晴田芳清はなぜ殺されたのか(1)
現在3作品連載してまして、本編完結したネット小説大賞応募に応募したという経緯あり、そいつをぜんぶ終わらせて完結ボタンを押すまで、すみません、こちら更新を停止します。
作者が急死でもしない限り必ずこちらも完成させますので、いましばらくお待ちくださいませ。
さかい
~~~ 2017年 6月10日 01時27分 ~~~~
―― ドッシャァァァァァッ!!
大滝の大瀑布に打たれたかのような、恐怖すら感じるほど打ち付ける豪雨に曝された深夜1時27分、こんな大雨じゃなければだいたいゴミが出されているか、それとも酔客の立小便や嘔吐物で足元も怪しいこの薄汚い場末の繁華街の裏路地で、流れ切らずに溝から噴き出す濁流に半分顔を沈め、半ば溺れそうになりながらも、這っているのか、泳いでいるのか、匍匐前進するような恰好で、ばしゃり、ばしゃりと水しぶきを上げて、何かから逃れようとする男の姿があった。
だが衣服も靴も重く、川のようになった路地の溝は鮮血で染まっていて、その流れが美しい赤になりかわるにつれて、男の力は失われてゆき、追跡者は落ち着いてこの男を足蹴にしたうえでひっくり返し、仰向けにしたところで『とん……』と、なにやら胸を小突いたような音がした。
『グサッ』でも『ドキュッ』でも『ドスッ』でもない。そんな大げさに死を連想させるような音は聞こえなかった。鋭利で切れ味のいい刃物ほど音もなくスッと肉体に突き刺さるものだし、人というものは最大の防御である頭蓋骨と肋骨を抜かれて内部を攻撃されると、よほどこれまでの行いが良かったりして、たとえば女神さまの加護にあずかれるほどの幸運に恵まれなければ、ほとんどの場合は致命傷となる。
大きな血管さえ傷つけられなければ、あるいは生命が維持できたのかもしれないが、有体に言うと、ナイフが深々と肋骨の隙間を抜けて肺動脈を大きく傷つけた。
追跡者は胸に突き刺した大きな刃物をゆっくりと引き抜くと、刃についた鮮血をシャワーで洗い流すかのように流れて落ちる。足もと、小さな靴だ、紫色のスニーカーにブルーのラメが入った可愛らしい靴ひも、白のショートソックス。きちんと手入れされて切り揃えられた可愛らしい爪のついた小さな手には明らかに不釣り合いな大きさのボウイナイフを持っている小さな影。身長にして150センチメートルと少し。黒いフードで顔を隠しちゃいるが映る影が小さい、遠目に見てもその出で立ちから少女と見て取れる。
傍らに立った少女は倒れた男に何か声をかけているようだ。もはや耳も聞こえなくなっているだろうし、その目には光が失われているだろう、それでも諦めずに落ち着いて語り掛けている。
そんな小さな、軽量級の身体で大の男と格闘しておいて息も切らさず、人の胸にナイフを突き立てておいて何の感慨もなさげな無表情でいながら、少女は討ち捨てられた "てきたての死体" を横目で見送ったあと、朝になると必ず発覚し、大騒ぎになるであろう死体を特に気に掛けることもなくその場に放置したまま踵を返し、人通りのない街の死角へと溶けるように消えていった。
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雨の土砂降る中、捨て置かれた男は仰向けになって空を見上げたまま、見開いた眼球に雨粒が落ちても瞬きもしなくなった。どうやら命の灯火は消えてしまったようだ。動かない身体、呼吸もできているのかどうか分からない。満天の星空の下でもなく、月明かりに照らされるでもない、どんよりと分厚く低い雲を見ながら、今まさに死んでゆこうとしていた。この男、名を晴田芳清と言う、モデル事務所に所属していたこともある地元では有名なイケメンだった。
端正に整った顔、スマートで背の高い身体。晴田芳清が親から受け継いだ財産はそれだけだった。しかし男たるもの多くの子孫を残すことを信条とするならば "みてくれ" の良さは最強の贈り物だった。
