05 その吸血鬼、運命の人と再会す
突然の乱入者を、イヴはじっくりと観察する。
窓から漏れる月の光で照らされた、侵入者の姿は黒一色。
肌にぴっちりと吸い付くようなボディスーツから、はっきりと女だということ、背がとても高いことだけはわかるが、逆にそれ以外のことは何一つわからない。
顔は仮面でおおわれているし、声もボイスチェンジャーで変えられている。
本当の姿も声も、一切が見えない黒い女。
(こいつが、【風害】か)
イヴは警備帽のつばを目深に被りながら、黒い女を見つめた。
『邪魔邪魔っ! 怪我したくなかったら引っ込んでなさい! 今日の私は絶好調だから、下手に近づくと大怪我しますよ!』
黒い女はモデルのように長い手足を駆使し、応援に駆け付けた警備員たちを、バッタバッタと投げ飛ばし、打ち据え、蹴り飛ばしている。
素早い上にあの色だ。吸血鬼である自分ならば問題ないが、普通の人間では、この闇の中だとほとんど見えまい。
空気が裂かれる感覚がした瞬間、意識が刈り取られている――といった感じだろうか。
何が起こったのかわからず気絶している警備員がほとんどだ。
あらかた片付いたのを確認した黒い女は、絵画の前に立つイヴに目をつけ、高速で迫る。
二人の距離は、およそ十メートル。
『どいてくださいっ! 警備員の仕事は薄給と聞きます。安い給料で大怪我したくないでしょう!?』
黒い女が加速する。
十メートルあった距離が、一瞬のうちに五メートルまで縮まった。
イヴは動かない。
『どかないつもりのようですね? ならば容赦しません! 今夜の私は一味違います! 労災が下りることを祈りながら、病院のベッドで寝てくださいっ!』
長くて肉付きの良い脚が、鞭のようにしなってイヴに襲い掛かる。
分厚いコンクリートの壁をも簡単に砕いてしまいそうなその一撃を――。
――バシイイィィィッ!
イヴは右腕で完全に受け止めた。
「あいにくと労災には入っていないんだ。病院になんて入ったら貯金へ大打撃だよ。できれば簡便願いたいね」
『わ、私の一撃を、止めた? わりと本気で蹴ったのに……』
「ああ、なかなかに重い一撃だった。でも、受け止められないほどじゃない」
止めた脚に腕を絡めるイヴ。
女の脚は完全に極められ、動かすことができない。
「悪いがボーナスになってもらえないか? この綺麗な脚を、へし折られたくはないだろう?」
『ええ、そうですね。そんなことをされたら、あの人とデートができなくなります。なので……させませんっ!』
ヒュオンッ!――と、左側から刃物のような音が迫るのが聞こえる。
イヴは反射的に首を思いっきり下に向けた。
直後、風が通り過ぎて、後頭部の毛が数本、ハラハラと宙に舞う。
『外した!?』
「お前に彼氏がいるように、俺にも彼女がいる。いい感じの初デートのため、悪いが資金源になってもらうぞ」
イヴが右腕を一気に真上に上げる。
――蹴られて改めて実感した。
――この女はボルドーの言う通り、自分たちと同じ【青血種】だ。
――生半可な攻撃じゃ止まらない。
――だから、容赦はしない。
イヴは真上に上げた右腕を、地面に向かって思いっきり振り下ろした。
脚が極められている女の身体が、高速で地面へと叩きつけられ、大理石でできた床が大きく凹む。
「やったか――ぐあっ!?」
相手の姿を確認しようとした一瞬の気の緩みをつかれ、イヴは大きく蹴り飛ばされた。
顔面を真正面から射貫く、矢のような二連撃。
女はイヴの顔面に蹴りを加え、その反動を利用して脚の解放、および体制の立て直しに成功した。
いまだ空中にあるイヴの身体めがけて跳躍し、追いつくと、鳩尾目掛けて隕石のような一撃を繰り出す。
それに気づいたイヴは、両腕でその一撃をクロスガード。高速で落下する。
ズゥン……――と重い音とともに着地したイヴは、女をそのまま待ち構え、頭上へと正拳突き。
だが、女はその一撃を足場にして距離を取り、着地。
