2話 別れ
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まだ、夜も明ける前に寒くて目が覚める。
どうやら男は出て行ったようだ。
ワタルは、ふと部屋の違和感に気付く。
〔あれ? てちか? 夢……? だったのか?〕
「違うよ!!」
玄関の方から声がする。
てちかはドンドンと扉を叩く音を声に出し、ワタルに呼びかける。
「ここ開けてー!!」
ワタルはゆっくり起き上がり扉を開ける。
ガチャ!
ワタルは不思議な様子でてちかに訪ねる。
「何で? どうして外にいるの?」
てちかは笑顔で元気に答える。
「さっきの男に付いて行って、アレにも不幸を届けようとしたけど無理だった」
ワタルは呆れた様子で頷く。
「そっか! で、なんで自分で入らないの?」
てちかは人差し指を立てて自慢げに答える。
「鋭い質問だね! 扉に触れる事が出来ないからだよ!!」
ワタルは妙に納得した。
「幽霊みたいなモンなのに、何だか不自由なんだね」
ワタルはてちかのチグハグが、可笑しくて堪らない。
ワタルは大きなアクビをしながら、奥の部屋で布団を敷き始める。
流石に寒かったのか、しっかりと布団で寝る用意をしながら、てちかに訪ねた。
「じゃあ、まだ夜だし、もう少し寝るね、てちかは寝ないの?」
てちかは記憶を辿りながら答える。
「分かんない、でも今は眠くないけど、一緒に布団に入っても良いかな?」
ワタルは少し恥ずかしい気持ちも有ったが、不思議と嫌では無く、笑顔で返す。
「そっか、じゃあ眠くなったらそのまま寝て良いから」
てちかは、それが妙に嬉しくてワタルにい近づける限り近づいて感謝を伝えた。
「ありがとう……」
「おやすみ」
ワタルは笑いながら、不自然に浮く布団を寒くない程度に自身に巻き込みゆっくりと瞳を閉じた。
時計の音が部屋に響く。
すっかり眠ってしまったワタルを覗き込み、てちかが呟く。
「ワタシ、本当に何なんだろうね……」
そのまま朝まで時計の音を聞きながら、てちかは、自分が何なのかを考えていた。
「おはよ、ねぇ、ワタル、おはよう!」
朝になっても、昼になっても起きないワタルに、てちかはずっと“おはよう”と話しかけ続けた。
しかし、夜になってもワタルは起きる様子が無かった。
流石に、違和感を感じるが、物質に触れる事の出来ないてちかは、布団から抜け出す事が出来ない。
仮に抜け出せたとしても、てちかの存在は誰にも認識されない。
ただ、ワタルが起きるまで声をかけ続けるしか出来なかった。
それが、どれだけ異常な事か位はてちかにも理解出来ていた。
「ワタル! ねぇ、起きて! もう夜だよ! ワタル!」
ドン、ドン、ドン!
てちかの声とは関係無しに、突然扉を叩く音がした。
「ワタルくーん? 居ますかー? 居たら出て来てくれませんかー? 先生ですよー!」
「わ、わた、ワタルくん居まーす! ここでずっと寝てるんです!」
「ワタルくーん? 居たら出て来てくれませんかー?」
「お願いします! お願いだから入って来て下さい!!」
てちかの声は当然、先生に聞こえる事は無い。
それでも必死に声を出し続けた。
最初は先生の呼び掛けに答えるように、でも聞こえて無い事は理解してた。
それでも声を出し続ける。
次第にその声は大きくなり、必死に先生を呼び止める。
「ワタルくーん! 先生そろそろ帰りますよー! 居たら出て来て下さーい!」
「居るよ! お願い! ワタルを助けて! お願い、お願い神様……」
てちかがどうして神に願ったのかは分からない。
しかし、その声は微かに先生の耳に届いた気がした。
「ワタルくん!? 居ますよね!? 入りますよ! 入るよ!!」
当然のように扉に鍵は掛かって無かった。
先生は、玄関で丁寧に靴を脱ぎ、真っ暗な部屋にゆっくりと入り、電気を付けると、足元のゴミにつまづかないように気を付けて奥の部屋へと続く襖を開けると、眠ったままのワタルに呼び掛ける。
「ワタルくん! ワタルくん!!」
声をかけても反応の無い、ワタルを見て、直ぐに救急車を呼び、到着した救急隊員に連れられてワタルは病院へと運ばれた。
てちかは、先生が布団をどかした隙にようやく外へと出る事が出来た。
――
夜の道を、救急車が進んだ方角、ワタルの存在を感じる方角へと歩みを進めた。
