01 その吸血鬼、世界最強につき
「もう次の仕事か……」
仕事内容が書かれた紙をクシャクシャに丸めながら、赤毛の男が毒づいた。
男の名はイヴ・エルミタージュ。
職業=非公式の国家エージェント。
「今度はもう少しゆっくりできると思ったんだがな」
ふぅ――と、短い溜息のあとに丸めた紙を開き、もう一度内容を確認してみる。
うん、同じだ。さっき自分が見た内容と寸分違わない内容の手紙だ。
何かの間違いであって欲しかったけど、世の中そう甘くはないようだ。
「俺の人生、ハードモードすぎないか?」
この仕事をするようになってから経験してきた、様々な仕事の記憶が走馬灯のように浮かんでくる。
要人警護、要人警護、要人警護に要人警護。忘れたころに潜入捜査……ああ、できることなら忘れたい。
三回に一回は女装で潜入させられるのだ。
身長が一六八センチと、成人男性にしてはやや小柄な体躯のうえに、中性的な容姿のイヴは、異様なほど女装が似合う。
市井のミスコンに出場しても違和感がないどころか、下手すれば入賞してしまうほどに。
過去に何名か、イヴを男だと知っていてもプロポーズしてくる輩がいたことからも、その似合いっぷりは推して知るべし。
現在二十九歳のイヴにとって、その事実はかなりキツかった。
それが嫌で、イヴはかつて長かった髪を短くしたのだが……まあ、そのことはいいだろう。
とにかく、仕事だ。
「リバーランド共和国、外務大臣の警護……ね。まあ、潜入捜査じゃないだけマシと考えようか」
といった一人芝居があったのが今から数日前のこと。
すでにイヴは手紙にあった通り、要人警護についている。
イヴのいる場所は国境付近にある平原――そこを突っ切るように作られた道路の上。
草木が生い茂る緑の絨毯の上を、人間が作った無機質なコンクリートが貫いている。自然を貫く人工の線、その上を一台の車が走っている。
一目見るだけでそれとなくわかる、警護専門の高級車。
モスク連邦との外交を終え、リバーランド共和国へと帰る途中の鋼鉄の馬車。
その中に、イヴはいる。
†††††
「お疲れさまでした、大臣」
「ああ、君もな」
眠りを誘うほどの凶悪な柔らかさを誇る座席に背を預け、きつかったネクタイを緩めながら、二人の男がそんな社交辞令を交わす。
そのうちの一人、大臣と呼ばれた男はふぅ……と、短い溜息をつくと、社内の冷蔵庫から酒瓶を一本取りだした。
「飲むかね?」
「いえ、勤務中なので」
「そうか。では君たちは?」
秘書らしき男に断られた大臣は他の二人、黒い髪と赤い髪の二人のSPに酒を勧めたが、同じように二人にも断られた。
相手がいないのが寂しいのか、絶賛運転中の運転手にも声をかけた。
安心しろ、ノンアルだ。
だが断る。
「……仕方ないな」
大臣は酒をグラスに注ぐこともなく、ビンごと一気に酒をあおる。
一国の大臣が人前でラッパ飲み、あきらかに構ってほしいサインだった。
大人なのにメンドくせえな――この場にいる他の四人全員がそう思った。
その無言の言葉が聞こえたのかは定かではないが、大臣と呼ばれた男は「ゴホン!」と一つ咳払いをすると、真面目な顔を作り秘書に尋ねた。
「私が連邦に赴いている際、国内情勢はどうなっている? 何か変わったことはあったかね?」
「はい、大臣の管轄ではありませんが、いくつか」
取り出したタブレットを秘書が叩くと、空間に映像が浮き上がった。
幾重にも光を重ねて映し出す、立体映像技術だ。
世間ではまだ開発途中の技術のはずだが、一部ではすでに実用段階にあるようだ。
「グラナダ重工が大規模なリストラを行いました。その関係で職を失った労働者たちが、仕事を求めてデモを起こしています」
「景気悪化が直接の原因だろう。私のほうでも何か考え大統領に進言しよう……他は?」
「首都で大規模なガス爆発が起こったようです」
「死傷者の数は?」
「確認できているだけで三十六名。救助活動が続いているところを見ると、まだ増えるかと」
