08
というわけで翌日、孤児院を訪れたイヴとクロ。
昨夜の発言とその場の雰囲気から、新婚さんらしく深夜のプロレス興行にいそしむかと思いきや、イヴはクロに何もせず、「明日孤児院に行きましょう」と言い、風呂に入ってさっさと別室で寝てしまった。
空気読めよお前。あれは雰囲気的に押せばいけたぞ。深夜のプロレス興行が開始できたぞ。
クロにベッドの上でベアハッグ(隠語)とか、ボディープレス(隠語)とかした後にローリングクレイドル(形容詞)に持ち込めたぞ。
まったく、空気を読まない主人公だぜ。
「それにしても、昨日は驚きました」
「え?」
「だって、急に子どもを作ろうだなんて……。身体の関係を迫られたのかと思って」
「それはありえない。性交渉はしない約束だったでしょう」
「あはは、そういえば……そうでしたね」
クロの目から急速に光が失われた。
「うぅ……あんなこと言わなければよかった」
結婚に関する条件は、自分の裏の仕事を守るためには仕方のないことだった。
しかし、自分が【青血種】であり、さらに世間を騒がせている怪盗【風害】の片割れであることは、すでにイヴにばれた上に受け入れられているため、仕事抜きでイヴと夫婦になろうと思っているクロにしてみれば、ただの足かせでしかなくなっていた。
後悔先に立たずといは、誰が言った言葉だったか?
(うーん、どうすればいいかな? もっとイヴさんと夫婦っぽくなれるかな? 夫婦でしかできないことができるかな……ってキャーッ! 何考えているの私!? 夫婦でしかできないこととか、もう、エッチ!)
「ふ、やはりクロさんを見ていると癒されるな」
隣を歩く百面相中の妻を、優しく見つめる旦那さんである。
「あ!」
「うん? クロさん、どうかしましたか?」
「えーと、あのですね、イヴさん。一つ提案があるんですけど」
「なんでしょう?」
「私たち、もう夫婦じゃないですか。だからですね、さん付けはやめませんか? なんかお互いに遠慮しているように聞こえますし。これから養子になる子に、そういった空気を感じさせてしまうのって、不安につながりそうで良くないと思うんですよ」
「なるほど」
「なので、今からお互い呼び捨てにしましょう。ね?」
「そうだな。たしかにクロさ――クロの言う通りだ」
「はうっ!?」
「どうした!?」
急に胸を押さえてしゃがみこんだ妻の顔を、イヴは心配そうにのぞき込む。
「だ、大丈夫です。ちょっと胸が苦しくなっただけです……」
「……全然大丈夫に聞こえないんだが」
「大丈夫ったら大丈夫なんですっ! すぐに回復しますから!」
そう言ってクロはイヴに背を向けた。
ちなみにクロのこの時の心情を述べよ――と、国語のテスト風の問題を出された場合、模範解答はこんな感じだ。
――うわーこれすごい、これすごいよぉ……。
イヴさんとの関係を進めるために、心の距離を縮めていこうと思ったけどやばすぎるよぉ……。
ただ呼び捨てにされただけなのにぃ……私の心臓がキュンキュンしちゃってどうにかなっちゃいそぉ……。
これだけでもいっぱいいっぱいなのに、私たちの間に子どもができちゃったら、もう、私どうなるのぉ……?
「お母さん」とか「ママ」とか呼ばれちゃったら……ああ、もう、幸せすぎるぅ……。
緩み切った表情筋を、クロは必死に元に戻す。
「お待たせしました、もう大丈夫です。行きましょう、イ、イヴ……」
「ああ、だけど本当に大丈夫なのか? どこかで少し休まなくても?」
「大丈夫! さあ、未来の子どもが待っています!
