3話:曲がった月
その槍のどこがどう緑色か、なんて考えるのはナンセンス。
なにせ全体が緑色。
「すっげえ毒にしてきそうな槍」
正直な感想を述べてみるペニロサ。
「初心者向けなのかなあ」
槍の技能を示す試験もあったのだ。カカシを相手取り、適切な部位を一発で突けと。やっぱりこれも得点制。股間を狙え、高得点だぞ!
しかしむしろペニロサは自分の胸に刺さりそうな槍を見て慄然。あ然の試験官を尻目に、さっさと次の試験会場へと赴くのであった。
「そういうわけだから」
ペニロサは店主に告げる。
「ちょっと、不安ですよね」
「気にするなっちゅーに」
店主はなぜか怒っているように見える。
「あんだけの射的の腕前なのだから、こんな槍くらい、どうどうと振り回せぶんぶん」
「それとこれとは別でしょうに」
「別じゃない」
「無茶」
「あんな成績を出したあんちゃんは、この<緑槍>だって使いこなさなくちゃなんだ」
「苦茶」
でもまあそんなに言うんだったらいただきますよええもらわないよりはもらったほうがいいですもんね諺にもあるごとく。
ってなわけでペニロサ、初の獲物を獲得。それはどれほどの威力・特殊効果があるのかもわからず、そもそも自分に扱えるのかどうかすらわからない槍なのだ。
「ぐっばーい。あでぃおーす。ばいばい。失せろ!」
「なんなんだあの人」
辺り一帯の群衆をたじろかす速度の手振りを伴う見送りを受け、ペニロサは店主の元を去った。掴みどころがない(なにせ腹は丸い)男ではあったが、彼に残った印象はさほど悪いものではなかった。
ということはかなりよかったというわけ。
「ああいう人もいるんだなあ。ふうん」
「最初に会ったのがギルドのアレ(名前なんて覚えてねーよ)だったから、都市中あんな人だらけだと思っていたけれど」
「なかなか捨てたもんじゃないのだ」
多少気分も上向きで、ペニロサは道を歩く。
都市の空気は生ぬるく、それは人の数が多いから? 吐息の密度が高いから? たわごとは風に乗り雲にまで届き雨に混ざる。
日はすっかりお隠れに。変わって登場ましますは月だろうが、まだ東の空はがらんどう。いつもより太陽の出番が長かったこともその一因だろうか。
人の数は……少しばかり減った? ペニロサにはよくわからない。彼はぜんぜん違うことばかり考えていて、例えば目の前を歩いている人がいきなり真っ二つに分裂したって気づかない。
さっきのは、本当に自分の腕前なのだろうか。
脳内シナプスを駆け巡る電流が伝令する情報はただそれだけ。それのみ。そのことばかり、あの奇妙な語法の店主の元を去ってから。
ペニロサは試験での失態を思い出す。合格ラインは太陽ほどに遠い頭上。彼の成績がさすらうのはいつだって底辺であった。同時に受験した者共の視線が哄笑を含んでいたよに思えるのは、あながち気のせいでもあるまい?
それほどまでに彼にはセンスがなかったのだ。剣を持てば折るし、弓を持てば自分に矢が刺さるし、魔法を唱えれば試験官が爆発する。
じゃあペーパーのテストはいかが? ……それとてダメ!
自分の村の周辺に出没するクリーチャーなら(トロール,ドレイク,キメラ,サーペント,コボルト,ゴブリン,サイクロプス……)、苦もなく回答することができた。
が、それは膨大な設問のなかで、わずか一割にも満たぬ領域。辺境の田舎のクリーチャーの知識ばかりでは、とうてい勇者にふさわしいはずもないのだ。
薬品の調合や、大陸の地理についての問いなどなど。勇者に求められる知識は多岐に渡り、ヒドラの首よかずっと多い。
そんな解答を求める問題文は、ペニロサに眠気を催させる作用を発揮。三時間に渡る試験時間は、初めての長旅に疲労した彼にとってちょうどいい休憩時間の役を果たした。
……そんなんでよくまあ「合格してなきゃおかしい」なんて気持ちを抱けたものだが、まあ、それもとっくに述べたとおり。彼ぐらいの年ごろなら誰もがそう思ってしまうもの。
まったく人より優れたるところなどなく、大した知識も経験も人徳も何もかも! 路上に転がる小石ほどの価値しか持たないのに、なぜ彼らは自分ばかりが特別だと思うのか? なぜ何事かを自身の手によって為せると考えるのか?
