表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

108/124

108-信仰


 時は少し遡り――負傷した贔屓(ひき)をレントゲン室へ見送った狴犴(へいかん)は、自分の病室に戻る前に病院を彷徨っていた。現在は問題は起こっていないが、統治者が入院しているとそろそろ噂が流れてもおかしくはない。最上階の病室に居ると他の階の様子がわからないため、他に入院患者が居るのか確認しておく。噂が流れるとすれば、同じ入院患者から流れる可能性が高いはずだ。

 その中で(ぬえ)が入院しているらしいと知った。少し考えたが、彼女にはまだ会わないことにした。彼女が狴犴に会う気があるなら、疾うに病室を訪れているだろう。

 彼女以外は入院している者はいないと知り、狴犴は自分の病室へ戻ろうとした。その道中で慌てたように階段を駆け上がる蒲牢(ほろう)と鉢合わせた。

「……あ」

 急いでいるようなので道を空けようとした狴犴は、蒲牢にがしりと腕を掴まれた。

「君に用がある」

「……何かあったか?」

「とりあえず病室に……こんな所で話していい内容じゃない」

 狴犴は首を捻りながらも促されるまま病室へ戻った。ベッドに腰を下ろせるならそれは願ってもないことだ。

 誰もいない病室に戻った二人はベッドに向かい合って腰掛け、蒲牢は忙しなくきょろきょろと辺りを見渡した後、狴犴の隣に座り直した。そのまま神妙な顔をして聞き取り難い小声で話し出すので、狴犴は怪訝に思いつつも耳に神経を集中させた。

「……狴犴。君や他の兄弟が龍じゃないってことは、迂闊に話してはいけない」

「…………」

「龍は……獣の中でも凄い存在らしくて、龍生九子が龍じゃないと知られれば暴動が起きるかもしれない……」

「暴動が起こるかは知らないが、龍の(くだり)は知っている」

「え……?」

 予想外の言葉が返され、蒲牢はきょとんとしてしまった。

「龍は……凄いって……」

「自分は凄いと言いたいのか?」

「そうじゃない……。君のことも龍だと思ってるから、獣は大人しくて……」

「逆に訊くが、蒲牢は龍について知らなかったのか?」

「? ……裏切られた気分だ……」

 蒲牢は俯いてとぼとぼと向かいのベッドへ戻った。大変な事実が発覚したと慌てて治療室を飛び出したというのに、当の狴犴は何てことはない、既知だと言う。贔屓ももしかしたら知っていたのではないかと蒲牢は急に疑念を抱き始めた。

「落ち込ませたなら謝ろう。私が龍について調べたのは蒲牢が宵街を去った後だ。共有したくとも行方を知らなかった」

「……別に、落ち込んでないけど。何で調べようと思ったんだ?」

「あまり他言するものではないが、兄弟なら構わないだろう。睚眦(がいさい)の体調が理由だ」

 睚眦は龍生九子の中でたった二人だけの、蒲牢と同じ龍属だ。体調が悪いなんて話は聞いたことがなかった。尤も蒲牢は宵街から離れていたのだから、宵街にいる睚眦の様子など知る機会は無かったのだが。

「まさか龍しか罹らない病気が……?」

「それは知らないが、個体差はあるからな。睚眦は力のガス抜きをしてやらないといけないらしい。蒲牢はどうだ? 力が暴走することはあるか?」

「無い……と思うけど」

「睚眦はどうやら力が常に湧いてくる体質らしい。頻度は高くはないが、力を溜め込み過ぎて目を回したことが何度かある。その度に酷い雷雨が起こってな……罪人の拷問でガス抜きをさせているんだ。拷問は過度になることもあるが、罪人なら心が痛むこともない。好きにさせている」

