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瀬藤彼方は異世界に転生できなかった(1)

瀬藤彼方せとうかなたは一応、主人公です。でも異世界に転移する力はありませんでした。

時系列修正中です。大きく修正中です。


 ザザザザーッ……


         ザザラァ……ザーッ……


 広葉樹がそよ風に揺らされて葉擦れの音、ざわざわと耳に囁くように心地のよい昼下がり、フッと意識ごと持っていかれ……、眠りに落ちそうな眠気を誘う。そろそろ秋も深まろうとしている整備もされていない雑木林で、ところどころ樹木に覆われていない部分にはジャングルを思わせるほど雑草が生い茂っている。


 そんなところに瀬藤彼方せとうかなたは立っていた。


 瀬藤彼方せとうかなたが木漏れ日の降り注ぐ光のまだらが風に合わせて躍るのを楽しんでいると、緩やかなスロープの低いほうから、こんな山の中には不釣り合いなスーツ姿の中年男性が登ってくるのが見えた。彼方かなたの視線に気づいたのだろう、内ポケットからハンカチを出して額の汗を拭いながらぺこりとひとつ会釈をしたあと、まるで一仕事終えてきたサラリーマンが同僚にお疲れさんとでも言うような素振そぶりで話しかけてきた。


「いい天気ですね。こんにちは……」


 挨拶をかわすと男は、彼方かなたの頭のてっぺんから足のつま先までをジロジロと、まるで値踏みするように眺めながら、とてもフレンドリーで誠実そうな表情で言葉を続けた。


「おや、もしかしてあなたも迷われましたか?」


 男は "あなたも" と言った。そう、あなた "も" 迷われましたか? ということは、この男も道に迷ってるということなのだろう。どう見てもいま駅から出てきたばかりのサラリーマンといった風体のおじさんが、こんな山の中に入ってきて "迷われましたか?" もないものだ。


 彼方かなたは "迷った" という自覚がなかったので、どう答えたらいいか分からず口ごもってしまい、この場には他に誰もいないと言うのに、キョロキョロと周りを見渡し、誰かに助けを求めながら少し迷惑そうに応えた。


「あ、えっと……あの……」


 サラリーマン風の男は営業マンなのだろうか、ちょっと迷惑そうな顔をされたぐらいじゃあ引き下がらない。笑顔を絶やさず、長めの間をおいて言葉を重ねた。


「なるほど、自分の置かれた状況が分からないのですね、初心者とお見受けしました」


 彼方かなたは初心者と言われたことを、少し心外に思った。

 そりゃあ山岳部でゴリゴリの登山やってたような奴らとは次元が違うけれど、彼方かなたなりにソロキャンプぐらいなら平気でこなす趣味のアウトドアマンを自負している。こんな背広を着て靴底ツルツルの革靴で山に入るようなおじさんに初心者とは言われたくないというのが本音なのだけれど、実はちょっとだけ混乱している。彼方かなた自身、なんでこんな山の中に一人で立っているのか、まったく覚えてないことを、ひと目見ただけで看破されてしまったことに驚いている。


「んー、そうですね。そんな時は最初から思い出してみるに限ります。自分の人生を振り返ってみましょう。青春時代はどう過ごしましたか? スポーツは? なにをしてらっしゃいましたか? 友人、恋人は? 結婚は? いい伴侶とは出会えましたか? 出会えたのなら羨ましい。私には縁のないことでしたからね」


 このおじさんは彼方かなたに "人生を振り返ってみろ" と言った。

 どうすればいいのか分からない。そもそもだ、経験の浅い、まだ22歳の瀬藤彼方せとうかなたが、この年配のおじさんに向かって人生を語るなど、生意気であることこの上ない。


「もうすぐ夕方ですが……」

「大丈夫ですよ、私はこう見えてヒマなんです。そんなところに立っておられるあなたの人生というものにも興味ありますからね。ぜひ聞かせてください」


 ヒマかどうかを聞いたわけじゃなく、山にはいると夕闇の駆け降りるスピードが街の比じゃない。

 ヘッドランプなどの装備品を持っているのだとしても、夜の山道は安全じゃあない。そんなアスファルトを踏むのにコツコツと音が鳴るような靴じゃあ、夜の山道なんか到底歩けない。ここがどこなのかも分からないし、街からどれぐらいの距離があるのかも知らないけれど、早々に下山しないと帰れなくなるよと、ただひとこと言いたかったのだけれど……まあ、ここで出会ったのも何かの縁を感じたこともあり、このサラリーマン風のおじさんに少し話を聞いてもらうことにした。



----


 彼方かなたは共働きの両親の家に生まれた。家は築30年の借家で彼方かなたの物心がついたころから戸の立て付けが良くなかった。玄関には40センチの段差があり、靴を履くときは玄関に腰かけて、ぶらぶらさせた足に、母親が靴を履かせてくれたのをよく覚えてる。居間に入ると茶色く煤けた天井が印象的な、古い家だった。


