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天羽遥風は頑張った(3)

はるかは死ぬことで、運命の出会いを果たした。

次話から主人公、瀬藤彼方せとうかなた編が始まります。




 ~~~ 一か月後  ~~~~



 遥風はるかはケガをしたことで学校に行かない正当な理由を得た。ギプス付きの生活は外出時、マンションの階段を降りるとき特に不便だったが、学校に行かなくてもいいという安心感が厳重に膝を固定していたギプスがじめじめと高温多湿の梅雨前に外せたことと、慣れない松葉杖のほうは、ようやく慣れた頃にお払い箱になったぐらいが、ここ最近で良かったこと。


 しかし学校に行こうという気は起きなかった。ひとりの生活の安心感と、自分を攻撃しようとするものが居ない閉鎖された狭い空間で暮らすことに得も言われぬ安堵感を感じていた。この狭いワンルームマンションから出なければ、誰も自分を攻撃することはなく、誰も自分に対して嫌悪の目を向けることもないのだから、この部屋から一歩踏み出して学校に行くなどと言う選択肢が見つからない。



 自分はもうこの狭い空間で生きていけたらそれでいい、たまに優しかったお父さんとお母さんのことを思い出して涙が流れるけれどでも、かつて幸せだった頃の思い出に浸るのは好きだった。涙が流れても、その涙はけっして悪いものじゃない。


 そうやって小さな小さな、思い出と、よかったことを一つずつ積み重ねて遥風はるかは生きている。

 そんな遥風はるかだけの空間、遥風はるかだけの城に、ある夜、招かれざる客が訪れた。



 不意に部屋のドアが開いて複数の人が入ってきた。


 ちゃんと施錠していたはずだし、内カギのU字ロックもしっかりと施していたはずなのに、いともたやすく部屋への侵入を許してしまった。


 大江田久美香おおえだくみかと、その取り巻きの倉山明日香くらやまあすか神代愛実かみしろあいみの二人だ。


 久美香くみかは土足のままズカズカと部屋に侵入してきたところで、神代かみしろがドアを閉め、施錠する。この時点で住居不法侵入と監禁罪になる。それでも尚この三人には強硬手段に出る必要があるという事だ。


 遥風はるか恐怖した。自分が一番安全だと疑わなかった自室に土足で侵入されてしまったのだ。部屋でクッションにもたれて座った姿勢のまま動くことができなかった。そんな遥風はるかに向かって招かれざる客は何もいわず、いや有無も言わさずまずは挨拶がわりと腹を蹴り上げた。


「げふぉっ……」


 今まで経験したことのない痛みに気が遠くなる遥風はるかの声にならない叫びも、倉山くらやまが馬乗りのマウントポジションをとると遥風はるかの口にタオルを突っ込み、身動きもとれず、叫び声も上げられない遥風はるかの腹部を何度も何度も執拗に踏みつけた。


 何度も何度も、何度も何度も革靴の踵部分で腹を踏みつけにされ、抵抗する力もなくしてしまった遥風はるかは涙で目がかすみ、口を押さえられていて、鼻水ののせいで息も絶え絶えになって、薄れゆく意識の中で、幼い頃、両手をお父さんとお母さんにつないでもらって、ぶら下がったりしながら動物園に連れて行ってもらった時の事を幻視していた。


 反対側の手にお弁当と水筒を持つお母さんが重いって言って、お父さんが一人で抱き上げてくれて、肩車をしてくれたんだった。


 しかし次の瞬間には地獄のような現実に引き戻される。


 バシッ!