「……椒図(しょうず)も拷問したって聞いたけど」

「許可は出したが、あの時は随分と溜まっていたらしい。少々遣り過ぎだと私も思っている。だから反省させた」

 雲を操る龍ならば、具合が悪くて悪天候を作り出すこともあるのだろう。蒲牢は睚眦とあまり話したことはなく知らなかったが、面倒な体質を抱えているようだ。

 狴犴は何とかその原因を突き止めようと龍のことを調べた。そして出した最善の案が拷問官だった。睚眦の性格と相俟ってそれは適職だったようだ。用を為しているかは別として。

「龍について調べた時に、蒲牢が今言ったことも把握した。急いで知らせに来てくれたことは感謝する。睚眦にも話してあるから問題は無い」

「それなら……いいけど。じゃあ狻猊(さんげい)にも言ってくる……」

 無駄足になってしまったが、睚眦の体のことが聞けたのは良かった。宵街を離れていた暫くの間にそんなことがあったとは知らなかった。この数百年の内、人間の街で激しい雷雨は何度か見たが、あれの幾つかは睚眦の力が癇癪を起こしたものだったのかもしれない。

 少し肩の力が抜けてしまったが蒲牢がドアを開けると、その背後にぼそりと小さく呟く声が聞こえた。蒲牢は歌を力にする所為か音に敏感で耳が良い。だが聞こえていても振り向かなかった。振り向くべきでも言葉を返すべきでもないと思った。

「……龍の二人が羨ましいよ」

 そう呟いた狴犴の声はとても寂しそうだった。


     * * *


 四人の変転人が病室を訪れる少し前、狴犴は(ばく)が眠っている間に鵺の病室を訪れた。会わないつもりだったが、会う用ができた。

 鵺はラクタヴィージャが来たのだと思い込んで布団を剥いだが、ドアの前に立つ金髪の青年を視界に入れた瞬間、布団を頭まで被り直した。今一番会いたくない奴だった。

「……そのままでいい。鵺に仕事を頼みたいんだが」

「…………」

 黙って遣り過ごすつもりだったが、何喰わぬ顔でけろりと仕事を頼もうとする狴犴の図太さに黙っていることができなかった。最初から鵺を信用せず嘘を吹き込み扱き下ろした彼に何か言わないと気が済まなかった。

 布団を再び勢い良く払い除け、鵺は小さな体でベッドに立ち上がり狴犴を睨んだ。ベッドの上に立てば、幼い子供の容姿の鵺でも長身の狴犴を見下ろせる。……たぶん見下ろせているはずだ。目線が同じくらいの位置にあるが。

「何なの? 倒れて記憶も吹っ飛んじゃったわけ? 私にしたことを覚えてないなら、思い出させてあげるけど?」

 狴犴は鵺の剣幕を物怖じせずに涼しい顔で見詰め返す。感情を昂ぶらせているのは自分だけなのかと益々彼女の幼い顔は引き攣った。

「あのね……!」

「……亀の手汁も付けるんだったな」

「! お……覚えてるんじゃない! だったら私を馬鹿にしたことも覚えてるでしょ!? 何の信用もしてない私に何をまた仕事なんて……っ」

「…………」

 狴犴は小さく首を傾げるように黙り込んだ。覚えてはいるが記憶が曖昧な部分もある。

 狴犴が変な薬を呑まされたことは鵺も聞いたが、こうして面と向かって彼と会話をするのは久し振りだ。

「あまり話を長引かせたくはないんだが、仕方無い。質問に答えよう」

「覚えてるなら仕事を頼む前にまずは謝るとかしたらどうなの? 謝られても仕事をする気にはならないけど」

「鵺のことは信用している。だからこうして仕事を頼みに来た」

「どの口が……。信用してるなら偽物の烙印の解除印なんて見せないわよね!? 私を檻に閉じ込めた時だって……」

「それを根に持っているのか。本物の解除印に関しては兄弟達しか知らない。苧環(オダマキ)にも話していない。これは罪人に利用されることを防ぐためであって、信用は関係無い。檻に閉じ込めた時は……」

