病魔
時系列に致命的なミスが発覚しました。主人公の瀬藤彼方の時系列と、ヒロイン天羽遥風の時間が、実は1年以上ずれていたというミスです。しばらく更新を停止して問題点を修正するとともに、先々まで書き溜めている最中です。
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担任教諭が入ってきて出席を取る段になり、天羽遥風の順番で「はい」と返事があったことに驚いたのか、担任の先生は一瞬呼吸をすることすら忘れたように動きを止め、取り繕うように「一限目が終わったら休み時間、職員室に来るように」伝えた。
一限目は数学だった。彼方は教科書を持ってないけど、そのまま授業を受けた。先生に差されたとき教科書はロッカーでパリパリにへばりついていますと報告すればいいだけの事。もともと大学で理系の学部を中退している彼方にとって、言っちゃ悪いがこのレベルの高1数学なら教科書などいらないぐらい簡単だった。
休み時間になって職員室に行かなくちゃいけないのだけど、カバンなど教室に置いたまま行くとまた何か悪戯されそうな気がしたので、彼方は誰に言われるでもなく、帰り支度をして職員室に向かった。
一階、通りがかりの下足室、来客用の靴箱に靴を隠してはいるけれど、ちょっと心配なので確認のため寄ってみる。下足室幽霊がぼさーっと突っ立ってるから、まあいたずらされても犯人は分かる。事前に被害を防ぐことができないことが問題なんだ。
何かいい方法がないものかと考え込んでいたら遥風が急かすようなことを言った。
『彼方さん、職員室いそがないと、休憩時間終わっちゃうよ』
そうだ、学校の休憩時間はわずか10分。そう、わずか10分の間に、トイレ行ったり、次の準備をしたうえで、更に休憩をとって心と体をリフレッシュしろというのだから、無茶振りとしか言いようがない。
早足で職員室に来たが、一限目が終わったら来るようになんて呼び出した担任教諭はデスクに居なかった。急いでくることはなかったなと。そんな事よりも職員室なんて鬼居心地の悪い空間でじっと待つことを強要されるのはイヤだ。もう顔だけ出したんだから教室に戻っていいかな? とデスクを離れようとしたとき、何かの名簿?と書かれたファイルが目に入った。エクトプラズム糸を巧みに操ってブックスタンドから抜き出し、手を触れることなく開いてみるとそれは1年生、1組から6組まで全員の住所、氏名、保護者の名前と連絡先電話番号まで記入されたファイルだった。
『か、彼方さん! 勝手に見ちゃだめですよ』
「手を触れないから大丈夫。堂々としてたら目立たないから誰も気づかないってば」
名簿を勝手に見た目的は、遥風とトラブルを抱える五人の生徒たちの正確な住所を知るためだ。まあ、ここで知ることができなければ、せっかくボスになったんだからと、学校霊たちを集めて五人を尾行させてもよかったのだけど、そんな大掛かりなことをせずとも欲しい情報は一度に全部手に入った。
もちろん五人分の住所氏名電話番号なんてパッと見ただけで暗記できるはずがないのだけど、そこはそれ、実はブレザーのポケットに忍ばせたスマホで動画撮影していたのできっと記録されてるはず。
ファイルを机上のブックスタンドに戻したところで担任の先生が戻ってきた。
「ああ、天羽さん待たせたね。実は教頭先生の方から天羽さんに話があるらしいので、生徒相談室へ行くように。あ、場所は分かるかな、えっと職員室を出て体育館へ向かう渡り廊下の手前の部屋だからね」
どうやら生徒相談室で教頭が待ってるから、話しに行けと。そういう事らしい。彼方が通っていた中学、高校では生徒相談室に呼び出されたクラスメイトは、だいたいが停学を言い渡されたので、正直いって生徒相談室にいい印象はない。
職員室を出て体育館の方へ向かうのに、廊下から外へ出て、来客用のスリッパでも歩けるような、コンクリート張りの上を話しながら歩く彼方。他人に聞かれたら独り言を言ってるようにしか聞こえないだろうから、どうしても人目を避けるような行動になる。
「相談室かあ……遥風? 何か悪いことでもした?」
『してません。強いて言うなら彼方さんが朝からいっぱい悪いことしてますけど』
「悪いこと? ああ、遥風にはそう見えているのか……。遥風は自分が死んでしまったのは、自分が弱いからと言ったね」
『はい、その通りです』
「それは違うよ。遥風、キミは殺されたんだ。そして殺した奴らは、遥風を殺したなんて、罪の意識を1ミリも感じていない。あいつらは人を苦しめて、殺すまで追い込んでおいて、それを考えようともしない。いいかい? 遥風、キミは幸せな未来を奪われて、生きていく希望を打ち砕かれ、肉体よりも先に心を殺されてしまったんだ。俺は遥風の居場所を作る、遥風が幸せに暮らせるようにする。これは約束だし、俺の望みでもあるんだ」
