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天羽遥風は頑張った(1)

時系列のミスを修正中です。




 時間は晴田芳清はるだほうせい源田哲章げんだてっしょうが殺害される3年前に遡る。

 これは灰色の世界を生き、そして世界の全てを呪うようになった少女の物語。



~~~ 2014年 11月3日  ~~~~



遥風はるか、ご飯よ。早く食べてくれないと、お母さんたち出かけられないわ」


 父と母が共稼ぎの家庭に生まれた天羽遥風あもうはるかは、いつものように戦場のような朝を、いつものようにギリギリまで寝ていたせいで、いつものようにお母さんが殺気立っている。いつも言われることだが、あと15分だけ早く起きればいろんな問題が解決するのだけど、その15分を微睡むことが心地すぎるせいで、いつものようにお母さんに怒られている。


 別にどうってことない、どこにでもある朝のひとコマ、なかなか起きてこない娘に、母親が朝食を急かしている。本当なら朝ごはんはゆっくりとよく噛んで、時間をかけて食べたほうがいいのだけど、ここの家のお母さんは朝からガミガミと絶好調だ。これはどこの家のお母さんでも似たようなものかもしれない。


「んー、わたしご飯いらないから……」

「何言ってんの遥風はるか、朝ごはん抜いちゃダメだって何度言ったらわかるかな!」


 また始まった。

 女の子の朝は、朝食よりも髪を整えるほうが忙しい。いまもドレッサーを占領して、寝乱れた髪をドライヤーを使って整えているこの少女、この家の一人娘で13歳。家から1キロの距離にある市立の中学校に通う一年生だ。校則でロングヘアの女の子は髪を束ねてゴムで括る必要がある。括り方はひとつに縛って後ろに流すか、左右二つに縛っておさげのようにするか、二つに一つだ。


 遥風はるかは縛った髪が首に巻き付くのはいいとして、汗を書いたらへばりつく感触がいやで、もっぱら左右に分けるほうを選択している。そして今まさにこの左右の分け目が真っすぐに決まるかどうかの瀬戸際のときに、お母さんがうるさいのだ。


 遥風はるかが歯ブラシをくわえながらリビングをチラッと見ると、お父さんが新聞を読んでいる。

 朝ごはんを食べてから新聞を読みなさいと言うので、お父さんいつも食べ物をよく噛んで食べてないんじゃないか? ってほど食べるのが速い。だけどこれで新聞を読む時間を稼ぎ出しているのだから凄いのだろう。何しろ遥風はるかの母親は短気で気が荒く、テキパキと仕事を効率よくこなさなきゃ我慢できないキャリアウーマンだ。白衣を着て製薬会社の開発主任を任されている。


 "料理なんて薬を作るのと比べたら超カンタン" なんてことを言いながら、キッチンには計量カップの代わりにメスシリンダーやビーカーが置かれている。塩を目分量で振りかけたらゲンコツどころかロケットパンチが飛んできそうな勢いで怒られるほど、健康には気を遣ってくれてるらしい。


 だからなのか、お母さんの料理は遥風はるかの口には合わなかった。おばあちゃんが生きていた頃、作ってくれたほうれん草のおひたしや、茄子の揚げびたし、高野豆腐と落とし卵の、あの味が忘れられなかった。お母さんの作る料理は、毎日同じ。同じ料理は同じ。まるでレトルトの食品を暖めて出されたかのような、いつもと同じ安定の薄味だった。マズいわけじゃない、美味しいかマズいかと聞かれるともちろん美味しい。だけど、味が薄味で固定されていて想像できてしまう、味にバリエーションがないと言うか、料理を口に運んで舌に乗せたとき、ひとつも感動がないのだ。


 そんな母さんがなぜそんなに急いでいるかというと、今日はいつも営業所にいる父さんと、研究所にいるお母さんが会社の偉い人に呼び出されたとかで、今日は二人して少し遠くにある会社に出社する必要があるのだとか。またその会社というのが、いつもより1時間余計にかかる遠い場所にあるという理由で、お母さんがカリカリしているという、まあいつもの事だ。


「早く食べなさいって言ってるでしょ! ほんと遥風はるかってのんびりして、あなたに似たのね……なんだかおっとりしすぎてて心配だわ」


 半ばとばっちり気味に話を振られたお父さんも遥風はるかを見て、やれやれといったポーズで応えた。なにか口答えでもしようものなら、お父さんであっても叩き出される勢いでやり込められるのだから、触らぬ神に祟りなし、ただ聞いてますよ!という顔だけしておいて何も言わないのが賢い対応だ。


