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侯爵閣下の郵便係は婚約破棄を伝えられない

作者: 王加 王非

「マルウ、ちょっと頼まれてくれるか」


 広いお屋敷の掃除を終えたところで、わたしは年老いた執事長に呼び止められた。


「何でしょうか、執事長」


「なに、ちょっとしたお使いだ。これから食べ物の買い出しに行くだろ?ついでに届けて貰いたい物があるのだ」


 執事長がこんなことを言い出す場合は大抵ろくなことではない。

 わたしははっきり言ってこのジジイが嫌いだ。

 わたしのやりたくないことを一番やりたくないタイミングで押し付けてくる。


「すまんな。いつもなら私が行くところなんだが、最近腰が悪くなってきてね。医者からあまり歩き回るなと言われてるんだ」


 白々しい。診断書見せてみろ。

 そう言ってやりたかったが上司と部下の関係である以上強く拒否することもできない。前に忙しいからとか理由をつけてやんわり断ろうとしたが、時間を無駄にするだけだった。それならさっさと用件を聞いた方が良い。


「で、わたくしは何をすれば良いのでしょうか執事長様?」


「これだ」


 執事長は一枚の封筒を手渡してきた。

 厳重に封がされており、[開封厳禁]の赤文字がでかでかと書かれている。


「なんですか、これ?」


「当家のご主人様、ジェマ侯爵閣下がメスティエリ子爵のご令嬢、エレノア様と婚約していることは知っているな?」


 ジェマ・エルロンド侯爵閣下は、この馬鹿デカいお屋敷の所有者であり、わたしの雇い主だ。といっても財産も屋敷も、全て父親から相続したものだが。

 彼は今、重要な取引のためだとかで遠方に出張されている。主人のいない屋敷を維持するためだけに働くというのは馬鹿らしいかもしれないが、これはこれで大変なのだ。


「実を言うとな、これは離縁状と婚約破棄の手続き書類なんだ。ジェマ様はこの度、エレノア様との婚約を取り止めになることを決められた。だからこれをエレノア様のお屋敷に届けてきて欲しいのだ」


「離縁状~?そんなの買い物ついでに渡してくるもんじゃないでしょ!」


 わたしはたまらず、立場を考えずに執事長に向かって声を荒げる。そもそもこういう重要な書類は、執事長か信頼できる書記官でしか受け渡しをすることが出来ないはずだ。特に婚約関係となると、こちらや相手方の名誉に関わるため、一介のメイドに扱うことなどとても許されない。


「頼むよマルウ~、どうしても君にしか頼めないんだ。臨時ボーナスも出すから~」


 気持ち悪い猫撫で声で執事長は食い下がる。

 しかし臨時ボーナスとは魅力的な響きだ。だが今はお金より休暇が欲しい。


「分かりました。じゃ、こうしましょう。このお使いが終わったら明日から3連休を頂きます」


「何?そりゃ困る!君が休んだら誰がゴミ出しや掃除、洗濯、食料や日用品の買い出し、来客対応、ガーデニング、ペットの子犬の世話をするんだ?」


「知るかあぁぁ!他のメイドは何やってんだあぁぁぁぁッ!!」


 自分でもそんなに大量の仕事をしているとは思っていなかった。休暇が終わったらどこかの団体に相談して待遇の改善を訴えることにしよう。



 申し遅れましたがわたしの名前はマルウ・グリント。この限りなく真っ黒な労働環境のエルロンド家に仕えるメイドの一人でございます。

 この度、郵便係の仕事が追加されました。


◆◆


 離縁状だか絶縁状だか知らないが、ただ郵便を届けるだけだ。令嬢に令状を届けるだけ、フフッ。

 なんて馬鹿なことを考えて気を紛らわしているが、やはり気は重い。

 今、わたしは男女の仲を終わらせる爆弾を持っているのだ。


「ああーもう!婚約破棄なんて直接口で言いなさいよ!あのチキン野郎!」


 周囲に人気が無いことを確認して主人に対して思いっきり毒づく。少しはスッキリした。

 エルモンド邸からしばらく歩くと、市場を通りかかる。普段ならここで買い物をして屋敷に帰るのが普段のルートだが、エレノアのお屋敷は市場の先だ。

 郵便係として重要書類を運んでいる以上、バケットや野菜を詰め込んだ買物カゴを片手に下げて『ご機嫌いかが?ちょっと買い物のついでに立ち寄ったの。はいこれ離縁状』という風に渡すわけにはいかない。