 狴犴は一つ溜息を吐き、渋るように間を開けた。

「……薬の所為で記憶にやや齟齬がある」

 要するに薬の所為で判断力が鈍っていたようだ。

「薬でおかしくなってても論破されるほど私はわかり易いわけね……」

 確かに狴犴の言い分では、彼は謝罪が必要ではないと判断するだろう。信用していないわけではなく安全のためだと言われれば、鵺も責めることができない。

「罪人の味方をしたことについては処分も考えたい所だが、私もこの様だ。今回は不問にする」

「いつも頭が緩いと思ってたけど、今日は緩いと言うか……温いわね……」

「緩いと言うのは薬のことを示唆していたのか?」

「全然……関係無いけど……」

「……そうか」

 沈黙が流れ、気不味くなった。

「仕事の話だが、」

「ちょっと!」

 沈黙をもう質疑応答終了と捉えた狴犴は即座に話題を切り替えようとする。鵺は床を木履で叩こうとしたが、ベッドの上だったので体勢を崩して狴犴の肩を強く叩き、支えにしてしまった。

「……これは急ぎの仕事だ。獏が人間に神格化されているらしい」

 狴犴は鵺の制止の声を聞かず、支えにされたまま話し始める。鵺はもう一度声を上げようとしたが、彼の不可解な言葉を聞いて眉を寄せた。

「神格……? 何でよ」

「調査すればその疑問は解けるだろう」

「……つまり何もわかってないわけね」

「獏から関連する善行の手紙を預かっている。一つは思念が消失しているが、変転人ならポストへは行けるはずだ」

 二通の手紙を取り出し、鵺は感心したように受け取った。手紙を持っていると言うことは、罪人の獏とまともな会話ができたらしい。あれだけ(いが)んでいたのに。

「贔屓が檮杌(とうごつ)に襲われたようでな、お前も気を付けておけ」

「え……そっちの方が問題じゃない!?」

「その調査もするなら止めないが、誰を派遣するかは慎重に考える」

「今は掛け持ちはやめておくわ……それとなく気を付けておく」

「最近の檮杌の行動は看過できない。遭遇し捕らえる余裕があるなら、共に行動しているであろう白色鉄線蓮(テッセンレン)も捕らえてほしい。薬のことを尋ねたい」

「ん!? 薬って……お前に薬を呑ませた奴ってこと!?」

「ああ」

「それが一番問題じゃない!?」

「私のことは後に回して構わない。必要な情報は共有する。質問があるなら答えよう。鵺の怪我はもう癒えているのだろう? 仕事に支障は無いはずだ」

「……休暇は終わりのようね」

 狴犴の肩を押さえたまま、鵺は渋々と頷いた。狴犴は淡々としているが、鵺の手を払い除けることはしなかった。本当に信用していない嫌な奴ならすぐに払い除けるはずだ。支えとして使われていることに嫌な顔一つしない。今まで鵺は散々頭が緩いと毒突いてきたが、狴犴はそれを窘めたりはしなかった。

「でも私も体が鈍ってて本調子じゃないわよ。獏の方は……善行の手紙ってことは相手は人間よね。人間相手なら調子がどうでも勝つわ」

「檮杌に関して動くなら居場所の特定だけで構わない。獏の方は噂の鎮圧が可能なら頼みたい。どうやら獏の体は他の獣に比べて随分と影響を受け易いようだ」

 無理はすべきではないと言われ、鵺は肩から手を離した。こうして言うことを聞くのだから鵺は扱い易いのだろう。

「獣にも年功序列があればお前を顎で使ってやるのに」

「千年生きた命は大事にするといい」

 質問と言っても何を訊けば良いのか思い付かず、最近の檮杌の行動について狴犴が知っている全てを話してもらうことにした。少し時間は掛かったが、狴犴は眉一つ動かさず機械のように淡々と情報を共有した。彼はまだ疲労の残る体を心配させまいとし、平然と振る舞った。

 聞き終えた鵺はベッドの下に置いてあった木履に指を掛け、しゃんと杖を召喚する。狴犴を信用して良いのか鵺の中ではまだ不信感が燻っていたが、罪人が神格化されているなら処理するべきだ。檮杌のことも見過ごせない。その気持ちは彼と同じだ。