†††††
「あんたらに任せられる子どもはいない。ケツまくってさっさと帰りな」
ボロボロのソファーにドカッと座り、ぶっきらぼうに院長はそう告げた。
「そんなぁ……」
「俺たちは子どもが欲しいんです。なんとかなりませんか?」
「ならねぇな」
「そこをなんとかお願いします!」
「俺ぁ神様じゃねえ。お願いされてもなにもできねえよ。まあ、本物の神様だって似たようなモンかもしれねえがな。罪もない子ども一人、満足に幸せにできねえんだからよ」
ケッ――と悪態をつく院長。
スキンヘッドにサングラス、二メートルを超えるマッチョな大男といった風貌だが、どうやらものすごく良い人のようだ。
だが、良い人だからこそ、交渉をするのは難しいと思える。
「さあ帰った帰った。俺はこれから子どもたちと遊んでやる約束をしているんだ。話は終わりだ、早く帰ってくれ」
「帰りません。養子をいただけるまでは、絶対に」
「わからねえ奴だなあ。あんたら夫婦に任せられる子どもはいねえって言ってるのがわからねえかなあ?」
「わかりません。なぜ貴方がそう言うのか、せめて理由をお聞かせ願いたい」
食い下がるイヴとクロに強面の院長はため息をついた。
「はぁ……わかったよ。なんで任せられねえか教えてやる。それはな、俺のこだわりだよ。俺は子どもが大好きだ。子どもと一緒に暮らせて国から補助金までもらえるこの仕事は、昔の仕事とは比べ物にならないくらいの天職だと思ってる」
院長の昔の仕事が気になるところだが、今はあえて触れない。
「孤児院にくる子どもってのは、様々な不幸な理由で親と一緒に暮らせない子だ。クソッタレな神様の与えた試練だか運命だか知らねえけどよ、親と一緒にいれないってことは、人並みの愛情を受けられねえってことだよ。わかるか?」
「……はい」
「ええ、わかります」
虐待や死別、院長の言葉で、子どもたちの事情が脳裏に浮かんでくる。
イヴとクロは、外で遊ぶ子供たちの声を聴き、いたたまれない気持ちになった。
「俺はただの院長で、あの子たちとは全く血のつながりはないが、あの子たちの父親であると思っている。本当の親から満足に愛情を受けられなかったぶん、精一杯、本当の親以上に愛情を注いで育ててやろうって思っているんだよ。本当の親以上に、愛情を注いで育ててくれる家庭に任せたいって思っているんだよ。絵にかいたような幸せな家庭に引き取ってもらいたいんだよ」
「それなら何も問題はありません。俺と彼女が目指すのも幸せな家庭です」
「……はぁ」
イヴのストレートな物言いに、院長は再びため息をつく。
「……具体的には? お前さんの目指す幸せな家庭を言ってみろ」
「美して気立てのよい妻がいる」
「他は?」
「かわいい娘がいる」
「他は?
「仕事で評価されている」
「……他は」
「年収二千万以上」
「……………………」
「友達がたくさんいる」
「……………………もういい」
メモ帳を見ながら言うイヴにそう告げる。
「お前さんな、心からそう言ってないだろ?」
「そんなことはありません」
「そうかい。でもな……メモ帳を見ながら言っても説得力皆無だぞ」
「それは、たしかにそうかもしれません……」
「口だけならなんとでも言える。自分の目標もメモ帳を見ながらでしか言えないような怪しいやつに、大事な子どもは任せられねえ」
「あの、院長さん。私たちは本当にそうありたいと……」
「そうは言うがね奥さん……」
帰れと言う院長に食い下がるイヴとクロ。
言葉の応酬を繰り広げていると、二人はふと自分たちを見る視線に気づいた。
「うん? きみは……」
視線の主は幼女だった。
年のころは十歳くらいだろうか。
リバーランド共和国では珍しい黒髪黒目。精巧な東洋人形のような美しさと可愛らしさを持つ、将来が楽しみな幼女である。
「こ、こんにちはー」
「やあ」
「……………………」
会話をやめ、クロがぎこちなく挨拶するが、幼女はそれに応えることなく、サーッとどこかに逃げてしまった。
「嫌われたっ!?」
「くっ……なにが、いけなかったんだ?」
養女に逃げられたことに、イヴとクロは深く傷ついた。
「気にすんな。あの子はいつもあんな感じなんだ」
落ち込む二人を院長がフォローする。