「何ともやるせない話だ。爆発の原因は何だったんだ?」
「人為的なもののようです」
「……テロか。最近、怪しげな反政府組織が暗躍しているとの噂だが?」
「どうやら事実のようです」
「くっ、関係ない市民を巻き込んではた迷惑なことをする。文句があるなら直接来いと言うのだ」
「ええ、全く、その通りですね」
「他は? 他は何かないのか?」
「他は……そうですね。キャンベル銀行の金庫が破られました」
「何、あのキャンベルの金庫が?」
「はい、支部とのことですが」
キャンベル銀行とは、リバーランド共和国における最大手の銀行のことだ。
リバーランド国内だけでなく、モスク連邦や他の周辺諸国にも支店を持つ、世界クラスの大銀行といっていい。
銀行業は信用第一。
その信用を得るに必要なものは安全第一――つまり、セキュリティの強さだ。
この世界クラスの銀行のセキュリティは、最強クラスの強さと言える。
それを支部とはいえ破るか。
「やったのは誰だ? それも例のテロ組織か?」
「いえ、違います。大臣は【風害】と呼ばれるはた迷惑な泥棒のことをご存じですか?」
「ああ、聞きかじった程度だがね」
【風害】――性別不明の二人組の泥棒。
彼(もしくは彼女)らは他の泥棒と、決定的に違う点が二つある。
一つはターゲット。【風害】は常に美術館や博物館、もしくは大企業の金庫など、非居住施設をターゲットとして盗みを働く。
そしてもう一つ――予告状だ。【風害】は盗みを働く前に、必ずその関係者に自分たちの行動を知らせてから盗みを働く。そして必ず盗み出す。
厳重な警備の中をかいくぐり、誰にも気づかれずに盗みを働き、風のようにその姿を消す。
『〇〇、頂戴しました』との書置きだけを残し、忽然とその姿を消す。
普通の泥棒とは一線を画す技術と態度。
そのことから【風害】は、秘書の言うように泥棒ではなく、
「怪盗――確か世間ではそう呼ばれていたな」
「ええ、よくご存じで」
ただの泥棒にたいそうな異名だと思いますが――と秘書。
「景気の低迷にテロに怪盗、我が国の治安は深刻だな」
「ええ、なので大臣も気を付けてください。最も――」
その時、秘書の口角が吊り上がった。
バックミラーに移った運転手の口元も、それと連動してニヤリと上がる。
「もう遅いんですけどね」
――キキィーッ!
「うおっ!?」
突如急ブレーキがかかり、大臣以外の社内の四人――秘書に運転手、SP二人が、示し合わせたかのように車から飛び出す。
直後、
――ドッゴオオォォォォォッ!
直前まで四人が乗っていた車が爆発炎上した。
爆発の大きさ、音からして、原因はおそらくロケットランチャー。
戦車すら破壊する圧倒的な暴力による一撃を、要人警護用とはいえ、ただの車が耐えきれるわけがない。
斬新なオブジェのように姿を変え、中に大臣を乗せたまま、車はメラメラと燃え続けている。
炎上する車に近づく秘書たち四人。
「へっ、大成功だぜ」
「まさか、こんな簡単に殺れるなんてなあ。大臣を殺るんだから、もう少してこずるかと思ったんだがな」
「ふん、拍子抜けだったな」
「………………」
仕事成功を喜ぶ秘書たち四人。
どうやら、彼らは側近になりすましていた暗殺者だったようだ。
ロケットランチャーを放った仲間も無線で会話に加わり、会話の花を咲かせている。
「おっと、忘れるところだった」
秘書が何かを思い出したようだ。
「おい、お前。コイツで死体の写真撮っとけ。死んでるのはわかってるが、証拠がねえと報酬ケチられちまうからよお」
そう言って、赤毛のSPに指示を出す。
言われた赤毛は無言で頷くと、携帯電話のレンズを大臣の死体へと向けた。
レンズの向こう側で大臣が火葬されているのがしっかりと確認できる。
――ちょっと待て?
そこで、彼はある奇妙なことに気づいた。
どうして、爆発から数分が経過しているのに。
――死体が大臣だと判別できるんだ?