「も――関連する手紙って、距離が離れ過ぎてるんだけど!」

 まだ明るさは残るが陽が落ちた人間の街の上空を杖に腰掛け飛ぶ鵺は、大きな溜息を吐いた。蛇のような尾も力無く下がる。

 獏が人間に神格化されている件を調査し、必要ならば噂の鎮圧をしてほしいと狴犴に頼まれた鵺はその場でもう少し文句を言いたかったが、過労で倒れ今もまだ弱っている相手に強く言うことはできなかった。

 散々頭が緩いと毒突いてきたが、それが怪しい薬が原因とあっては責められない。……いや薬を呑む以前でも多少の緩さはあったが。

 好き放題に暴れているらしい檮杌も気に留めておかないといけない。動かなくても良いと狴犴は言っていたが、うっかり遭遇してしまった場合に後手に回らないよう意識はしておく。

「何でまた私なんですか……宵街に戻ったばっかりなのに……」

 その鵺の後ろで、彼女の小さな腰に手を回して掴まる洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)は不満を口にした。狴犴から要点を得ない仕事を任され、よくわからないまま解放されやっと宵街に戻ったというのに、幾らも経たない内にまた連れ出されている。しかもまた説明もそこそこに、これから何をするのか聞かされていない。手紙の思念を辿って終わりと言うことはないだろう。

 杖で飛びながら洋種山牛蒡は説明を聞かされるが、神だとか不可解なことを言われ言葉が耳を擦り抜けてしまいそうだ。

「今回は危ないことをさせるつもりはないから、安心しなさいよ」

「神格化って何なんですかぁ……龍ならわかるけど、獏が神?」

「人間は何でも神にしたがるから、わからないでもないのよね。ほら付喪神(つくもがみ)なんてのもいるでしょ?」

「長い年月を経ると物に精霊が宿るって奴ですか? だったら余裕で百年以上生きる獣は皆神になれますね」

「獏はどの程度の神とされてるか、見極めないと。まさか神社が建つことはないと思うけど」

「獏神社……」

「それにしても人間の噂は想像以上に広がるのが早いのね。舐めてたわ」

「二つの手紙の位置は離れ過ぎてるから、ネットかもしれないですね」

「ネット?」

「今や一般的な人間の情報発信手段であるインターネットのことですよ。国を跨いでようが一瞬で情報を伝えられるし、一生掛かっても見終わらない程のあらゆる情報が溢れてる夢のような超便利な発明です。宵街もインターネットできませんか?」

「そういう設備の話は狻猊にしてちょうだい。噂があっと言う間に広まる理由がわかったわ……全く厄介な物を」

 そういう便利な物があってもわざわざポストに願い事を投函する人間がいるのだから、人間とは不思議な生き物だ。それだけ情報が溢れているのなら願い事の叶え方もあるだろうに。

「……あ。あそこのポスト、あります」

 会話をしつつ、洋種山牛蒡は下界を指差す。文句を言いつつも頼まれた仕事は熟す。

 周囲に人間がいないか確認し、鵺は住宅街の中にあるポストの前へ杖を下ろした。

 透明な街も獏もてんやわんやで、獏宛てに出された願い事の手紙が暫く回収されていない。その中に手掛りがないか、こうして地道に探しているのだ。

「インターネットとやらで獏を神だとか言ってる人間を見つけられれば楽そうだけど、私達がそれに手を出すことはできないの?」

「人間の持つ端末を借りるか、お金があれば」

「人間と接触するのが前提ってわけね……」

 獣の多くは人間を対等に見ない。興味が無いか劣っていると見るか、とにかく対等に会話などできない。端末を貸してくれなんて、頭は下げられないだろう。奪うことならできるだろうが。