幼女の名前はサヨ。
黒髪&黒目なので、出身はたぶん東方の国【東和】とのこと。
「たぶん?」
「ああ、見た目からそうだとは思うが、正確なところは俺にもわからねえんだ。あいつは行き倒れだったから、本人に聞くわけにもいかねえからなあ」
「行き倒れてたってことは、どこかから逃げ出したってことですもんね」
「そうさ。迷子ならよかったんだけどな。いつまでたっても保護者が現れやしねえ」
「そんな子に過去を聞くわけにもいかない、か」
つらい記憶を呼び覚ましてしまうかもしれない。
年場も行かない養女に、そんな思いをさせたくなかった。
「気になって、昔の伝手を使って調べもしたが、正確なことはわからなかった。サヨがどこでどう生きてきた子なのかは、本人以外わからねえよ。わかるのは辛い目にあって、ここにいるってことだけだ」
「なるほど……」
「おっと、話している間にまた時間が経っちまったな。それじゃそろそろ帰ってくれ。俺は子どもたちと遊ぶ。砂場ででっかい山を作ってトンネルーってやって、子どもたちの喜ぶ顔を見るんだ」
「待ってください、俺たちの話はまだ終わっていません」
部屋を出ようとした院長の手を取り、強引にイヴが引き留める。
「院長、あなたが子どもを大切にしていることは、今までの話や行動からよくわかりました。しかし、それでも俺たちは引き下がるわけにはいきません。俺たちも子どもが欲しいんです」
「本当にわからねえやつだなあ。お前さんたちには任せられないって言ってるだろう?」
「ええ、ですが、それはあくまで院長のエゴですよね? 子どもたちがそう言っているわけではない」
「まあ、そうだけどよ……」
「院長、俺たち夫婦にチャンスをくれませんか? 子どもと直接話をさせてください。その上で嫌だと言われたら諦めます。どうかお願いします。どうか……」
「わ、私からもお願いしますっ」
「……………………わかった。いいだろう。このままだとテコでも帰らなそうだしな。それに、あんたらは怪しいが、悪いやつではなさそうだ。子どもにフられて落ち込んでたしな」
「ありがとうございます」
「ありがとうございますっ!」
「だがな、チャンスは一度、つまり一人だけだ。最初に話しかけた子以外は絶対に認めねえ。あの子がダメだったからこの子だなんてするやつは信用できん」
院長の言葉にうなずく二人。
「で、誰にするんだ?」
「それはもちろん」
「あの子でお願いします」
二人の視線の先にはサヨがいる。
ミステリアスな出自――素性の知れない子どものほうが、仕事目的上、色々と都合がいいこともある。
「いいだろう。もしサヨがいいって言ったら里親として認めてやるよ。言っておくけど、サヨは今までいくつもの里親候補を断ってきた猛者だぞ。絶対に無理だと思うがな」
院長のお許しが出た瞬間、クロはダッシュでサヨに近寄った。
「ね、ねえ、お姉さんとお話しない?」と、笑顔を浮かべて話しかけたが、検討むなしく無視され避けられるクロ。
ダッシュしてハァハァしていたからだと思われる。
不審者と思われても仕方ないよね!
「うぅ……サヨちゃんに嫌われた………………」
落ち込む妻のためにも、夫である自分がリベンジせねば――と、今度はイヴが接近する。
しかし、リベンジするにはどうしたら良いだろうか?
院長曰く、彼女は何組もの里親候補を返り討ちにした猛者。
子ども好きしそうな優しい表情程度はいくらでも作れるが、その程度でなびくとはとても思えない。
あの幼女を篭絡するには、他に何かプラスアルファが必須と思われる。なにか、なにかないか? 子どもが好きそうなも――はっ! これだぁ!
イヴはダッシュでその場を立ち去り、一分後に再び現れた。
子ども好きしそうな優しい笑顔(汗だく)を浮かべながら、猫なで声で話しかける。
「サヨちゃん、ちょっといいかな? お菓子あげるからおじさんとお話しようか?」
完全に誘拐犯的なアレだ。
あ、こりゃダメだな――と、院長とクロは思った。
「………………いいよ」
「ええっ!?」
「嘘だろ!?」
サヨのリアクションに驚愕の声を上げる二人。
誘拐とかされる前に、「怪しい人についていってはいけません」と教えるべきだなと思った。
「変なおじさん。こんなひと、はじめて」