07
プロポーズから三日後――。
「はい、確かに受理しました。今からお二人は夫婦です。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございますっ!」
リバーランド共和国の首都で、一組の夫婦が誕生した。
もちろん、その夫婦とはイヴとクロである。
あんな告白があったのだから、それこそその日のうちに席を入れるかと思いきや、籍を入れたのはあれから三日も経過してからなので、何も知らない人が深読みをすると、「ははーん、勢いでプロポーズをしたものの、やっぱりビビってイモ引いたんだな」とか、「バッカ、違ぇよ。超短期のマリッジブルーにかかったに決まってるだろ?」とか思うかもしれないが、何のことはない。クロが仕事だったからである。
あの日は普通に週明けだったので、単純に仕事が休めなかっただけだ。
プロポーズ後出勤して、直後に退社届を出して、寿退社となったのがたまたま今日だったというわけだ。
どうでもいいけど、三日で申請通るとかその会社やばくない?
「えへへへへ~♪ ふふふふふ……♪」
「クロさん? クロさん?」
「え? あ! な、なんでしょうイヴさん?」
籍を入れた二人は、そのままクロの家に帰宅。
イヴの家に一緒に住むため、業者を呼んで引っ越しの真っ最中である。
「荷物の運び出しが完了したと業者の方が。サインが欲しいそうです」
「わ、わかりましたっ! サインですね、サイン……」
渡された書類に自分の名前を書く途中、クロの動きが止まった――かと思うと、突然ニコニコした笑顔になり、名前を書き終えた。
クロは「は~い、お待たせしました~♪」と、めちゃくちゃ上機嫌で踊るように書類を業者に渡す。
いっそう上機嫌になった理由はもちろん名前だ。
書類に書かれた名前は、クロ・エルミタージュ。
そう、ポイントは【エルミタージュ】。
イヴの苗字である。
自分の苗字が変わったことを目の当たりにし、クロは結婚の幸せを再認識してトリップしてしまったのだった。
まったく、可愛いなこの新妻。仕事のこと完全に忘れてるな。
「それじゃあ、鍵を返しに行きましょうか」
「はい♪」
「結婚した記念に、今日は豪勢な夕食を振舞いますので、楽しみにしてください」
「あ、もしよろしければ、夕飯は私に作らせてもらえないでしょうか?」
「え? でも……」
「遠慮しないでください。今日から私たちは、その……夫婦なんですから遠慮はなしですっ! 料理は私に任せて、イヴさんはゆっくりしてください。引っ越しを手伝っていただいたことですし、ね?」
「それは構いませんけど、いいんですか?」
「もちろんです! 貴女の妻に任せてください!」
「わかりました。では、よろしくお願いします」
話は終わり、二人は新婚さんらしく、手をつないで帰宅する。。
しかし、二人はこの後、夫婦生活を揺るがしかねない大問題に直面することになる。
†††††
「それじゃあクロさん、お願いします。台所や冷蔵庫にあるものは、好きに使っていただいて構わないので」
「はい、わかりました!」
「じゃあ、俺はここでゆっくりさせてもらいます。でも、何かやってほしいことがあったら、気にせず言ってくださいね。俺は貴女の、夫なんですから」
「は、はい……あ、あな――」
「うん?」
「な、なんでもありませんっ! ええ、なんでも!」
言葉を最後まで言うことができず、クロは全力で誤魔化した。
結婚したのだから、イヴを「あなた♪」と呼びだかったクロさんだが、その時が訪れるのは、まだまだ遠い先のようである。
イヴは、そんな新妻の不審な言動に首をかしげながらも、椅子に座ってクロの後ろ姿を見る。
いい、やはりいい……鼻歌交じりにルンルン☆KIBUNで料理をする新妻の後ろ姿は素晴らしいものだ。世界の美しい風景百にノミネートしたい。あ、耳と尻尾が出てきた。
スーパーモデル体型の銀髪美人犬耳&尻尾新妻とか、完全に勝ち組である。
イヴはいったい、前世でどんな善行を積んだのだろう?
