病院内で暴れたら、食事抜きにするわよ」

 二人ははっとする。医者が病室にいることを失念していた。腕を組んで睨み付けるラクタヴィージャの目は笑っていない。医者だけは怒らせてはいけない。秋水仙は出しかけた手を戻し、窮奇もそろそろと手を下げた。

「窮奇の焦る気持ちはちゃんと皆わかってるから。(ばく)が今、調査してるわ」

「獏が……? 一人でか?」

「渾沌の菌糸の影響を受けても、罪人なら烙印があるから御せる――よね? 贔屓、狴犴」

 贔屓と狴犴は頷くが、贔屓は浮かない目をしている。獏を盾にするしかなかったことに歯痒い気持ちがある。情状酌量の余地が無い極悪な罪人なら、まだ胸に痞えることも少ないだろうに。

「檮杌と渾沌が揃ってたら、獏一人じゃ無理だろ……」

「居場所を特定するだけ、と言ってある」

「無駄死にするぜ、あいつ」

「何故言い切れる?」

「檮杌は馬鹿だが攻撃範囲は意外と広い。近くに気配がないからって、安心できない」

「確かに僕が直撃を受けた時、気配は感じなかった」

「……お前……何で直撃でぴんぴんしてんだよ……」

 驚くと言うより呆れる。檮杌の攻撃を受けて頭も体も潰れず損なうことなく付いているなんて、窮奇には初めて見るものだった。やはり贔屓は嫌いだ。


「――苧環!」


 骨は折れていると説明をする贔屓の横で珍しく狴犴が声を上げ、そちらを向くも白花苧環は黙ってドアを失った病室を飛び出す所だった。そして彼は制止を聞かず白い傘をくるりと回す。瞬時に姿を消した彼を追うため狴犴も杖を召喚するが贔屓はその杖を押さえ、はらりと頭上に紙片が一枚降ってきた。

 紙片を空中で抓み、書かれた文字を見た贔屓は狴犴の目の前に翳して見せる。

「鴟吻からだ」

 そこには慌てたように走り書きで『待って』と書かれていた。

「何を待てと……? 苧環は獏の所へ行ったんだろう。危険を伝えるために。それは危険に接近することになる。止めなければ」

 ここまで狴犴が取り乱すのは珍しい。眉根を寄せて贔屓の手を振り解こうとする。

「落ち着け、狴犴。君は苧環の居場所がわかるのか? 鴟吻が見ているなら居場所がわかる。当てずっぽうに行動しても時間を無駄にするだけだ」

「…………」

 常に表情を変えず平静を保つ狴犴だが今は焦りを滲ませ、落ち着きなく視線を泳がせる。焦りは判断を鈍らせる。贔屓の言うことは尤もだ。踏み止まる冷静さはまだ残っている。

 然程待たずして廊下を駆ける二つの足音が近付いてきた。次の紙片を待っていた一同は、壊れた出入口から怖ず怖ずと顔を覗かせた幼い少女に目を丸くする。それは随分と久しい、魚のような尾を生やし、淡い桃色の長い髪を二つに束ねた獣だった。

「鴟吻……まさか出て来るとは思わなかったよ」

「……紙では伝えきれない気がしたので」

 宵街を去ってから、彼女が兄弟達に姿を見せるのは初めてだった。化生前と殆ど変わらない幼い姿の少女は俯く。化生の記憶は無いが、兄弟で唯一幼い子供の姿をしている鴟吻は、今もまだその姿を見られることを嫌がっている。

 その後ろに黒い少年――黒種草(クロタネソウ)が立ち、以前のように獣達を睨み付けた。

「鴟吻に何かしたら殴るからな」

 鴟吻の許で彼女に付き従っている黒種草は、譬え同じ黒所属でも秋水仙のことを知らない。鴟吻以外は全て敵だとでも言うように睥睨する。しかし『殴る』のは遣り過ぎだ。鴟吻の魚のような尻尾が、窘めるように黒種草の尻を打った。

「……饕餮が手術室から出たから、見えるようになったの。だから見てみたら……何だか騒ぎになってて。贔屓に頼まれてた人捜しもまだ達成できてないのに、しゃしゃり出るべきじゃないんだけど……」

「いや、鴟吻が来てくれて良かった。巻き込みたくはなかったが……探し物で鴟吻に敵う者はいないからな。ありがとう」

「い、いえ……そんな……」

 贔屓の脳裏には罪人に襲われた鴟吻が過ぎり僅かに表情を曇らせるが、礼を言われた鴟吻の尾は無意識に嬉しそうにぶんぶんと振られ、往復の度に丁度良い位置にいる黒種草が叩かれた。

