09
「ありがとう。それじゃあっちでゆっくりと、おじさんとお話ししようか」
「サヨに触るな! 今すぐ帰れ!」
「なぜ、急にそんなことを?」
お菓子で釣ろうとしたからに決まってるだろーが。
完全にアレ誘拐犯の手口だからね。
まともな保護者なら子どもを守ろうとするの当然だからね。
「いいか、サヨ。知らない人についていっちゃダメだ。お菓子をあげるとか、おししいものを食べようとか、お父さんかお母さんが事故にあったとか、いろんな嘘を利用して犯罪者は近づいてくるんだ」
「院長、俺は犯罪者じゃありません」
その後、イヴは院長の説得に五分の時を要した。
「いいか? サヨに変なマネしやがったら即刻たたき出すぞ。お前さんの手足を撃ち抜いてから、心臓にぶっとい釘を刺してやる」
「しませんよ、変なことなんて……」
「イヴ、私は信じていますよ。あなたは幼女に変なことをする人なんかじゃないって」
「クロまでそういう目で見るのか……」
妻にまで変な目で見られていたことに、イヴは大きなショックを受けた。
「それじゃあ気を取り直して――サヨちゃん。おじさんたちはちょっと事情があって、子どもを作ることができないんだ。でも、子どもは欲しい。おじさんたちの子どもになってくれないかな?」
「……………………」
「もしもなってくれるなら、何不自由ない生活を約束しよう。おじさんたちはこれでも結構な高給取りなんだ。欲しいものは何でも買ってあげられるよ?」
「サヨ、騙されるな! これは完全に誘拐犯の手口だぞ!」
「イヴはそんな人じゃありません! ちょっと、その、天然なだけなんです!」
クロのフォローにまた少しイヴは傷ついた。
「と、とにかくそういうわけだからどうだろう? おじさんたちの子どもに、なってくれないだろうか?」
「……答えを出す前に質問させて。少しだけでいいから」
「うん? なんだい?」
「おじさんたちは子どもが好き?」
「うん、好きだよ」
「もちろんですっ!」
「子どもが作れないから、わたしに子どもになってほしいの?」
「うん」
「はい」
「じゃあ、もし子どもが作れるようになったら、わたしは用済みになるね」
「……え?」
「そんな、こと……」
「もらわれっ子のわたしは、本当の子どもが生まれるまでの繋ぎにしかならないと思う。だから、わたしを引き取っても、本当の家族にはなれないと思う」
サヨの言葉に二人は絶句した。
この小さな女の子は、いったいどのような人生を歩んできたのかを考えると、二人は切ない気持ちになった。
(……いや、同情はやめよう。これはあくまでエージェントの仕事の一環だ。幸せな家庭を作るという、な。私情は禁物だ)
クロのこともあり、すでに半分以上私情が入っているように思えるのは棚に上げ、イヴは首を振り、サヨへの同情心を振り払う。
冷静に、冷徹に、幸せな家庭の最後のパーツ――可愛い娘を得るために必要な言葉はなんなのか、最適な言葉を検索し、語った。
「サヨちゃん、幼いきみがどんな人生を歩んできたのか俺達にはわからない。でも、これだけは約束する。たとえどんなことが起こっても、俺たちの間に実の子どもができたとしても、きみは絶対に用済みになんてならない。なぜなら、きみを含めて家族全員、幸せに暮らすことが目的だからだ」
そう言い切ったイヴに、サヨは不思議な気持ちになる。
ちなみに、実の子どものくだりを聞いて、クロのテンションが少し上がった。
「……本当に?」
「ああ、約束する。もし俺たちの間に実の子どもができたときは、その子のお姉さんになってほしい」
サヨの心が動きかけていることを察し、イヴは一気に畳みかける。
「お姉さん、お姉、さん……うう…………」
「サヨちゃん?」
「ど、どうしました!? 大丈夫ですか!?」
サヨの様子が変わったことに気づき、イヴとクロは慌ててサヨに駆け寄った。
「サヨちゃん、大丈夫か?」
「サヨちゃん、しっかり!」
「っ! いけないっ! 逃げて! おじさんおばさん!」
「急にどうした?」
「いいから早く! でないと巻き込まれちゃう!」
「巻き込まれる?」
突然、人が変わったかのようなサヨ。
なにかを必死に訴えるが、二人のリアクションは芳しくない。
「巻き込まれるって、いったい何に?」
「わからない! でも、きっともうす――」
サヨが最後の言葉を発するのと同時だった。
突然、孤児院の敷地内に野良犬が侵入してきた。
少し離れた場所で見ていた院長とクロが、子どもたちを身を挺して守るが、件の野良犬はそちらへは向かわない。サヨ目掛けて一直線に疾走している。
涎を振りまき、肉にありつくべく、野生の本能のままにサヨに飛び掛かった。
(噛まれるっ!? …………あれ? 痛く、ない?)
