社交界の女王がボケて暴露系マダムになりました……。阿鼻叫喚の貴族社会の中、婚約者様の隣は穏やかです。
「まったく、ウィンリード伯爵には困ったものよ……。せっかく若い娘を五人もあてがったのに、二人も絞め殺してしまうなんて。あ~恐い怖い」
今は、社交シーズン真っ只中。
このパーティーが催されているラッツェル伯爵邸のサロン。
ダンスの音楽が微かに聞こえているこのサロンでは、ソファに座る一人の女性を中心に会話が繰り広げられていた。
その女性とは、ロレンツ公爵夫人であり、ながらく――六〇歳を超えた今でも、社交界の女王として君臨していらっしゃる。
ここしばらくご領地の方で静養なさっていて、これが今シーズン最初の女王降臨と話題になっていました。
今までドレスの生地がどうだ、あの家の子のデビュタントがこうだ、と普通の会話を楽しんでいらしたロレンツ夫人の衝撃の発言に、彼女を取り囲むご婦人方がどよめいていらっしゃる。
若干十七歳で年長の方々が多いこのパーティーで、ダンス会場の壁の花にも飽きてサロンの壁の花になっていた私、エマ・アシモフも内心ビックリ!
母の体調不良で、急遽父のお伴で来たら……なんて日なの!
「ろ、ロレンツ様?」
「それは本当なのですかっ?」
「まさか……」
「ウィンリード伯爵と言ったら、要職をお務めですわよね? その方が?」
「そうよぉ。揉み消すのに苦労したものよ」
何かの冗談かと疑っていたご婦人方が、ロレンツ夫人の肯定に「まあ!」と驚き、手や扇子で口元を覆う。
公爵夫人であり社交界の女王の彼女は、あらゆるパーティーに顔を出して高位貴族や有力貴族を中心に幅広く交友がある。
ロレンツ夫人は、そんな彼ら彼女らから相談事や頼み事を数多く受けていらして、内容は一切漏らさないことから、各貴族が最も信頼を寄せるマダムと称されていらした。
まさか、情事――いろごと――の仲介もしていらしたなんて……
「あとねぇ」
ロレンツ夫人の“お話”がまた始まると、周囲のご婦人方は鎮まって耳を寄せる。
「どなただったかしら? えーっと、あの、幼い男の子と女の子と三人で夜を愉しむのはぁ……。そうそう! お金持ちのペティーフ男爵!」
事業で大成功を収め、その財で孤児救済や慈善事業に積極的に取り組んでいらっしゃるペティーフ男爵?
あの方が!?
私も何度か慈善事業でお顔を会わせていた男爵様が? まさか!
「キャー!」
「どなたかお倒れになったわ」
「大丈夫ですの?」
人が多くてよく見えませんが、お倒れになったのは……えっ!? ペティーフ夫人!
最前列で聞いていらしたの?
まさかご自身の旦那様の醜聞をお聞きになるなんて……衝撃的ですわね。
ラッツェル伯爵の使用人に抱えられてサロンを後にするペティーフ夫人を横目に、この醜聞の話に花を咲かせるご婦人方……強者ですわね。
私も聞いてはいけないとは思いつつ、壁から離れられないでいます。
だって、興味あるんですもの!
さりげなく近くの壁に移ったりなんかして……
その後もロレンツ公爵夫人の“お話”は続き、どこからか噂を聞きつけたご婦人方が大挙してダンス会場からサロンに集まっていらして、一時はギュウギュウ詰めになりました。
騒ぎを聞きつけていらした主催者のラッツェル伯爵によって解散になるまで、十名近い大貴族様が犠牲になりました……
終始『耳の大きな壁の花』に徹していた私も、興奮と共に家路につきました。
少し聞きかじっただけのお父様は、お顔を青くなさって「これから大変だぞ」と呟いておいででした。
お父様? お父様程度の小者、口の端にものぼりませんでしたわ。
小者と言いましたが、嘘です。
爵位は子爵――アシモフ子爵。今日はいらしてないのですが、私の婚約者のフェリベルト・バジェスタ伯爵様と共に宰相閣下をお支えする実務に長けた尊敬できる人です。
お父様やフェリベルト様の名が出なくて、本当に良かったぁ……
も、もちろんお二人ともそんな変な事をしないお方だって信じておりますよ?
……でも、良かった!
後日聞いたところによると、ロレンツ公爵夫人はここ一、二年で認知機能の低下が大きくて、記憶力や判断力に支障をきたしていらしたのでご領地で静養なさっていたそう。
体調は良かった事と、ご本人の希望で王都に戻り、社交の場にご復帰なさったらしいです。
ですが、あのような事に……
五十人近くにまで膨れ上がっていた“聴衆”の口から、ロレンツ夫人の“お話”が貴族社会に広まるのはアッという間でした。
“お話”の語り手であったロレンツ夫人は、引退なされた公爵閣下と共に領地に戻られたそうです。
“お話”の主人公方は当然のことながら、そういった情事の会があったらしくて主人公の中には、わざわざお仲間を道連れにして針のむしろになる方もいらっしゃいました。
そんなこんなで、総勢二十名近くの貴族が表舞台を去りました。
家督を子息にお譲りになる方もいれば、官憲のお世話になって強制退場の方もいらっしゃいましたね。
……あの“お話”の内容であれば、当然ですわ。
若い子どもたちや女性をなんだとお思いだったのかしら!