 洋種山牛蒡は鵺の横顔を一瞥し、ポストへ指を翳した。ポストの中には一通だけ獏宛ての手紙があった。開封して願い事を読み、鵺に渡す。鵺も手紙に目を通し、封筒に戻した。

「手紙は後で纏めてクラゲちゃんに渡すわ。どうせ獏の怪我が治らないと善行はできないし、急がなくていいでしょ」

「何だか面倒な……大変なことを遣ってるんですね」

「面倒って言ってもいいわよ。恋愛相談なんて頼まれるのね。恋愛経験も無いだろうに。――じゃ、次行きましょ」

 再び杖で上空に飛び上がり、次のポストを目指す。思念の羅針盤を手に手紙の回収を行うが、一つ一つポストから回収しなければならないので数が多いと苦労する。それだけ獏の噂が広まり、願いを抱える人間がいるということだ。ここまで広まれば噂の一部が変化していてもおかしくない。

「……ん? ちょっといいですか?」

「何?」

「自棄に手紙の反応が多い場所があります。一つのポストに集中してるわけではないので、同一人物かはわからないですが」

「怪しいわね。行ってみるわ」

「距離があるので、転送します」

 杖の上で掌から黒い傘を引き抜き、開いてくるりと回す。

 移動した先は雨が降っており、洋種山牛蒡は傘を畳まず頭上に差した。長距離を移動する時はこういう天気の違いは偶にある。

 あまり速度を出すと傘が煽られて体勢を崩すため、ゆっくりと目的のポストまで飛んだ。

 丁度男が一人ポストの前に佇んでおり、鵺は近くの民家の屋根へ降りて様子を窺う。

「今の人、願い事の手紙を投函したみたいです」

「すぐ内容を確認して。当たりなら追うわ」

 男が離れるのを待ち、鵺と洋種山牛蒡は急いでポストへ向かった。洋種山牛蒡はポストから願い事の手紙を全て抜き取り、先程の男と一致する思念の手紙の封を切る。背の低い鵺のために洋種山牛蒡は蹲み、二人で顔を突き合わせて手紙を覗き込んだ。


『神よ、私の願いをどうか叶えてください』


 その一行だけで充分だった。鵺は洋種山牛蒡に一旦傘を畳むように指示し、杖を急がせる。

「これが神格化って言ってた奴で間違いないわね」

「……他の二通も確認したけど、同じような文言でした。インターネットで広まったにしろ、こういうのは活動の拠点があるはず。この辺りが噂の出所で間違いなさそうです」

「普段から噂話が好きなヨウちゃんなら噂の流れ方がわかって当然よね」

「それで私を連れて来たんですかぁ?」

「少しは期待してたわよ」

 男は尾行に気付かず、住宅街の中のマンションに入って行った。部外者は侵入できないようドアに鍵が掛かる仕組みの玄関だが、二人は男の背中を見送り物陰に潜む。男がどの部屋へ入ろうと、手紙がこちらにあるのだから思念を辿れば居場所がわかる。まずは男が部屋に入るのを待つ。

「神格化ってそんなに不味いことなんですか?」

 待っている間、洋種山牛蒡は疑問に思っていることを何気無く尋ねた。人間に何と思われようと放っておけば良いのにと思う。興味を無くせばいずれ噂は風化するものだ。

「普通の獣なら放っておいてもいいと思うけど。寧ろ歓迎だって言う獣もいると思うわ。問題は、罪人がってことなのよ。罪人を神にされるのはちょっとね」

「体裁ですか?」

「罪人を調子に乗らせたくないし、神に格上げされたら力が増すから、今の烙印で封じられるのか私にはわからないわ。増した力に体が耐えられるかわからない」

「耐えられないとどうなるんですか?」

「体が壊れるか力が暴走するか……前例が無いから何とも言えないけど、とにかく用心するに越したことはない。獏を人間に近付けさせ過ぎた、その責任はこっちにあるわ」

「過失ってことですか?」

「それなら全責任は狴犴にあげるわ」

「わぁ……」

 そろそろ部屋に入った頃だろう。鵺は洋種山牛蒡を促す。

 洋種山牛蒡はくるりと黒い傘を回し、鵺は同時に杖をしゃんと鳴らして霧を発生させる。出入口が自動的に施錠される程の防犯がされているなら、おそらく監視カメラも設置されているだろう。映り込まないための特殊な目眩ましの霧だ。