――強い《できる》。
『やりますね、警備員さん。私についてこられるなんて、あなた、ただの警備員じゃありませんね? こんな強い人が、薄給で雇われているはずがありません』
「お前もな。察しの通り、俺はただの警備員じゃない。国に派遣された、国家所属のエージェントさ。こういう荒事専用のな」
『なるほど、どうりで……』
「そういうわけだから、こういう経験は豊富なんだ。観念して捕まってくれないか? お前を倒して捕まえてもいいが、結構骨が折れそうなんだよ。今日は色々あって疲れているから、早く帰って休みたいんだ。便宜を図るから、お縄についてもらえないだろうか?」
『それはできません。なんと言っても、今の私には帰るべき場所があるんです。あの人とまだデートもしていないのに、捕まるなんてできません。獄中の面会室デートとか、獄中結婚とか絶対に嫌です』
「だろうな。一応聞くが、その彼氏は知っているのか? お前が、こういうヤツだってことを?」
『知りません。言うわけないじゃないですか』
「なるほど、だったらその彼氏はかわいそうだな。彼女の秘密を知らずに過ごすとは。愛し合っているなら、お互いの全てを知りたいだろうに」
『う、うりゅさいですっ! あなただってこんな仕事をしているくらいですから、家族や恋人にも秘密なんでしょう!? 常に秘密を抱えていて、申し訳ないと思わないんですか!?』
「それは、まあ、思わなくもない……」
言葉のブーメランがぶっ刺さった。
「たしかに秘密を抱えるのは申し訳ないとは思ってる。家族や恋人なら、当然、知りたがるだろうけど、俺は絶対にしゃべれないからな」
『でしょう? 人のことを言うより、まず自分を何とかしたらいかがです?』
「残念だけど規則なんでな。それはできない。だからせめて、仕事を完璧にこなし、危ない仕事だと思わせないつもりだ。限りなく迅速に、これ以上なく完璧に、任務を遂行し帰宅するつもりなのさ!」
『――っ!? しま――」
会話に気を取られた黒い女の一瞬の隙を、イヴは見逃さない。
「もらったぞ! 【風害】!」
『あああああぁぁぁぁーーっ!?』
女の死角から、突如、イヴのものと思わしき足が現れ、そのまま彼女を蹴り飛ばした。
会話の最中に片脚を霧と化し、女から見えない位置へと設置していたらしい。
イヴは奇襲が成功したのを確認した後、今度は全身を霧化。
吹き飛んだ女の死角に再び移動し、頭部目掛けて二撃目を放つ――が、それは女に読まれていた。
黒い女は首の運動だけで、イヴの攻撃をギリギリ躱した。
――パキイイィィィーン!
「あ!? 仮面が!?」
(え? この声は……)
――私、受付嬢じゃないですよ? 普通の事務です。
――こんな大女が受付にいたら、お客さんに変なプレッシャー与えちゃいますもん。
――あ、ありがとうございます! そんな風に言われたの初めてで、なんか、その、すごく嬉しいです……。
(嘘だろ……? まさか、こんなことが……)
イヴの脳裏につい数時間前の光景がよみがえった。
笑顔がかわいい、一人の女性と過ごした楽しい会話が。
――わ、私はクロといいます。クロ・ウィザードリング。
(そんな、クロさんが【風害】だと?)
イヴは一瞬自分が今見たものを感情で否定した。
しかし、すぐに思い直し現実を直視する。
どうりであんな結婚条件を出すわけだ。
彼女が自分と同じ【青血種】であり、その上【風害】であるとすれば、なぜあんな結婚条件を出したのか、全て納得できる。
普通の人間にとって【青血種】は畏怖の対象だから、無防備な姿になる寝室は一緒にできない。なので、当然子どもは作れない。
【風害】のような裏の仕事を持っているならば、いつフラリと出かけるかわからない。
目の前の光景が、あの結婚条件が、クロを【風害】だと示している。
「あ、わわわわ……か、仮面、私の仮面どこいったの!?」
(……さて、どうするべきか?)