(やっぱりかわいいな、クロさん。任務抜きで、結婚してよかったと思える)
そんなふうに、イヴが新婚の幸せを噛みしめているうちに、料理が完成する。
リビングのテーブルに次々と料理が並んでいく。
自分の前に並べられた料理を見て――イヴは冷や汗を浮かべた。
「さあどうぞ――と言っても、ただのハンバーグですけどね」
「ええ、そうですね。ハンバーグ、ですね……」
「肉を焼くというシンプルな工程だけに、イヴさんが食べやすいよう、ちょっとこだわってみたんですよ」
「ああ、それは、はい、わかります。……こだわってますもんね」
「わかってもらえて嬉しいです♪ それじゃいただきましょう。いただきまーす」
「いただけません」
「ええっ!?」
クロが驚いたような顔をしてイヴを見る。
何でそんなことを言われたのかわからないといった表情だ。
「えーと、クロさん。念のため聞きますけど、これ、ハンバーグなんですよね?」
「はい、そうですけど?」
「なるほど。でもクロさん、これ、俺には『ハンバーグに見えない』のですが……」
自分の皿の上に盛りつけられたハンバーグ(?)を指さし、イヴが主張する。
「ハンバーグってクロさんは言いますけど、これ、いったい材料は何を使ったんですか?」
「冷蔵庫の中に入っている牛肉を。A5でしたけど、新婚初日だし、自由に使っていいって言ってたし、いいかなーって」
「え、A5牛が……コレ? どこをどう見てもハンバーグじゃなくて、皮を剥いだ人間の生首にしか見えないコレになったんですか?」
イヴの皿の上には、人間の生首が乗っている。
いや、正確には人間の生首に似せた何かだが。
「クロさん、どうしてこんなことを……」
「イヴさんは吸血鬼なので、そういった形のほうが食欲が湧くかと思ったんですけど……。ほら、よく映画とかだと、吸血鬼って人の首を噛むじゃないですか! だから、その……湧きません、食欲?」
「湧きませんよ!」
人間の生首(超クオリティー高い)を模した食べ物で食欲が湧くとか、吸血鬼じゃなくて殺人鬼である。
「クロさん、確かに俺は吸血鬼ですけど、人の生首で食欲は湧きません。っていうかですね、そんなもので食欲が湧く吸血鬼はいません」
「え、そうなんですか?」
「はい、なので今度からは普通に作っていただけると」
「わ、わかりました。余計なことしちゃいましたね。ごめんなさい」
「いえ、間違いや勘違いは誰にでもありますので、気にしないでください。これだってにおいはおいしそうだし、そういうものだと割り切れば食べられなくはないので」
超クオリティーが高いので、本音を言えば、いくら美味しくても食べたくはないのだが。
「それでは改めまして、いただきますね」
「はい、召し上がれ♪」
――ブシャアアァァァァッ!
「クロさん!? これは!? これはいったい!?」
「ただの肉汁ですよ。さすがA5ですね。よく出ます」
「いや、これよく出るとかいう次元じゃ……。それにこの肉汁(?)、ものすごく赤いんですが……」
「爆弾ハンバーグの技法を応用して作ったので。赤いのは隠し味に使った赤ワインと、練りこむ際にトマトをつぶして練りこんでいるからですね。名付けて、【肉汁プシャーッ! 人面爆弾ハンバーグ】!」
噴水のように肉汁(血液)を飛び散らす爆弾ハンバーグ《生首》。
いや、食えないってこれ。
だって超グロ画像なんだもん。
クロさんじゃなくてグロさんって呼びそうになるレベルだもん。
「あの、イヴさん……私の料理、食べられませんか?」
不安そうな目で見つめてくるクロ。
今にも泣きそうになっている彼女を見て、「はい、食べられません」と言えるほど、イヴは冷たくなかった。
これは彼女の優しさであり善意なのだ。
イヴは覚悟を決め、目の前のグロ画像に箸を向ける。
「……クロさん、いただきます」
味は確かに素晴らしかったが、見た目のせいで味がほとんどわからなかった。
かすかにわかるのも血の味だけ。おそらく、吸血鬼だからということで、血合いの多い部位を使ったのだろう。(実は血合いは少し苦手)
こうしてイヴの結婚初日の思い出は、よく味のわからないグロ画像が刻まれることになったのだった。
†††††
「……ひどい目にあった」
ハンバーグを完食したイヴは、自室のPCの前にいた。
電源を入れ、ネットの海にダイブする。
「まあ、仕方ないよな。あれは彼女なりの優しさだ。種族間の価値観の違いや、思い込みというものはあるさ。そういう誤解は、これから解いていけばいい」
自分に言い聞かせるように呟きながら、カタカタとキーボードで文字を打ち込む。
「かと言って、それに甘えるつもりはないがな」
目的のサイトに繋がり、画面が更新される。
――人狼の生態。
人類が今までに調べ上げた、人狼族についての情報が語られている。
「この結婚を維持するためにも、あらかじめ知っておかなくては」
イヴは念入りに、サイトの隅から隅まで、余すところなく情報をむさぼる。
自分の奥さんの種族について、少しでも理解を深めるために。
彼女と幸せな家庭を築くために。
そのための努力を惜しむつもりはない。
「なるほど、月夜の晩はテンションが上がるのか。ならばカラオケとかは楽しんでもらえるかもしれないな。何? これは嘘だろう。こんなの初めて聞いたぞ。人狼が火が苦手だったら、どうして人間社会に溶け込めるんだ。そもそも文明に溶け込んでいるのだから、普通に火は使うだろう」
どうやら百パーセント信頼できるような情報ではないようだ。
だがしかし、おおむね書いてあることはイヴの知識と合致することは多いので、大体あっているのだろう。
「ふむ、なるほど……なるほどなー……」
「イヴさん、あの、ちょっといいですか?」
「あ、はい」
ディスプレイを消してから振り返るイヴ。
こういう、相手に見えないよう努力するのはカッコいいが、タイミング的に最悪だと思わなくもない。
奥さんが来た瞬間にディスプレイ落としたら、エロゲーを隠れて遊んでいたように見えてしまう。
「クロさん、どうしました?」
「あ、あのですね、その……」
クロは前で両手を合わせ、もじもじしている。
彼女は何が言いたいのだろう?