 二人はマンションの廊下へ転送し、一つのドアの前に立つ。表札は出ていない。外の景色から察するに六、七階といった所か。廊下には誰もおらず、出て来る気配も無い。

「鍵が締まってるから切るわ」

 鵺はしゃんと杖を翳し、ドアと壁の隙間の前にスッとそれを下げる。ドアの向こうで金属が落ちる音がした。鵺は獏のように鍵を開けることはできない。なので壊した。

「ヨウちゃんはドアで待機ね。人間が逃げないように」

「わかりました。武器を構えておきます」

 ドアを開けると、明かりの点いていない暗い廊下が伸びていた。玄関には男物の靴が一足、女物の靴が二足置かれている。

 黒い鞭を構える洋種山牛蒡を玄関に置き、鵺は杖を手に奥のドアを開ける。だが誰もおらず、明かりも消えていた。窓のカーテンも閉まっていて薄暗い。

(隣の部屋から声がする)

 ここが集まっている部屋だろう。他に気配は無い。引き戸を躊躇い無く開けた。

「!?」

 中に座っていた三人の人間は一斉に振り向き、だがすぐに警戒を解いてにこやかな顔になった。

「おやおや……お嬢ちゃんも参加者かな?」

「こんな子供まで参加してたなんて。どの方なのかしら? もしかして『からあげ』さん?」

「こっちの座布団にどうぞ」

 完全に子供だと思われている。幼い容姿の鵺は、警戒されないのならと部屋を見渡す。狭い部屋だが、壁には『獏は神』などと書かれた紙と写真が所狭しと貼られていた。窓を覆うカーテンにまで貼り付けられている。それは確かに獏本人の写真だった。獏が知っていて撮らせたとは思えない。盗撮されたことに気付いていないようだ。

 部屋の奥には祭壇のように花が飾られ、黒い髪が一房と手指が一本、丁重に硝子の箱の中に収められていた。御丁寧に『獏様』と書かれた札が置かれている。盗撮はともかく、髪を切られれば気付くだろう。獏は指も欠損していない。あれらは偽物だ。

「獏様について話を聞きたいんだけど」

 出された座布団には座らず、鵺は木履を履いたままの足で敷物を踏み締めた。

 子供に対して大人達は不快感を見せず、気味の悪い笑みを貼り付けている。

「チャットに参加していない信者かな? それも構わないでしょう。獏様は御心の広い神。口下手な方も歓迎されます」

「まだ作法も知らないのね。まずは獏様に手を合わせて。あそこの毛髪と指が獏様の御神体。獏様の身体の一部よ。神々しいでしょ?」

 鵺は必死に笑いを堪えた。誰が言い出したか知らないが、他者の指だかよく出来た作り物だかの紛い物を大事そうに拝む姿は滑稽である。獏に見せてやりたい。どんな顔をするのか容易に想像がつく。

「お前達は獏様に会ったことがあるの?」

『お前』と呼ばれ大人達の目元がぴくりと引き攣ったが、獏に『様』を付けるのならと感情を押し殺す。鵺はその微妙な顔の動きにも気付くが、改める気は無い。

「……オレはまだ会ったことがないな。この二人もだ。願い事が上手く纏まらなくてな」

 先程手紙を投函した男は矛盾する言葉を吐いた。願い事は決まっているが獏が来てくれない、が正解だろう。

「ふぅん。他の参加者とやらは? 何人この集いに参加してるの?」

「人数は誰も把握してないんじゃないか? チャットに参加してない人もいるだろ? お嬢ちゃんみたいに」

「そのチャットっていうのは何なの?」

「あー……それは説明するより見た方が早いな。もしかして友達にでもここの噂を聞いたのか? それとも親か?」

 男は携帯端末を取り出し、チャットの画面を開いて見せる。黒い背景に白い文字が浮かぶだけのシンプルな画面だった。

「獏信仰チャット……って言うのね」

 直球な名称だ。発言者の名前の数だけ信者がいるようだが、ざっと見た限りかなり多い。これが洋種山牛蒡の言っていたインターネットなのか――この噂の広まり方は想定していない。こんな数の依頼が来ては獏が過労死……いや獣なら耐えられるだろうが罪人なのに牢にいる時間の方が短くなってしまう。

