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100-五人目


 それまでも変転人を作ることは何度かあった。数を増やすと目が行き届かなくなるため、必ず一人ずつとしていた。獣の一生に比べ、変転人の一生は短い。その死は何度も見てきた。

 その中で一度、失敗をしたことがあった。人の姿を与えて間も無く、日に日に彼女は弱っていった。体力の無い個体なのだと思っていたが、倒れたことで漸く病院へ行かせた。

 彼女は病気だとラクタヴィージャは言った。服を着せたことで病状に気付けなかったのだ。病院へ行かせた時には既に体に黒っぽい病班が無慈悲に広がっていた。

 その病名をラクタヴィージャは紫斑病(しはんびょう)と言った。人間にも同名の病気は存在するが彼女の病はそれではなく、植物の頃に既に病気に罹っていた個体に人の姿を与えてしまったらしかった。

 植物のままなら痛みは無かっただろうに、人の姿を与えてしまったことで彼女は苦しみながら死ぬことになった。

 病体の彼女の屍を他の植物系の変転人に近付けることはできず、火葬することになった。その灰の中に骨とは違う黒い粒が見つかりラクタヴィージャに見てもらったが、彼女は首を傾げるだけだった。

 ならばと植物に詳しい木霊の許を訪ねた。木霊はそれを種だと言った。きっと彼女が遺した物なのだと、花守である木霊にそれを預けた。

 それがきっかけだろう。狴犴(へいかん)はその苧環(オダマキ)という花に執着するようになった。誤って病体に人の姿を与えて苦しめた。その償いをするためだったのか、彼女の遺した物に興味があったのか、その時は感情が混乱していてはっきりとはわからなかった。

 木霊に預けた種に花が咲くと狴犴は迎えに行き、病気に罹っていないか入念に確認した後に人の姿を与えた。容姿は全くの別人だったが、性別は同じで、彼女と同じ灰色だった。

 最初の苧環は病気の所為で物静かな印象しかなかったが、二人目の苧環は快活でよく笑う少女だった。狴犴の言うことをよく聞き、頼んでいないのによく街で買った菓子などを差し入れに持って来た。ただ、仕事はあまりできなかった。物覚えがあまり良くなく、文字を読むのに時間が掛かった。御陰で資料の整理も時間が掛かった。

 彼女は運動もあまり得意ではなく、病気だった頃の名残でもあるのではないかと心配になることも多々あったが、体は健康だった。茶を運んで来て書類の上に零すこともあったが、狴犴はそれを叱らなかった。生きてくれているだけで満足だったのだ。

 それに、狴犴が人の姿を与えた者は非力な者が多かった。それは狴犴自身があまり強力ではないためだろう。その責任を彼女に押し付けることはできない。木霊も慰めか、朝顔(アサガオ)がいた頃のような戦の時代は終わったのだから多少鈍才でも気にすることはないだろうと言っていた。

 だがそんな彼女も長くは生きられなかった。記録では事故としたが、彼女は狴犴を庇って死んだ。烙印を捺す際に罪人が悪足掻きをし、こっそりと様子を窺っていた灰色苧環は狴犴を守るために自ら盾となった。

 烙印を捺す際、狴犴は最も罪人に接近する。最も危険な瞬間だ。それがわかっているから、その部屋では杖を召喚できないよう細工してある。獣である狴犴なら杖の無い獣に襲われようと死ぬことはない。だが変転人は普通の人間に近い。杖を持たない獣にも呆気無く殺されてしまう。彼女にそれが理解できていたのかは定かではない。

 また苧環を殺してしまった。その罪悪感が狴犴を苛み、今度こそはという気持ちで種をもう一度木霊に預けた。

 だが結果は二人目と殆ど変わらなかった。二人目よりは仕事も運動もできたのに、結局彼女も狴犴を庇って死んだ。烙印を捺す前の罪人とは接触しないよう計らっていたのに、狴犴の統治を気に入らない獣が奇襲を掛け、彼女は狴犴を庇って殺された。

 絶望はやがて意地となり、今度は木霊ではなく罪人の花魄に相談をした。花魄はできるだけ自然に近い状態で花を育てることを提案した。自然界の厳しさの中で鍛えようという腹だった。

