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ただただ混沌の道のりの非勇者  作者: 皿日八目
13/14

13話:思わぬ出来事

 幼稚園を出てすぐにペニロサは誘拐された。


 そのころ月の都には悪名高い巡業サーカスの一団が訪れていた。一団は脈絡なくふらりと現れては、街じゅうの変人を片っぱしから連れ去り、しばしば生死にかかわるようなパフォーマンスをさせるのだった。


 謎とされている来訪周期については、このサーカスの団長の一人娘の月経周期と深い関わりがあるとささやかれているが、それを追求する者は間もなく団員として勧誘を受けることとなった。


 そんな一団であるから、鼻のないペニロサを見逃すわけはなかったのだ。


 一団は鮮紅色の百キロ先からでも目立つキャラバンで移動しているのにもかかわらず、誰にも見つけられなかった。街中からずいぶんと人が減ったと人々が思ったそのとき初めて、またあの連中がやって来ていたことに気づくのだった。


 団長は一見、ごく普通の、きわめてまともな、たいていの人が備えているであろうと思われる常識ならすべて備えているだろうと思われる、つまりどこにでもいそうな人間だった。


 しかしそうした者の精神構造こそ畸形を極めているというのは、いまさら言うまでもない、広く世に知れ渡ったところの事実である。


 彼は空を飛ぶことができた。重力の裏をかき、神の目をくらまして、鳥すら届かぬ高みから大地を睥睨することすらできた。その特技を彼はもっぱら新しい団員のリサーチのために使用していたが。


 一度、娘が自分も連れて飛んでほしいと彼に願ったことがあった。彼は断った。娘はまだ幼く、重力を騙したり、神をあざむいたりなどといった悪事を働くには、不純さが欠けていると思われたからだった。


 それでも娘は折れず、乗せてくれなければここを離れないと言ってトイレに閉じこもってしまった。これに彼は辟易した。人の上に立つ者はストレスが多く、そのストレスはすべて彼の胃腸に殺到し、しょっちゅう腹痛を起こさせるからだった。


 わかったよ、と、とうとう彼のほうが折れた。


 その日は非常に天気が良く、あまりにも良すぎたためにあちこちで殺人が起こったほどだった。


 彼は娘を団員に(彼は歯を使って裁縫をするのが得意だった)編んでもらった大きなゆりかごに入れ、それを持って空を飛ぶことにした。


 ゆりかごに娘を入れたのは、彼女がまだ小さく、生まれてから三ヶ月しか経っていないからだった。


 団員たちが見守るなか、団長は一人娘がちょこんと収まったゆりかごを持ち、大きく翼を羽ばたかせて、無窮の青みをたたえた空へと離陸した。


 そしてすぐ娘を落とした。


「あああああ」


 団長は深く嘆き悲しんだ。団員たちも悲しんだ。というのは娘が生まれてからだいぶ団長の態度が優しくなっていたので、これでまた元通りだと思われたからだった。


 娘はどこまでも落ちていき、月を越えて地球にまで落ち込んだ。壮麗な蒼い尾を引いて、それは地球で夜空を見上げている人たちからしてみれば、なにか巨大な生き物が落とした涙のひと粒に見えなくもなかった。


 ひゅゅゅゅぅっと落ち落ち、それは地球のある街の、ある宿屋の、ある煙突に吸い込まれていった。


 その頃、地球では年に一度のポロンパリヤットの日が祝われていった。これは伝統的な祭りで、どういう祭りかと言うと、ポロンパリヤットがユランサイからミウウエゲイを三日ぶりにサイアコンしたことを祝う祭りだった。


 それだけの祭りであったはずが、後世になるにつれ、なぜか願い事をするという風習が付加され、むしろその面が年々強まり、とうとうポロンパリヤットという言葉の意味を理解できるものは誰一人としていなくなった。


 そういうわけだから、この宿屋を営んでいた夫婦も、ポロンパリヤットというのがいったい誰なのかそもそもこれは何を意味しているのか、そんなことがまったくわからなくても、願い事だけは欠かさず毎年行っていて、それはもちろん今年もそうなのであった。


 暖炉の脇の靴下に(ポロンパリヤットとは靴下の古い呼び名であるという説が有力だった)、このような願い事を書いた紙を入れて。


<髪は黒くて、体重は育ちすぎたオレンジくらいで、目の色は茶色と黒が半々に混じっていて、女の子、そういう赤ちゃんをください>

 

