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103-調査


 鉛色の髪は黒く、赤褐色の瞳は茶へ変化させ、人間の私服へと瞬時に着替える。人間と会うのだから、獣の姿で行くわけにはいかない。

 贔屓(ひき)は歩き慣れた人間の街へ降り立ち、一軒の家を目指す。白花苧環(シロバナオダマキ)を同行させようとしたが彼の姿が見当たらず、目標を変更した。

 閑静な住宅街の中にある一つの呼鈴を押して暫し待つ。やがて低い鉄格子の門の向こうに、ひょこりと白い頭の子供が顔を出した。家の中ではなく庭にいたようだ。壁の角からじっと覗いている。

 幼い少女の姿をした彼女は一度顔を引っ込めてから、手に大きな薩摩芋を抱えて駆けて来た。

「贔屓なの!」

 ドレスのような白い服に大きな白いボンネットを被った少女は片手でいそいそと門を開けた。

「前に会った時より豪奢な服になったな、柘榴(ザクロ)

「お婆さんの趣味なの。贔屓も焼き芋食べる? お婆さんがたくさん買って来たの」

「いや、少し聞きたいことと頼みがあって来たんだ。外出はできるか?」

「できるの。言ってくるから少し待ってて」

「ああ、僕は人間には日名(ひな)と名乗っているから、名前は……」

 聞こえたかはわからないがヒラヒラとした後ろ姿を見送りながら、あの服のままで調査に同行させても良いものかと考えてしまう。汚さないか心配だ。

 白実柘榴はすぐに戻って来て門を閉め、ヒナに真っ新な焼き芋を一つ差し出した。

「お婆さんがヒナ君にも、って」

「食べている時間は無さそうだが……」

「それで、何の用なの?」

「まずは場所を移したい。喫茶店で話そう」

「喫茶店に行けばこの焼き芋がモンブランになるの」

「……誰がそんなことを?」

 食べかけの焼き芋をヒナに持ってもらい、白実柘榴は掌から白い傘を引き抜く。

「テレビが言ってたの。モンブランは芋でできてるって。……あ、でも栗もあるって言ってたの。モンブランって何なの?」

 傘を開いてくるりと回して姿を消し、二人はヒナの行き付けの喫茶雨音の近くへ現れる。普段から人通りの少ない道だが、目立たないよう路地に転送することを教えた方が良いかもしれない。白実柘榴はまだその辺の警戒心があまり無いようだ。

「モンブランは山の名前だよ。確か、似せて作ったケーキだとか」

 獣には見えない道へ入り、奥にある煉瓦の喫茶店のドアを開けた。温もりのある橙色の薄暗い照明と、年季の入った家具が迎えてくれる。少し離れていただけだと思っていたが、随分と久しい気がした。

「――おや、ヒナ君。久し振りだね」

 人間の感覚では『久し振り』で間違いないようだ。

「お久し振りです。いつもの珈琲をいただけますか?」

「私もあの、あの……しゅわしゅわの緑の」

「この子にはクリームソーダをお願いします」

 店主はくしゃりと微笑ましく笑い、注文を受ける。

「あと、この芋はモンブランに変身するの」

「柘榴、それは急には無理だよ」

 珈琲を淹れ始めた店主には聞こえなかったようで顔を上げることはなかったが、彼女にはまだ教えておいた方が良いことがたくさんありそうだ。

「それで――君も久し振りだな」

 店内に座っていた先客に声を掛ける。ヒナはその隣のテーブルにつき、白実柘榴もその向かいにちょこんと座った。

「……贔屓……?」

 サンドイッチを頬張っていた黒色海栗(ウニ)は慌てて口の中にあった物を飲み込む。

「暇なら君にも同行してもらおうか」

「?」

「少し情報を確認するから待っていてくれ」

 休憩室の掃除を終えた黒色海栗はすぐに透明な街へ戻るつもりだったが、店主に呼び止められ食事を振る舞われた。掃除の御礼とのことだ。丁度腹が減っていたのでありがたく頂戴していた時に贔屓が白実柘榴を連れて現れた。

 ヒナは携帯端末を取り出し、片手で画面を操作し目を動かす。人間の街で起こったことなら全てこの端末に情報があると言っても過言ではない。まずはある程度の情報を端末で収集し、その確認を行う。

