11話:嘆きのスキル
陽光がペニロサを失明させんと窓から来襲。しかし彼の夢見と関係しているかもしれない無意識の運動によって持ち上がっていた腕が、その不埒な試みをくじく。
ぱちりと、ペニロサは目を覚ます。見えたのは木。木。木。木の天井。いつから空は木製に? と思うも、ああそうだったと昨日の活躍を思い出す。釣り小屋でそのまま寝入ってしまったのだ。
なんと丸一日眠ってしまったらしい。そんなことするのはおとぎ話に出てくるボケ老人くらいのものだと思っていた彼は驚愕。
「起きたか大英雄」
仰々しく彼を呼ぶのはあの店主。功績をたたえ、タダで朝食を提供してくれるよう。いまだに月の通貨単位すら知らないペニロサにとってこれほどありがたいこともなし。
運ばれてきたのは串刺しにされた魚と、焼かれた魚と、全身の皮を剥がれた魚と、ぐちゃぐちゃにされた魚と、腹をさばかれた魚で、どれも死にたてだった。
うまいうまいと思い食べるペニロサ。
「うまいうまい」
声にも出して言ってみた。
「うまいかね。今朝おれが釣ったんだ」
店主は誇らしげに話す。
「下水道産だからうまいだろう」
店主は初めて、人間がドラゴンのようにブレスを吐くさまを見た。
「ゲッ、下水道??」
斧を研ぐ死刑執行人の入念さでペッペと魚の死体を吐き出しながら、ペニロサは烈火のごとく怒りまくる。
「なんてもの食わせるの」
「いや、すまない。そうだな、たしかに初めて聞いたならびっくりするだろうが、実はそこを泳いでる魚が一番うまいんだよ」
店主はすまなそうに、しかし弁解するようにもごもごとつぶやく。
「下水道に棲んでるのが?」
ペニロサはぜんぜん信じることが出来ない。下水道に流れているものは絶対に口に入れたくないようなものばかりであり、口に入れたくないようなものが美味しいわけはないだろうと思ったからだ。
「なんでそれが美味しいわけ?」
「たぶん、経験豊富だからだろう」
店主は根拠があるんだかないんだかわからないことを述べる。
「経験豊富な動物は、そうでない動物より、たいていは美味しくなる傾向があります」
「他のもそうだって言いたいわけ?」
「そうだな。ま、ゴブリンを食うやつはないだろうが……竜とかはそうじゃないか?」
結局ペニロサはそれ以上口をつけられず、残ったものは池に捨てた。池の中ではバラバラにされた魚が元通りに再生し、また元気よく他の釣り人の針へ引っかかるために旅立った。
「アディオース」
ペニロサは自分が食べかけた魚群に手を振って別れを告げた。
「おれはトイレに行くよ」
店主も果敢に告げた。
「そうしなければならない」
「そうか、がんばれ」
ペニロサは店主にも手を振った。
「おれはナスが苦手なんだ」
釣り小屋を出ようとして扉(内開きと外開きがランダム)に手をかけると、先に外から入って来ようとする誰かがいたようで、ペニロサの鼻ずら(鼻はないのだが)にガンと打撃を与えて飛びこんできた。
「いたい」
ペニロサは悲痛な声を上げる。
「人生で一番痛いかも知れない」
「こら! スプーン! 英雄になんてことをするんだ」
店主がトイレのなかから大声で叱った。なぜそのスプーンとやらが入ってきたことがわかったのかと言えば、トイレに扉がついていないからだ。
「わっ、まだ扉つけてないのお? だっさ!」
スプーンとやらがくすくす笑いながら言った。
「都会じゃみんなつけてるのに」
「ここは都会じゃないんだ。郊外なんだ」
店主が言い返した。
「都会かぶれが一番ださいんだぞ」
ふんと鼻を鳴らし、スプーンはここで初めて自分の登場によって傷を受けた人物の存在に気がついた。それはペニロサであり、現在のところ、彼は鼻(のあったところ)を抑えていた。