 彼らがどの程度まで本気だったのか今となっては謎であるが、とにかくその願い事は、若干経路は異なるけれども、叶うこととなるのであった。


 今その娘は、さっぱり帰ってこない客の荷物をどうするか考えあぐねていた。


□ □ □ □ □ □ □


 ペニロサはすぐ捨てられた。言うまでもなく、鼻がないだけでは強烈な刺激を求める不感症の観客を満足させるには到底足り得なかったからである。


 彼は誘拐されるときずた袋を被せられたのだが、捨てられたときにもそれは被せられたままだった。ただ体中の鈍い痛みから、自分が走るキャラバンから投げ捨てられたのであろうことを理解したのだった。


 しかも地面がひどくでこぼこしていたため、ただでさえ投げ捨てられる痛みはひどいものであるのに、いっそうそれが強化されていた。その上スプーンに蹴られた場所もまだ痛んでいた。


「あー……」


 やりきれなくなり、ペニロサはうめいた。ずた袋の粗い繊維の隙間から差し込む光に照らされ、彼の苦痛が光るようだった。


 ただ、とりあえず火の輪を食べさせられたり紐なしブランコをさせられたりする心配はなくなったので、それは改善された点だと自分を慰めようとした。


 そうでもしないとやっていられない気分であったことは、いっぺんずた袋に入れられたまま地面を転がされてみればわかることだ。


 ペニロサが捨てられた場所は、月中のゴミが集められる広大な平原だった。そのものずばりゴミ平原とあだ名されるこの場所は、人間の地獄、蝿の天国とも呼ばれていた。悪夢みたいな場所だということで、ふざけて夢の島だなどと言うものもいた。


 どういう呼び方にしろ、ペニロサにとってはただただ最悪な場所であったことには変わりないが。


 彼は全身をもぞもぞと動かし、なんとかこのずた袋を破けないかどうか試みた。もちろんずた袋に入ったままでは、ろくに人に挨拶も出来ないからである。


「ちくしょう」


 ずた袋というのはいかにも粗末そうな名前であるくせに、その頑丈さは全然粗末ではないのだった。だから彼がいくら地面に体ごと袋をこすりつけても、さっぱりうんともすんとも言わない。


 ただ、それでペニロサが絶望したかと言うと、そんなことはない。というのは彼は猛烈な生理現象の波にさらされており、ズボンをダメにしないようにするためには、絶望なんかしているヒマがなかったからである。


「おーい、だれかー!」


 なにもこの場所が無人であると決まっているわけでもないだろうと思いつき、彼はずた袋から大声で叫んだ。ここに梱包済みの人間がいるぞお!


 だが、返事も、返答も、その他もろもろの反応も、なにも返ってくることはなく、ただただカラスがフンを落としていっただけだった。


「がっかりですね」


 ペニロサはため息をついた。まだ彼はこの場所がゴミ集積場であり、そんな場所にいるような人間なんてめったにないことを知らなかったのだ。


 めったに。


 めった。


 ん?


 これはどういう意味だろう。辞書で調べてみると、形容動詞「めっただ」の連用形であり、たまにしか起こり得ないという程度の意味を表す副詞として用いられるようだ。


 めったに、ない。


 つまりこれは「まああんまりそういうことってないよね」くらいの意味であり、まったくないというゼロを指すわけではないのだ。


 なぜこんなことについて長ったらしく書いているのかというと、もう間もなくペニロサを助けに来るものが現れるので、そいつが登場するまでの時間稼ぎをしておこうと思ったからである。


 地球に限らず月にも限らずありとあらゆる全宇宙の生物が実際に自分の手で行えることと言えば、時間稼ぎくらいしかないのだ。


□ □ □ □ □ □ □


 ペニロサは脱皮に失敗したポイズンスネークのように、実りなき蠕動運動を続けていた。穴の一つでも開けることができたなら、ズボンを洗わなくて済むのだが。このときばっかりは、極小の錫杖の持ち主であることを誇りに思わないでもないペニロサだった。


 じゃり、という音が耳に聞こえたのはそのときだ。彼は自分に差し迫った尿意すら忘れ、その音に聞き入った。不世出の音楽家のコンサートに臨む聴衆ですら、今の彼ほどの集中は成し得なかったであろう。