「久し振りね、鴟吻。何百年ぶり? 相変わらずそうで良かった」

「ラクタ……」

 鴟吻は漸く躊躇いながらもドアの無い部屋に入る。鴟吻とラクタヴィージャは仲が良いのだ。鴟吻はよくラクタヴィージャに背が伸びる薬はないかと相談していた。

「そうだ、鴟吻。もしかして狴犴が変な薬を渡された現場を目撃とか……してない?」

「え? 変な薬……? ……ごめんなさい、常に皆を見てるわけじゃなくて……」

 鴟吻の千里眼は同時に複数箇所は見られない。贔屓のことばかり見ていたとは口が裂けても言えなかった。

「そ、それで……あの、私は……」

 すぐに話題を変えなければと鴟吻は本題に戻す。今優先すべきは飛び出して行った者達の行方だ。

「遠くが見えると言っても、一箇所ずつしか見えないので……」

 皆の頭にはそれぞれ違う人物が浮かんでいる。それぞれの優先する人物は異なる。

 各々が口を開こうとした時、贔屓は素速く杖を召喚し圧を掛けた。強制的に皆を黙らせる。

「鴟吻、檮杌を捜してほしい」

「贔屓……!」

 贔屓の肋骨は軽傷の骨でもまだ罅があるが、首に下げている小さな杖で薄い殻を作り補助して杖を召喚することはできる。しかし無茶はできないため、軽い圧だ。

 力で黙らせようとする贔屓に、過去の口論の時のように狴犴は彼を睨んだ。

 鴟吻はびくりと硬直し、黒種草の陰に隠れる。自分が出て来てしまったことで、また二人が争ってしまうのではないかと小さな指先が震えた。漸く再び顔を合わせることができた二人が、また距離を置くようになるのではないかと不安が襲う。

「狴犴が優先したいのは苧環だろう? 窮奇は饕餮を優先したい。どちらも理解している。だからこそ冷静に考えろ。苧環が追ったのは獏だ。獏は檮杌を捜している。饕餮は何処へ行ったか不明だが、危険があるのは渾沌の許へ行った場合だ。檮杌と渾沌は合流を考えている。ならば檮杌を捜し出せば全員に辿り着ける」

「確かにお前の言うことは筋が通っている。だが獏が檮杌ではなく先に渾沌に接触した場合、檮杌に目を向けていれば手遅れになる。この場合、優先すべきは獣ではない苧環だ。変転人は獣に敵わない」

「苧環は半獣だ。他の変転人とは違う。現に檮杌に一矢を報いている」

「それは鉄線蓮(テッセンレン)の制止があったからだろう。止める者がなければ檮杌は力を行使する。お前も攻撃を受けたのだろう? 躱すのではなく。苧環は半獣と言えど完全には獣ではない。お前のように耐えることはできない。獏の足のように潰れるだけだ」

「檮杌を野放しにしている方がまた犠牲が……いや、待て。このままでは過去の二の舞になりそうだ。僕が何を言おうと君は不満なんだろう。第三者に決めてもらうのはどうだ? それで何が起こっても恨むな」

 第三者と聞き窮奇は立ち上がろうとしたが、二人の視線は鴟吻に向けられた。

 口を挟む余地の無かった窮奇は、贔屓と狴犴の言い分はどちらも正しいように聞こえた。それで饕餮を諦めるわけではないが、言い伏せることができる反論の言葉も浮かばなかった。贔屓のように力を行使し全員吹き飛ばして這い蹲らせても良いのだが、窮奇は鴟吻と仲が良いわけではない。吹き飛ばして彼女に言うことを聞かせられるかわからない。

 白羽の矢が立った鴟吻は水から揚げられ息絶えた魚のように尾を下げ、顔を蒼白に染める。どちらを優先しても遺恨があるだろう。

「……おい。鴟吻を追い詰めるな」

 怯える鴟吻の途惑いを感じ取り、黒種草は低い声で牽制した。

「本当に碌でもないな、この兄弟共は。俺が決めてやる。平等に、籤引きでな」

 贔屓と狴犴は眉を顰め、窮奇も息を呑んだ。それは確かに平等だが、生死を運に委ねることになる。決められなかった代償が運では遣る瀬無い。

「今出た名前を籤にする。紙は幾らでもあるからな」

 紙片とペンを取り出し、黒種草は早速名前を書き出す。

 妙なことになってしまった。贔屓と狴犴は苦り切った表情で黒種草の手元を見る。黒種草が止めなければ、怯える彼女の心情に気付かなかっただろう。宵街を去ってから彼女の一番近くにいたのは黒種草だ。彼の方が鴟吻の変化に敏感だった。