「あら、ごめんなさい」
おっそろしい無感情の声でスプーンは言った。
ペニロサはあまりの痛みに目をつぶっていたため、まだ彼女の姿を視認していない。だからこのスプーンというのは声からすれば女の子のように思えるけれども、実は中年男性だったり、目が三つあったり、ひとつもなかったりする可能性も排除されていないわけだ。
ま、女の子だけど。
「スプーンスプーンってなんだよ。口の悪い食器もあったもんだな……」
悪態つきつつ目を開けると、わおびっくり。世界に恥じない少女がそこに。
肌は透き通るようで、というか本当に向こうが若干透けて見えるような気がする。髪は純金。本当に黄金と引き換えにできるほど、いやそれでも釣り合わないほどの輝きを放ち、ペニロサはあやうくまた失明するところだった。
その他美少女と聞いて変態どもが妄想するすべての特徴を万全に完備し、360度どっからどう見ても完璧な、ああこれぞ無欠の巫女。
月の気候がそうさせるのか、その他の絶妙な要因があるのか、たまたまか、とにかくすんばらしいかわいらしさを備えた女の子であったよ。歳はいくつかな……まあ、お好みでどうぞ。
「口が悪いのはその代償なんだな、きっと」
ペニロサはひとり納得してうなずいた。
「なにあんた? 初対面の人にそんな口のきき方はないんじゃない」
スプーンが口をとがらす。
「いや、ほら、釣り合いをとるつもりだったんだよ。この殴打された鼻づらの……まあ鼻はないけど」
ペニロサは先天的欠落の箇所を指差して説明する。
「あっほんとだ。鼻がない」
スプーンは目を丸くする。
「鼻以外全部ない人なら見たことあるけど、鼻だけがない人なんて初めてよ」
「その人、本当に人?」
ペニロサが疑い深く訊いた。
ようやっと公開トイレットを完了した店主(まだ名前がわからない)が戻ってきて、このいきなり突っ込んできた少女が誰かなのかというペニロサとかの疑問に答えた。
「おれの親戚の子なんだよ。口が悪くてなあ……」
店主は困ったように、いや実際困っているのだが、とにかくそんなふうにため息をつきながら言った。
「えぇ? ご本人が目の前にいんのに言うの?」
スプーンが抗議するように言った。
「おれは陰口が嫌いなんだ」
店主がきっぱりと言った。
「そうだ、お前さんに景品をあげなくちゃなあ」
そう言って彼はカウンターの方へ向かい、そこの壁に張ってある万里に及ぶ景品目録のポスターを見た。
「なにかしたの?」
スプーンがペニロサに訪ねた。
「魚を釣ったんだよ」
説明の苦労をうとみ、ペニロサはひどく省略した回答を授けた。
「釣りが得意そうには見えないけど」
「そうかい。じゃ、なにが得意そうに見える?」
「ううん、なんにも」
「そうか」
ペニロサはつぶやいた。
「たしかに口が悪い」
店主はまだポスターを見ている。
「ねえ、なんでわたしの名前がスプーンなのか、気にならない?」
スプーンがスプーンみたいに訊ねた。この表現の意味は、どうか各自で考えていただきたいところ。
「まあ、気にならなくはない」
「なにさー、ほんとは気になって気になって仕方なくてああ夜も眠れない万夜を不眠で過ごさなきゃなんて思ってるくせに」
「それはないけどね」
「ねえほら、覚えてるでしょ、あのスプーンが降った日」
「なにそれ」
「それがわからないんじゃ話にならない」
スプーンが憤慨して言った。まるでスプーンがフォークの代わりに使われたときのような怒りようだった。
「だっておれ、地球から来たんだもの」
ペニロサは肩をすくめる。
「えっ、あそこから来たの?」