 情報収集が終わるまで黒色海栗はサンドイッチを少しずつ食べ、白実柘榴も焼き芋を頬張りながら待った。

 珈琲とクリームソーダが運ばれて来る頃にはある程度の情報を手に入れ、熱い珈琲を一口飲んでヒナは切り出した。

「まず柘榴に訊きたいこと――確認なんだが、人間が切り刻まれた事件を知っているかい?」

 白実柘榴はソーダの上のクリームを突きながら、幼い眉を寄せて頷く。

「テレビが急に画面が変わって、壊れたと思ったの」

 文字をまだ読めない白実柘榴は本よりテレビから学ぶことが多い。様々な情報が自動的に流れるテレビは不思議な物で、白実柘榴は暇があればテレビに齧り付いていた。そのニュースを目にするのも必然と言えた。

「それは話が早い。僕はその犯人の調査に来たんだ」

「あの裸足の奴……? 贔屓は捜査一課なの? それとも名探偵……」

「少しテレビを見過ぎ……かな。その犯人は獣だろうと推測しているんだ。獣なら獣が裁かないといけないだろ?」

「裸足が獣……」

 白実柘榴はごくりと唾を呑み、真剣な眼差しでストローを啜った。

「柘榴はこの事件について他に何か知っていることや気付いたことはあるかい?」

「本物の捜査みたい……贔屓は敏腕けーぶなの!」

「……些かテレビドラマの見過ぎか……」

「助手に任せるの! まず……第一の事件は、夜の住宅地で起こったの」

 役に成り切っているようだが、情報を持っているなら語り方は問題ではない。第一の事件は黒葉菫が言っていたものだろう。贔屓は由宇(ゆう)のことは知らないが、彼の勤務先の店長の知人が殺された事件だ。

「テレビによると、被害者は切り裂かれて死んでいた……。目撃者は無しなの」

「ふむ」

「第二の事件は朝なの。同じく被害者は切り裂かれて死んでいた……。これも目撃者は無しなの」

 第二の事件は黒葉菫がテレビで知ったもののことだろう。その現地取材中に悲劇は起こった。

「第三の事件は白昼堂々テレビの人達の前で起こったの! 私も見てた……皆バラバラになったの」

「被害者の人数はわかるか?」

「第一と第二は一人ずつで、第三は四人なの」

「四人……つまり計六人か」

 黒葉菫は五人と言っていたが、贔屓達に伝えた後に出た情報なのだろう。端末にもその情報はあった。黒葉菫の報告と齟齬があるため白実柘榴に確認をしたが、六人が正確な数字のようだ。

「贔屓のその機械には何も情報はないの?」

「いや、今聞いたことは全て書いてあった。御丁寧にテレビで流れた映像も出回っているようだ」

「つまり贔屓は、テレビの情報しか知らない……」

「ん? その様子だと他にも何か知っているようだな」

「凄い情報を掴んでるの。お婆さんのねっとわーく情報なの」

 ヒナは目を瞬き小首を傾ぐ。白実柘榴の保護者であるお婆さんの伝聞だと気付くのに暫し時間が掛かってしまった。

「犯行現場は住宅地だったから、実は見てた人がいるの」

「! ……だがそんな情報は流れていなかったな」

「当然なの。現場からはかなり離れてたの。犯行の瞬間じゃないけど……あの裸足を見た人がいるの! そのお婆さんはいつもベッドにいて、暇だからいつもテレビか窓の外を見てるの。裸足は細身の長身で、顔には仮面を被ってるの」