 倒れたまま頬を平手打ちにされて、少しだけ我に返ると目の前がピカピカと明るく光っていることに気が付いた。徐々に頭はハッキリしてくる。向けられているのはスマホのフラッシュライトだ。


 何を撮っているのだろう? と不審に思った遥風はるかがやっと目を開けて前を見たことで、久美香くみかが髪を引っ張っりながら言った。


「おまえ教頭にチクっただろ? 私らの誰かに突き落とされましたって。へえ? 証拠でもあるのか? 私ら無実の罪で生徒指導室に呼ばれたりしてすっげえ迷惑なんだけど……」


「まあいいじゃん久美香くみか、今日のところは写真だけ。もし誰かにチクったらこの写真、ネットにばらまくからね……あははは、天羽あもうって案外あそこの毛が薄いんだ……」


 たった今撮影したばかりなのだろう、スマホ画面を近づけて見せる倉山くらやまの笑い顔がとても残酷に映った。


 遥風はるかは自室で暴行され、服を脱がされて全裸にされた挙句、写真をとられてしまった。


「やめてください、それだけは……消してくださいぃ」


 写真を消してくれと懇願し、動かない体をひきずって縋りつこうとする遥風はるかを壁まで蹴り飛ばし、倒れたところに立って、格の違いを見せつけるように見下みくだ久美香くみかはまるで同じ血の通った人間だとは思えないような、冷たい表情で言い放った。


「おまえ学校辞めろ、な。こんど学校にきたらおまえAV女優にしてやっから。あー、この写真が欲しければ買い取れ。1枚200万な、おまえが買わないならクラスの男子に売ってやっから」


「そんなお金はありません。私のお金はぜんぶ大江田の叔父さんに……」

「やかましい! 払えないなら死ね! おまえが死んでくれたらすべて丸く収まるんだよ。いいか遥風はるか、お前が死ぬまで続けてやる。……んー? 死ねないなら手伝ってやんよ? いまここの窓から落としてやろうか? 全裸で飛び降りとか、見物人は大喜びだろうな。はははは」


 そのあとも何かを要求されたり、激しく恫喝されたり、平手で顔をぶたれたりしたが、よく覚えてはいなかった。何か捨て台詞を言って久美香くみかが帰ると、部屋は静寂に包まれた。

 もうこの部屋も遥風はるかの聖域ではなくなったのだ。



----


 天羽遥風あもうはるかは、それからしばらく食事も喉を通らず、死ぬことばかり考えていた。

 こんなに絶望しかない世界なのに、なぜこんなにも死ぬことが怖いのか。マンションの4階だから、ここから頭を下にして飛び降りれば楽に死ねると思ってベランダに立つけれど、飛び降りることができなかった。死んでしまったほうがきっと楽なのに、それでもこんな地獄で生きていこうとする自分が歯がゆくて泣いた。


 優しかったお父さんとお母さんの思い出も、これから先どうして生きていったらいいかを教えてはくれない。何もする気力がなくなって、あれから2日間なにも食べていない。裸の写真がネットにばらまかれていたり、クラスの男子に売られたりという事も、もうどうでもよくなった。


 遥風はるか久美香くみかたちに土足で踏み付けにされた身体を綺麗に洗い上げ、念入りに身だしなみを整えるとパリッとアイロンをかけたよそいきの服を着て、リュックひとつ担いで家を出た。


 したためた遺書は財布に、リュックにはホームセンターで買った長めのロープを入れて、スマホで検索していちばん近いハイキングコースへ向かうためバスに乗った。


 バス停につくとそこは閑散としていて、降りたのは遥風はるかひとり。

 胸を張って、足取りも確かに予め下調べしておいたハイキングコース入口から山へと入っていった。


 遥風はるかは両親が亡くなってから初めて前向きになれたそれも、死に対して前向きだった。。

 逃げるという行為を恥じる風潮はあるが、誰一人自分の味方をしてくれる人もいないのに戦えるわけがない。遥風はるかは逃げるのではない、そしてもう大嫌いな人間たちと接触したくなかった。だから逃げるのではない。誰も自分を否定しない場所へ行くのだ。だから前に向かって足を踏み出す。一歩一歩、過去の自分から踵を返し、かつて幸せだった思い出に終止符を打って。