当然、晴田芳清の青春時代は常に栄光とともにあった。幼い頃から快活で人当たりもよく、身体も大きかったことからスポーツにも秀で、小学生時代はサッカー、中学生になると身長が180センチ以上に伸びたことからバレー部とバスケ部を兼部していたが、どちらもエースとして試合に出、そこそこの好成績を残している。
頭一つ飛び出した端正な顔立ちが非常に目立つ晴田は高校一年の夏には読者モデルにスカウトされたこともあり、イケメンだとかカッコいいとか、そういう世辞は常套句のように聞き飽きるほど言われ、女の子とは、ただ話しているだけで勝手に向こうから好意をもつことから、生まれてこの方、女に不自由したことはないという恋愛絶対強者だった。
しかし、恋愛などしたことがなかった。なぜなら女なんてちょっといい顔をすると簡単に自分の事を好きになるのだから、あの手この手を駆使して相手の女の子に気にいられようとする努力などしたことがないし、敢えて女の子の気を引くなんて行動をしなくとも、知らない間に、望むと望まざると、仕方なく注目されてしまうと言う星の下に生まれたのだから、ひとりの女の子のことを本気で好きになって、真摯に向き合うようなことは一度もなかった。
女にモテる奴は男にもモテる。そのためにはハウツー本で読んだ知識、ちょっとしたコツを実践するだけで良かった。
表面上、高校球児並みに謙虚な発言を心掛けることと、いくら仲のいい友達でも信用せず、絶対に他人の悪口を言わないこと。むしろ逆に、いまこの場にいない者を褒めることだ。
たったそれだけの事で、周囲には自然と人が集まった。人の心なんてチョロいと、いい気になっていたことが晴田芳清の不運だったのかもしれない。
高校生になった晴田の耳に、聞きなれない言葉が聞こえるようになってきた。
『親友』という言葉だ。
それがどういう意味なのか、晴田には分からながったが、高校時代の取り巻きの中には「芳清は俺の親友だ」などと言うものも多くいた。外見のみならず、内面、つまり人格まで好かれていることを知ると、えらくいい気分になった。
良く知りもしない女の子が、自分の事を見ただけで好きになってくれる容姿と、フルネームも覚えてない"友達"の数は、晴田芳清のステータスとなった。
順風満帆の人生だと誰もがそう思うだろうか。しかし本人は、人と比べて自分の家がどうも貧乏に見えることがコンプレックスだった。360度全方向どの角度から見ても美人の女の子が、もうちょっと鼻が高ければ……なんてコンプレックスを抱いているのと同じで、人より秀でることに慣れた晴田は、自分の自由になるお金が少ないことにコンプレックスを抱いていた。
生まれた家は決して貧しくはなかったが、裕福でもなかった。
家は賃貸のオートロックもついていない安マンションだったし、父親の乗る車は軽自動車だった。まったく185センチの息子が免許を取ったところで借りて乗るにはいささか窮屈な思いを強いられた。
ファッション雑誌に読者モデルとして掲載されたことはあっても、ブランド服など目玉が飛び出すような値段に驚くばかりで到底手が出る代物じゃなかった。
晴田芳清は、いつの間にかカネに対して強く執着するようになった。もちろんカネに汚い男だと思われたくないので、外面だけは良好に維持しながら、裏でコソコソと闇のバイトを始めた。
そのバイトとはナンパ屋というものだ。
最初は男性グループの中から晴田が代表して女性グループをナンパして居酒屋に誘うことで成功報酬を得ていた。だけどそれだけでは実入りがすくなかったので、しばらくすると怪しげなバーに誘い込み、睡眠薬の入ったカクテルを飲ませて意識を失わせ、依頼人の男たちの車に乗せるという犯罪ラインから一歩踏み込むような方向にシフトしていった。これは簡単な仕事だった。だがしかし、これがうまくいったせいで晴田は欲しかったブランドの服を簡単に手に入れることができた。
どこかの誰かに雇われて時給850円で汗水たらすでなく、自分の才能で、自分にしかできない仕事を見つけたような気がして、一気に開眼したような気分になった。