 人の姿を与えた時、それまで灰色だった苧環は初めて白として生まれた。花魄の提案が功を奏したのかは狴犴にはわからなかったが、白花苧環は生まれた日に武器を生成することができた。他の変転人を含めても前例がないかもしれない。物覚えも良く仕事もできた。

 罪悪を拒むように教育を施し、それまでとは異なり他の獣や変転人ともあまり交流させないようにした。仕事上で仕方のない接触のみを許可した。狴犴自身も情を見せず、淡々と接した。もう二度と狴犴を庇わないように。白花苧環は孤立することになったが、彼はそれを嫌がる素振りは見せなかった。

 罪人の獏の所へ行かせたのは、あまりに無知だと抗えないと思ったからだ。言葉で罪人の醜悪さを語っても、実際に見ないとわからないこともある。特殊な罪人である獏ならと白花苧環を行かせた。抗うためにより力を付ける意味もあった。全て彼のためだった。

 苧環のために狴犴は神経を磨り減らし続け、やがて得体の知れない者に付け込まれた。

 結局四度目も上手くいかなかった。最悪な最期だった。

 ただ生きてほしかった。それだけだったのに。


     * * *


 宵の空が見下ろす病院のベッドで目を覚ました狴犴は白い天井を見上げてゆっくりと身を起こし、枕元の水差しからコップに薬水を注いだ。

「起きたのか。調子はどうだ?」

 蒲牢のベッドの脇に座っていた贔屓はすぐに気付き、コップを手に取る狴犴に声を掛ける。

「……先程よりは良い」

「それは良かった。だがまだ安静にしてるんだよ」

「…………」

 狴犴は薬水を飲み、目を逸らすように窓外へ顔を向けた。

 その直後、意識を引き戻そうとするかのようにドアが開いた。横目で一瞥し、睫毛を伏せる。青年のラクタヴィージャと、背後に髪の長い白花苧環がいる。新しい白い服を着ているので、狻猊に作ってもらいに行っていたのだろう。

「狴犴も起きてるのか。でも今は贔屓に頼むとしよう」

「ん?」

 贔屓は椅子に座ったまま小首を傾ぐ。

「獏がいれば獏に預けるんだけど、いないからな。苧環を預かっていてほしいんだ。苧環は患者ではないし、私も仕事がある」

「ああ、そういうことなら。苧環、ここに座るといい」

 贔屓は席を立ち、椅子を勧める。白花苧環は獣に譲られた席に座っても良いものか迷ったが、その厚意を受け取らないのも失礼かと素直に座った。

「苧環の検査をしてみた結果、少し特殊な状態になってることが発覚したんだ。だから暫く獣に見ていてもらいたい」

 ラクタヴィージャは真剣な顔で白花苧環を一瞥する。ただ手が空かないので面倒を見ていてくれ、という頼みではない。

「特殊? どういうことだ?」

「苧環の体は通常の変転人の体のような限りなく人間に近い体ではなく、半分獣だと思ってくれるとわかりやすい」

「! それで獣に見て……か」

 半分獣の変転人など聞いたことがない。俄には信じ難かった。だが検査をした結果がそうならば、疑う余地はないのだろう。どう扱えば良いのか、全くの未知だ。

「原因が何なのかは花魄と話してみようと思ってるけど、今の時点で言えることは――もしかしたら獣とまではいかないが多少は何らかの力を使える可能性がある」

「!」

「獣の杖は自身の肋骨から作り出す――という話は知ってるか?」

 贔屓は頷き、ベッドの上で狴犴も頷いた。

「そのために獣は人間より肋骨の数が多い。人間は左右計二十四本。獣は二十五、もしくは二十六本ある。レントゲンを撮った所、苧環の肋骨は二十四本だった。杖は出せないだろうな」

 肋骨一本を杖とするため、獣によって召喚できる杖の数は異なる。大体の獣は杖一本だが、蒲牢は通常の杖と間棒を使い、饕餮(とうてつ)は通常の杖と太刀を使う。二人は肋骨の数が多い。

