12話:実習生の踊り
なぜかスプーンの送迎を任されるペニロサ。
「まだ他の魔物があたりをうろついてるかもしれねえ」
「おれは戦えないって言ってるでしょ」
「スプーンを任せたぞ英雄」
「話聞いてんのか」
英雄は幼稚園へ行く。
ペニロサとスプーンのふたりは、連れ立って木立の間の道を歩く。この日の空は昨日より素晴らしく、しかし明日と比べるとそこまででもなかった。つまり、そこそこの晴天。
ペニロサはかたわらを歩くスプーンをげんなりと見やる。どうして自分がこの子の連れ添いにならなきゃならなかったのか、いくら考えても彼にはわからない。
「申し訳ないけれど、またクリーチャーが出てきてもさっきみたいには出来ないからね」
ペニロサは万が一の場合、自分がまっさきに彼女を置いて逃げ出してもそれが正当化され得る理由を言い聞かせておく。
「……送迎を任されておいて悪いけど」
「いいよ。ぜんぜん構わないわ」
スプーンはあっさりと彼の言葉を了承した。
「そのときはあんたを代わりに喰わせるから」
そう言って弁当箱からすくい取ったなにかのソースをペニロサに射撃するのだった。
「はあ?」
五感(から嗅覚を差し引いた部分)がソースで埋め尽くされた彼には、まったくそうされた理由がわからない。
「そうしたらちょっとはおいしそう」
そしてスプーンはらららと笑った。その声ばっかりは天使も顔負けだった。その他の部分は、言わずもがな、容貌含めて悪魔そのものであったけれど。
さんざんスプーンにちょっかいをかけられ、この子の先祖は拷問官なのかもしれないとペニロサが思い始めたとき、やっと町の入口が見えた。
□ □ □ □ □ □ □
「はーい、みなさーん」
先生が元気よく言った。
「今日はみなさんのため、面白い話をしてくれる人がやって来ました!」
「えーホント」
子どもたちはおおはしゃぎ。これで座学の時間が少し減るだろう。
「では登場していただきましょー……どうぞ!」
そこで教室の戸を開け入ってきたのはペニロサだった。
「……え、なに?」
平均年齢一桁の集団を見て、ペニロサの顔も幼児退行したようにきょとん。その体をすり抜けてスプーンが教室に入る。
「あらまあスプーンちゃん、また遅刻なの?」
先生が咎めるように言った。
「ダメじゃないの。次やったら刺すわよ」
「はあい」
悪びれずスプーンは返事をした。
刺すとかなんとか聞こえたのは幻聴ということにしておこうとペニロサは思った。それよりも、今はこの状況についてもう少し調べるのが先だ。そうしてから現実逃避するか窓から飛び降りるかを考えよう。
「おれは先生じゃないですよ……」
ペニロサは先生と思われる人に(いかにも子どもたちの顔は期待に輝いているように見えたから)こっそりささやいた。
「なにか勘違いしてませんか?」
「あら、そのはずはありませんよ」
先生は笑っていった。
「この時間に来るのは先生って決まってますもの」
「この時間に?」
「ええ、ですから昨日は風に飛ばされてきた子牛が先生でしたのよ」
教壇に立つ子牛。
「授業になるんですか、それ」
ペニロサは真面目に受け取るべきなのかどうか考えながら訊ねた。
「もちろんですわ」
先生はまた笑って(この笑いは一般的な笑いならもたらす安心感をまったくペニロサに与えなかった)、教室の隅っこのほうに墓標のように置かれた、なんだか不吉な真紅のかたまりを指差した。
「牛の可食部位について自ら実践してお教えくださったの」
どうやらその赤いかたまりが昨日の先生の末路のようだった。なるほど確かに実践的……んなわけあるかい。
「あーっ! 用事があるんだ帰らなきゃごめんなさい用事があるの命がけの用事そうそうすんごい用事どっさりの用事だから帰んなきゃグッバイ男根期ども」
「あたし、女よ」
スプーンが不満げに言った。
かまわず教室の戸に手をかけ力を込める。がたがた、がたがた。おい開かないぞ。立て付けが悪いのか。そうであってほしいのだが。
「開きませんわよ」
先生が当然だと言わんばかりに言った。
「お話をしていただきませんと」
あーなんでこんなことに。というのが今のところペニロサの思考をめぐる文字列。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。あーなんでこんなことに。
「あーなんでこんなことに」
思わず口にも出る。おっとやべえと飲み込もうとするがもう後の祭り。
「そんなんじゃダメよ先生」
すっかり最初からそこにいたふうのスプーンが笑う。
「もっと堂々としていなきゃ」
うるせえクソガキと思うけれども、こほんと一つ咳払い。人生にはこんなこともあるさと(あってたまるか)、なんとか気を静め、とにかく乗り越えることに尽力。
ペニロサは教室にいる生徒たちをざあーっと見まわす。そうしたのは曲がりなりにも先生として生徒の顔くらいは知っておこうとか、話のネタになりそうなことを見つけようとか、そういう意図があったからというわけではない。