そして晴田芳清は、大学生になると同じくナンパサークルで意気投合したワル仲間の、宝井清真から、睡眠薬ではない、違法薬物でもない合法的な薬物を紹介された。
いやいや、本当にそんな怪しげなクスリではない。
薬はただの鎮痛解熱剤で違法性はこれっぽっちもなかった。
ただ薬の飲み合わせデータに不備があり、普通に薬局で手に入る筋弛緩系の肩こり薬と合わせて一定濃度以上のアルコールと同時に摂取すると、副作用として強い媚薬の効果が得られるという。
個人差はあるけれど、これは口から摂取すると約5時間ほどで完全に分解され、血液中、または尿からも特異な成分が検出されない、悪いことを考える男からするとパーフェクトな薬だった。
最初はこの薬を使って自分たちが楽しんでいただけだった。しかし商売っ気のある晴田芳清はこの薬を粉末にすることで出所を不明にし"スパイス"と名付け、闇で売ることにした。
あくまでもこの薬は違法な薬物ではなく、日本の厚生労働省が認可を出した合法の流通品だったからこそ、これを使って悪さをする男たちの心にも罪の意識がなく、若者たちを中心に急激に広まっていった。
1年も経つと少なくない数の女性が "睡眠薬のような薬を飲まされて乱暴された" と警察に被害を訴え出たが、尿からも血液からも睡眠薬成分が検出されないことから決め手に欠け、いかに日本の警察が優秀であっても動くに動けないと言う状況を作り出した。
つまり軽いノリで女を誘ってそれほど強くないアルコールの中にこの薬を混ぜるだけで女は落ちたも同然という、男の夢のような薬を手に入れ、それを有効利用することにより、以前のナンパ屋などとは、いくつも桁が違うほどの稼ぎを叩き出すことに成功した。
その利益のおかげで大学生で勉学に勤しみながら、自分の稼いだカネで新車のBMWを買って乗り回せるようになったのだから、その面の皮の厚さと同様に、晴田芳清の商売っ気は大したものだと言えよう。だがしかし中学時代、高校時代のように、もう親友だと言ってくれるような友達はひとりも居なくなってしまった。今いるのはビジネスパートナーと言う、カネによって繋がった数人の亡者だけだ。
どんなにいい男だろうと、どれほど引く手あまたのイケメンであろうと、女の子をモノのように扱うような男はクズの烙印を押される。それがたとえ、顔がいいとか、容姿がカッコいいとか、そんな理由でホイホイついてくる尻軽女ばかりだとしてもだ。
晴田芳清は大学で就職活動を一切せず、在学中に小さなイベント会社を興したが、時を同じくして "スパイス" の主幹となる鎮痛解熱剤が手に入りづらくなったことから主な収入源をなくし、急激にカネの回りが悪くなっていった。これまで自分をチヤホヤしてくれた周りの人間も、カネがないと見るや手のひらを返した様に去っていった。中学、高校時代に人間関係で揉まれてこなかった晴田芳清にとって、人がどんどん自分の周りから去っていくなど人生で初めて味わう挫折だった。
経営するイベント会社がいつのまにか風俗店になってしまった年の6月10日、折から降り続く強い雨のせいで客足はサッパリ。従業員の控室に足を運ぶと女の子たちは働いてもいないのにくたびれた顔をして眠そうにしながら、つけっぱなしのテレビから流れるニュース音声をBGMにスマホをいじってなにかしている様子。
客がひとりも居ないから定時で上がるよう言いに来た晴田の目に、ニュースの映像が飛び込んできた。
つい何日か前、晴田の実家からちょっと車で20分ほどいった比較的近い山の中で白骨死体が発見されたというニュースがあったのだが、このニュースはその続報、白骨死体の身元が分かったというニュースだった。
他人の生き死にには関心がなく、芸能人が死のうが、政治家が死のうが、身近な人が死のうが特に関心を示さない晴田だったが、遺体身元の氏名 瀬藤彼方と言う名を知っていたのと、咄嗟に見たテレビ画面に映し出される生前の顔写真に目を奪われた。