 男の言うようにチャットに参加していない者もいるのだろう。そうなると全員を一網打尽にはできない。機械の中だと手紙のように思念を辿ることもできない。想像以上に厄介な問題だ。

「それで、今はここに集まって何してるの? 楽しく御喋りかしら?」

「今日はこれから願い事の手紙を書く作法を教えてもらうんだ。この獏様教を立ち上げた素晴らしい創始者の方にな。なんと創始者は二回も獏様とお会いしてるんだ。集会だともう少し人が集まるんだが、今日はこの人数だな」

「そう……」

 創始者とやらがこれから来るらしい。ここは部屋数は多いが生活感が無い。集会のために借りている部屋だろう。信者は合鍵でも持っているのか自由に出入りできるようだ。部屋を借りるには金が必要だが、創始者は金持ちなのだろうか。

 思考に頭を回していると、玄関から物音が聞こえた。ドアの開く音だ。洋種山牛蒡を待たせているが、外に出ろとは言っていない。他の信者か創始者が来たのだ。

 鉢合わせても洋種山牛蒡のことは信者だと思うだろう。然程急がずに鵺は玄関に続くドアを開けた。

 洋種山牛蒡は鵺の姿を捉え、武器の鞭を構えたまま、玄関に背を向けずに鵺に駆け寄る。玄関のドアを閉めて立っていたのは整った顔立ちの長身の青年だった。肩に大きな鞄を掛けている。

「…………」

 青年は玄関に置かれている靴に目を落とし、土足で部屋に上がる鵺と洋種山牛蒡に視線を戻した。

「信者……か? 予約より人数が多いな。飛び入りか」

 その視線が鵺の背後に固定された。一点を凝視したまま動かなくなる。

「これは……珍客だな。少し待てるか? 信者を待たせたくない」

「逃げないなら、いいわよ」

「ああ。適当に待っていてくれ」

 青年は奥の引き戸を開け、女達から黄色い声が上がった。その輪には加わらず、鵺は洋種山牛蒡を連れて閉まるドアを見ながら暗い部屋の壁に背を預ける。

「……あいつ、私の尻尾を見てたわ。獣を理解してるわね」

「始末しますか?」

「まずは話を聞くわ。一応ね。信者の数が思ったより多いのよ。獏信仰チャットとやらを見せてもらったんだけど、うじゃうじゃいたわ。その全員の居場所を特定しないと……」

 頭を抱えていると、戸の向こうから声が漏れてきた。願い事の手紙を書くための専用のペンや便箋を売り付ける声だ。その金でこの部屋を借りているのだと合点が行った。加えて会費なども徴収しているかもしれない。とんだ詐欺師だ。

「ヨウちゃんは一旦宵街に戻ってくれる? 獏の所に行って、二回願い事を叶えた男がいるか聞いてきて。そいつが創始者――神だとか言い出した黒幕だから」

「わかりました。ついでに信者達を見つける方法も何かないか訊いてみますね」

「ぐ……確かに私は頭を回すのが得意じゃないけど……」

 洋種山牛蒡は鞭を仕舞って黒い傘を掌から引き抜く。引き戸を一瞥し、鵺に頭を下げてくるりと傘を回した。

 獏は現在病院にいるが、狴犴や他の獣もいる。芋蔓式にその全てに頭が回らないと侮られるのかと思うと鵺は癪だった。容姿と頭は比例しないのに、これでは千年以上生きていても威厳など無いではないか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