クリスマスも近付く街並みは、イルミネーションで色付いている。
幸せそうな人々がてちかとすれ違う。
「どうして…… どうして皆幸せそうなのに、どうしてワタルだけ、あんなに辛い目に合わなきゃいけないの……」
冷たい空に浮かぶ小さな月を見上げ、てちかは込み上げてくるモノを必死に飲み込んだ。
歩みを止め、自分の存在について考える。
「ワタシが行くと、またワタルは不幸になるの? だったらこのまま行かない方が良いのかな? でも…… 会いたいよ……」
一生懸命に飲み込んでいたモノが、一生懸命に溜め込んでいたモノが堰を切ったように次から次に溢れ出てくる。
どうしようも無い感情を止める事が出来ない。
誰にも気付かれず、誰にも聞こえる事の無い声で、必死に泣いた。
自分の苦しさを、ワタルの苦しさを分かって欲しくて、誰かに助けて欲しくて必死に泣いた。
自分の会いたいという気持ちと、それでも会えないという気持ち…… 自分の中に有る相反する感情がぶつかり合い、頭の中はぐちゃぐちゃになって、それでも答えが出なくて泣き続けた。
どれだけ泣いたのか、あれだけ賑わっていた夜の街がひっそりと静まり返る。
「ごめんね、ワタル、分かってる、分かってるんだけど、それでも会いたいの…… ごめんね……」
てちかは誰も居ない夜の街にそう呟き、再び病院の方角へと歩みを進めた。
――
夜が明ける頃、てちかは病院へと辿り着いた。
夜の病院は静まり返り、出入りをする人が居なくて、暫くの間、てちかは外で誰かが来るのを待つ事にした。
自分が何者なのかは、相変わらず分かって無かったが、寒そうにしていた街の人々に対して、薄布一枚で身を包んでいるにも関わらず寒さを感じない自身に違和感を感じていた。
暫くして、勢い良く一台の車が入って来た。
その車から飛び出る女性に付いて病院へと入る事が出来た。
女性は、てちかと同じ方角へと必死に走って行く。
途中で脱げたのか、手には赤いピンヒールの靴を持ち、裸足で院内を駆け回る。
てちかはその女性に離されないように、ぴったりと後ろを付いて走る。
「ワタル! ワタル!!」
病室へと辿り着いた女性は、泣き叫びワタルを抱き締める。
「母さん、そんなにしたら痛いよ……」
そう言うワタルは、言葉とは反対に嬉しそうだ。
「ワタル良かった! 無事だったんだね、あなね、ワタシずっと声かけててね、それでも先生には聞こえなくて、それでもね、必死に神様にお願いしたら、先生に届いたんだよ、もしかしたら気のせいかも知れないけどさ、それでも確かに先生分かってくれて部屋に入ってね、それでね……」
てちかは、そこまで言った所で気付いた。
ワタルにはてちかが見えて無い事に。
それと同時にてちかは悟った。
「良かったね、ワタル…… もう大丈夫だよ、幸せに…… 幸せになってね! 絶対だからね!」
てちかは溢れ出る涙を必死に隠した。
もう見えていないと分かってはいても、そんな表情をワタルには見せる事が出来なかった。
ワタルが幸せになるんだったら嬉しいハズなのに、それでももう会う事は、自分に気付いて貰う事は出来ないと思うと、悲しくて、辛くて、胸が苦しくて、溢れて来るモノを我慢する事が出来なかった。
「そうだ! お母さん! 夢を見てたんだ!」
「何の夢なの?」
「あのね、てちかって女の子が僕を助けてくれたんだよ!」
「てちか? もしかして、それはワタルの彼女かい?」
「そんなんじゃ無いけど、凄く大切な人だよ」
「ワタルは、てちかが大好きなんだね」
「うん! またいつか会えると良いな……」
ワタルの瞳から大粒の涙が溢れ落ちる。
「可笑しな子だね、まるで本当に助けて貰ったみたいに言って……」
ワタルは、てちかに出会った事を忘れてしまっていた。
正確には、その出来事が夢として置き換えられていた。
それでも、胸に残る感情は変わらず、会えないという事実に堪えきれず次から次に涙が溢れてきた。
自分でも分からないその感情は、何か大切なモノを無くしてしまった、そんな感情に似ている気がして、余計に悲しかった。
てちかは、そんなワタルの様子を見ると一言呟いて病室を出た。
「ワタルは、幸せになってね……」
朝日を待つ街は、薄く白く色付いていた。
空に向かって吐く息は白くならずに消えて行く。
てちかは、誰も居ない街を、向かう先も無く、ただゆっくりとさ迷い続けた。