02 その吸血鬼、幸せについて考える
「ボルドー、今一度確認させてくれないか? 俺の聞き間違いかもしれないけど、今お前、『結婚して子ども作って幸せになれ』って言ったのか?」
『ああ、そう言った』
どうやら聞き間違いじゃなかったらしい。
この言葉からイヴが導き出した答えは――。
「ボルドー……なにか仕事で辛いことでもあったのか? 俺で良ければ話を聞くぞ」
『俺の言葉から何をどうしたらそういう答えに行きつくんだ!?』
「結婚を口にしていたじゃないか。辛い仕事で冷えた心を、温かい家庭で暖まりたいという願望が漏れ出してしまったんじゃないかと思ったんだが」
たった今始末したテロリストいわく、世間は今、なにかと物騒な空気とのことだ。
だとすれば、その空気に社会が感化されて、人の心を刺激するような寒さになっていてもおかしくはないだろう。
ボルドーは仕事斡旋を受け持つエージェントではあるが、一般企業に勤める一社会人の顔を持つ吸血鬼でもある。
なので、カリカリした上司に、
――なんだねこの企画は!? きみは一体入社何年目だ!? 一年目の新人でも持ってこないような安っぽい企画を持ってくるんじゃない!
とか、
――円滑な業務は円滑なコミュニケーションから生まれるものだ。今夜はとことん付き合いたまえボルドーくん。
とか、
――男は結婚して家庭を持ってこそ成長するものだ。……というわけでボルドーくん、この子なんでどうだね? 私の親戚の娘なんだが。
とか言われてるのではないかとイヴは思ったわけだ。
世間の空気関係なくない?
「ボルドー、結婚は人生最大のイベントの一つだ。多少の嫌なことがあったからといって、焦って突っ走るもんじゃない。一生もののイベントだけに、ここは慎重になるべきだと俺は思う。美人でも浪費家の妻を引いたら最悪だぞ?」
『だから何の話だよ!? 結婚するのは俺じゃなくてお前! 美人の嫁さんと結婚して、可愛い子ども作って幸せになるのはお前なの!』
「ああ、それならもうしたさ。全ヒロイン攻略済みだから近々返す……む、俺死んだことになるから返せないな。手間をかけて悪いが、俺の住処から自分で回収してくれないか」
『この前貸したギャルゲーの話でもねえよ!』
「ふむ、だとすれば仕事の話なのか」
『だからそう言ってる!』
「サメ映画のキャストとはまた新しい仕事だな。映画監督がどこかの裏組織とつながっているから、その資金源を叩いてほしいとかいうのがこの仕事を回す理由とみたが?」
『違えよ! っていうか何でサメ映画なんだよ!?』
「サメとホラーはカップルが真っ先に死ぬだろう?」
『知るか……』
電話向こうのボルドーの声はとても疲れていた。
イヴは、仕事に貴賎なしとはよく言ったものだ。どんな仕事にも苦労はつきものなんだな――と思った。
『……イヴ、さっきの俺の言葉にはちゃんと理由がある。別に俺が疲れていたからでも、ギャルゲーの話をしたかったからでも、お前にサメ映画のキャストになってほしいわけでもない』
「じゃあ、どうしてあんなことを?」
『それはこれから説明してやる。その多少ズレた天然素材の脳みそに、しっかりと焼き付けておいてくれ。近くに火もあることだしな』
「了解した」
イヴの返事を皮切りに、ボルドーは仕事の中身について語り始めた。
『【バベルの果実】という組織の名前を聞いたことはあるか?』
「ああ、確かリバーランド共和国のやり方に反発し、ゲリラデモを行っている組織……だったか?」
『そうだ。その頭目が敵国と通じているという情報が入った』
「ということは、俺にその証拠を掴めと?」
『そういうことだ』
「だけど、それが俺の結婚と幸せな家庭にどう関係する?」
『幸せな家庭に宗教の訪問という形で接触し、言葉巧みに洗脳して仲間を増やす――それが奴等の手口なのさ』
なるほど、そういうことか。
ようやく合点がいった。
しかし、今の説明ではまだわからないことがある。
「なぜ幸せな家庭を奴らは狙うんだ? デモは基本的に満たされない人間がやるものだろう?」
「満たされない者たちだけで声を上げても、まとまった人数が集まらないからだ。なんだかんだで、我が国は安定しているんだよ』
「そうか。そいつは重畳だな」
その安定に一パーセントでも関わっていると思うと、少しだけ誇らしくなってくるから不思議だ。
仕事人間とはいえ、仕事には不満ばかりなのにな。
『とにかくそういうわけだ。新しい戸籍を用意するから、国に戻ったら、お前は至急結婚相手を探してくれ。そして子どもを作って幸せになれ』
「ああ、わかった。だが、子どもはすぐにはできないぞ?」
『養子という手があるだろう? 孤児院に行って適当な子どもを引き取るといい』
「了解した」
『じゃあそろそろ切るぞ。結構長々と話してたから上司の目が怖いんだ……。アレ絶対お小言コースだよ。「ボルドーくん、きみは会社を学校と勘違いしていないかね?」とか「会社は学校とは違う。できない人間の面倒を見る必要もないし、余裕もない。わかるかな?」とか言われちゃうやつだよ』
やっぱり辛い目に合ってるんじゃねえか――とイヴは思ったが、よくよく考えれば自分は毎回死んでいるので、俺のほうが辛いから別にいいかなと思い、特に何も言わなかった。
これが、どんぐりの背比べというヤツである。
「幸せになれ、か」
ボルドーに言われた言葉を反芻する。
「……………………どうやって?」
仕事人間のイヴには、世間一般の幸せというものがわからなかった。
†††††
――幸せとは何か?