 次第に音は近づき、なぜかそれとともに、彼の目に緑色の光が差し込んできた。月の夜がこんな色だったとは思われないのだが。


「やっと見つけたわよ」


 女の子。


「わあ、また女の子なのか」


 彼はびっくりして叫んだ。


「いやなの? 男になってやろうか!」


 彼女は彼になった。声も野太くなる。どういう仕組みなのか知らないが、元のほうがいいとペニロサは思ったので、そういった。


「はいはい。素直でよろしい」


 また少女声へ。


「この袋なんとかしてくれたらうれしいんだけど」


 と、ペニロサは頼んだ。いきなり性別が変わるところからして、いま彼が入っているこの袋を見下ろして立っているであろう人物(人?)が普通でないことは明らかであるが、不信感も危惧も彼の頭にはまったくなかった。


「いきなり頼んで申し訳ないけれど……」


「オッケー」


 その声が聞こえて間もなく、彼が雑に収められた袋はびりびりと引き裂かれ(尋常でない怪力)、しばらくぶりに袋越しでない空気をペニロサは吸うのだった。


 ペニロサは自分を助けてくれた人物(やはりと言うべきか少女だった)を見て、色々と思うところはあったが、まずひとつ目には。

 

「緑色に光ってる」


 ペニロサはまじまじと彼女を見つめた。


「なんか食べたの?」


「んなわけないじゃない、生まれつきです生・ま・れ・つ・き」


 その言葉にペニロサは親近感を持った。呪文のように自分も繰り返してきた言葉だったからだ。


 不思議なことに、この世界には見ればわかることをいちいち確認せずにはいられない人種というのが存在していて、そういう連中はたいてい悲劇的な結末を迎え、手抜き工事の墓に埋められて終わる。


「髪が、すごくくるくるしているね」


 光のせいで緑色に見えるのかもともと緑色なのかわからない髪を見た。


「渦潮が異常発生した海峡みたい」


「それ、褒めてるの?」


 緑色は眉をひそめる。


「そのつもりだけど」


「そっか、ありがと」


 その返答を聞くが早いか、彼は一目散に駆け出した。すっかり自分が流出寸前であることを失念していたのだった。


「ちょっと! どこ行くのっ?」


 一瞬、あ然とした少女であったが、すぐ駆け出した彼を追って駆け出した。


 ペニロサは少女から離れるために走り出したので、彼女が全力で追跡してくるのに度肝を抜かれた。ナマコのように吐き出された内臓が、少女のストーキングに役立ってしまった。


「ちょっとなんで追ってくるんすか」


 足元の悪さから、初めて自分がゴミ集積場に転がっていたことに気づいたペニロサが叫んだ。


「成人男性の排泄行為に生物学的観点からの興味を湧出させたわけでもあるまいに」


「あっ、そうなの……」


 少女が立ち止まってくれたため、彼はなんとかプライバシーを確保することに成功した。


 ひと仕事(人類のやるべきことは衛生的な排泄くらいのものだ)終えてから、ペニロサは「あんた誰?」というところから会話を始めた。


「精霊」


 少女がそう言った言葉をペニロサは信じなかったため、彼女はなんとか前髪で片目を覆ったりし、精霊っぽい雰囲気を出すように努めた。しかしますます怪しさ増す増すだけであった。


「信心浅い。もうちょっと素直な心はないの?」


「それは母親の胎内に置いてきました」


 ペニロサにそう言われ、彼女はしかたなく具体的な証拠を提出せざるを得なくなった。


「わたしは武器に宿る精霊なの……ほら、聞いたことあるでしょそーいうの」


「ぜんぜん」


「あっきれた。あんた親から何教わったのよ?」


「避妊の大切さ」


 少女がとんでもない目でにらみつけたので、慌ててペニロサはもうひとつ付け足した。


「そんな顔しないで。おれは対人コミュニケーションの基礎も学んでるから」


「全部忘れてるみたいね」


 確かに、とペニロサは思った。


「あれよ、あれ。あなたが下界の宿屋に置いてきたあの槍」

 

 やきもきした少女がとうとう核心に触れた。しかしあまりにも様々なことがありすぎたペニロサは、そんな槍の存在のことなど、頭のどこを走査したって見つからない。


「槍……?」


「いいわ。思い出すまで付き合ってあげる。いらない爪を教えて?」


「あっ、あれかぁ」


 急いで手を後ろにまわしつつ、彼は叫んだ。これは出まかせではなく、本当に思い出したのだった。


「あの緑の槍のことね」


「そうよ。やーっと思い出したの」


 辞書に載りそうなほど完璧なジト目で、少女はペニロサを見つめた。


「じゃあきみ、わざわざ月までやって来たの? これはこれは遠路はるばるよくぞお越しィ……」


「もうちょっと真面目な持ち主かと思ってたんだけど」

   

 少女はため息をついた。


 

精霊

人にとって有益な霊のこと。害を成すなら悪霊。

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