5話:再会
少女は居住まいを正した。とはいえ、元から上品な座り方だとペニロサには思われた。というか、あまりにも自分がまぬけな姿勢をしていたものだから、自然とそう考えたのかもしれなかった。
少女は名前をラーミラと言った。ペニロサも自分はペニロサという名前なんだと言った。また、彼女は自分がヴァイパイアであることも明かした。
ラーミラが想定していたより、この情報はペニロサを驚かさなかった。
「こんな地下深くで出会う美少女ったら、そりゃもう、ヴァンパイアくらいのもんよ」
とのことだ。
ペニロサは周囲を見回してみた。そうすることができたのは、頭上にあるはずの地上から、わずかに光が差し込んでいたからだ。
まさしくそれは命綱で、もしそれがなかったなら、彼が目の前にいるラーミラに気づいたときの驚きようは、父親にお前の母親はおれの妹だと言われるほどにまで強化されていたに違いない。これはペニロサ自身の経験に照らし合わせても歴然たる事実である。
そのわずかな光明に照らし合わせて彼に理解できたところでは、自分はなにか石造りの、それほど広くはない、例えて言うなら石像の象の胃の中のような場所にいるらしい。
とにかく都市の地下に存在するかもしれないいくつかの場所のうち、もっともありそうにないものとして真っ先に除外されるような場所、ペニロサはそんな場所に今自分がいるのかもしれないと感じた。
そしてまた、自分は今直接にその疑問に回答を得られる機会に属していることも知る。
「ここはどこ?」
ラーミラに訊ねるのだ。
「ここは……」
そう言ってからもしばらく沈黙し、数秒の間を置いて、
「地下」
そりゃそうだとペニロサはうなずく。実のところ、それさえわかっていればいいのだ。べつにここが地上から何メートルの下方に位置するのか、地図上ではどういう座標にあるのか、そういうことを知ったって仕方ないのだから。
ではいったい、彼女はなぜ地下にいるのか。もちろんヴァンパイアという存在にはたくさんの弱点があって、中でも有名なものとして有名なのは陽の光。浴びればたちまちにして灰燼に帰すとのことだが、じっさい、これはちょっと間違っている。灰燼ではなく塵芥に帰すのだ。
「君も落ちてきたの?」
そう言ってしまってから、これはちょっと間の抜けた質問だったかもしれないとペニロサは思う。
とはいえ、先ほど自分自身で言っていたように、彼は日々の諸事のなか、ほとんどその頭を使っていないのだ。とすれば、このような脳内空洞説を証明するごとき発言も、さもありなん。
「……ちがう」
ラーミラは首をふる。ちょうどその動作も、風に吹かれて自然に花がそよぐ様子そのものだった。ついでになんと、香りまで付属していたのだ。ただし、その発見の楽しみは、彼からは先天的に奪われている。
「あのね、ええとね、わたしは……」
また沈黙。どうやら彼女は人と話し慣れていないようだ。というのも、ペニロサも人と話し慣れていないので、そのことがよくわかったのである。
「……閉じ込められているの」
おっと幽閉の姫君か。と、のんきにペニロサはとっさに考え、すぐにそれを改めた。「閉じ込められた」というのは、現在の彼にとって、あまり楽観主義的な発想を促すような言葉ではなかった。
「……くわしく」
「えっとね、わたしのお父さんが……あの、心配して、っていうのは、あぁ、わたしのことを……それで、ね、うぅん……ここにいなさい、って」
また沈黙。
「……それきり」
呆れた親だとペニロサ。生かしておけぬ……とまでは思わないが、親で苦労しているという点で、たちまち彼はラーミラに共感を抱いた。
……いや待てよ、と、ペニロサは思う。べつにラーミラ、それで困っているとか悩んでいるとか殺してやるとか、そういうことはまだ一言も言っていないではないか。
自分からすれば心配性がすぎるようなその親も、彼女にしてみればぜんぜんまったく、悩みの種なんかではないのかもしれない。おれが勝手にそれに肥料と水と三日ごとの土の入れ替えを施してやっているだけではないか?
それに、と追加でまた考える。
もしそうでないとして、というのは、彼女がじっさい苦労していると、悩んでいるとして、それにおれは共感を抱いているわけだけど……果たして、そんな感情を抱く権利がこのおれにあるのか?
……まあ、ちょっと、問題のある両親ではあったし、だからずいぶん反抗した気がするけれど(やった方は覚えていないものだから)、どうだろう、彼女の親の暴挙ほどであったか? それどころか、人並みの家庭ほどには愛情があったのではないか?