 時刻はもう夕方になっていて、空を見上げると木々の葉の隙間から明るい光が差し込む。しかしみるみるうちに闇が足早に駆け降りてくる。まさかこんなに早く暗くなるなんて思わなかった。


 遥風はるかは、そろそろ場所を決めないと見動きすら取れなくなることを悟り、ハイキングコースから谷筋に降り、なだらかな傾斜のある方向を目指すことにした。


 しかしもう足元は見えづらくなっていて、膝が思ったように上がらないせいか段差を踏み外して転落する。足首を少し捻挫したようだが、今さら痛みなど感じたところでどうということはない。

 だけどいま転んだことでプリーツまでアイロンがけしたチェックのスカートも、赤いリボンがワンポイントになってて可愛いシャツも泥だらけになってしまった。せっかくお父さんとお母さんに会うのだからおしゃれしてきたと言うのに、またドジってしまった。お母さんに叱られてしまう。だけど結果的に素早く3メートルほどの土手を滑り降りたのと同じことだと前向きに考えることにした。


 遥風はるかはお尻と肩に付いた泥をはたいて落としながら、森を征く。こんな薄暗い森を明かりも持たず鼻歌交じりに歩いている。


 そして一本の比較的綺麗な木肌で少し大きな立木に手を添えて、周囲を3回転。まるで木とダンスを踊っているかのように。そして遥風はるかはここでリュックを下ろし、中からロープを引っ張り出す。


 ロープ投げというのは思っていたよりずっと難しい。木に引っかかることはあっても、狙った枝に掛けて、反対側を引き寄せたりというのがとにかく困難で、もうちょっとというところでジャンプしても届かなかったり、そもそも全然狙った枝にかからなかったり。この期に及んで、一つ賢くなったことに微笑んだ。

 まったく、人というのは今まさに最期の瞬間が来ようとしているという、こんな時でも学ぶことを忘れないのだ。それほど学ぶことが好きなのに、なぜ人はあんなにも愚かで、残酷なのだろう。


 考えながら投げて失敗して投げて失敗してを繰り返し、ようやく狙った枝をループして手に取ったロープを結んで外れないようにしてから輪を作った。これで準備は完了だ。


 辺りはもう殆ど真っ暗闇になっていて目にはきっと何も見えていない。それでもリュックの中から小さな手鏡を出して最後の身だしなみを整える。普段は付けない、ちょっと大人っぽい雰囲気の赤い口紅を塗ってみた。最後なんだからこういうのもいいって、きっとお母さんも言ってくれる。


 最期の時、藍色に変色してゆく空を見上げながら首に縄をかけ、組み立てた踏み台に乗り、ぎゅうっと首を絞めた状態で踏み台を蹴ると、喉に体重の全てがかかる。むせっ返るように咳がでそうになったけれど、すぐに収まった。このまま意識を失えば楽になれるのだとどこかで読んだ気がする。


 そんなギリギリの瞬間、遥風はるかの耳に誰かの声が聞こえてきた。

 声は遠くかのほうからだんだん近づいてくるように感じる。


 遥風はるかが意識を失おうとしていたとき、その声はすぐ近くになった。


「よせ、死ぬんじゃない。キミはまだ生きているじゃないか。生きてさえいれば、必ず幸せになれる。だから頼むから思い留まっててくれ……」


 遥風はるかは自ら命を絶とうとしているとき、はじめて自分を勇気づけてくれる声が聞こえた。

 それはそれは心地の良い声だった。両親が死んでからの3年で初めての経験だった。


 その声の主の必死さに、幻聴と分かっていながら、うっすらと目を開けてみた。


 さっきまで真っ暗だったのに、夜の森が、ぱあっと明るい別世界のようだった。青く艶めかしく美しい森へと変貌を遂げていて、遥風はるかの前に、とても悲しげな表情の男性が立っていた。さっきから必死で生きろ生きろと声をかけてくれていたのは、きっとあの人なんだ。


 その男性はとても誠実そうな人で、目を開けた遥風はるかにそっと微笑みかけた。

 作り笑いの下手な人だなと思った。だってあんなに悲しそうな目で微笑みかけるだなんて、普通はしないのだから。


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