風俗嬢たちもネットニュースなどで見て、瀬藤彼方という男の事を知っていたせいか、こんなところで話題となった。
「ほらほら、こいつ付き合ってた女を殺した奴じゃん。別れ話のもつれとかで……去年だっけ?」
「そうそう、男と別れるたび殺されたんじゃ、命いくつあっても足んないわよね」
晴田は瀬藤彼方という男を知っていた。とはいえ、知人の枠に入れるほど親しかった訳じゃなく、過去にちょっとしたことで顔見知りになった程度だ。
そしてこの瀬藤彼方が女性を殺害した容疑者となったことから、晴田の自宅に何度も刑事がきて話を聞かれたという経緯がある。
晴田芳清にとって、この男の事は良く知りもしないのに、名前だけはよく知っていて、そして記憶にも殆ど残ってないのに、刑事がきて根掘り葉掘り質問攻めにされたことから、この男の事を考えて思い出す作業を繰り返したという過去がある。そのせいか、なんだかよく知ってるような気がするほどに。
晴田は女の子たちとの共通の話題を見つけたことで、少しこの男の事を話すことにした。
まさかまた思い出すことになるとは思ってなかったのだが。
「ああ、こいつ大学の後輩でな。俺が女とヤッてるところに入ってきたんで枕ぶつけてやったんだ」
「えええっ、してるところを見られたんですか! って社長は何でそんなことになるんです? もしかしてこいつが殺した女子大生って?」
「そうなんだ、殺された女の子とは大学時代にちょっとの間つきあってたんだけどな、まさかこんなストーカー野郎に殺されるなんて思わなかった。ずっと俺の側にいたら守ってやれたのにな……」
遠い目をしながら学生時代の話をする晴田に送られる女たちの視線はとても暖かい。
「そうだったんですか……この男、ストーカー怖いです。私も変な客に付き纏われたら守ってくださいね、社長。頼りにしてるからねー」
「あはは、もちろんだ。キミたちの事は俺が守るからね」
風俗嬢としても客がストーカー化するのはよくある事例で、厄介な問題でもある。
晴田はちょっとした顔見知りのストーカー男が殺されたと言う話を利用して、自らの株を上げることに成功した。これほどまでに人の心は、やはりチョロい。
日付をまたいで翌日未明になると店の前に数台のタクシーが連なった。閉店間際に押し掛けた団体客ではなく、これは晴田が従業員の女の子たちを帰すために呼んだタクシーだ。もちろん請求はあとで店にくるようになっているから女の子たちには体よくサービスしたことになる。たったこれだけの事でも見る目は変わるということを良く知っている男の行動だった。
晴田は店の事務所スペースで売り上げの計算をしていた。いつもの業務をいつものように、ボールペンを揺らしながら業務を中断していろんなことを考える。大学生だった頃の方がはるかに稼いでいたのは確かだ。だけどいつかはこの場末の風俗店を足掛かりにしてのし上がってやろうだとか、少し先のプランを漠然と考えていたときの事だった。
―― コンコン。
ノックの音がした。閉店してもう1時間近くたつ、こんな雨の夜に来客があるなど考えられない。
しかも事務室から直接外へつながる建物横の鉄扉ではなく、店内を通らないと来られないほうの扉がノックされている。店のシャッターは閉めたはずだし、店内入り口の扉も、確かに施錠したはず。従業員の女の子たちがタクシーに乗るのをこの目で見送った、店内には誰もいないはずだ。
なのに、店内を歩いていちばん奥にあるこの事務所ドアを誰かがノックしている。
不審に思った晴田は計算するため机の上に出していた売上金を金庫に入れ、事務所のいちばん端っこの机に設置してある防犯カメラ映像を見て、誰が居るのかと確かめた。
シャッターは閉まっているし、内ドアも閉じられたまま、そしていま正にノックされているドアの向こう側を映す防犯カメラの映像には、リアルタイムの映像が送られてきているはずなのに……誰も映っていない。
いま確かにノックの音がした。
それなのに防犯カメラには、誰も映ってはいなかった。