仮面を飛ばされ慌てたせいで、【青血種】――耳と尻尾が出たので間違いなく【人狼種】――の証が出てしまっているクロの姿を眺めながら、イヴは今後のことを考える。
この仕事を優先して考えるならば、この隙をついて全力で攻撃し、クロを絶命させてしまうのが最も効率がいい。
だが、それをやれば、せっかく見つけた結婚相手を失うことになってしまう。
(それは、困るよな。いや、うん、すごく困る)
クロのような最高の結婚相手はそうそう出てこない。
そうなれば、また任務のため、あのような婚活の場に赴かなくてはならなくなる。
男女の欲望が渦巻く戦場に、再び参加しなければならなくなる。
自分には向いていない。
できればもう二度と行きたくない。
参加料は男だとめっちゃ取られるし。
っていうか純粋に婚活女戦士怖い。
『おい、なにモタモタしてんだ!? そろそろズラからないとやばいぞ!?』
イヴが悩んでいた間に、もう一人の【風害】が合流した。
これだ――と、イヴは一計を思いつく。
イヴは新たな黒い女に、わざと自分の姿がわかるよう、大きな足音を立て、オロオロと仮面を探すクロの背後に近づく。
『おいバカッ! ボーッとすんな!』
「あっ!」
振り向いたクロの目が、イヴの姿を捕らえる。
その距離は約二メートル。
クロの攻撃範囲内だ。
「このっ!」
――ドッゴオオオォォォッ!
長く肉付きの良いクロの脚が、イヴの脇腹に突き刺さった。
まだ姿を見られるわけにはいかないため、イヴは必死に痛みに耐え、風圧で吹き飛びそうになる警備帽を、飛ばないように全力で抑え――壁まで吹っ飛び、衝撃で崩れた瓦礫の中に埋まった。
『油断すんなっていつも言ってるだろ! アタシが来なかったらお前やられてたぞ!』
「ご、ごめん……だって、仮面が…………」
『仮面が飛んだくらいでいちいち動揺すんなっての。ほら、そこにあったぞ』
『……ありがとう』
『礼なんて言ってる暇があるならさっさと逃げる。ルートは確保しといたから、さっさと絵を持ちな』
『わかった』
『ったく、こんな隙だらけのヤツが、できたての彼氏さんに秘密を隠し通せるのかねえ?』
『で、できるもん! 絶対ばれないようにしてみせるもん!』
(ごめん、クロさん。もうバレてる)
埋まったイヴはそう思った。
†††††
『悪い、ボルドー。ミッション失敗だ。予想以上に【風害】は強かった』
瓦礫の中から身を起こしたイヴは、ボルドーに状況を報告した。
『例の絵は持ち出され、俺を含めた警備員は全員やられたよ。不幸中の幸いか、死者は一人も出ていない』
『そうか、そいつはよかった。しかし、お前がやられちまうとはなあ……。絶対大丈夫だと俺も上も思っていただけに、何と報告したもんだろう』
『そのまま報告すればいいさ。たまにはお前も仕事の苦しみを知るべきだ。ほぼ毎回殺されている、俺の苦しみの十分の一でも』
『そのくらいは苦しんでるんだけどな。上司から紹介された見合いの話マジでどうやって断ろうってさ。なあ、マジでどう断ればいいと思う? 全然好みじゃないんだよ。変に断れば絶対角が立つから、職場でネチネチ言われるのが見えるんだよ』
知らねえよ。
自分でそのくらい何とかしろよ。
『言い訳をさせてもらうと、今回のミスは疲れが原因だ。たまにはゆっくり休ませてくれと、上に伝えておいてくれ』
それじゃあ――と、イヴは電話を切る。
そのタイミングで館内に大量の足音が響き渡った。
美術館を包囲していた、表の警察がやってきたのだろう。
「さて、と」
――そろそろ追うか。
警察に見つからないよう、イヴは闇に紛れて美術館を脱出。
クロが浴びた自身の血をセンサー代わりに、未来の結婚相手の追跡を始めた。
ポイント、ブクマ等、応援よろしくお願いします。