 天羽あもうの家は、祖父の代に金物屋で成功し一代で財を築き上げたという程度の、そこそこお金持ちの家だ。しかし男児に恵まれなかったせいか長女のお母さんに婿養子を探していたが、お母さんは家を捨てる覚悟でお父さんと恋愛結婚すると宣言した。猛反対する祖父の手前、愛の逃避行になるかと思いきや、お父さんの実家がサラリーマンの次男坊だったため、じっくりと話し合いをして婿養子に来るということで話が決まったらしい。


 お父さんに聞いてみたところ、天羽の家で "じっくりと話し合い"というのは、36時間ずっと膝を突き合わせての直談判で、首を縦に振るまで眠らせてもらえないといった拷問に近いものらしい。

 おっとりとしたお父さんじゃなくてもきっと心が折れる。


 天羽あもうとは天の羽と書く。お母さんは白衣に名前を刺繍するよりも、胸ポケットに羽の刺繍を施したり、カバンには羽のレリーフでオシャレに飾っている。羽のマークが自分を表すという、その点だけはまだ小学生の遥風はるかにもセンスがいいなと思えた。



「もう! ほんと遅い。じゃあラップしとくからちゃんと食べとくのよ? お母さん今日はお父さんと一緒に会社に行ってくるからね、これ食べてなかったら夕食これだからねー」


 お母さんは、準備を終えると、羽の刺繍の入ったシャツと、羽のレリーフが彫られたカバンをもって、お父さんと一緒の車に同乗して家を出た。

 国産だけどそこそこ高級なセダンとリモコンで開くシャッター。そこそこお金持ちの家に生まれたという自覚はある。でも遥風はるかは、裕福な家に生まれるよりも、可愛い弟が欲しかったなと、そんなことを考えていた。



 今日は両親よりも少し遅れて家を出た。いつものように中学校へ登校し、1学年の教室に向かう。

 同級生たちはみんな元気に「おはよう!」と挨拶する。遥風はるかは快活で友達も多い、まだ13歳で眉の手入れもしていないが、5年後、10年後の姿は相当な美人になるのではないかと思われる、特筆すべき素材のよさだった。性格も母親似ではなく、おっとりとした父親似の性格だからか、リーダー格にはなれないが、話す言葉のそのスピードからスローなことと、身嗜みがバッチリと決まっていて完璧な清潔感を出していることでクラスの男子たちよりも、女子に人気があるというキャラクターだ。


 教室は小雨がパラついていて窓を閉じている、英語の教師がこの窓をオープンするだの、クローズせよだの、英語で問題を出し、窓の開閉をしてひとしきり冷たい空気が入ってきた教室に、担任の先生が駆け込んできた。


 ノックをしたら "どうぞ" と言われるまでドアを開けてはいけませんと指導されたところだというのに、担任の先生はノックするとすぐにドアを開けた。そして英語担当の先生にモゴモゴと何か言ったと思うと、


天羽あもうさん、急いで帰る準備をしなさい。今すぐです」


 先生の様子がおかしい。なにか動転している様子だ。

 クラスの男子たちは「うわー、天羽いいなあ帰れるのかよ」などと囃したが、先生のひと睨みで言葉を飲み込み、もう囃したてることはなかった。


 遥風はるかは先生に言われるまま、机の中の教科書やノート、筆入れなどの文房具をカバンに入れ、教室を出た。職員室に行くと先生は教頭先生に「中央病院、行ってきます」とだけ言って、車のカギをもって玄関から出た。先生の車に乗ったのは初めてだった。でも、先生が言った行き先、なぜ中央病院に行かなきゃいけないのか、説明のないまま車に乗せられたことで不安が大きくなってきた。


「先生? なんで病院なんですか?」

「落ち着いて聞いてね、天羽あもう、あなたのご両親が事故に遭われて、いま中央病院で治療を受けてるらしいの。先生もね、それだけしか分かんなくて、まずは病院に行かなきゃ何も分からないから、ああどうしよう、どうすればいいの?」


 落ち着いて聞いてねなんて言っておきながら先生の慌てっぷりが、如実に非常事態をあらわしている。

 事故に遭っただなんて、お母さんが話せる状態なら、あの人の事だ直接電話して来るだろう。お父さんと繋がってるSNSのメッセージもこんな時にはとても便利なものだ。


 しかし遥風はるかのスマホには着信履歴もなければ、メッセージも届いてなかった。

 中央病院は救命施設のある大きな病院だ。いま遥風はるかのいる学校からだと20分ぐらいの距離にある、隣の隣の市にある。そんな大きな病院に担ぎ込まれたんだとすると、お父さんもお母さんも運がいい、少し前、お母さんが言ってた話を思い出す。



遥風はるかあそこの病院は医療の最前線で荒波を受けて戦う、先進医療の城なんだ。あそこに担ぎ込まれた患者は幸運だよ、何しろ医者も機材も超一流なんだからね』



 平日の午前中であっても大病院の駐車場は混雑していて、先生が車を停めたところは、建物から遠い立体駐車場の二階だった。先生について小走りで急ぐ遥風はるか