しかし、野良犬の牙はサヨに届くことはなかった。
イヴがサヨの前に立ち、その身をもって守ったからである。
野良犬の牙はイヴの腕に深々と突き刺さっている。
「大丈夫か、サヨちゃん?」
「……おじさん、どうして?」
「きみは今日から俺たちの娘になるんだ。子どもを守るのが親の務めだろう?」
「イヴ! ……よくもイヴを!」
イヴが噛まれたことに気づき、クロは怒りをあらわにした。
野良犬目掛けて殺気を放つクロ。
ただの犬が人狼に敵うわけがない。
野良犬はクロが放つ圧倒的強者のオーラに気圧され、キャンキャン鳴きながらいずこかへと逃げ去っていった。
「イヴ、大丈夫ですか!? 大丈夫ですか!?」
「ああ、心配ないよ、クロ。これくらいなんてことはないさ。知ってるだろ?」
ほら――と、イヴは元気をアピールする。
実際、噛みつかれたはずの腕に、もう傷は残っていない。
「きみの旦那は、身体が丈夫なのが取り得だってことを」
「ふふっ、そうでしたね。でも、あまり無茶はしないでください」
「ああ、わかっているさ。結婚したばかりで奥さんを悲しませたくないからな」
「まあ……ふふふ」
「はははは」
顔を見合わせ、冗談交じりに笑う二人。
そんな二人の笑顔を見て、サヨは大きな決断を下した。
「……うん、決めた。いいよ」
「「え?」」
「わたし、おじさんとおばさんの子になってもいいよ」
「本当か!?」
「いまさら嘘って言ってもダメですよ!? もし言われたら私泣きますよ!?」
「言わないよ。院長、わたし、この二人の子どもになる」
「まあ、お前がいいって言うなら構わねえが……」
サヨ自身にこう言われては、さすがの院長も折れざるを得ない。
「サヨ、養子に行ってもお前は俺の子だ。辛い目にあったら、いつでも戻ってきていいんだからな」
「うん、じゃあ院長、今まで本当にありがとう」
†††††
孤児院からの帰り道、三人は手をつなぎ歩いている。
その姿は、どこからどう見ても、仲睦まじい親子にしか見えないだろう。
「ねえ、お……父さん、お母さん」
「なんだい、サヨ?」
「どうしました、サヨちゃん?」
「もしいつか、わたしのことがいらなくなっても、恨まないからね」
はかなげな微笑みを浮かべながらそう言うサヨに、二人の心は締め付けられる。
「そんなことになりはしないさ。言っただろ? サヨを含めた、俺たち三人で幸せな家庭を作るのが目的だと。いらなくなんてならないよ」
頭を撫でながらそう言うイヴに、サヨは「この人の子どもになってよかった」と思った。
「そうですよ! 絶対にいらなくなんてなりません! こんな可愛い娘をいらない親なんて、絶対にいませんっ!」
「ぎゃーっ!?」
「ああっ! ご、ごめんなさいサヨちゃん! ちょっと強く抱きしめすぎました! だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、お母さん……」
「お母さん……そう呼んでくれてありがとうサヨちゃん! サヨちゃんの親にふさわしいお母さんになりますね!」
「ぎゃーっ!?」
「そんなっ!? まだ強かったの!?」
抱きしめる力が強すぎる。
慌てるクロを見上げながら、サヨは「ちょっとだけ判断早かったかな」と思った。