ただただ言うことが何も思いつかず、できればこのわずかばかり稼いだ時間の間に、隕石でも落ちてきてくれないかなあと思ってやっただけのことである。
「ねえ、先生の名前は?」
最前列にいた少年が唐突に訊ねた。
「え? ええっと、ペニロサ、ペニロサと言います」
機先を制されうろたえつつも、なんとか先生としてのていを保とうとする。
「ぼくはフォークっていうんだ。よろしくね」
少年も名乗り、彼ににっこりとほほえんだ。
「ああ、よろしくお願いします」
ペニロサもぎこちない、失禁者の足取りくらいにぎこちないものではあるが、微笑みを返した。
するとそのフォークに続けとばかり、次々と教室のおちこちから自分の名を語る声が上がり、まるで大時代ないくさの始まりのよう。
「わたしはディッシュ」
「おれはティーポット」
「あたしコーヒーカップ」
「ぼくはナイフ」
「ティーカップ」
「タンブラー」
「ティースプーン」
「マグカップ」
「コップ」
「ワイングラス」
「角砂糖」
「絢爛たる銀食器」
と、ペニロサは感想を漏らした。
「いい名前ですね、みなさん」
彼は自分がなにかを言うよりも、生徒たちに率先して発言してもらったほうがいいかもしれないと思った。そのほうが楽だし。
「じゃあですね、質問。質問のある人!」
教室じゅうから手があがり、さながら針葉樹の森みたい。しかも人の手は入っていなく、密度がぎっしりの。
ペニロサはランダムに、そしてランダムだということを示すため、生徒たちに背を向け、後ろ向きに指を差し、片っぱしから当てていった。
「そこの人!」
「はい。先生は何をやってる人ですか」
「いい質問だ。それはおれが聞きたい。次!」
「先生の好きな食べものはなんですか」
「安いものだ。次!」
「好きないろはなんですか」
「正直には言えないしうそはつきたくないので答えられない。次!」
「先生はどこで生まれたんですか」
「思い出したくない。次!」
「先生は学校までどうやって来たんですか」
「来たっていうか引きずってこられたんだ。つまり流刑だな! 次!」
「先生のお父さんとお母さんは何やってる人ですか」
「近親相姦。次!」
「先生の得意なことはなんですか」
「出まかせとその場しのぎ。次!」
「先生の好みのタイプは……あれ、もしかしてわたし?」(スプーン)
「人にソースをぶっかけないような子。次!」
「好きな人とかっています?」
「それは授業に関係ないぞ。次!」
「他の質問は関係あるんですか」
「なんだお前。もう当ててやらないぞ。次!」
「先生の目標はなんですか?」
「目標? それは……」
沈黙。
ペニロサはパーペキに答えに詰まってしまった。そのどん詰まり具合といったらリサ島に住むレッドドラゴンの便秘よりひどい。
なにしろこのレッドドラゴンは一生に一回しか排便せず、というのはそれがあまりにも体に負担をかけるため、手洗いから出たら間もなく死んでしまうからである。
もく……ひょう? とぶっ壊れた機械人形のようにペニロサの思考回路は遅延した。フリーズした。一面に照る青い思考図。それは空漠。索漠。寂寞。何もない。
目標とかいった健全な言葉を、彼は今の今まで一度も考えてみたことがなかった。先ほどの生徒の鋭い指摘の通り、彼はその場しのぎでここまでやって来たのである……しのげているのかどうかは別として。
おれの目標? ペニロサは首をかしげる。その角度にはフクロウすら嫉妬を覚える。おれは一体何のために……? おれは……
「あらあら、どうなさったの?」
先生が意地悪く目を光らせた。
「生徒の前でだんまりはダメよ。それじゃあ戸は開けられないわね」
トントンと不愉快なSE付きで、先生は机を指で叩く。
「なんだか質問に対する答えも下品ですし……あれじゃあ、バツですね、バツ」
生徒たちは困惑したようにペニロサを見つめる。ペニロサはもっと困惑している。初めて考える“目標”という言葉に戸惑い、くるくる回っている。目が回る。彼はぶっ倒れた。
「大丈夫かなあ先生」
生徒たちはささやき交わす。大丈夫でないのが目に明らかなペニロサを目の前にして。
「ねえっ、聞いてよ!」
そこで教壇へ躍り出て、ぶっ倒れたペニロサを踏みつけてその上に立った者がいた。言うまでもなく、スプーンである。
「おいなにやってんだ、おれは玄関マットじゃねえんだぞ、そこを降りろ」
ペニロサが下でわめいた。
「いいからもう少し雑巾になっててよ」
さりげなく格下げされたことには憤慨するも、ペニロサは彼女の言う通り黙っていようと思った。これも説明するまでもないことだが、言うことがなにも思いついていなかったからである。
「この先生はねぇ、すげえのよ」
スプーンが演説を始めた。
「ほらあの、ジャシャンの森にある釣り小屋、あそこでとんでもなく大きな魚を釣ったんだから!」
「どんな大きさ? どんな魚?」
生徒の興味は冬の初雪よりしんしん。
「この幼稚園を丸呑みできるくらい大きいわ」
わー! と、まさしくわー! としか言いようのない歓声があがった。わー!