「……………………ッ!?」
「おいっ!? どうし……ごぶぅっ!?」
「ぎゃっ!?」
『おいっ!? 何が………………うわあああぁぁぁっ!?』
赤毛のSPを皮切りに、目の前で次々と血を吐いて倒れていく仲間たち。
様子から、おそらく無線越しの仲間も無事ではないだろう。
「いったい……いったい、なにがどうなっていやがる!?」
なにがなんだかわからない。
どうして、殺す側の俺たちが殺されている?
「まったく、殺されるまでが仕事とはいえ、良い気分じゃないんだがな」
まあ、それでも潜入捜査よりはマシだな、精神的に。
ムクリと起き上がる外務大臣。
まるで肩こりを気にするかのように、ぐるぐると、のんきに腕を回しながら秘書に近づいていく。
「ど、どうして……」
「うん?」
「どうして、殺したはずのお前が生きているんだよおおぉぉぉっ!?」
「なぜってそりゃあ……吸血鬼が死ぬ方が難しいだろ」
「きゅ、きゅうけつぎぎぎぎぎぎぎぎぎ………………が。」
秘書は最後まで言葉を発しることなく、血を噴き出して絶命した。
霧状になった彼の血液が体内に入り込み、内部組織をすべて破壊したのだ。
まともな人間なら、いや、彼のように人間じゃないものでも生き残るのは難しいだろう。
「任務完了」
その言葉を皮切りに、大臣の姿が変わる。
神は赤く、背は低く、地味な見た目は中性的に。
彼本来の、イヴ・エルミタージュの姿へと。
†††††
『相変わらず、ほれぼれするようなボディガードぶりだったな』
隠し持っていた通信機から、雑音交じりの声が聞こえた。
彼の名はボルドー。
エージェントに仕事を斡旋する、イヴよりも国の中枢に近い窓口担当の男。
「釣るためとはいえ非効率的すぎる。なんでわざわざド派手にやらせるんだ、ボルドー?」
『リバーランド人は現行犯主義なんだよ。かつての人狼狩りで、罪なき同胞を大量に粛清しちまってな。政権交代のおりに前首相が処刑台に送られたことがある』
「……なるほど」
危険分子とほぼほぼ読めていても、実際に行動を起こさせてから始末するのを良しとしているのか。
だから、こうして死なない吸血鬼である自分にこういう仕事があるんだなとイヴは納得する。
しかし、
「仕事の理由は理解した。だけどな、ボルドー」
『ああ、なんだ、イヴ?』
「死ぬのって、メチャクチャ痛いんだぞ?」
『…………ぷっ。ぶははははははは!』
「いや、笑い事じゃないんだって! 本当に、それはもう、死ぬほど痛いんだぞ! 文字通り!」
『はははははは! そ、そりゃあそうだろうな! 骨折どころか内臓爆発の上、全身やけどを越した全身火葬だもんな! ははははははは!』
「だから笑うなって言ってるだろう!」
『はは、悪い悪い、悪かったよ』
ようやく笑いが収まったようで、ボルドーの声の調子が元に戻った。
『お詫びと言っちゃあなんだがな、そんな勤勉なイヴくんに俺からプレゼントがあるんだ』
「プレゼント? どうせアレだろ? 新しい仕事とかそんな感じのやつじゃないのか?」
『わかってるじゃないか』
「………………まあな」
そう、これはわかっていたことだ。
落ち込んでなんかいない。
毎回自分を顧みず死んでくれるお礼として、特別ボーナスとかを期待していたわけじゃない。
どうせ自分は仕事人間、趣味らしい趣味も特にないわけだから、大金をもらっても使い道はない。だから、悲しくない。
そうイヴは自分に言い聞かせる。
「で、どんな仕事をくれるんだ? できれば今度は死なないやつがいいんだがな」
とは言ったものの、どうせ次も死ぬヤツなんだろうな。
まったく、忙しいことこの上ない。
内臓がいくつあっても足りないぜ。
そう思いながらイヴはボルドーから次の仕事の内容を聞く。
しかし、その内容は、イヴの予想のはるか斜め上を行くものだった。
「……すまん、ボルドー。雑音が入ってよく聞こえなかった。もう一回、できればゆっくりな上に大きな声で、はっきりと言ってくれると嬉しい」
『ああ、わかった。じゃあ、注文通り言ってやるから心して聞け』
『お前、結婚して子ども作って幸せになれ』
「はあ!?」
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