 彼方かなたという名前は母が強く推したらしい。父はというと冬弥とうやという、いかにも冷たそうな名前を推していたらしいので、どちらか二つしか候補がないとするならば彼方でよかったと思う。


 だけど彼方というのは遠いという意味で、人の名前にするもんじゃあないと今でも思ってる。

 家族構成は父母、それに2つ下に妹というありふれたもので、妹はというと普通に紗弥さやという名前を付けてもらっていて、その字面の雰囲気から親父がつけただろうことは容易に推測できる。

 

 人生、山あり谷ありというけれど、これまで彼方かなたの人生、山に登った試しがない。谷に転落してちょっと空が見えたと思ったら更なる深みまで落とされる。どこまでも落ちていく、まるで転落を絵に描いて額に入れたような人生、それを彼方かなた自身『そこそこクソ』だと思っていた。


 いま思えば小学、中学、高校と、栄光なんて掴むチャンスはただの一度もなかった。いや、大多数の人がそうなんじゃないかな? 目立って身長が高く顔がよく整っていて、話したこともないような女の子が、ただ見た目だけで憧れてくれたり、好きになってくれたりなんていう、スクールカースト上位1%未満の貴族じゃないことは明らかという、異性を意識し始めた青春時代初期から色のない無色なポジションに居たことは間違いない。


 18になって免許取ったら親がBMW買ってくれるようなお金持ちなんて事も当然ない。高校を卒業してからこつこつ溜めていたお年玉貯金を全放出して普通自動二輪免許を取得、憧れのマイマシンは中古の250ccバイク、しかも不人気車種で割安なものを買った。バイクの購入費用は苦手な接客業のアルバイトで費用を捻出したぐらいだ。家は食うに困るほどじゃないにせよ、貧乏だったのだろう。


 スポーツは人並みにこなすし、勉強はそこそこで中の上。見た目もそんなに悪いとは思わないのだけれど、最初は中学二年の頃だったか……、いじめられやすい体質とでもいえばいいのか、最近テレビやネットなどでよく見聞きするような酷い虐めほどじゃないけれど、休み時間にいきなり後ろから理由もなく殴られたり蹴られたりということはよくあった。テレビのロードショーで中国のカンフー映画が放映された翌日ほど受ける暴力が酷くなることを知ったことで、カンフー映画のあった翌日は様々な理由をつけて学校を休むようになった。


 虐めを受けたせいなのか他人と打ち解けられないコミュ障ってやつを患ってしまって……、いや、もとからコミュ障だったから虐められたのかもしれないけれど、簡潔に説明すると虐められていた彼方かなたのスクールカースト階級はというと、下位わずか1%の最底辺という、痛ましくて見るも無残なものだった。


 クラスメイトたちにどう見られていたのだろうか。彼方かなたは少し考え込んでしまった。


 いや答えはすぐに出た。どう見られていたか? 違う、どう見られていたか? なんて自意識過剰だった。……そう、彼方かなたのことなんか誰も見てはいなかった。


 日頃の鬱憤を晴らさせてくれる獲物を探している奴らにだけ見えて、きらきらと輝く陽光の下で屈託のない笑顔を振りまいている女子たちの目に彼方かなた姿が映ることはなかった。ただそれだけの事だ。


 地元の公立高校を卒業した彼方かなたは隣県にある私立大学の4年制薬学部に進学を決めた。合格おめでとう! と喜んでくれたのは担任の先生と、あと家族だけだった。


 彼方かなたはクラスメイトたちの眼中にないままひっそりと高校を卒業し、隣県の私立大、4年制の薬学部へ進学すると、いつも窓際一番後ろのカドの席を狙うという共通の趣味から席取りのライバルになった女子と仲良くなった。


 あれは忘れもしない2012年の春、新入生歓迎イベントのすぐあとから気になり始めた女の子。

 彼女のことは話しておかなければいけないのだろう。


 名を浅川樹里あさかわじゅりさんといって、彼方かなたがいじめられっ子だったという、あまり語りたくない過去を知らない子だ。


 初対面では顔は67点ぐらいの飾りっ気のない子だな……と思った。


 メガネの地味系女子だけど、笑顔がとても可愛らしく大人しくて清潔そう。これまで彼方かなたと話すのに、そんないい顔をして話してくれる女の子なんていなかったせいか、いつの間にかその子と話すことが楽しみになっていた。顔は67点ぐらいだなんてよく言ったもので、好意を持ってしまったらもう、彼女はみるみるうちに輝きを増し、同じ教室で彼女の吐き出した二酸化炭素を吸い込む幸福に酔いしれるほどにメロメロになってしまった。もちろん彼方かなたの狙う席は、窓際の一番後ろから彼女の隣の席に変更されてしまったことは今更いうまでもない。


