あくの強い義姉(仮)と民族衣装なカノジョ
春の暖かな日差しが、とても気持ちが良い。今日も今日とて、絶好の散歩日よりだ。
そんなことを考えながら、俺こと伊豆野卓也は何だかんだあって最近恋人になった佐伯加奈が住んでいる汚部……違う、マンションへと向かっている。
他の地域ではどうかは知らないが、俺がかつて通っていた大学、加奈は今も大学院に通っているが、の近くにある学生マンションはエントランスに全部屋一括のインターホンがあり、そこで家主に呼び掛けて鍵を開けてもらうというシステムが採用されている。
そんなわけで、俺は加奈の部屋番号をプッシュしたわけなのだが。
「あ、俺です」
いつもみたいに適当な挨拶をする。普段ならこれだけでエントランスの扉を開けてくれるのだけれど。
「ありゃ?」
なにか変だ。通話は開始されているのだが、向こうでなにやらガタゴトという音がする。耳をすませば、
『―さん、や―て、くれ』
『あらー、こんなに――に、―いでしょ?』
『こんな――!!』
言い争う音がする。片方は、おそらく部屋の主である加奈だと思うのだが、もう一つが誰かわからない。女性なのは間違いないのだろうけど。やがて、ガタガタガタッという音がしてようやく、向こうからの返答がきた。
『卓也か』
「そうだよ。開けて」
『だめだ、今日は悪いが急用が……って、姉さんやめっ!』
『加奈ちゃん素直じゃないわねぇ。あ、たくやさんとおっしゃるのね、どうぞおこしください~』
ようやく扉が開いた。しかしながら、すさまじくあれな気配を感じてしまった。
「えーと、これ俺が加奈の部屋に行っても大丈夫なやつなの?」
当然俺の疑問に応えるものなど存在せず、がらんとしたエントランスに呟きは消えていってしまった。
◇
俺は今、ドアの前に立っている。もちろん加奈の部屋の前だ。いつもならさっさとノックするのだが、今日は心なしかドアから妖しいオーラが出ている気がして、ためらっているのだ。
「ここで帰ったら、むしろ加奈には喜ばれるのでは?」
もう、逃げたい。なんせ、普段割とクールな態度を崩さない加奈が、インターホン越しの音声だけが情報源とはいえ、手玉に取られている様子が伝わってきたのだから。
「多分お姉さんだよなぁ……」
それも、まだ顔を一度も見たことがない恋人の肉親で、かつあくが強そうなのだ。
「よし、帰ろう。うん、後で加奈には連絡をしておこう、そうしよう」
言い訳をして、俺はエレベーターに向かおうとしたのだが、
「あらあら、何か用事があるのでしたら直接加奈ちゃんにお伝えになればよろしいのに」
ひえっ。
いつの間にか、ドアが開いていて加奈ではない女の人が、立っていたのだ。腰まである少し染めているだろう髪の毛と、柔和な目元を除けば、加奈にそっくりだ。加奈の姉であるということは、間違いないだろう。しっかりものの妹と、優しい姉といった感じだろうか。
その女性-加奈姉で良いや-は、開口一番に、
「なるほどなるほど。あなたが、私のかわいい加奈ちゃんを奪ったどこぞの馬の骨ですね?」
「すんませんした!」
ぶっこまれた。怖っ。いや、奪ったという言い方は語弊があるけど、加奈姉からすればおおむね事実な訳で。こういう時の経験が浅い俺としては、ひたすらに謝るしかない。
「あらー、そんなに謝らなくても良いですよ?あの子が選んだわけですし」
おや、意外とまともそうだぞ?開幕に一発ぶちこまれたが、今はもう最初のイメージ通りの優しい姉といった雰囲気になった。
「ですが、一つだけよろしいですか?」
「はい……」
一体何を言われるのだろうか。泣かしたら承知しないとか、そういうことだろうか。俺は、緊張しながら加奈姉の言葉を待つ。しばらくの静寂の後に、加奈姉は、
「女装に興味ありませんか?」
「は?え?」
「ええ、ええ、あなたは、磨けばどんな宝石よりも一等にきらめく原石です、ですが、それを磨かなければただの石ころも同然、こんなに価値のあるものをそのままにしておくなんて私の美学に反します!」
すげえ、ワンブレスだ。
「さあ、さあ、さあ!新しい扉を開きましょう!」
「あ、あの、遠慮したいなって」
「なるほど、こわいんですね、誰でも初めては怖いものです」
「いや、そういうことじゃなくてですね」
わかった。この人、他人の話を聞くつもりがねえ。
「優しくしますから、壁のシミを数えている間に終わりますから!」
ぐいぐい顔を、近づけてくる。そして、俺の腕が、がしりとつかまれた。とりあえず、その腕を振りほどこうとするのだが、
「ちょ、ちか、って力つよっ!」
「うへへへへへへへへへへっへへへへへへへへへ」
「だ、だめ、はじめて(の女装が)が奪われちゃう!」
観念したくないのだが、加奈姉の万力のごとき握力に俺は、なすすべもなく引っぱられてしまう。たしゅけてぇ。
「お姉さんにすべて任せてくだ」
ガンっっっ!
外開きのドアが内部から勢いよく開けられて、加奈姉にクリーンヒットした。加奈姉は、ゆっくりと廊下に崩れ落ちてゆく。あ、頭ぶつけないようにしてあげよう。
ゆらりと、加奈が部屋から出てきた。
「姉さん、さすがにそろそろやめておけ」
「加奈さん、お姉さんピクリとも動かないけど」
「五分したら回復するから、大丈夫だ」
「あ、そうなんだ」
取り合えず、加奈と協力してお姉さんは、部屋に運んだ。加奈は、玄関に放置しようとしていたのだが、さすがに可哀想なのでリビングに寝かせておく。
「すまないな、いきなりテンションが振り切れた姉と引き合わせてしまって」
「ああ、うん」
加奈が、謝罪してくれているが、生返事をしてしまう。なんせ、加奈の格好が。
「あの、加奈さん、聞きたいことがあるんですが……?」
「私の服装以外のことなら、何でも答えてやろう」
カシャッ。
「写真撮るね」
なんかスイスらへんの民族衣装を着て、日ごろは放置している肩まである髪の毛を珍しく編み込みなんかしている恋人を、カメラに収めたいと思うのは自然なことだろう。
「まてお前写真を撮ってから伺いを立てるなやめろ消せおいなんだその笑顔は!」
それまで堂々としていたのに、写真に残ると分かった瞬間に照れ始めた恋人はかわいいなと思いました。