 如何にも怪しい格好だ。そんな者が歩いていればもっと噂になりそうなものだが、そんな情報は端末にはなかった。

「その場所はわかるか?」

「わかるの。私の家の近くなの!」

「!?」

 ヒナは思わず立ち上がりそうになり、寸前で堪えた。突然立ち上がっては店主に不審に思われる。

「それは……現場の近くなのか?」

「裸足仮面の目撃情報が近くなの。事件現場はもっと遠いの。私も目撃したくてお爺さんから双眼鏡を借りて見てみたんだけど、何も見つからなかったの」

「柘榴、そういう危ないことにはあまり首を突っ込むな。獣同伴でも安全とは言い切れないんだ」

「私のトゲトゲ鉄球でも安全じゃないの?」

「どんな武器を持っていても、変転人は獣に敵わないと思っていた方がいい。敵意のある獣に目を着けられたら迷わず逃げろ」

「でも蒲牢(ほろう)はやっつけたの」

「…………」

 不意打ちで蒲牢の腹に一撃見舞ったことが妙な自信になってしまったらしい。自信を付けるのは良いことだが、無謀は別だ。

「蒲牢は君より強いよ。警戒する獣なら不意打ちも難しいだろう」

「贔屓は強いの?」

「君達を瞬時に床に貼り付けることなら可能だ」

「裸足仮面は?」

「今はまだ手を出さない。もう少し情報が欲しい」

 手元の端末に視線を落とし、ヒナは目を伏せた。仮面の獣が四凶の渾沌(こんとん)と仮定すると、厄介なことこの上ない。

「情報の乏しい獣は、獣であっても警戒する」

 顔を上げずに指だけを動かすヒナの目は、彼女がカステラを届けに来た時に談笑した優しい目ではなく、感情の籠もらない冷たい目だった。白実柘榴は平均より戦闘能力は高くともまだ感情というものは難しくて理解できないが、その目を怖いと思ってしまった。獣を軽んじたことを怒られたのだろうと彼女はしゅんと眉を下げる。

「……新しいニュースが出ているな。死体の状態は書かれていない……切り裂かれたとも書いていない……」

 考えながら顔を上げると、白実柘榴が俯いて芋の皮を剥いていることに気付く。食べる気があるのかわからない程ゆっくりと、進んでいない。

「……柘榴?」

「!」

 白実柘榴はびくりと驚いて体が跳ね、芋を床に落としてしまった。

「すまない、驚かせてしまった。手を付けていない僕の分を食べて……」

 眉を下げながら顔を上げる白実柘榴の表情はヒナを途惑わせた。芋を落としてしまったことでその表情になっていると誤解してしまった。

 黙って様子を見ていた黒色海栗は状況を察し、白実柘榴にサンドイッチを一つ差し出す。幾つかに切り分けられているので、一切れ譲っても無くなりはしない。

「あげる」

 白実柘榴は怪訝な顔をして受け取り、サンドイッチを見下ろした。食べたことのない物だった。

「考える時は皆、眉間に皺を寄せる。でも怖くない」

 第三者から見れば、獣を甘く見る白実柘榴の発言にヒナが一瞬苛立ったことはわかった。だが彼女はその一瞬を怖がったわけではないだろう。端末に向けられる視線に怯えたように見えた。

「……怖くないの? 殺気出てる」

「殺気……? それを感じるのは難しい……。でもたぶん、ザクロに怒ってない」

「そうなの……? 凄く怖い目なの……」

 ヒナも漸く理解し、微量な殺気を感じ取れる繊細さに感心した。生まれて然程日数が経っていないにも拘らず白実柘榴には表情がある。おそらく他の変転人よりも感情を出せるようになるのが早く、敏感なのだろう。

「……すまない、柘榴。怖がらせていたとは……。だが笑いながら見るニュースではないからな」

「……理由がわかれば大丈夫なの。どんなニュースなの?」

 彼女に怒っているわけではないと知って、途端にけろりと元気を取り戻した。白実柘榴は不安を捨て去り、端末を指差す。切り替えが早い。

 ヒナはよく見えるように携帯端末を机に置き、記事を示す。白実柘榴と黒色海栗は身を乗り出して覗き込んだ。

「しまったの……私は字が読めないの……」

「変死体が見つかったようだ。だがどの記事を見ても死体の詳しい状態が書かれていない。この現場に様子を見に行ってみようと思う。速報のようだから、まだ人間が現場で調べている最中だろう。何か聞けるかもしれない。僕達は人間の警察ほど人数がいるわけでも、捜査に慣れているわけでもないからな。頼れる所は頼ろう」