 まずは手元の危険物を届けてから、ゆっくりと買い物に勤しむべきだ。

 さらにしばらく歩くと、レンガ造りの大きなお屋敷が見えた。

 執事長の話によると、ジェマ侯爵の婚約者、エレノア・メスティエリは本家から離れ、この街で一人暮らしをしている。娘のために街の一画を買い取って豪邸を建ててしまうのだから、貴族というのは大したものだ。


 スー、ハー。わたしは二度三度、深呼吸してから呼び出しのベルを鳴らす。ガランガランと風情のある音を立て、しばらく待つと、一人の女性が玄関のドアを勢いよく開ける。


「えっと、郵便の配達で――」


「あなた!お帰りなさい!」


 飛び出してきた20歳前後の女性は、いきなりわたしに抱き着いてきた。


「はい!?」


 この展開は全く予想してなかったので、一瞬頭が真っ白になる。


「ご、ごめんなさい!あの人が帰ってきたのかと思ってしまって!」


 どうやらわたしをジェマと勘違いしたらしい、慌てて飛び退き顔を赤らめる。

 この女性がエレノアのようだ。


「……本当はもっと先だって分かってるのに」


 エレノアは悲しそうに、それでありながら愛おしそうに自分の手に目を落とす。

 わたしも釣られて視線を追うと、彼女の左手薬指には大きな宝石をあしらった指輪がはめられていた。


「私達、結婚するの」


 ……ええ存じてますとも。うちの雇い主が旦那なんだから。


「あ、あはは。えーと、素敵なリングですね」


「結婚式はまだなんだけど、待ちきれなくって……あの人が帰ってきたら式を挙げる予定なの」


「そ、そうですか……」


「聞いてくれる?あれは私が15歳の時なんだけど……」


 わたしがその夫の家から婚約破棄を伝えに来ているとは知らず、たっぷりと10分はのろけ話を聞かされた。


「あっ!ごめんなさい、つい話し過ぎちゃって!郵便だったわよね?受取のサインいる?」


 わたしは手元の離縁状を見る。

 ……渡せん。延々とのろけ話を聞かされた今は、タイミングを完全に逸している。

 わたしは慌てて郵便物の宛て名を見るふりをして、一言。


「……あらやだ。わたし、お届け先を間違えちゃったみたい。失礼します」


「そう?ごめんね、お仕事の邪魔しちゃって」


◆◆


 エレノアのお屋敷から少し離れた公園のベンチに座り、わたしは途方に暮れていた。公園の真ん中にある噴水が綺麗だ。


「どうすりゃいいのよ……」


 虚空に向かって、無意識にそんなことを口走っていた。

 あんな幸せそうなお嬢様を谷底に突き落とすような真似を誰が出来るだろう?大体、離縁状を渡す段階まで来たらちゃんと関係も冷えきってろよ!

 あの執事長ジジイもこうなると分かっていたに違いない。だからわたしに押し付けたのだ。ちくしょう、3連休じゃ短すぎた!


「なにが?」


 うつむいた頭を上げると、13、4歳ぐらいの少年がわたしを見下ろしていた。帽子を被り、大きな鞄を二つも肩から下げている。ちょうど目の前を通りかかったところでわたしがボヤいたので、呼び止められたと思ったようだ。


「ああ、ごめんなさい。あなたに言ったんじゃないのよ」


「ふーん、そこ座っていい?」


「ええ、どうぞ」


 わたしが座っていた位置を横に少しずらすと、少年は空いた所に腰掛け、肩にかけた鞄を下ろす。


「もうちょっとそっち行ってくれる?」


 少年はそう言いながら手で追い払うようなジェスチャーをする。


 は?こっちは親切で空けてあげたのに随分な態度だな。

 と、つい口に出しそうになったがこんなことで子供相手にエネルギーを使うのは馬鹿らしい。わたしがもう一人分ぐらい体をずらすと、少年は何やら包みを広げ、中から小さなパンが数切れでてきた。そのまま無造作にかぶりつく。