 蒲牢の耳飾りや贔屓の首飾りのような小さな杖は後に手作業で作り出した物であり、それは肋骨とは関係ない。なのでその小さな杖であまり多くの力は使えない。

「後は……通常の変転人より体が丈夫だろうな。獣ほど無理をしてもらっては困るけど。四肢を吹っ飛ばしてまた生える、なんてことは無いと思う。でも普通の変転人より治癒力は高いだろうな」

「力が使える……とは言っても、獣の力も千差万別だ。同じ力が使えるとは思えない」

「まあな」

 贔屓は薬水を少しずつ飲んでいる狴犴に目を遣り、一つ思い付く。

(いん)だと外部から学ぶものだから、使えるようになるかもしれないな。通常変転人では使えないような印を」

「何故私を見る」

「印は狴犴の方が得手だろ? 苧環が使えそうな印を見繕ってやってはどうだ?」

「私から教えることは何もない。……苧環自身が身に付けたいなら折を見て学ばせてもいいが」

「君ならそう言うと思ったよ」

「……いけ好かない」

 狴犴はふいと顔を逸らし、コップを置いて再び横になってしまった。

「狴犴はまだ休みたいそうだ。苧環、宵街を散歩でもしてみるか? 見識を広めるのは良いことだ」

 黙って共に話を聞いていた白花苧環は自分の話なのに何処か遠くに感じていたが、声を掛けられて我に返った。

「散歩……ですか? 散歩は何をするんですか?」

「散歩は特に目的も無く歩くことだ」

「目的無く……?」

 生まれたばかりの白花苧環が理解するには少々難しいようだ。

「歩いて様々な物に触れ、興味を示し、経験とする。敢えて目的と言うなら、それだな」

「……散歩ならその金色の目は隠しておけ」

 後頭部を見せて目を閉じる狴犴から忠告され、贔屓は苦笑した。何だかんだ白花苧環のことが心配のようだ。

「ではラクタに眼帯を貰って……」

 部屋を出ようとした贔屓は、服を引かれて足を止めた。振り向くと目を覚ました蒲牢が手を伸ばしていた。

「街に出るなら、タピオカ……」

 買物を頼みたいらしい。顔色はまだ優れないが、食欲があるなら心配はないだろう。体がきちんと回復しようと訴えている証拠だ。

「それは……蒟蒻のように芋を固めた物だったか?」

「え、あれ芋なのか……。下層のカフェに売ってた。味は贔屓が選んで。何を買って来るか楽しみにしてる」

「わかった。僕も詳しくはないが……正確には芋の澱粉かな。狴犴も何か買って来ようか?」

「必要ない。薬水があれば充分だ」

 回復後は食生活を見直した方が良いかもしれない。このままでは狴犴は退院してからも薬水を飲み続ける。

 贔屓は苦笑し呆れながらも白花苧環を促す。日常生活の駄目な例をあまり見せない方が良いだろう。

 一階まで下りると青年ラクタヴィージャは奥へ引き籠ってしまったが、受付の姫女苑から眼帯を貰えた。それともう一つ紐も貰っておく。

「苧環、髪を纏めるのに使うといい。あると便利だ」

「はい」

 邪魔に思った時に纏めれば良いと思い渡したが、白花苧環は今纏めろと言われたと勘違いしたのかすぐに白い髪を一つに纏めた。生まれたての変転人は右も左もわからず感情も稀薄で何でも鵜呑みにしてしまう。気を付けねばと贔屓は肝に銘じた。

 酸漿提灯の並ぶ石段を下る道は先程白花苧環も見た景色だ。狻猊の工房へ行く途中で見た。薄暗くあちこちに蔦が蔓延っている。

 石壁の間を下ると時折小さく穴が空いている。その一つから視線を感じ、贔屓は立ち止まった。

「…………」

 中の気配がびくびくと怯えている。

「何故そんなに怯えているんだ?」

「!」

 まさか話し掛けられるとは思っていなかった気配は、そろそろと様子を窺うように穴から顔を出した。有色の女だ。獣に話し掛けられれば返事をしないわけにはいかない。だがその顔は真っ青だった。