 白実柘榴は読めない記事を見ながらうんうんと頷く。

 ヒナは彼女と黒色海栗に目を遣り、黒色海栗はサンドイッチを食べる手を止めた。

「私も……?」

「ああ。手伝ってくれるか?」

「……頑張る」

「犯人と鉢合わせるようなことがあれば離脱する。危険な目には合わせないから安心してくれ。もし万一戦うことになれば僕が遣る」

「凄く人間に見える」

「ん?」

 唐突な発言にヒナは小首を傾ぐ。今は人間を真似た姿をしているがそれは見た目だけだ。だが黒色海栗は贔屓の獣の姿を見たことがないことに、暫しの後に気付いた。

「フ……この姿でも杖は出せるから心配しなくていい。人間の前に出る時はこの姿の方が目立たなくて良いんだ」

「不思議……」

「店を出たいんだが、食べ終わりそうか?」

「余裕」

 ぱくぱくと残っていたサンドイッチを放り込み、黒色海栗は無表情で頭を下げた。白実柘榴は早熟だが、黒色海栗は平均的な変転人のようだ。

「転送は僕がする。君達は万一の離脱のために温存してほしい」

「……凄く慎重」

「君達が敵わないとわかっているんだ。守るのが義務だろ?」

 ヒナも残っていた珈琲を飲み干し席を立つ。白実柘榴がソーダを飲み干す間に会計を済ませておく。

 獣に敵わないし守らなければならないのなら何故連れて行くのかと黒色海栗は疑問だったが、獣の考えはよくわからない。獏なら罪人なので自分一人で転送できないため変転人を頼ることも理解できるが、贔屓はそうではない。

 ヒナに促されて二人は外へ出、少し店から離れて彼はくるりと杖を回した。

 その一瞬後に人気(ひとけ)の無い細い路地へ現れ、早速きょろきょろとする白実柘榴と黒色海栗を手招く。事件現場から少し離れた路地へ転送したのだが、路地から出ると遠目にも人が集まっているのが見えた。

「野次馬と報道機関だな。近付きたいが、カメラには映りたくない。今は空撮はされていないようだから、屋根に上がってみるか……」

 二人を振り返り、少し考え、屋根を断念した。獣なら一跳びで屋根に上がれるし気配も消せるが、変転人にそれは難しい。

「海栗、様子を見てきてくれるか? 見える範囲で構わない。状況と……重要な会話でも拾えればいいんだが」

「……やってみる」

 白い白実柘榴の姿は目立ち過ぎるため、黒色海栗を指名する。先輩変転人である黒色海栗から学べることもあるだろう。ヒナが行くこともできるが、人間の街でひっそりと暮らしている彼は目立つ行動を控えたい。大勢の野次馬に紛れるのはできれば避けたいことだ。ヒナは白実柘榴と共に黒い背を見送った。

「これが事件現場なの……」

「柘榴は行くなよ。野次馬も報道機関も数が少し多い。立て続けに不可解な事件が起こっている所為か……つまり何か関連性を見出しているとも言える」

 暫し待つと、人間の間を擦り抜けて黒色海栗が戻って来た。

「どうだった?」

「道に青いシートが掛かってた」

 死体を隠すための物だろう。路上で襲われたらしい。道が塞がっている所為で人が溜まっているようだ。野次馬が多いのはこのためだ。

「何か話は聞けたか?」

「……圧死の件」

「圧死? 切り裂きとは別件のようだが、圧死は以前にもニュースになっていたな。あまり詳細は上がっていなかったが」

「そう。前にも似た死体があったって言ってた。人間が潰れた事件」

「……獣の仕業だろうな。窮奇(きゅうき)狴犴(へいかん)が言っていたように、その有様は檮杌(とうごつ)か……」

 携帯端末を取り出し、地図を表示する。今までに事件が発生した場所を確認し険しい顔になる。

「ここ最近の圧死は切り裂きを追うような位置だな。切り裂きが起こり始めたのは蜃が見つかった後からだ。蜃が接触したのが渾沌と仮定すると、檮杌はそれを追っているのか? 今まで動けなかった渾沌が動いている……? 封印が解かれた……? もしそうなら長年封印されていた体はさぞ鈍っているだろうな。これは……試し切りか」

「…………」

「檮杌が殺し回っているのは理由が想像できないが、饕餮(とうてつ)と窮奇の話を聞くに憂さ晴らしか只の快楽のためか」

「……贔屓」

「ん? 何か気付いたか?」

「あれ」

 黒色海栗に袖を引かれ、指が差された方へ目を遣る。白い少女が野次馬と報道機関の人間の中に小さな体を捩じ込もうとしていた。

「柘榴……!」

 行くなと言ったはずだが、話を聞いていなかったのか。いや聞いた上で行ったのか。変転人の性格は、人の姿を与えた獣に似ることがあるらしい。白実柘榴に人の姿を与えたのは窮奇だ。影響を受けていれば、素直に大人しくしているはずがない。先程の切り替えの早さをもっと警戒しておくべきだった。

 ヒナが走り出したと同時に前方で叫び声が上がった。群がる人集りよりも向こうだ。規制線より向こうなら、捜査している警察に何かあったのだ。ヒナは周囲の気配を探りつつ後ろ手に死角で杖を召喚する。