『……じゃあ彼方さんは、私に何があったのか、どんな酷いことをされたのか、誰が何をしたのか、なぜ聞こうとしないんですか?』
「遥風はそんなこと俺に話したいのか? 俺にだってひとに話したくないことなんて、いっぱいあるんだぜ?」
『話したくはないよ……でも、心がめげて、誰にも話せないのは……つらいです』
……。
遥風に話を聞かなかったのは、自分を殺してしまうほど辛かったことなんて、思い出してほしくなかったからだ。根掘り葉掘り聞くのは良くないと思った。
「そっか。じゃあ話を聞かせてくれ、今日のところは帰ろう……。ほら、なんでかな? 一限目終わったばかりだってのに、帰り支度してるし俺、教頭なんてどうだっていいや」
『よくありません』
いやなことがあったら逃げ出していいって言ってるのに、遥風は真面目だ。
その真面目さが命を捨てるところまで追い込んでいったのだろう。これはもう性分だ、性格的な問題だから仕方ない。
「失礼します。天羽遥風、入ります」
彼方は渋々ながら生徒相談室の前に立ち、ノックをして入室した。
名目上は進路相談や保護者を交えて三者面談したりするための部屋なので、それ用に適した机が用意されていて、バリっと固めた髪形がヅラっぽくも見える初老の男性が待機していた。
「はい、どうぞ。そこに掛けてください」
たったいま遥風に聞いた。この男が教頭なんだそうだ。うん、初めて見たし、遥風もきっと初めてなのだろう、教頭なんてどうでもいいと思えるほどの存在がそこにいて、教頭自身それにまったく気づいてるという様子がない。
背後霊として何だかとっても良くなさそうな、薄暗い闇と言えば分かりやすいだろうか、光を反射しない"もや"のようなものの中に得体の知れない何かが潜んでいるような、そんな闇を背負っていた。
「背中にとり憑いてる? 何者だ?」
念のため室内にエクトプラズム糸を流しておいて、全ての壁面から密に糸を張り巡らせる。
闘争の意思はないが、そっちがやる気ならこっちは手加減なしに切り刻んでやると意思表示したも同然だった。
薄暗い何かが言葉を発した。
『問答無用とは……血の気が多いな。私を倒したとてこの男の運命は変わらず死だぞ?』
「闘争の意思は?」
「もしかして"なりたて"か。仕方ない、私はネクロファルキーゼ。病魔とか死神とか呼ばれているものだ、魔でも神でもないがね。もちろん私が取り付いて人を殺すわけではなく、死に至る病により阻止限界点を超えた者を寄る辺にしている。そなた憑依体とみた、相当霊格が高いのだろうな。だがしかし、私を倒そうが引っぺがそうが、この男を助けることはもはや不可能だ。信じないなら試しに闘争を挑んでみるといい」
死神のようなものと聞いて安心しては教頭に悪いとは思ったが、どっちにせよこの教頭も先は長くないということだ。あの世に行きそびれた彼方の感想では、死後の世界なんて別に苦しいこともなく、楽なこともない。ただひとの世界のように、あちこちに喜怒哀楽が転がっているわけではないから、悲しみから逃れたいなら死ねばいいと思う。ただし、喜びという感情もかなり薄まってしまう淡白な世界だが。
彼方のような、人生を負け組として暮らすよりは、もしかすると人の世界よりいくらも住みやすいのかもしれない。死んでからの生活について、不満な点と言えば悲しみも喜びもない分、退屈で感動がなく、なにかと虚ろな気分になるぐらいだ。
ネクロファルキーゼという、人名なのか種族名なのか分からない、ただ怪しげなモノのとの闘争は避けられた。彼方はエクトプラズム糸で怪我をさせないよう、ゆっくりと、そーっと巻き取って指に戻し、教頭に言われるまま、眼前の椅子についた。
「ん? どうかしたのかね?」
「いえ、何も……」
「では、えーっと、天羽さん、3週間ぶりですね。あれからケガのほう、どうでしょか?」
「はい、ずいぶんよくなりましたがまだ痛みが残っていて、本来なら松葉杖はまだ外せません」
彼方は遥風の傷ついた身体を痛みなく動かすため、エクトプラズムを脚に添えることでアシストしている。このアシストがなくなったすれば、正直なところ松葉杖がないと歩くことすら相当につらいだろう。
「完治はまだ? なんですね。わかりました。えっと、天羽さんが怪我をして休まれてる間、学校側としてもその……、いろいろと由々しき問題に対処するため様々な方面から調査を行いました……が、その結果、いじめの事実は確認できませんでした。天羽さんの保護者にあたる大江田治隆氏にも相談しましたが、天羽遥風さんはご両親が不幸な事故に遭われ、亡くなってからというもの精神的に不安定だと伺いました。本校としましては、気持ちが落ち着くまで、しばらく休学したほうがいいんじゃないかと……そう考えています。まずは怪我を完治させてから、ゆっくりと復帰することを考えればいいんじゃないでしょうか」