「そ、それは……」

 ちらりと白花苧環に目を遣る。

「その……獣様に食べられ……い、いえ、通達で苧環さんが……」

 言い掛けた言葉を慌てて否定し、しどろもどろになりながら言い直す。

「……」

 獣に食べられ、と言うのはおそらく饕餮の件だろう。贔屓は詳細な状況は把握していないが、どうやら変転人の間では広まっているようだ。獣が変転人を食べたと噂が広まっているなら、この蒼白な表情にも納得がいく。饕餮の与えた恐怖は早々取り除けるものではない。

「僕は人を食べる獣じゃない。それは安心してほしい」

「本当に……ですか?」

「ああ。少し話を聞かせてもらってもいいかい?」

「え? は、はい……」

 狴犴が通達を出していたことを贔屓は知らない。彼女から話を聞き、漸く合点が行った。今の宵街は活気が無さ過ぎるのだ。白花苧環を連れて来いという通達と饕餮の件の所為で皆畏縮してしまっている。その目の前に通達で話題の本人である白花苧環が現れれば動揺するだろう。

「その通達はもういい。取り下げられた。変転人を食べた獣も大人しくさせている。今まで通り穏やかに過ごしてくれ。他の皆にもそう伝えてほしい」

「あの……失礼ですが、貴方様は……?」

「狴犴の兄と言っておこうかな」

「えっ!?」

 贔屓は楽しそうに笑い、白花苧環を促した。変転人の中に贔屓の顔を知る者はいない。驚く顔が可笑しく思えてしまう。兄弟ということを知られて困ることはない。

「何かの店だと思ったんだが、今は閉まっているようだな。狴犴の通達か饕餮の所為か……閉まっている店が多いのか」

 再び石段を下り、贔屓は残念そうに肩を落とす。もう少し早く下層の状況を知っていれば早くに撤回し安心させたのに。変転人に不必要な恐怖を与えてしまった。

「カフェも閉まっていないといいんだが……」

「……カフェ、とは何ですか?」

 名前を出されても通達のことなど身に覚えがない白花苧環は贔屓と有色の変転人の会話にも無言でいるしかなかったが、知らない言葉を尋ねる程度なら許されるだろう。知らない言葉に対して質問をする行為に何故かもやもやとした不快な気持ちがあるが、その正体はわからず無視をすることにした。白花苧環の記憶には無いが、それは獏の善行で動物園に行った時に感じた気持ちだった。

「珈琲や紅茶、軽食を食べられる飲食店だよ」

「これは既視感なんでしょうか。知ってるような気がします」

「以前に覚えたことが頭に残っているのかもしれないな。記憶が残っていると獏も言っていた」

「知らないのに知ってるのは変な感覚です」

「そうだな。でも徐々に以前の記憶は薄れていくんだろう。覚えていたいことは忘れないようにしたいな」

「……はい」

 横道を覗きながら蔦の這う石段を更に下りると声の聞こえる横道があった。蔦の陰に小さくカフェの看板が出ている茂みを踏んで横道に入ると、箱のような石壁の中で有色の少女達が話していた。少女の一人はすぐに贔屓に気付き、慌てて立ち上がる。