その答えを求め、膨大なネットの海へとダイブしたが、芳しい成果は得られなかった。
それもそのはず、そもそもにして幸せとは千差万別、一概に「これ!」というものがない。
百人いれば百通りの、千人いれば千通りの幸せがある。
軽く検索したくらいで、明確な答えなど出るわけない。
なので、早々とネットからのサルベージに見切りをつけたイヴは、DL購入したボルドーオススメのギャルゲーをプレイすることにした。
タイトルは『奥さまは愛義娘♪』――プレイヤーの目的は孤児院から引き取った娘を自分好みに育て上げ、最終的に義娘と結婚して幸せになることである。
次の任務の参考になるかと思って買ったけど……あれ、コレなんか違うな?――とは思いつつも、幸せという概念の一端を理解するためにゲームを始める。
むう……これは、素晴らしい。最初は警戒して一緒にゴハンも食べてくれなかった義娘が、徐々に心を開いて「あの、お父……さん」と、初めて自分をお父さんと呼んでくれたイベントは、イベントスチルもさることながら、声優さんの演技も神がかっている。
うん、これはいいものだ。
早く自分も子どもが欲しい。
あ、その前に結婚しないと。
「……しかし、仕事とはいえこの俺が結婚、か」
『わたし、お父さんのお嫁さんになる!』と表示された画面を見ながら、イヴはそんなことを呟いた。
吸血鬼としてこの世に生を受けた自分の人生――仕事に仕事、常に仕事の仕事漬けの毎日。休暇はそれなりにあったはずだが、働かなかった時間のことはあまり思い出せない。
エージェントの仕事をするようになったのは13歳。敵の情報を集めるために何度死んだかわからないような、文字通り死ぬまで働かされている人生。
いや、死んでも働かされている人生。
仕事人間で無趣味な自分を心配したボルドーが、いろいろと勧めてくれたモノ以外、ほぼ仕事のことで埋め尽くされている。
仕事以外のことは、ほとんど考えたことなどない。
そんな自分が、幸せというものを本当に理解できるのだろうか?
――お父さん、わたし、わたしね。もう娘でいるのはイヤなの…………。
いや、理解できるのだろうか――じゃない。
理解するのだ。しなくてはならないのだ。
マウスをクリックし、テキストを読み進めながら、イヴはそう決意する。
父と夫、男と女の幸せの形をイヴは少しだけ理解できた。
†††††
幸せを知るために、イヴがゲームの次に選んだのはマンガだった。
本屋に赴いたイヴは、膨大なマンガの中からある一冊を選ぶ。
百万部も出ている人気作らしい。『しあわせとはこういうことだ!』と、帯にデカデカと書いてある。
自分の目的と内容が合致する。
「よし、これにしよ……いや」
いや、待て、待つんだ、イヴ・エルミタージュ。
確かにはっきりと『しあわせとはこういうことだ!』と書かれている。
それは間違いない。厳然たる事実だ。
だがしかし、こうも目的のものが簡単に手に入るものだろうか?