 彼方かなたは知らないうち、浅川樹里あさかわじゅりに魅了されてしまったようだ。

 恋の魔法に抵抗力を持たない十代の純情男子、ちょっと優しくされただけですぐに好きになってしまう。

 その気持ちに気付いた時にはもう遅かった。


 朝から晩まで、寝ても覚めても、彼女のことを考えてしまって、勉強なんて手に付かない。これが恋というものなのか、こんな大変な思いをみんなは中学から高校ぐらいで経験するなんて信じられないほどだ。


 魂がグイグイと求めて惹かれる精神的な欲望と、抱きしめたい、触れあいたい、そして抱きたいという肉体的な欲望が複雑に絡み合って生まれたリビドー。


 彼方は生まれて初めて沸き起こった激しい性的衝動をどうしたらいいかわからない。


 浅川樹里あさかわじゅりは、彼方かなたの初恋の相手となった。



----



「んーと、この初恋が終わってしまうまでの話なんだけど……つまらないですよね? こんな話」

「いいですね。続けてください」


 よほど暇なのだろう、彼方かなたの話が長くなることも分かっていながら、おじさんはポンと膝を打ち、話の続きを促した。初対面の人に対して初恋の話をするのもちょっと気が引けるのだけど、お互いが暇であり、そして話を聞いてもらってる彼方かなたのほうも、不思議と悪い気がしなかった。

 この聞き上手なおじさんにしっかりと向き合い、彼方かなたは話の続きを聞かせてやることにした。


----


 彼方かなたはこれまで恋をしたことがなかった。

 初恋というか、恋心と言うか、まさかこれほどまでに胸を締め付けられるとは思っていなかったので、しんどい生活から抜け出したくて、逃れたくて、いろいろネットを検索したり、某巨大掲示板サイトの〇ちゃんねるでスレ立てて質問したり、煽られたりしながらも、彼方かなたは全国の名無しさんたちから勇気を少しずつ分けてもらって、自分の気持ちを伝えることにした。


 その日取った講義が終わるまえ彼女に声をかけて、ちょっと人気ひとけのない駐輪場へ向かう渡り廊下を歩いてる時だった。彼方かなたも、もう少しでいいから雰囲気作りだとかシチュエーションだとかを考えてやればよかったのだが、焦りが先に立ってしまってそこまで気が回らなかった。


 それは忘れもしない6月29日、手を伸ばせば届くほどに雲が低く、今にも雨が落ちてきそうな梅雨のじめじめとした汗ばむ暑さの中で、瀬藤彼方せとうかなたは人生で初めての告白をした。


 それはそれはもう、血圧の上昇と眩暈めまい、そして心拍数の激しい上昇とともに、告白する前になると胃の内容物が上がった来たりなど、様々な身体的異常が現れた。まさかこのままショック死してしまうんじゃないかって思うほど頭がのぼせ上った。


 彼方かなたがここ何日かずっと考えていたとっておきの言葉を頭の中で組み立てて、それを順番に言うだけの簡単なお仕事のはずだった。


 だけど、あんなにも考えて、自宅で何度も練習して組み立てた告白の言葉がひとつも出てこない。


 彼女を目の前にして、彼方は口ごもるばかりで、自分の気持ちなどびた1ミリたりとも伝えることはできなかった。


「あの、浅川さん……俺、何て言えばいいか分からないけど……えっと、あの……」

 彼女は彼方かなたの目をじっと見ていたが、やがて少しうつむき加減に視線を落とし、あれだけ周到に準備していた愛の告白がうまく言えなくて、半ばパニックになりつつ、もう自己嫌悪し始めてる彼方かなたに向かって、浅川樹里あさかわじゅりはひとつ質問を投げかけた。


「ねえ瀬藤せとうくんは彼女とかいるの? かな?」

「いないいないいいないです。浅川さんが俺の彼女になってほしいとかずっと思ってますた」

 どんな日本語だったのだろうか。もうハッキリとは覚えていないけれど、言葉は通じなくとも、心が通じたらそれでよかったんだと今はそう思う。


 それが彼方かなたの精一杯だった。

 もうこれ以上は蛇足になる。彼方かなたの心は、伝えたいことはもう伝えたと胸に誇っている。


 彼方かなたは彼女に向けて、右手をスッと差し出して、心のなかで何度も繰り返し祈った。

 願わくば手と手を取り合って、そしてこれからの人生を共に歩んでいけたらと。


 口に出してはとても言えない言葉なのに、心は饒舌に愛を語っている。彼方かなたの心の声を直接伝えることができたなら、これほど苦労することもなかったろうに。


 沈黙が流れて、時間の感覚がなくなってしまう。どれだけの時間が流れたのか、数秒かそれとも数分か。


 あっ……。


 彼方かなたは、いま手に何か触れたのを感じた。彼女が手を握ってくれたのだ。

 温かいてのひら彼方かなたの震える手を包んでくれている。

 彼女はうつむいたまま、手をとってくれた。


 それからしばらく、二人は目を合わせることもできずに硬直していたのだろう。ただ、彼方の手を優しく握った温かい手を、握り返していたことだけは覚えている。強く。


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