 病院のロビーで受付に話し、床に回路図のように引かれた色とりどりのラインテープのうち、救急搬送と処置室へは黄色のラインテープを目印に進むよう言われた。黄色い線の案内で病院受付から真っすぐ奥へ奥へと突き抜けるように歩き、処置室で「天羽です」と声をかけると、さらに奥の、静かな薄暗い部屋へ案内された。


 遥風はるかが部屋に入ると、殺風景な部屋で何もなかった。そこにはベッドもなく、ただストレッチャーに乗せられたまま、顔に白い布がかけられた人が二人……。


 遥風はるかは呆然自失し、先生の言葉も、警察のひと? の言葉も、看護師と思しき女性の言葉も、何か話しかけられて返事をしたような記憶は確かにあるけれど、話した内容までは記憶していなかった。


 その日は慌ててきてくれた母方の親戚の家に泊めてもらって、家に帰ったのは2日後のことで、お父さんとお母さんの通夜が営まれる日だった。


 家の新聞受けには朝刊、夕刊と、お父さんが読まなかった分の新聞が差し込まれている。それを抱えてリビングに持ち込んだ。



 リビングのテーブルの上には、お母さんが食べなさいと言ってラップをかけてくれた朝食がそっくりそのまま残っている。放置していた食品もしっかりと火さえ通っていれば11月の気温なら露骨にいたむことはない。


 遥風はるかは朝食のウィンナーと目玉焼きを再加熱することなく、しっかりと手を合わせ「いただきます」と大きな声で言ったあと食べることにした。

 お母さんに食べなさいと言われたのだ、食べないとばちがあたると思った。


 硬くて味なんて分からなくなっていたが、それでも遥風はるかは、願わくばまた明日の朝、お母さんの手料理を食べたいと思った。お父さんが新聞のページをめくる音を聞きながら、美味しくない朝食を食べたいと、涙を流しながら心から願った。


 だけどお通夜の焼香を済ませ、お葬式が終わり、火葬を済ませると、箸からカサっと軽い音を立てながら転げ落ちるお母さんの遺骨を拾うと、両親の死が少しずつ実感できるようになった。

 お父さんもお母さんも骨になった。ふたつ並べられた骨壺が涙を誘う。お父さんもお母さんも、こんなに小さくなってしまった。骨なんか残骸だ。こんなものを残して、もうこの世には居ないのだと、そう思うと寂しくて、お母さんのいう事をもっとちゃんと聞いておけばよかったと後悔するにつれ、止めどなく涙があふれてきた。


 ひとしきり泣いたあと、何か思い出した様に遥風は昨日付の新聞を開いて記事を探した。

 地方欄のとある記事で目が留まった。事故の記事だ。

 現場は自宅から数キロ離れた国道の緩やかな右カーブ、ここでお母さんの運転する車に、居眠り運転のダンプトラックがセンターラインを割って正面衝突したのだと書いてある。


 事故を起こしたダンプトラックの運転手は源田哲章げんだてっしょう、同じ町に住む30歳の男だった。男は現行犯逮捕されたが、軽傷だったらしい。

 あんなに優しいお父さんと、厳しいけど愛情いっぱいだったお母さんを殺しておいて、軽症だなんて信じられなかった。


 親戚の叔父さんの家で夕食を食べるとき、不満に思っていることと、このお父さんとお母さんを殺した奴が死刑になるのかを聞いてみた。しかしその答えはとても遥風はるかの納得のいくものじゃなかった。

 人を殺したとしてもそれは殺そうと思って殺したわけじゃない、事故だったんだよという。その言葉のトーンと、話の流れから遥風はるかは、諦めるしかないのだという意味に受け取った。


 その後、相手方の保険会社から査定員を名乗る男が来たが、遥風にはまだ死亡保険金の話などできるわけがない。感情的にまくしたてる天羽の親戚を含め、紛糾してお話にならず逃げるように帰って行ったが、そんな事よりももっと早く決めなければならないことがあった。遥風はるかの身の振り方だ。要するに、遥風はるかはまだ13歳で一人で生きてゆくことはできないので、誰かがその面倒を見てやる必要があるのだ。


 そのような面倒事に真っ先に手を上げてくれたのが、お父さんの実の兄、大江田治隆おおえだはるたかその人だった。同い年のイトコもいるから安心だといって半ば強引に遥風はるかは引き取られることとなった。しかしお父さんの実家、大江田の家とは特に親交がなく、同い年のイトコに久美香くみかさんという子がいることは知っていたが、実は会ったこともなかった。


 家も生まれ育った地元から離れた場所に引っ越すこととなり、友達とも離れ離れになった。

 遥風はるかは、何も悪いことをしていないのに、父も母も、そして友達もいなくなってしまった。


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