 そういえば今は昼頃か。気づいたらわたしもお腹が空いてきたが、離縁状を持ったままランチという気分にはなれなかった。


「郵便局なら市場の方だよ。俺が預かってもいいけど」


 少年はわたしが手にしている封筒を指差して言う。封筒を眺めて考え込んでいる様子を見て、わたしが郵便局を探してると思ったようだ。


「あなた、郵便屋さん?」


「うん。レオって言うんだ。今は配達中の休憩」


 レオと名乗った少年の下ろした鞄を見ると、開いた口から大量の手紙の束が見えた。もう一方の鞄には贈答品だろうか、大きめの小包が入っている。


「配達人が直接預かった方が料金の取り分がいいんだ」


 なるほど、この封筒は彼にとって格好の獲物というわけだ。しかし、離縁状を渡すのに郵便屋を使うわけにはいかない。


「残念ね、これはとっても大事な書類なの。そこらの配達小僧に渡せるものじゃないんだから」


「キミ、エレノア様の屋敷から出てきてたよね。何でか知らないけど、それが渡せなくて困ってるんでしょ?」


「わたしの後をつけてたの?子供の癖にいい趣味してるわ」


「大人になってからじゃ変質者じゃん」


 それは確かに。ってそうじゃなくて。


「とにかくこの封筒は自分で渡す。ボウヤは他で営業してなさいな」


「なんだよ、俺もあそこに届け物があるからついでに持ってってやろうと思ったのに。金はもらうけど」


 言いながらレオは鞄の小包を見せる。

 ほほう、代金引換か。あのお嬢様、どこか遠いところで何か買ったってこと?


「ってアンタそんなの勝手に見せていいわけ?」


「いいんじゃない?包みだけだし」


 仕事人の風上にも置けん奴だ。こいつには絶対荷物は預けないことにしよう。

 ……待てよ。いいことを思い付いた。


「ねえレオ?その小包、わたしが運んであげようか?」


 可能な限り優しい声を作って提案する。


「はあ?なんだよいきなり気持ち悪いな。頭でも打った?」


「うるさいわね!つべこべ言わず寄越せ小僧!」


「わあ!強盗だ!」


◆◆


 作戦はこうだ。

 配達員のフリをしてエレノア邸を訪問。両手で小包の底を持ち、手と小包の間に離縁状の封筒を挟む。エレノアが代引の支払いに財布を取ろうと目を離した隙に、玄関先の荷物置き台に小包を置く。幸い、さっき訪問した際に玄関越しから置き台の位置は確認済み。

 封筒は小包の下にあるから、見つかる頃にはわたしは立ち去った後という寸法だ。

 離縁状を置き逃げするのは些か礼節に欠けるというものだが、この期に及んでは仕方がない。後で苦情が来たら執事長ジジイに押し付けよう。そもそもあいつが悪いのだから。


「で、何であんたまで付いてくるわけ?」


 後方の少し離れたところではレオがわたしの動向を見張っていた。


「当たり前だろ?持ち逃げされちゃ困るし」


 まあそれもそうか。小包はこの小僧から強奪したようなもんだし。


「いいけど。話がややこしくなるから見えないとこにいてよ」


 わたしは再びエレノア邸の呼び鈴を鳴らす。今度は静かに玄関が開けられた。

 さっきのことがあったせいか、いきなり抱き着くような真似はされなかった。


「はい?あら、さっきのお方?」


「さっきはすみませんでした。確認したんですけどやっぱり住所はここで合ってたみたいで、荷物の方が間違ってたんです」


「あら、そうなの」


「はい。荷物はこの代金引換の小包――――――――――ト リエンジョウ デス」


 後半は可能な限り声を小さく、早口で言い切る。


「まあ!楽しみにしてたのに何で気付かなかったのかしら!」


 よし、聞こえてない。


「フューネリア地方の最高級ワインとクリスタルグラス2個のセット!待ち遠しかったわ!」


 なるほど、中身はワインだったのか。……ん、グラス2個?


「あの人が帰ったら二人でお祝いしようと思って、奮発して買っちゃったの!あ、あれは私と彼が初めてデートした時のことなんだけど――」


 そこからまたのろけ話が始まる。しかし、今度は折れないぞ。


 