今までの経験上、こういう場合の十中八九は罠と相場が決まっていたじゃないか。
そう、アレは俺がエージェントになってちょうど一年が経過したころの話だ。
ケツに卵の殻がついているような、まだまだ新米を脱していないひよっ子だったと、今振り返れば思えるが、あの頃はまだ若かった。
いくつかの仕事を成功させ、調子に乗っていたと言えるだろう。
穴あきグローブにカラーコンタクトを身に着け、ケガなどしていないのに右腕に包帯を巻いたり、吸血鬼なら誰でもできるようなことにいちいち技名をつけたり、鏡の前でかっこいいポーズの研究をしたり、ニンニクをやたらと食いまくって周囲にアピールをしていたあの頃の自分(吸血鬼が苦手と思われていることをあえて好んでする俺かっこいい!)……間違いなく調子に乗っていたと言える。
思い出したら猛烈に恥ずかしくなってきたな。
よし、死のう……あ、俺不死身だから死ねなかったな。どうしよう?
とりあえずどうにもできないので、精神的ダメージが抜けたタイミングで中身を確認する。
幸いなことに、試し読み冊子が近くにある。
マンガの内容は……ふむ、なるほど。学園を舞台にしたラブコメか。
ラブコメ――つまり愛と喜劇。
やはり幸せとは愛と喜びの中にこそあるのかもしれない。
だから、たった一人の恋人になるため、ヒロインたちが殺しあうのは間違っている。
これ『幸せ』じゃなくて『死合わせ』じゃねえか。あ、だから『しあわせ』って書いてるのか。くそっ、やられた。
イヴはマンガを棚に戻し、次に選んだのはラノベだった。
「このラブコメがすごい! 第一位!」と書かれているし、そうそう同じ手口で煽らないだろう……って、今度はガチンコバトルじゃねえか。ラブコメのラブもコメも見当たらないぞ。
帯の文句が「ラブコメがすごい!」ではなく、「ラフコマ(暴力的なコマのイラスト)がすごい」だと気づいたのは、それから五分後のことだった。
続けてしてやられたイヴは、その後も伝記やエッセイなどにも手を出したが、ことごとく騙される結果に終わってしまう。
結局、イヴが本屋で購入したのは、発行部数国内一の、十八歳未満閲覧禁止の雑誌だった。
愛とはエロス――つまり、幸せもまたエロス。
紆余曲折を経はしたが、イヴは幸せとは何かを掴み取ることができたようだ。
さすがに子どもにこの幸せはできないので、奥さん専用の幸せにしようとイヴは思った。
†††††
その後もイヴは、様々な幸せの形を徹底的にリサーチした。
映画にゲーム、偉大な人の言葉や、あえて改めて言葉の意味。
果ては女性週刊誌に掲載されている『夜の生活』コーナーまで、それはもう、徹底的に。
玉石混合、ありとあらゆる『幸せ』の一端に触れたイヴは、とうとう一つの結論に達した。
自分の中にテンプレートを作り上げることに成功したのだ。
イヴのテンプレートは次の通り。
――幸せの定義とは?
① 美しくて気立てのよい妻がいる。
② 可愛い娘がいる。
③ 仕事で評価されている。
④ 年収二千万以上。
⑤ 友達がたくさんいる。
⑥ 趣味が充実している。
⑦ 同僚に恵まれている。
⑧ 以下省略
「……ほとんどの項目が埋まってない」
自分で作った幸せテンプレートを見て、イヴは精神的なダメージを受けた。
だが、本屋で思い出した黒歴史よりはマシである。アレはキツい。
「わかってはいたことだけど、薄々気づいてはいたことだけど、俺は、俺は幸せじゃなかったのか……」
嫁はいないし娘はいない。
仕事で評価はされているし、年収も二千万以上だけど、なんだかいいように使われている気がする。
仕事の度に死んでいるから、まともな友達なんているわけない。
ボルドーをギリ友達としてカウントしたとしても一人しかいない。
趣味と言える趣味などなく、仕事は常に孤独と隣り合わせ。
これはたしかにボルドーの言うように、結婚して子どもを作って幸せになるべきだと感じる。
でないと、そのうち仕事中に泣きそう。
「くっ、幸せに、幸せになりたい……」
心からイヴはそう思った。
義娘と結婚式を挙げているシーンを見て(気に入ったのでリプレイ中)、より強くそう思った。
なぜこのゲームの主人公のように、自分は幸せになれないのか。
「千里の道も一歩から――とは誰の言葉だったか」
いきなり全部を得る必要はない――というか、それは絶対に不可能だ。
なので、まずは一つ。
最初の幸せを手に入れよう。
そのために必要なことは――。
「婚活、俺の選ぶべき道はそれしかない」
イヴは会員制の婚活サイトにアクセスして会員になった。
なお、この婚活サイトが数日後、詐欺で訴えられることを、この時のイヴはまだ知らない。
ポイント、ブクマ等、応援よろしくお願いします。