大貴族や有力貴族が次々に姿を消した所為で、わたくしの婚約者であるフェリベルト様やお父様は大忙しでした。
普段は毎週末フェリベルト様とお会いしてお話をしたり観劇に行ったりしていたのに……三週間もお会いできませんでした!
あのスラリとした筋肉質の長身痩躯、艶めきを放つゴールドの御髪。
それに透き通るようなエメラルドの瞳、お仕事や読書の時はそれを隠す一山フレームの丸眼鏡姿も素敵なお方。
社交には滅多にお出でにならず、宰相閣下の代理で仕方なくお出でになる程度。
騒がしいパーティーよりも、自室で読書に耽りたいという物静かなお方。
二十二歳で爵位をお継ぎになり、二十五歳と言う若さで宰相閣下の補佐に抜擢されたそうです。
二十六歳になるにあたり「婚約者さえいないとは……」と、同僚であるお父様が私とお見合いの様なお茶会を開いて下さったのがきっかけ。
物腰の柔らかな方で、私と同じくパーティー嫌いで読書好き。
年齢は九つも違いますが、私の初めての恋……ひとめ惚れでした。
こちらがいくらお慕いしていても、私の様なブルーブラックの髪にオブシディアンの如く暗めな瞳、これといった特徴も無い顔立ち……
結婚するのなら、私とは正反対の性格の方がいい、とお思いかもしれない……
そう不安に思っていたら、フェリベルト様も私を気に入って下さったようで、婚約の運びとなりました。
「やっとエマと会うことができて嬉しいよ。今日はいい天気になってよかった」
ずっとお仕事でお忙しくてお疲れでしょうに、私との時間をお作り下さって……
三週間ぶりの二人きりの時間は、フェリベルト様のお屋敷の庭園。
陽光差し込むガゼボで、上質の紅茶と読書を楽しむ。
今日は、丸いテーブルセットは仕舞ってベンチを出して、二人で座る。
ベンチの両端には小さなサイドテーブル。二人を隔てる物は何もない……
「はい! ……でも、お疲れではないですか?」
「疲れは無いし、あってもエマに会えない理由にはならない。それに……好きな本を、それ以上に愛おしいエマと並んで読めるのだから、これほど安らかな時間はないよ」
「フェリベルト様……」
小鳥たちのさえずり、風にそよぐ木々の葉の擦れる音、ゆっくりゆっくりと動いていくガゼボの影。
隣には、フェリベルト様。
なんて穏やかで、なんて素敵な時間でしょう。
“お仕事、お疲れさまでした”
“お会いできなくて寂しゅうございました”
“私もあのパーティー、あのサロンに居りましたの!”
“ロレンツ夫人の“お話”を聞き逃すまいといったご婦人方の真剣な表情……凄かったですわ!”
“サロンに詰めかけたご婦人方と壁に挟まれて、潰されてしまうかと思いました!”
“く、詳しく聞いたわけではありませんよ? 聞こえてしまったのです!”
“酷い方がいるものです! 聞いていて気分が悪くなりました”
“そ、その……フェリベルト様は、そのようなご趣味は……ありま……せんよね?”
フェリベルト様にお会いできたら、いろいろお話しようと思っていましたけれど――
あなたのお顔を拝見して、ぜーんぶ吹き飛びました。
フェリベルト様がいるだけで充分なのです。
あなたの穏やかな雰囲気に包まれるだけで充分なのです。
「どうかしたのかい?」
私がフェリベルト様を見詰めていると、彼は本から目を離して私と目を合わせて聞いてくる。
「……いいえ」
私は、そう呟いて彼に身体をくっつける。そうしたいのです。
彼の肩に頭をもたれると、彼も私の頭に頬をつけてくださる。
時間がゆっくりと過ぎていく……
「フェリベルト様? わたし……幸せです」
「……私もだよ。エマ」
社会が落ち着いたら、なるべく早く婚姻を済ませましょう。
そして、フェリベルト様そっくりな子供達に囲まれて、穏やかな日々を過ごしましょう……
(了)
最後までお読み頂きありがとうございました!
評価・ブックマークのご検討、お願いします。
↓↓ 異世界恋愛ジャンルの長編もあります。↓↓
腕着け時計のご令嬢~あの人を救うために……時間よ巻き戻れ~
https://ncode.syosetu.com/n8731ho/
【30話10万文字―完結済み―】
併せてお読み頂ければ幸いです! 柳生潤兵衛でした。