「けっ、獣様!? と……」

 少女は座ったままのもう一人の少女の肩を揺すり、目でちらちらと白花苧環を示す。座っていた橙色の髪の少女は怪訝に顔を上げ、白花苧環の姿を見て目を丸くした。

「苧環さん……?」

 白花苧環の表情が僅かに強張ったが、少女達は気付かない。贔屓はその微かな変化に気付き、会話を引き受けた。

「彼と知り合いかい?」

「えっ、あ、その……」

 先程の変転人と同じような反応をする。また恐怖が邪魔をしているようだ。

「苧環を連れ戻す通達は撤回された。気にすることはない」

「そうなんですか……? あの、獣様……」

 まだ不安な表情で俯きそうな彼女に、食人の獣の噂が広まっていることを確信する。

「変転人を食べた獣も、もう食べはしないよ」

 もう一人の少女も目を瞬き、少し安心したような表情をした。

「……私は(ナズナ)で、こっちは紅花(ベニバナ)です。まだあの時の光景が頭から離れなくて……」

「目撃者なのか? それは辛かったな……。君達が望むなら病院で気持ちが安らぐ薬を処方してもらうが」

「い、いえ、そんなお気遣いなく……お気遣い痛み入ります」

 薺と名乗った少女は紅花へ目を遣り、呆然とする彼女の肩をもう一度叩いた。ぼんやりと白花苧環を見詰めていた紅花ははっとし、慌てて立ち上がる。

「わっ、私は、苧環さんと同じ日に生まれて、工房で会って……」

 しどろもどろになりながらも口を開くが、話が噛み合っていない。

 今の白花苧環に彼女の言う記憶は無かった。正直に答えるべきか白花苧環は迷ったが、知人なら隠し通すことはできないだろう。白花苧環は彼女が出会った以前の苧環を知らない。人格を真似て会話することはできない。

「……オレはその時の苧環とは違います」

「……?」

「その時の苧環はもういません。死にました」

 その言葉を聞いた途端、呆然としたまま紅花の双眸からボロボロと涙が零れた。泣き出すとは思わず白花苧環は困惑してしまう。

「大丈夫!? ベニ……ちょっと休もう! 後は私が話を聞くから」

 涙が止まらない紅花を押し込むように奥の部屋へ遣り、二人に向き直って薺は必死に愛想笑いをした。奥の部屋には隔てるドアが無いが、陰に遣ったので彼女の姿は見えなくなった。

 薺は身を乗り出し、奥の部屋に聞こえないよう小声で謝罪をした。

「すみません……最近友達が死んでしまって、そのショックがまだ……」

 饕餮が殺した変転人は彼女の友人なのだと贔屓は察したが、白花苧環は気付かずに頭を下げる。

「オレの方こそ、すみません」

「……本当に別人なんですか?」

「…………」

 これ以上話して今度は薺も泣き出してしまわないかと白花苧環は話すのを躊躇った。生まれたばかりの彼にはまだ感情を読み取るのは難しい。その困惑を汲み取り、説明は贔屓が引き受ける。

「別人だが、彼は同じ花から生まれた。容姿の他に性格も似ている可能性はあるが、記憶は無いと思ってくれ」

「顔はそっくりです……。でも雰囲気は少し違う気がします……。髪が長いからかも……」

「これから色々学んで、そうしたらまた雰囲気が変わるかもしれないな」

「そうですね……あっ! もしかしてカフェ御利用だったりしますか!? 獣様に立ち話なんて申し訳ないです!」

 突然カフェを開いていることを思い出し、薺はへこへこと頭を下げた。紅花は友達を喪ったと言っていたが、彼女も良い友達のようだ。そのことに贔屓はほんの少し安心した。

「良かった。ここがカフェなんだな。タピオカはあるか?」

「はい! 置いてます! ……獣様の間で流行ってるんですか?」

「……ん? そんな話は聞かなかったが」

「あ、はは……そうですか……」

 苦笑いをしながら薺はメニューを出し、贔屓の前へ置いた。

「お好きな飲み物に入れますので、お選びください」

 メニューには幾らかの飲み物の名前が並んでいた。贔屓は白花苧環にメニューを示す。

「苧環、どれがいいと思う?」

「オレが選ぶんですか?」

「君はまだ飲み物の種類もよくわかっていないんじゃないか? 知らない君に選んでもらう方が面白いだろ? 蒲牢も細かいことは気にしない」

 面白いかはわからなかったが、蒲牢も何を選んで来るのか楽しみだと言っていたので、誰が選んでも問題ないのかもしれない。獣は時々子供のようで、時々適当過ぎる。

「ですがオレはこれが読めません」

「ああ……まだ読めないのか。では僕が読み上げよう。指を差していくから、ついでに文字も覚えよう」

「努力します」

 何も知らない白花苧環を見ていると、薺は少し微笑ましくなってきた。紅花のようにファンクラブどうのとは言わないまでも、薺もまた白花苧環のことは格好良いと思っていた。今は別人らしい目の前にいる彼も同じように格好良いと思う。これからまた強くなって噂が流れるのだろう。彼が死んだ理由は尋ねることができなかった。