根なしの自信はやがて根こそぎ。ちっぽけな頭のなかでこねくりまわす妄想よりはるかに堅固な現実というやつが、容赦なく砲弾を放ち、虚妄の城を破壊するのだ。そうなってようやく、あいつらは誤りに気づく。
……しかし時たま、そうやって現実を見つめる視力が、深海魚並みに甚だしく弱々しいというやから、なんの間違いなのか知らないが世に誕生してしまう。
ペニロサも間違いなくそのひとりだった。
(勇者になれなかったのはショックだが……)
と、雑踏の流れをかき分けながらペニロサは考える。
(まあいいや! 他にも極めれば、世界中に名を馳せることが叶うような、そんな職業、いくらでもあるだろう)
ほらこの通り。
自分の理想像に負わされた手ひどい創傷も、世に名高き聖人すら叶わぬほどの回復を実現する奇跡により、たったの一秒で全快。彼は依然として、自分がこの世界にあって、間違いなく優位に立つ人間であることを信じてやまない。
とはいえ腹は減り、夜は眠らなくてはならない。
(宿)
歩き回る彼の目的とはそれだったのだ。
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わかりやすいベッドのマーク。これなら深海魚でもない限り誰でもこの施設が宿屋であることを把握できるだろう。ペニロサは深海魚ではなかったので、彼もこの建物がちゃあんと宿屋であることを把握してから突入した。
それは街の一角……つったってわからないだろうが、これはペニロサも同様である。街は広く、彼の記憶領域はそれよりはるかに狭いのだ。よって、自分が世界のこの都市のどのあたりにいるのか、それは現在の彼にとって、宇宙の真理と同じくらいに解答困難な問題であった。
「街の中心ですよ」
その難題に解を授けたのは宿屋のオーナー。どうやらちゃんとした言葉を用いる能力を持っているようなので、ペニロサはほっと一安心。
ぐるりと家の中を見回す。趣味がいいと彼は思う。が、本当にそうなのかは確信が持てない……自分の故郷の家々、またその家の中身の部屋と比べたら、ゴブリンの巣穴だって高級リゾートに見えてしまうかもしれないから。
壁際には絵画が飾られている。何やら勇猛な戦士らしき人物が、やたらとよだれをたらしたケルベロスと対峙する構図を描いたものだ。ちょっと誇張し過ぎだとペニロサが思うくらい、両者とも図体が大きい。
そして戦士が手に持っていたのは槍だった。絵具がくすんでいて、細部の装飾までは見分けられず、またその色も、彼にはわからなかったが。
「あの絵……」
ペニロサは太陽を見るように目を細めながら指をさす。
「はい、あれですか?」
とオーナー。ちなみに本当のオーナーはいま二階のトイレで奮闘中であり、いまペニロサと話しているオーナーはいわば代理。そしてそれはトイレにいるやつの娘である。
「なかなかいいですね」
「ありがとうございます」
「槍を持っていますよね」
「はい」
「実はおれも槍を持っていてですね」
「なんだか毒々しい色ですね」
「これ、ちょっと」
ペニロサはさらに目を細めて絵を。疑いのまなざしは心にある。
「あの絵のやつと似ていません?」
「えー」
と娘。
「ちょっと、わからないですね」
「そうですか。そうですよね」
実際本当に似ているとは思っていないペニロサ。
ただ久方ぶりに話す正気の人との間に流れる空気の思わぬまずさに惑乱し、なんでもいいから手当り次第話題にできそうなものは拾ってやろう無分別。という態度にて発見したのがあの絵画であっただけなのだ。
「……あれ、あーっ!」
今初めて目の前に人間がいることに気がついた、じゃあ今まで自分が話していた相手とは誰だろう……もしかして幽霊かしら? 念仏。
……というような感情の回路が背景にあったのかと思わせるほどの驚きようを見せる娘。
しかしこの推測は間違いであり、というのは彼女は深海魚ではなく、目の前に人間がいるということにはハナから気がついていて、つまりは別の事柄によって、この驚愕をいざなわれたからだ。
「あの、あれですよね」
「アレってなんすか?」
あれ、あれと目の前で言われていい気のする人間はいない。あれという言葉はいろいろな事物を暗に示す単語であるけれど、それらの事物にはほぼ毎度、決して快いとはいえぬあれが共通事項として流れているからである。
「さっき(ちなみに彼女の「さっき」はだいたい三時間前くらいまでの範囲である)、あの、的あてをやってた!」
「あー、はい」
ペニロサはうなずく。てっきり常識の欠如、もっと悪いことには顔の中心部分のパーツの欠如について「あれ、あれ」という言葉をもってして揶揄されているのかという邪推が見事に明後日の方向へ外れたため、わあ安心って感じで「うなずく」。
「パーフェクトでしたよね? すごぉい!」
娘の目は輝き、幼い頃に憧れた英雄を見る視線のそれを思わせる。だから嘘とかお世辞を口の端に上らせているようには、彼にはまったく思われなかった。