 ――それから大体20分後ぐらいエレノアは喋りっぱなしで口を挟む余地もなかった。



「あ、ごめんなさい!また話し込んじゃって。今お支払いするわ」


 よし、耐えきった。早く財布を取りに行け。


「小切手で良かったわよね?」


「はい?」


 エレノアは懐から一枚の紙を取り出し、その場でサラサラと金額を書いていく。

 ……待て、0が何個つくんだこのワインは。


「ご苦労様。引き止めちゃってごめんなさいね」


 小包を引き取り、エレノアは笑顔で玄関を閉める。

 結局わたしの手には離縁状の封筒だけが残った。


◆◆


「ご苦労さん。小切手渡して」


 一瞬、これを持ち逃げしたらどれくらい遊んで暮らせるかと考えたりもしたが、黙ってレオに小切手を渡す。


「こんな大金でもワイン店に渡す金と局の手数料を引いたら俺の取り分はほとんどないんだよね。ほんと酷い話だよ」


「そんな大金を彼女はドブに捨てるようなもんだけどね……」


「何?」


「いや、こっちの話。用が済んだら早く行ったら?配達、まだあるんでしょ?」


 わたしは手を振ってレオを追い払う。作戦が失敗した以上、彼を引き留めておく理由はない。また違う手を考えなければ。しかし時間が経てば経つほど、渡しにくくなってくる。いや、もう遅いのかもしれない。


「……あのさ、その封筒が何なのかは知らないけど、貰って良い物のか悪い物か、決めるのは配達人じゃないと思うよ」


「それが不幸の手紙とかカミソリレターだったとしても?」


「……えっと、そういうのが欲しい奴かも。それか相手が極悪人で、それを送ったら大勢の人が助かるとか」


 メチャクチャなことを言ってるが、どうもレオは励ましてくれてるらしい。

 だが言わんとしていることは理解できる。中身が何であろうと、配達人が気まぐれに郵便物を届けたり届けなかったりしていいわけがない。


「どうもありがと。先輩」


「嫌ならいつでも俺に任せてくれていいよ。割増だけど」


 それはお断りだ。

 わたしは声に出さなかったが笑顔で応えた。伝わったかどうかは分からないけど。


◆◆


 太陽が沈みかけ、街が夕暮れに染まった頃、わたしは三度みたび、エレノアのお屋敷を訪問した。

 こうなったらなるようになれだ。


「あら?またあなたなの?」


 流石に三度目ともなると、エレノアも怪訝な表情でわたしを出迎える。


「あの、メスティエリ様。大変申し上げにくいのですが……」


 言い終わる前に、エレノアは大きくため息をついて片手を差し出す。


「いいから出しなさい」


「え?」


「それ、離縁状なんでしょ?早く済ませましょう」


「ど、どういうこと?だって昼間あんなに……」


 わたしは戸惑ってしどろもどろになる。


「最初から知ってたわ。……ジェマ、夫は最低の男なの。出張とか言ってるけど向こうでギャンブルにハマって他に女も作って、挙げ句に金が無くなったからって私に無心してきたのよ。それで断ったら婚約破棄だって、冗談じゃないわ。だから最後に思い切り困らせてやろうと思ってわざとあんなこと言ったの」


 その辺の事情は仕えているわたしでも知らなかった。

 想像以上に最低だな。あいつ。


「結局困ったのはあなただけだったみたいね。本当にごめんなさい」


「い、いえ、わたしもすぐにお渡ししていればこんな遅くには」


 お互い謝り合っていると、なんだか可笑しくなって笑みがこぼれる。


「お詫びといっては何だけど、さっきのワイン、飲んでいかない?どうせグラスは片方使わないし」


「いいんですか?お高いものだったんでしょう?」


「あの小切手、ジェマ(あいつ)のだから気にしないで。愚痴の相手が欲しかったの。ね?お願い」


 うーん。わたしはこの後買い物もあるし、サボりになってしまうが……

 まあいいか。ご令嬢の直々の要望とあれば、接待として認めてくれるだろう。


「それじゃお言葉に甘えて。エレノア様」


「エレノアで結構よ。そういえばあなたの名前、まだ聞いてなかったわね」



 その後、わたしはエレノアと二人で飲み明かした。

 彼女はたっぷり5時間は愚痴を話し続けていた。わたしも負けじと職場や人生の愚痴を彼女にぶつけた。

 わたしの届けた爆弾(離縁状)は、一つの愛を終わらせたが、代わりに友情が生まれたらしい。



 わたしの名前はマルウ・グリント。

 ろくでなしの侯爵家に仕える身でございますが、郵便係も悪くありません。

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[一言] 婚約しているだけなのに、婚約者のことを“夫”呼ばわりですか? 重いなぁ~、エレノア様。 と思ったら、そうでもなかったでござる。 ろくでなし男と別れられて良かったですね。 次こそは、いい人と結…
[一言] ちょっと切ないですけど、ほっこりして良い話でした。 エレノアさんに良縁がくるといいなぁって思います。
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