 幾らかの野次馬が今度はこちらに向かって走り出し、躱しながら前線へ辿り着く。警察の人間だろうか、規制線の向こうで無惨に潰れ地面に貼り付いていた。報道機関は報道しようと必死なのか足が竦んで動けないのかまだ幾らか現場に張り付き、順に一人ずつ上からの不可解な圧力でぐしゃりと潰れ赤い血を広げていった。

(敵の姿が見えない……遠距離攻撃か)

 躱す暇は無いだろう。ヒナは手を伸ばして人間に突き飛ばされている白実柘榴の腕を引き、抱き込むように覆い被さった。転送にしろ能力を使うには変換石に力を籠める必要があり、出力には僅かな時間の差がある。今はその時間が無い。

「ぐっ……」

 周囲に生きている人間はもういない。人の目を気にする必要はない。地面に落ちた焼き芋が拉げる寸前、瞬時に人間の姿を解いて獣の姿へと戻り、力を防御に集中させた。みしりと掛かる圧力に歯を喰い縛る。背に見えない巨大な岩か鉄の塊を押し付けられているかのようだった。

 幸い圧はすぐに収まり、軋む体に鞭打ち白実柘榴を抱えて近くの路地へ滑り込む。

 その様子を離れて窺っていた黒色海栗は遠回りに路地を回り込み、二人の許へ急いだ。

「贔屓……」

 不安そうな顔で見上げる白実柘榴から手を離し、贔屓は眉を顰めながら路地の向こうへ目を遣る。遠くで断末魔が聞こえる。敵は逃げる人間を追って行ったようだ。死んだかどうかは確認していないのだろう。力だけ放ち、贔屓がどうなったのか見ていない。殺気は感じたが、姿を捉えることはできなかった。

「……人間相手なら潰れるだろうが、獣相手には少し力が足りないな。遠距離なら標的を視認できていないのかもしれない。すぐに圧を解いたのはその所為だな……」

 或いは贔屓が加重にある程度耐えられるからだろう。

 黒色海栗が路地の反対側から駆け寄り、警戒しながら徐々に距離を詰める。

「……大丈夫? 離脱する?」

「ああ。宵街へ行ってくれ」

 黒色海栗は黒い傘を抜き、くるりと回して三人を転送した。

 頭上に赤い酸漿提灯が並ぶ薄暗い石段の上でも座り込んだまま、贔屓は石壁に背を預ける。

「柘榴は怪我はないか?」

「何ともないの……」

「柘榴が小柄で良かった」

「贔屓は……?」

「僕は……さすがに直接攻撃を受けて無傷とはいかなかったな……」

 不安そうに泣き出しそうな顔をする白実柘榴に贔屓はぎょっとし、慌てて言葉を付け加える。

「いや……捻挫のようなものだ。少し痛むだけで、歩くことはできる。この程度なら半日休めば治るよ」

「ごめんなさい……」

「反省しているなら、今後はもう少し話を聞いてほしい。だが守ると言ったからな。まだ付近に潜伏していたとは……僕の予測が甘かった。すまない」

「……焼き芋、潰れたの」

 贔屓が腕を引いた時に手を離してしまった焼き芋は無惨に潰れた。人体をも押し潰す力を受けた芋は一溜りもなかった。

「贔屓があんな風にならなくて良かったの……」

 これだけ怯えれば、次は無いだろう。獣の怖さが理解できたのなら、想定外ではあったが今回連れ出して良かったのだ。獣と接する変転人はまず獣の恐ろしさを知っておくべきだ。変転人を連れて行けと言った狴犴はそこまで考えていなかっただろうが。警戒はしていたが、まさか現場でこんなに簡単に敵と接触するとは思わなかった。

 折角敵に遭遇したのだから逃げずに追えば良いのだが、先に変転人を現場から離すべきだろうと判断した。遠距離攻撃は厄介だ。

「海栗、転送ができるようになったら柘榴を家に送ってやってくれるかい?」

「わかった」

「もう少し下った所の横道にカフェがある。そこで休んでいるといい」

 贔屓は石壁に手を突いて立ち上がり、石段を少し下がった所を指差す。

 黒色海栗は白実柘榴を促し、二人は頭を下げて示された方へ向かって歩き出した。白実柘榴はすっかり大人しい。

 贔屓も少し石段を上がり、彼女達が振り返らないことを気配で確認して横道へ身を隠すように壁に凭れた。

(中々ない痛みだ……折れているかもしれないな)


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