第三話 ごめんなさいとやる気の無い声
本当に、己に一切悪いことが降りかからないかどうか。
一也は一度決めると頑固なところがあり、中々ちょっとしたことでは考えはねじ曲げない。
だからこそすぐにそれを行動しようと思った。
一也は道を変え、人が少なめの十字路に向かう。そこには求人雑誌は無いというのに。
それでも彼は進み、そして信号が赤になっても、たとえ車が走ってきても歩いていた。
周りが騒ぐ。
危ない、逃げろ、きゃーと悲鳴。
一也はキキィと耳が痛くなる急ブレーキを聞く中、己ではなく相手を思いやる。
己は何故だか絶対に轢かれない自信があり、それは――
「ほらね。ゴメンナサイ」
――現実に叶う。
一也は回りながら別の道へ突っ込んでいく車を見やり、首を傾げる。
笑い声がまるで己の脳にだけエコーするように響き、それは二重三重となる。
笑い声に見合う人物は周りでは見あたらない。誰もが顔面蒼白で、救急車を呼ぼうとしていたり、腰を抜かしたりしている。
こんなものかと去って行こうとする刹那、――テノールになりかけの幼い声が通り過ぎた。
笑い声の主だ。
「馬鹿な人間、まぁいいか。運命を味方につけなよ、間抜けな君でも生き残れる」
振り返ると金糸が見えた気がしたが、それよりも……異常事態が起きた。
「市野谷一也ぁあ……」
目の前には、どう見てもこの世の物とは思えない生き物が居て、周りに見えた人間は全て何かの香で眠らされている様子で、己も少しくらくらとする。
黒い輪郭をした、目のない異形は盛り上がった肩を動かして己の手を掴もうとした。
声が消えると同時に集中力が目の前に集中する。
くらくらして動けないで居ると――異形の腕に、何かが起こり、異形は後ろに後退する。
だがその後退している合間にもどすどすと何かが刺さっていき、よく見るとそれは矢の形をしていることに気づく。
「一也、こっち来い! そいつから離れろ、この馬鹿が!」
「みーちゃん」
場にそぐわない呼び方を、一也はして声の聞こえた背中の大分数十メートル先を見る。
そこには、茶髪だか黒髪だか判らない髪を野放しにひげとともに生やしっぱなしの、無精性がよく見える男が弓矢を構えて突っ立っていた。
一也が動かないのを見ると、一也に向かって弓を向けて、一発放って動かそうと言うのか狙いを定める。
一也は慌てて矢が放たれないうちに男の方へ近づき、駆け出す。
突如駆けだしても息が上がってしまうほど運動不足なわけではないので、規則正しい呼吸をしながら、一也は「みーちゃん」という男の方へ落ち着きを取り戻しながら側に行く。
すると、男は側に行くなり、己の襟首を掴みあげて、宙へと浮かせかけようとする。
この男の力量ならば浮かすことも、そして苦しめることも出来るのに、それを己にしないところがこの男らしい一也への甘さである。
男は静かだがぎらぎらと滾っているような眼光を己にあてて、睨み付けて、開口一番にまた馬鹿と罵った。
「テメェ、何で外に出てる? オレぁ言ったよな? 外にでるんじゃねぇーって」
男は、相談された悪魔祓いの男で、己の言葉の指示に従わなかったのが相当不服のようで、襟首を掴んでいる拳に力を入れて、服を締め上げ、喉を絞めようとする。
この男の一也に対する行動に対しては珍しく、本気で怒り懲らしめようとしている。
一也は、だぁってーと情けない声をあげる。
その声が聞こえたところで手を放してしまうところが、男の甘いところだった。
男は水無瀬尊人といって、刀も弓矢も達者な悪魔祓いで、札を使うことなどせず、全部力業でなぎ倒していく男だった。
唯一魔法や術がかかったようなものといえば、男曰く己の魂を削って生み出しているという輪郭のない弓矢だった。
刀はぼろぼろで、鞘なんか少しひび割れていて、中の刃も相当刃こぼれが凄そうなのだが、それで切り倒すところが凄いところ。
男は黒いコートを靡かせて、ついてこいと背中で一也に言った――とするとかっこよさげに聞こえるが実際の服装は何処かの浮浪者のように薄汚れている。
一也は背中を見つめて一つ咳をしてから、ごめんねと一回謝ってからついていく。