さっき担任のデスクで生徒名簿を盗み見したとき、天羽遥風の保護者欄に、大江田治隆という名前が見えたのをハッキリ覚えている。朝のホームルーム前、机の前でものすごい威圧感を見せてくれた大江田久美香の保護者も同じ名前が記されていた。
なるほど……、遥風は保護者である大江田治隆という男ではなく、学校に助けを求めたということだ。
「教頭先生、問題に対処するため、様々な方面からの調査を行ったと言いましたね。では、いったいどのような方面から、どのような調査を行ったのか聞かせてください」
「非公開になっています。特に当該生徒からの質問には答えることができません」
「今朝、私が登校したとき、机には心ない落書きがありました。口に出して言う事も憚られるような、酷い内容です。1日に何人もの先生方が入れ替わりで教室に来られます。当然、その落書きは目に留まっていたことでしょう。それでも、いじめは、なかったと? そうおっしゃるんですね?」
「落書き? 聞いていませんね」
「なるほど、教頭先生、あなたの部下たちは当然あって然るべき報告をあなたに上げていなかったということでよろしいでしょうか?」
「いいえ、机の落書きについては調査していないと言う事です」
「おかしいでしょ? さっき様々な方面から調査を行ったって言いましたよね? こんな誰にでもわかるところから見逃すなんて、本当に調査をしたのかすら疑わしいですよね」
「調査はしましたし、その結果、いじめの事実はありませんでした」
彼方はスマホを操作して、写真を一枚教頭に見せた。
「これが机の落書きです。器物破損ですよねこれ、この机は学校の備品なので、すみませんが学校として警察に被害届を出してください。犯人は見当がついています」
「いいえ、学校が警察に被害届を出すことはありません」
「なぜですか? 犯罪ですよ? あのね先生、警察ってのはバイクの駐車違反とか、普段では考えられないような微罪で別件逮捕してでも犯人を引っ張って積極的に貪欲に取り調べるから世界でも有能とされる組織になったんですよ? 私が言うんだから間違いないです。学校が無能な理由もよくわかりました、あなたたちはそうやって被害を訴える生徒が卒業するまでの最長でも3年間、休ませたり、カウンセリングを受けさせたりして、問題を引き延ばせば片付くと思っているからです。いいですか? あなた方が右から左に引き伸ばしている面倒な問題は、私の大切な人生なんですよ?」
「……。学校が……、警察に被害届を出すことは、ないです。これは絶対にありえません」
そう言うと、教頭はまるで苦虫を噛み潰したかのような苦悶の表情になり、両手をテーブルにつけて額をぶつけるんじゃないかってほど深々と頭を下げた。
みっともない話だ。
教頭は、てっぺんが薄くなってて地肌がスケスケの頭を、女子生徒にこれでもかってぐらい下げている。
学校はイジメ問題を根本的なところから解決する能力がないのだ。そもそも職員室の中でもイジメは存在するのだから。イジメる側の先生もいれば、いじめられる先生もいる。
ここでいう教員というのは教員資格免許状をもって役所に教育委員会に所属する公務員で、一般人から見ると聖職者だと思われているが、その正体は労働条件でガチンコブラックの激務を約束されたサラリーマンに他ならない。いじめ問題にどう対応するかのマニュアルぐらい押し付けられちゃいるだろうが、たとえば運転免許を取るのに人命救助の講習を受けたとする。では受講者は人命救助のプロフェッショナルか? と問われると、ほとんどの人がノーと答えるだろう。講習なんか受講したところでプロにはなり得ないのだ。
教員のイジメ問題解決能力には疑問がある。教員はあくまで教員。与えられた教科書を、文部科学省の示す指導要領の示すまま順当に進めるプロフェッショナルなんだ。教員にいじめ問題を担当させようなどと……、まったく畑違いも甚だしい。
それでもこの教頭は、15や16そこらの女子高生に無能と批判されてもこうやって頭を下げている。
この教頭のできることはもうないと見るべきだ。
しかし凄いものだ。自分たちのできること、自分たちの役割を1ミリも逸脱しない徹底したサラリーマン教師だ。この教頭、能力的なことに目をつむれば信頼できる男とみた。
病気で先が長くないなんて話を聞くと、少し気の毒になってきた。