これらの一切の考えをコンマ3秒ほどの時間で巡らせたペニロサは、久々に頭脳を使ったというわけなので、たちまちにしてオーバーヒート。頭頂部から出火。何度も地面に擦りつけて消火をする羽目になった。
「頭……だいじょうぶ?」
ラーミラが心配してくれた。
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ラーミラは非常に物静かで、感情をあらわにすることがめったになさそうだということがわかったけれど、それでもやはり、自分が幽閉まがいの状況下に置かれているということ、その事実、それに対しては倦んでいた。
「お父さんはどんなひと」
ペニロサは気になって訊ねた。彼の問いを耳にして、ラーミラはわずかに顔を動かし(はらりと前髪が揺れ落ち満月に勝る瞳を露出して)、部屋の真っ暗い部分に視線を向けた。
ちょうど雇われ店員が、店の出口を見つめ、今か今かと終業の時間を待つような、そんな焦れったさ、歯がゆさが認められると言えなくもないようすだった。
ペニロサも少女と同じ方向へ目を向けた。何も見えぬ。彼の故郷たる村には、視力を犠牲にしてでも味わいたいほどの娯楽など何もなかったので、必然的に彼の視力も上々と言えたが、このくらやみの中ではスライム系のクリーチャーに対する打撃武器ほどにも役立たなかった。
「なにかあるの?」
ペニロサが言った。まだ自分の質問に答えていないなと普通の記憶力を保持する人間ならば思うだろうが、あいにく彼は鳥に嘲笑されるほどの記憶力しか持たなかったため、すでにすっかり自分の質問すら忘却し、今は彼女の一挙手一投足がしきりに気になるのであった。
「……出口」
「え?」
「あそこから出られるの……」
じゃあ出ればいいじゃん、というセリフはさすがのペニロサだって言わない。もし台本にそう言えと書いてあったとしても(そもそも台本があったとしてだが)、脚本家に反旗を翻し、この場面でそのセリフは適当でないと無言を貫いただろう。
なにか、出口は目の前にあるけれど、それを通って脱出するわけにはいかない理由があるのだ。そしてそれこそが、いまやすくすくと育ち、彼女の雰囲気すら覆い尽くして影を落とす、例の悩みのタネの主要成分を成しているのだ。
「どうして出られないんだい?」
とペニロサ。
「……お父さんが」
つぶやくようなラーミラのその返答を聞き、ペニロサは次に来るセリフをどう予想したか。
きっとバリケード――罠とか結界とかその他もろもろ――的な障害を配置していて、それがこの地下空間からの脱出を阻止しているのだろう。というか、それ以外には思いつかない。が、けっこういい線いってるんじゃないか、こういう問題があのギルドのテストで出題されればよかったのになあ、と、いうところで、答え合わせ。
「……射的をやってて」
不正解。ペニロサはその意外さの不意打ちに、あやうく気絶しかけるところだったけれど、また彼女に醜態をさらすわけにはいかないから、頑張って舌を噛みこらえようとするも、そんなことするくらいなら気絶したほうがマシじゃないかって気もして、でもやっぱり恥ずかしいよなあ、と考えているうちに峠を超え息災。
今はこの他に、自分が言うべきことは何も見つからない、そう思われる言葉を、ペニロサは口にした。若干のあ然のていで。
「どういうこと?」
「パーフェクトを出さないと……出してもらえない」
いっそう憂いを帯びるようにしてラーミラは言った。
「そういう決まり」
ペニロサはまじまじと少女を見た。その結果わかったのは、本当に彼女が世に稀なほど、そも現世に有り得べからざるまでの可憐さを備えていたこと……ではなく、やはりちっともウソをついているようには見えないということだった。
もちろん、まったくの初対面の人ではあるけれど、ペニロサはラーミラをちらとでも疑っているというわけではない。
このように花も嫉妬し萎れるほど、月もカッとし欠けるほど、そんな形容すら十分でない美しさを全身の皮膚面積のすべてから放出する少女に対し、そのようなやましい気持ちを抱くこと、これは許すべからざる罪であり、具体的には全身を一寸刻みされるに相当する。
人道的な見地から言ってまともなら許可されるはずもないそんな刑罰が妥当と思われるほど、とにかく、めちゃくちゃに、やばいほど、ラーミラはかわいらしかった、いや、かわいかったのである。ペニロサもそう思っている。
ラーミラがそう言うなら、そうなんだろう。と、ペニロサ。……いやまあ、おかしいとは思うけれども。
ちょっと落ち込んだだけで地面に沈み、その先ではヴァンパイアにお目通り叶うような世界なのだ。もうちょっとおかしさがおまけされたって、もう大騒ぎするほどのことでもないだろう。
さらに……と、続けて。
……射的。射的。射的。射的。何度もその言葉が浮かび来る。まるで水底に沈めて隠滅しようとした死体が、どういうわけか何度沈めてもまた浮かび上がってくるように。
ただ、そんなやましさと焦燥に浸された感情ではなく、むしろ真反対の希望に照らされたものであったが。