地平に昇る青い輪郭の星を知るスプーンは驚いた。近視の人がスライムだと思ってちょっかいをかけたクリーチャーが実はゴーレムだったと気づいたときのような驚きようだ。つまり、ありえないって意味で。
「そうだよ」
ポスターの前で石のように動かない店主を気にしながらペニロサは答える。
「ねえ、地球にはなにがあるの。あそこでは人よりスライムが賢いってほんと?」
スプーンが意気込んで訊いてくる。
「だいたい月といっしょだよ。ただ、あれだな。狂気の方向性がちょっと違うってだけで……」
ペニロサの答えにスプーンは露骨に興味を失くし、もう幼稚園に行くわと振り返りもせず釣り小屋を出ていった。
「え」
ペニロサはぎょっとした。
「幼稚園生だったの?」
□ □ □ □ □ □ □
「……うちの景品システムはだな、重量制なんだ」
店主が重々しく口火を切った。そのおかげで彼のひげが少し焦げた。
「魚の重さによって景品が変わるってこと?」
ペニロサが確かめた。
「そうだ。重ければ重いほど豪華になるってわけだな」
店主はうなずく。
そんな釣りぼりってあるのかなあと……つまり景品とは釣った魚そのものであるとばかりペニロサは思っていたものだから、奇妙に感じた。
しかしここは月であるからして、地球人たる自分の常識を当てはめようとすることがそも間違いなのでありと結論づける。そういうものなのだ。
「それでだな、問題は……」
と、ここで店主は後ろを振り返った。ゴーストでもいるのかとペニロサは震えたが、いまは朝だと、またそもそもゴーストの気配を感じて店主は振り返ったわけでもないのだと自分に言い聞かせた。そしてそれは事実であり、彼は景品一覧を望むために背後を見たのだった。
「お前さんの釣った魚が、どう見ても測量不能だってことだ」
店主は頭をかいた。
頭を洗ってないのかとペニロサは思った。それは間違いである。
少なくとも半分は。
「だから、どの景品がふさわしいのか……」
「景品って、どんなのがあるんです?」
ずっと気になっていたことをペニロサは訊く。
「そりゃもう、百科全書的になんでもあるな。釣具はもちろん、エサに……あっ、バターもあるな」
「その他?」
「いや、なんでもだな。武器に防具に魔導書にアーティファクト……」
「えっ、そんなに?」
ペニロサは目をイエルエリ産のブドウみたいに丸くした。ちなみにこのブドウはあまりにも甘く、一口食べると即死することで有名である。
「おう、そうだ。そうでもしないと差別化できねえからな」
「差別化?」
「月には釣りぼりが多いんだよ。海が多いからな」
海と聞き、ペニロサは店主に譲渡した旅行券の行き先を思い出した。
「神酒の海にも魚は棲んでんの?」
「いるにはいるけどな」
店主は最後まで残していた嫌いな食物を見るような顔をして言った。
「どれもこれもアルコール度数が高すぎてな。あんなのは酩酊者しか食わんよ」
「酩酊者って?」
「神酒の海に行くようなやつらさ」
店主は昨日ペニロサにもらった旅行券を取り出し愛しげに眺めた。
「つまりこのおれだな」
そのとき外から悲鳴が。
「なんだ……まるでだれかがクリーチャーに襲われてるような悲鳴だな」
ふたりが外に駆け出してみると、本当にだれかがクリーチャーに襲われていた。もうちょっと正確に言うなら、だれかというのはスプーンのことで、クリーチャーというのは十体くらいのゴブリンのことだった。
「畜生!」
店主は大声で叫んだ。
「まだ幼稚園に行ってないのかよ!」
「行けるわけないでしょこんなんでえ!」
スプーンも叫び返した。
「まわりじゅうゴブリンまみれなのに」
「あれ、なんとかしたほうがいいんじゃないの」