 ペンを滑らせた文字の僅かな凹みで引き当てられないかとか、(いん)を使えないかとか、二人は策を練った。こんなことをしている時間が惜しい。

「――よし、書けた。それじゃ、引くからな」

「…………」

 何故自分が籤を引けると思ったのだろうか。贔屓と狴犴には籤を触らせず、黒種草が籤を引いた。

 小さく折られた紙片を広げ、黒種草はぴくりと眉を動かす。一同は息を呑み、静寂の中で結果を待った。

「厳正な籤引きの結果――優先するのは、饕餮だ」

「!」

 何だか妙なことになっているが付いて行けずにぽかんとしていた窮奇は、まだ頭が追い付かないがベッドの上で両腕を上げた。成り行きを見守っていたラクタヴィージャは掛ける言葉が無く、秋水仙も馬鹿馬鹿しいと呆れた。

 愕然とする贔屓と狴犴を黒種草は鼻で笑い、籤を丸めてゴミ箱に投げ捨てる。

「良い教訓になったな、兄弟共。争って得られるものなんて何も無い。争った後にあるのは得たものじゃなく、残されたものだ」

 黒種草は鴟吻へ手を遣り、鴟吻は途惑いながら贔屓の顔を窺う。沈黙が流れたため鴟吻は黒種草の手を握った。鴟吻の千里眼は遠方を見る時は近辺が見えない。そのため人の多い場所では信用できる者の手などを握り、安全を感じ取れる状態を作るのだ。鴟吻は杖を握って目を閉じ、静かに視界を切り替える。

「戦わずして勝つとはこのことか……」

 窮奇は傷の状態を確かめながらそわそわと待った。

「……私は先に行く」

「何だ狴犴、負け惜しみか?」

 鴟吻の報告を待たずに足で捜すのかと窮奇は訝しげに尋ねるが、贔屓は思惑にはっと気付いた。

「罪人を辿るなど虫唾が走るが、烙印の位置は把握可能だ。苧環が獏と接触しようとしているなら、獏を捕まえればいい」

 死角で杖を構え即座に転送しようとする狴犴に、贔屓は再び圧を掛けた。

「駄目だ。狴犴は宵街にいろ。君が呑んだ薬の力は少量のようだが、渾沌に出会し本格的に菌糸を植え付けられたらどうするんだ。統治者が洗脳なんてされたら滅茶苦茶になる」

「それは理解している」

「理解しているなら行くべきじゃない」

「ではどうしろと言うんだ」

 統治者が洗脳されれば滅茶苦茶になる。だが大人しく待つことはできなかった。自分なら追えると言うのに、また苧環に手が伸ばせないのは狴犴には耐えられなかった。

「僕も獏の烙印なら辿ることはできるが……。蒲牢が気付いてくれればいいんだが」

 何とか杖を召喚できてはいるが、力の伝達が充分では無い。あまり無理をすると杖が折れる。それは肋骨の骨折を意味し、杖の召喚も完全にできなくなる。

 罪人の烙印は位置を把握するための物でもあるが、地下牢から脱出できる者はいない。故に忘れられた機能である。蒲牢は勘が働くが、思い出してくれる保証はない。

「自らの失態で足を取られては世話が無い……。統治者の立場が枷となるなら、こんな身分――」

「狴犴」

 贔屓は杖を狴犴の鼻先に突き付け言葉を遮った。感情を殺した赤褐色の瞳が鋭く彼の目を見詰める。

「変転人の前で言うことじゃない」

「…………」

 狴犴は贔屓の目を見て杖を下げ、無言で病室を出て行く。その手に杖は無かった。

 宵街の長である獣が変転人の前で不安を煽る弱音を吐くことは許されない。秋水仙と黒種草は意志が強く不安な顔はしないが、途惑いはその目にあった。

 少しは頭が冷えてくれれば良いのだがと思いつつ、贔屓は杖を仕舞う。渾沌達の狙いは宵街を掻き回すことなのだろうか。


実際に私が籤を引いて決めました。

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