ペニロサは、つい昨日の出来事を思い出した。
彼はあの射的屋で、完璧な射撃を達成した。
自分は、もしかすると、この子を救けられるかも知れない。
「……ねえ」
ペニロサの声で、ラーミラは暗所に向けていた目を再び彼に向けた。よくよくその瞳を見てみると、人間離れした(そりゃヴァンパイアだから当然だが)その深みに、かつて一度も光を当てられたことのない、よって容易に晴らせぬほど漆黒たる、悲嘆のようなものを認めることができた気がした。
「その射的、他の人がやってみるのはダメなのかな?」
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自分が挑戦するとペニロサが言ったときの、ラーミラの反応とはいかなるものだったか。
「ほんと?」というような、素直な喜びをあらわにしたか? うむ。それもまたよかろう。
「……」というような、声には出さないけれど、微妙な表情の変化によって、自分の胸ににわか湧いた希望を示したか? ふむ。それもいいかもしれない。
それとも「……無理」とか、「……はあ?」なんて、否定の感情をぶつけたか? これはこれでいいだろう。なにせほとんど無感情に見えた彼女、たとえ負の感情であるにしろ、それを表面に出したというのは、多少の打ち解けがあったればこそなのだから。
しかし実際、ラーミラの反応は以上にあげたどれでもなく、それどころか、無反応だった。
「……そう」
ラーミラはそう言ったきり、再び口を閉ざした。あれ、ちょっとおれが考えていたのと違うな……と、ペニロサは思う。もうちょっと、なんか……
……しかしペニロサはめげない。自分の言葉があんまり突拍子のないもんで、いささか、面食らっているのかもしれない。ぜんぜんそんなふうには見えないが、とにかくそういうことにしておく。
ペニロサは物事を自分に都合よく捉える能力に長けていた。もしそれがギルドのテストの科目に設定されていたなら、彼はたちまちにして合格していただろう。もちろん、勇者という人物像にとって、これほどふさわしくない素質もそうそうないのだが。
ラーミラの案内で、ペニロサは初めて、この暗闇の中を歩き始めた。ずいぶん目は順応したとはいえ、やはりグリフォンのようにはいかなかった。
ちなみにグリフォンというのは、ライオンとタカが何かの間違いでくっついたようななりをしたクリーチャーで、頭部はタカのものであるため、ものすごく視力が高いので有名である。
どのくらい高いのかと言えば、いま彼らがいるこの街から、<聖地ゴッダミクス>の大聖堂の尖塔で見張り役をつとめるガーゴイルの歯の右から何本目が欠けているかわかるくらい。
とはいえ、そんな聖地なんて場所がまだ頭文字すら登場していない、そもそも今後登場するかもわからない現時点でこの例えを持ち出すのは、果たして意味のあることなのかどうなのか、それはさっぱりわからない。
ちょうど彼の視界もそのようだった。
体を動かしてみて、ペニロサはこの場所がずいぶんとひんやりしていることに気がつく。ちょうど、死体安置所のように。
まあヴァンパイアも死体っちゃ死体だしねえ、と、ペニロサは考え、それはいま目の前を歩いているラーミラに対して不謹慎だったろうか? と罪悪感を抱き、ひとしれず頭をぽかぽか殴って贖罪に励んだ。
なにか後ろから鈍い変な音がする、とラーミラはそのとき思うも、それ以上は特に気にせず前へ進んだ。
あんまり頭を殴りすぎたため、宿酔いのようにふらつく足取りで歩く羽目になったものの、それでもなんとか、ペニロサは彼女の後をついていった。
……やがて、二人は開けた場所に出た。開けたといっても、この冷暗所地下を基準にしての話である。お世辞にものびのび快適すこやかとは言えない。
人影が待ち受けていた。
もしかしたら人の影ではなくよって人影ではないかもしれないが、しかし頭上から漏れるわずかな光がかたどる影にしては、やっぱり人のそれに近いように思われるし、もしそうでなかったとしても、とにかく腕が三本以上でないことは確かであったから、ペニロサは安心した。
すぐその安心は吹っ飛んだ。
代わって驚愕が、かつて安心が安住していた安置に安置された。
その人影の主が、彼の見知った人物のものであったからだ。
「お父さん」
と、ラーミラが呼びかける。
「おう」
と、その人物は答える。
「よく来たですな」
とも。
この意味不明の語尾口調は……
「空っぽだったんでね、びっくりしましたよ」
驚いて飛び出そうとする目玉をなんとか眼底に押さえつけながら、ペニロサ、
「こんなとこにいたんすか」
二人の目の前にはあの射的屋の店主がいた。
聖地ゴッダミクス
この地に入場する条件はふたつであり、どちらかを満たさぬ限り神像も法王の聖殿も見ることは叶わない。一つ……高徳の持ち主であることを教会に認められること。二つ……潤沢な富の持ち主であることを教会に認められること。
以上の二条件の価値はまったく等しい。