 全て読み上げた贔屓はメニューを差し出し、白花苧環はぎこちなく一つ読み上げる。少し間違えたが、充分伝わった。

「ではグリーンティーにお入れしますね」

 どんとタピオカの入った瓶を置き、そこで薺はふとはっとした。

「あの……その蒲牢様は……銀髪の獣様ですか?」

「ああ、銀髪だ。以前買いに来たのはここで合っていたのか」

「だ、だったら蒲牢様スペシャルにしますね!」

「……?」

 黒と白のタピオカを交互にこれでもかとカップにぶち込み、半分ほど埋まった所で準備していたグリーンティーを注いだ。ストローを捩じ込み、どんと前へ置く。

「僕の知っている物より量が……」

「蒲牢様はこれがお好きなようで」

「店の迷惑にはなっていないか?」

「大丈夫です! 蒲牢様には助けていただいたので!」

 助けたことに胡座をかいていなければ良いのだが。贔屓は苦笑しながらもカップを受け取った。

「……この飲み物は飲む物なんですか? 草の汁に見えますが」

「間違ってはいないが……おそらく苧環の考えている汁とは違う。苧環も飲んでみるか?」

「遠慮します」

 白花苧環は何も信じていない目をしていた。生まれたばかりの変転人は何も知らず鵜呑みにするものだが、自らの意思で拒絶できるのなら心配も軽減される。

「あっ、私、苧環さんの好みの飲み物も作れるかもです!」

 もう一つカップを用意し、今度は黄金色のとろとろとした物をたっぷりと投入した。変転人の(おも)に女性の間で噂になっていたのだ。蜂蜜ケーキを二度も購入した白花苧環のことが。別人だとしても蜂蜜を気に入る可能性は大いにある。大量の蜂蜜に透き通った液体を注ぎ、マドラーで掻き回す。そして同じようにストローを差した。

「蜂蜜たっぷりレモネードです。御誕生祝いです!」

「……ありがとうございます」

 少し躊躇うが、自分のために作ってくれた物を拒む方が躊躇う。白花苧環は受け取り、愛想良く笑う薺に促され一口飲んだ。

「美味しいです」

「良かったです!」

 やや酸味はあるが蜂蜜の甘味が口内を満たす。なのに後味は爽やかだった。味と名前を覚えて白花苧環がふと顔を上げると、奥の部屋から覗いている紅花と目が合った。もう涙は出ていないが、目元はまだ湿っぽい。白花苧環は丁寧に頭を下げ、カップを持って踵を返した。振り返らずに角を曲がる彼を、贔屓も緑のカップを手に慌てて追う。

「これで足りるかな。ありがとう」

 金を置いて早足で去る背を薺は見送ろうとしたが、置かれた金額を見て慌てて呼び止めようとした。だが既に二人は角の向こうに消え、譬え聞こえても戻って来てくれそうになかった。置かれたのはあと三杯は飲める程の金額だった。蒲牢の時は値段より少ない金を置かれたが、贔屓は多過ぎる。

「苧環、どうした?」

「……いえ」

 逃げるように石段を登り続ける白花苧環の目は何処か遠くを見ていた。自分の知らない物ばかりの世界で途惑っているのだろう、贔屓はそう思った。

 予定よりも早くなってしまったが蒲牢と狴犴の居る病室に戻ると、神隠しの街から帰って来たらしい椒図が椅子に座っていた。椒図が口を開く前に蒲牢は贔屓の持つ緑のカップを見つけて眉を寄せる。