「すごぉいんですか? あれ」
ペニロサは露骨な礼賛に若干の羞恥心の発露を感じ、その雲散霧消発散を目的とした謙虚さを示すため、あまり堪能とは言えない演技でもってして無垢を装おうとする。
「だって、え」
興奮のあまりか持病の発作の前兆か、とにかく息をつまらせてから娘は、
「初めてですよ、たぶん!」
「そうなの? でも、まあ、三日しか経ってないのだし……」
店主の(ひどく混濁した)言葉を思い出し思い出し、ペニロサはつぶやく。君がそうやって褒めてくれるのはうれしいけれど、開店してからたったそれだけしか経っていないのだ。だからたまたま、おれがその初のパフェ達成者だったっていうだけであって……
「三日? なんのことですか」
娘は首をかしげる。ペニロサの大根役者ぶりとは違って、その動作に装おうところは一切見られない。彼女は本気で困惑しているのだ。
「あの屋台はつい三日前にできたばかりなんだって、さ、店主が言ってたんだよ」
「それ、うそですよ」
「ほ?」
「あの店三十年前からあります」
「さんじゅ……えぇ」
ペニロサもようやく一人前の役者になれたよかったね! ……というのではなく、もちろんこの驚愕は本心から。あのオヤジ言葉だけでなく記憶まで混濁してんのか? ペニロサはわけがわからない。
「でも、え、三日前って……」
「あの人はいっつもそうなんですよ。初めて来たお客さんにはウソつくんです」
「なんでそんなこと」
「さあ……たぶん」
娘は言う。
「趣味なんじゃないですか?」
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相当多くの出来事が、今日たった一日で自分に降りかかったようが気がするが、それをひとつひとつ取り出して確かめて見るより危急なのは、この腹の空虚であった。
このときにやっと、彼は自分がいま、故郷から離れた場所、遠隔の都市にいることを自覚する。無数の人が行き交う町並みは彼にとって夢のようであり、なんら現実性を持たない眺めだった。
ところがこうして人心地がつき、夕飯の提供を待つだけの身となってみれば、あららそう言えばこんなこと初めてだったな……たった今まで自分が経験した全てが未知であったと、雷光に遅ればせながら追従する雷鳴のごとく。
今日自分が見たことに整理をつけ、ただでさえ散らかっている記憶にこれ以上の混沌を持ち込まぬため、ひとつひとつ見たことを彼は思い出してみる。
死体。無音。道。外。遠景の都市。門。人。羅列された家。並び立つ塔。とめどない人の流れ。喧騒。ギルド。テスト。尻に刺さった矢。爆発した試験官。夢見る試験時間。不合格。吹っ飛ぶ扉。屋台。射的。意味不明。<緑槍>……
<緑槍>。
これはたしかあの店主が言っていた名前だとペニロサは思い出す。いまその槍は部屋の中にあり、そこには荷物も放り込んであった。
「槍か……」
槍。槍。槍。ペニロサは実際のところ、あの槍を持て余していた。
あんなに緑色の槍じゃあ目立ってしかたないし(槍そのものよりそれを持っているペニロサ、そしてその鼻のないことに注目されることをこそ忌避)、役立てようにも……ねえ? あんな失態を晒したあとで、使ってみる気にもならない。
どうしたものかなあ、と思う彼の目の前に置かれた皿。山盛りに盛られた食材はすべて十全に煮込まれ、品質を保証された調味料が使用されていることは、その香りですぐわかる……が、もちろん、彼にはわからない。
鼻をつまめば肉を食おうが泥をかじろうが味がわからぬように(試せとは言っていないといま言った。よって責任を問われても困る)、鼻がない彼はどんな食物の味を見分けることも叶わない。
「どうでしょう?」
と訊ねるオーナー(の娘)。
「おいしい(と思う)」
彼はそう答えておく。
□ □ □ □ □ □ □
身を投げ出すベッドの上。危うく置いていた<緑槍>に突き刺さりそうになって慌てて身をよじったところ“ぎくっ”という世にも不快な音が体内から鳴り響き、ペニロサは自身の骨に起こった異常事態を確信する。
ぎくしゃくとした姿勢のまま横たわり、できればこの痛みが明日までに治っていたらいいなあと、なんとも惨めったらしい願いを、窓から差し込む月光の主に投げかけるのであった。
そして月はそれを拒絶する。言うまでもなく、人間の腰痛ひとつ月は治せないからだ。そんなことができるならまず自分にそのわざを施すだろう。月が腰痛持ちなのは周知の事実である。
トロール
図体ばかりがでかい妖精。しかしその怪力は脅威である。
ドレイク
火竜。森林火災の八割の原因。
キメラ
様々な動物が混じり合ったクリーチャー。一番困るのは食べるもの。
コボルト
→ゴブリン
ゴブリン
→コボルト
サイクロプス
1つ目の巨人。遠近感がなく、しょっちゅう頭をぶつける。