「グレンデルなんかよりもコロッサスなんかよりも、ずっとずっとおっかないかっこうなのよ」
ひー! と、まさしくひー! としか言いようのない悲鳴があがった。ひー!
どうやらスプーンが自分を持ち上げてくれているらしいとペニロサは気づき、とても奇妙な気持ちになった。ルシファーが人助けをするのを見る気分……
ごすっ、とスプーンのかかとがごすっ、なんて音を立ててはいけないような場所に食い込んだ。その痛みは悲鳴で形容することすらできないもので、よってペニロサは悲鳴を上げなかった。無声の絶叫。
「(だれがルシファーですって?)」
と、バジリスクを逆に射殺せそうな視線を眼下(もちろんそこにはペニロサが雑巾みたいになっている)に送ってから、スプーンは続ける。
「それだけじゃないわ。この先生、射的がものすごく上手なのよ」
射的、なんてこのぐらいの子どもが大好きなもの筆頭だ。まあ、さすがに自分の性器には負けるだろうが。
「すごい! やってみせてよ」
生徒たちに懇願で、ペニロサはようやく雑巾としての任を解かれ、手先の器用な生徒が持っていたおもちゃの鉄砲を持たされた。
「なにを狙うの?」
ペニロサはまだずきずきと痛む患部をかばいながら生徒たちに訊ねた。
「お気に召すままどうぞ」
「先生を狙って!」
全会一致。
「はあ?」
先生は身をぎょっとすくませた。なにを言ってるのこの砂利どもという目つきでみなをにらむ。
「あいよ承知」
ペニロサは先生の弱点を一瞬で見抜き、そこに向かっておもちゃの鉄砲のおもちゃの弾丸をおもちゃらしからぬ精度でぶち込んだ。
ぎぃいぃいぃぃいぃっと、この世ならぬ悲鳴を上げ、どう見てもオーガが化けているのがバレバレな「先生」は、バタンと倒れ伏し、誰がどう見ても絶命していた。
「……で」
ペニロサは生徒たちに一番気になっていたことを訊ねる。
「先生はどこにいんの?」
□ □ □ □ □ □ □
先生は中庭に埋められているところを発見された。あのオーガは子どもを全部エンゲル係数に計上できない食糧として消費しようとしてこの幼稚園を訪れたらしい、と、発掘された先生が教えてくれた。まるまる一週間無呼吸で過ごしたのだった。
「本気を出せばいけます」
とのことだった。
「先生ぇー! もう行っちゃうの?」
生徒たちがさびしそうにペニロサを見ている。
「もう先生はいらないからな」
と、土人形のような先生のほうを見ながら彼は言った。
「それに……」
目標があるから、と続けようとして、未だにそれがないことに気がつく。ありゃ、参ったな。少なくとも教育者が目標じゃないことはわかってるんだが。
「よっ、英雄!」
後ろから近づいてきたスプーンに不意を突かれ、また彼は悶絶する羽目になった。
「きみさ、おれに恨みでもあるの」
ペニロサは恨みがましくスプーンを見た。とはいえ、とても人には言えないような場所を手で抑えながらのことなので、迫力には大いに欠けていたが。
「感謝しなさいよ。わたしがピンチを救ってあげたんじゃないの」
ペニロサはそのときのことを振り返った。しかしどうしても彼女が演説するあいだじゅうずっと踏まれ続けていたことしか記憶になかった。
それでも彼女が機会を生じせしめたことに変わりはないだろうとも思う
「……そうかもね。ありがとう」
幼稚園へ行く道すがら、スプーンにせっつかれて披露した身の上話が役に立ったようだ。
「あんたさ、そんなに射撃と釣りが得意なら」
と、スプーン。
「他のも得意だったりするんじゃないの?」
「他の?」
ペニロサにはそのふたつ以外、とくに思い当たるものがなかった。
「そうよ。色々あるじゃない……カジノとか、レースとか」
ペニロサは自分がスロットを回している姿や、馬に乗ってトラックを一周している姿を想像してみようとした……それは母親の胎内と同じくらい想像しがたいものだった。
「才能があるとは思えないけれど……」
「やってみなきゃわからないじゃないの」
「おっ。まともなことを……」
ペニロサは感心して言った。
「いっつもまともじゃない」
「いっつもまともなの?」
ペニロサは生徒たちのほうを向いて言った。強風にあおられるヤナギのごとく、彼らは一様に首を振った。先生も首を振り、そのおかげで顔や首から土がぱらぱらと落ち、清掃係の生徒がため息をついた。
「なんなのあんたら」
スプーンが地団駄を踏んだ。
その振動で落ちてきた天井の埃を肩から払いつつ……「やってみなけりゃわからないじゃない」……
確かに、と、ペニロサは思った。
グレンデル
水辺に住む巨人。大木をそのまま棍棒として振り回す。弱い者いじめが趣味。
コロッサス
生命を吹き込まれた巨大な石像。よく馬車に乗って領地を荒らしに来る。