ペニロサはそう言ってみた。自信なさげに。もちろん彼は自分の戦闘能力が鼻と同じくらいにまったくないということを自覚していたので。
「それはそうだ。なんとかしよう」
店主はまた店に駆け戻り、武器になりそうなものをありったけかき集めて戻ってきた。ここで武器になりそうなものというのは、三年くらい放置していた魚の遺体や、もらってから一度も開けてない瓶詰めや、大量の試供品などのことだった。
「あんたはアホなのか」
ペニロサは仰天して言った。
「こんなんでクリーチャーと戦うような人間がどこにいるんだよ」
「いや、いるぞ」
店主は大真面目に言った。
「その昔、ニャロソサス地方領主ペーソペペンが東から来襲してくるルナヒュドラの群れに対抗するため勇者を募ったとき……」
「あんたら殺すわよ」
スプーンがまたどなっている。
「こんないたいけな子どもを見殺しにするっていうの?」
「あの子ひとりでもなんとかなりそうじゃないすか」
ペニロサはわりと真剣にそう言ってみた。
「そうだな」
店主もわりと真剣にうなずく。
「むしろおれたちが殺されないように逃走すべきかもしれん」
「――!!!!」
超真剣にスプーンはとんでもないことを叫んだ。あんまりひどすぎる内容のため、ペニロサは自分の耳がぶっ壊れたのかと思ったほどだ。
「前言撤回。なんとかしてやらなきゃな」
店主は急いでそう言った。ペニロサもうなずく。これ以上スプーンを放置していたら、ページ中イカに墨を吐かれたように真っ黒になってしまうだろう。それだけはなんとしてでも防がねばならぬ。
「で、どうする?」
そう訊かれて、ペニロサは答えた。
「えっ、おれが考えるの?」
「お前はこういうのに慣れてるんじゃないのか」
「冗談じゃない。これが正真正銘初戦闘なんだぞ」
「なに? じゃあいままでなにやってたんだ」
「射的とか、ふくびきとか……」
「そんなんでいいのかお前」
「これがおれの在り方なんだ」
「(おい、なんかアイツら言い争ってるぞ)」
「ちょっといつまでやってんのよ!」
「(この娘どうする?)」
「なるほど、そういう生き方もあるよな」
「ああむかつく! なんなのホント」
「だろ?」
「(うるせえなこいつら)」
「憧れるな、そういう生き方には」
「早く助けないと人生終わらせるわよ!」
「なに、あんたもやってるじゃないか」
「ちょっと! 死にたいの?」
「まあな」
「(なんかめんどくさいな)」
「(もうやっちまうか?)」
「(やっちまおう)」
ゴブリンの群れが動いた。
すかさず、ペニロサが店主の積み上げたガラクタの山から一番手近にあった物をひっつかみ、思いっきり投擲する。
それは瓶であり、放物線を描く中途でフタがゆるんで、中身を飛び散らせた。その中身というのは通称「ゴブリン殺し」として名高い魚の酢漬けである。しかも熟成は激しく進んでいた。
「ゲ! ゲゲ……」
力なくゴブリンたちは倒れ行く。その様子を見ていると鼻がないことも悪いもんじゃないかなとペニロサには思えてきた。
「さすが化物を釣り上げただけはあるな!」
店主はあのときのようなテンションでペニロサを称賛した。しかし彼の顔はぜんぜん歓喜にほころばず、むしろ青ざめて冷えびえとしていく。
「あっ、やばい」
ペニロサは臭気がもくもくと濃い霧のようになった彼方を透かし見るようにしながら、
「あの子のこと忘れてた」
数分後、無事霧が晴れてみると、そこには集団自殺した信者みたいなゴブリンの群れと、その中心で鼻を抑えて悶絶する、絶世のロリータとがいるのであった。
ルナヒュドラ
月に生息するヒュドラ。動きが機敏で、熟練のモンクすら太刀打ちできない。