「青汁……?」

「いや、これは」

「草の汁です」

「草……」

 間違ってはいないが白花苧環の認識も改めなければならないようだ。

 カップを差し出すと蒲牢は少し躊躇したが、頼んだのは自分なのだからと受け取った。ずしりと重く、タピオカの量は満足した。

「これはグリーンティーだよ、蒲牢」

「え? 騙したのか苧環……」

「いや、彼はまだ文字も読めない。理解が及んでいないだけだ」

「そうか……いいか苧環、広義には草だけど、茶葉は食べられる葉だ。これは美味しい……はず。覚えておくといい」

「食べられる葉……確かに食用の草はあります。自分が毒草の所為ですね。獣の味覚は理解できないものなのかと思いました」

 深々と頭を下げる白花苧環は他の変転人よりも物腰が丁寧だった。そんな所も四人目の彼と似ている。

「生まれたばかりだから仕方無いな。苧環も美味しそうな物を持ってる」

「一口飲みましたが、必要なら差し上げます」

「分捕ろうなんて思ってないから、苧環が飲むといい」

「いえ……オレには必要ないので」

「?」

 意味が汲み取れず蒲牢は贔屓を見上げる。彼が欲しがって買ってやったのではないのかと。贔屓も小首を傾ぐ。先程は美味しいと答えていたはずだ。

「口に合わなかったか?」

「……少し席を外します」

 言うや否や白花苧環は机にカップを置いて踵を返し、病室を出て行った。明らかに様子がおかしいが、白い背中が一人にしてほしいと訴えていた。

「……何かあったのか? 贔屓」

 貰ったグリーンティーを啜りながら蒲牢は何気無く尋ねる。散歩中に何かあったとしか考えられない。

「何かと言うなら、以前の苧環を知っている有色に会った。飲み物を買ったカフェなんだが、最近友人を亡くしたらしくてね。苧環まで死んだと聞いて泣き出してしまった」

「! ……あ、ああ……そうか……」

「どうした?」

「そこの人、俺を見て苧環って言ってた……。たぶん色が似てたからだ……」

「……そうだったのか。連れて行くのは不味かったか」

「俺もその死んだ友人は見た……饕餮が遣ったんだ」

 やはり察した通り饕餮に遣られた犠牲者のようだ。贔屓は眉を寄せ、狴犴も背を向けながらもぴくりと反応する。

「食べるために饕餮が……狴犴が許可したらしいけど」

 背を向けたままの狴犴を横目で見、蒲牢はストローを啜った。許可を出したのは薬の所為とは言え、被害を受けた方は堪ったものではない。

 それについては狴犴も反論はしない。

「……許可したことは覚えている。あの時は饕餮に協力を仰いでいた。言うことを聞かせるために許可した。弁解の言葉はない」

「別に駄目と言っても饕餮は態度を変えないと思うけど」

「……そうかもしれないな」

 正常な判断ができなかったことで、その負の波が五人目の白花苧環にまで及んでいる。狴犴が許可したことは饕餮も驚いたようだが、まさか薬で頭が回らなくなっているとは思わない。