「その、お花を摘みに行きたいんですけど……」
「このあたりでは花は摘めませんが」
「そ、そうじゃなくてぇ……」
クロの精一杯の訴えも、ぼっちのイヴには届かなかった。
お花を摘む=トイレ行きたい――という発想がまず出てこない。
「花が欲しいのであれば、明日花屋に行きましょう。女性ですからやっぱりそういうのが好きですよね。すいません、気づかなくて」
「ありがとうございます。私、お花大好きです。……でも、それ以上に気づいてほしいことが今あるんですよぅ!」
「?」
「だ、だからぁ!」
もう直接言うしかない。
「ト、トイレは、どこですか……?」
「トイレなら風呂場の隣です」
「あ、ありがとうございますっ! 失礼しますっ!」
クロはお礼を言うと、一目散に立ち去――。
「っ! 待ってくださいクロさんっ!」
「ひゃあっ! ……あ」
突然の呼び止めに、クロは驚いて立ちすくむ。
「……あ」が何なのか、ちょっと気になるところだが、それは彼女の名誉のためにも秘密にする。
秘密は乙女を女にするものさ……。
「ど、どうしたんですかぁ……」
「すいません、ちょっとだけ、ほんの少しだけ待ってください」
そう言うと、イヴは飛ぶようにトイレにダッシュ。
中に入って鍵を閉めると、ブラシを装備して全力で掃除を始めた。
「人狼はニオイに敏感と聞く……念入りに掃除をせねば」
洗剤をたっぷり便器にかけゴシゴシ。
水を流してゴシゴシ。
きれいになったところでまたゴシゴシ。
全身に消臭剤を吹きかけた後で吸血鬼の能力を使い霧化――トイレ内に霧を充満させ、悪臭のもとになるニオイ物質をすべてこそぎ落とす。
――ドンドンッ!
「イ、イヴさん、まだですか!?」
「すいませんクロさん。あと少し待ってください。掃除がまだ終わってません」
「そ、掃除!? 何でこのタイミングで!?」
「クロさんに快適に使ってほしいからです。人狼はニオイに敏感で悪臭を嫌うと聞きます」
「た、確かにそうですけど私は大丈夫です!」
「気を遣わないでください。俺たち夫婦じゃないですか。妻をより幸せにするのが俺の役目ですから、遠慮はしないでください」
「その幸せが今まさに崩れようとしてるんですよぉ!」
「え?」
「私は新世代の人狼なので、本当に大丈夫なんです! 意識しなければ、そういうニオイは拾いません!」
「そうなんですか?」
「そうなんです! だから、早くここを開けてください! 私を不幸にしないでーっ!」
「は、はい! すいません、今すぐに!」
大急ぎでイヴはドアを開けるイヴ。
クロのことは、これ以上語るべきではないだろう。
どうなったかを知るのは、彼女と夫であるイヴだけでいい。
†††††
「…………………………すいません」
「…………………………いえ、私のほうこそ」
テーブルに向かい合って座るイヴとクロ。
新婚イベントが一段落した二人は、お互いに向けて謝罪をしていた。
「思い込みで迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした、クロさん」
「いえ、私こそ先入観で余計なことをしてしまってすいません。……許して、くれます?」
「ええ、もちろんです。俺のほうこそ、許してもらえますか?」
「はい、だって私の旦那様ですから……まあ、仕事上の関係ですけどねっ」
「クロさん……」
そう返したクロのおかげで、イヴの緊張が一気にほぐれた。
「思えば、俺たちってすぐに結婚したせいで、お互いのこと――好きなことや苦手なことを話す時間がありませんでしたね」
「ふふっ、たしかにそうですね。よくよく考えたら、私たちって、出会ってまだ一週間くらいしか経っていないわけですし。ずっと一緒にいたような気がして、そういう考えが今の今まで思いつきませんでした」
「話しましょう、クロさん。これからのために、お互いのことを」
「はい、イヴさん。私のこと、もっと知ってください。あなたのことを、もっと教えてください」
それから二人は、様々なことを話した。
お互い新世代の【青血種】だったこと。
世代を重ねて弱点を克服しているから、長所は伸びても短所は削れたこと。
なので、能力はさておき、意識しなければ普通の人間とそうそう変わらないことなど。
「クロさん、実は俺、肉の血合いって苦手なんです。できれば次から別の部位をお願いします」
「わかりました。でも、好き嫌いはいけませんよ? たまにはちゃんと食べてもらいますからね」
「了解です。でも、今日みたいな加工は簡便ですよ。アレは食べにくい」
「ええ、それはもう。次から普通に作ります。味のほうは期待しててくださいね」
「ええ、もちろんです、クロさん……」
「イヴさん……」
二人の手が、テーブルの上で重なる。
自然な感じで、二人の距離は縮まり――ゼロになった。
名残惜し気に影が離れると、イヴはおもむろに口を開いた。
「子どもを作ろう」
「えっ」