「蒲牢、今は狴犴を責めるな。回復してからまた話をしよう」

 蒲牢は渋々とストローを啜り、不満げに狴犴を一瞥した。薬の所為などと言われたら制裁もできやしない。既に殴り飛ばしているが。

「椒図、街はどうだった? 閉じたのか?」

 少し強引だが話題を変えようとする贔屓に、誰も話を戻そうとは言わなかった。ぼんやりと話を聞いていた椒図は慌てて頭を切り換える。

「……閉じた。一応……」

「そうか。これで暫くは問題が起こらないといいんだが」

 だが大人しく休ませては貰えないようだ。ドアを叩く音が響き、贔屓が開けてやる。白花苧環が戻って来たのだと思ったが、立っていたのは至極色の青年だった。

「……おや? 君は獏の所に留まると思っていたんだが。御使いか?」

「報告をしておこうと思って来ました」

 黒葉菫は部屋の中には入らず、その場で贔屓に報告を始めた。長居をする気は無く、すぐに街に戻るつもりだ。

「何だ?」

「人間のテレビで見たんですが、獣が人間を殺して回ってるようです」

「テレビ? 自棄に目立つ行動をする獣だな。どんな獣だ? 推定で何人殺している?」

「顔は見えませんでした。裸足で歩いて……足しか見えませんでした。一瞬で人間の体をバラバラに切断していたことから、獣と判断しました。数は……五人は殺してます」

「五人か……。狴犴、今の宵街の基準はどうなっている?」

 背を向けていた狴犴もこれには頭を動かし、身を起こした。横になったままでは威厳を欠く。

「五人だと状況による。食事目的以外で短期間に八人以上殺すと確実に裁く」

「狴犴は軽罪を設けていないからな……僕の時は五人で厳重注意したんだが」

 八人は少し多い気もするが、睚眦(がいさい)が拷問で殺してしまった場合を考慮してのことだ。例外を作ることをせず同じ法に縛るために已むを得ずにだ。

 人間の世界では一人殺すだけでも重罪だが、獣はそうではない。力を使ってガス抜きをしなければならない獣も存在するため、多少の犠牲は目を瞑っている。睚眦はそのガス抜きが必要な獣だ。他に食事のために人間を殺す窮奇や饕餮のような獣もいるが、それは罪に問われない。人間が牛や豚を食べるのと同じだからだ。生きるために必要な犠牲を罪にするわけにはいかない。

「報告に来たのなら、それ以上殺す可能性があると判断したからだろう。テレビという物が私にはよく理解できないが」

 宵街から出ない狴犴は人間の街にある物に疎い。そのことを察し、人間の街で過ごしていた贔屓は理解できるよう説明する。

「テレビは映像で情報を伝える機械だ。予め記録した物を再生することが多いが、即時情報を伝えることもある。人間が情報を得るための手段の一つだ」

「映像で情報を? 文字ではないのか」

「映像の中では勿論言葉も話すよ。言葉だけでは伝わり難いことでも、映像なら伝わり易い。ここは圏外だが、僕が撮影した映像を見せてあげよう」

 人間の街で生活するには今や必須の携帯端末を取り出し、指で操作する。小さな板の上で指先を踊らせる贔屓に狴犴は怪訝な顔をした。画面を表示し狴犴の前に差し出すと、彼は眉を顰めた。

「……猫」

 そこには欠伸をする野良猫が映し出されていた。小さな板の中で動いている。絵ではなく、生きた猫がそこにいた。

「理解した」

「今ここでも映像記録に残せる」

 端末の画面を自分に向け、贔屓はカメラのレンズを狴犴に向けた。何をしているのか理解できない狴犴だったが、暫し贔屓が固まったまま動かないので察した。

「……私を録るな」

「動いてくれて良かった。動かないと只の静止画だからな」

 撮影した動画を再生して狴犴に見せ、彼はまた眉を顰めた。衰弱した自分の姿を見て思う所もあるだろう。反省する所は反省してほしい。

「この携帯電話でも映像を視聴することができるが、テレビは映像を視聴することに特化していて多くの人間の家に備わっている。黒葉菫の見た映像は他の不特定多数の人間にも見られているはずだ」

「俺が見たのはおそらくリアルタイムの映像です。慌てて映像を切り替えていたので」

「テレビを知らない獣が遣ったのか、これ見よがしに見せつけたのか……とにかく多くの人間に見られただろうな。宵街はこれを処理する義務がある。場所はわかるか?」

「いえ……すみません。ですが、人間に訊けばわかると思います」

「わかった。僕が人間の街へ行き調査をしよう。黒葉菫は獏の所へ戻っていい」

「はい」

 黒葉菫は頭を下げて部屋を出る。眠る獏が心配なのであっさりと帰った。

 狴犴の手から携帯端末を拾い、贔屓もすぐに部屋を出ようとし呼び止められた。

「贔屓。誰でもいい、変転人の一人でも連れて行け」

「心配してるのか?」

「いや。お前を庇える変転人などいるわけがないだろう。居ると雑用を頼める」

「では一人、社会見学を兼ねて連れて行こうか」

 携帯端末を仕舞い、今度こそ部屋を出る。後には蒲牢がストローを啜る音だけが響いた。

「……蒲牢、その飲み物、小石が入ってる」

 困惑したように横からぼそりと言われ、蒲牢は噎せそうになった。

「小石じゃない……タピオカ。椒図も食べてみるか? 美味しいよ」

「食べ物?」

 カップを手渡され、恐る恐る椒図はストローで突いた。確かに硬くはなく柔らかい感触だ。見様見真似で粒を吸い取ると甘い味がした。

「狴犴も食べるか?」

「遠慮する」

「……回復したらカフェには謝りに行って。それを制裁とする」

「…………」

 狴犴は薬水を飲み、目を伏せる。随分と易い制裁だ。……だが心はとても痛みそうだ。


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