かいふく系モンスターと宿屋の娘
宿屋の娘、アーニャ・セイレンはダンジョンの前で仁王立ちしていた。
「さぁ、モンスター共を倒しまくって、しっかりお金を稼ぐわよ!」
と、気合いを入れている。彼女はちょっとだけ変な恰好をしていた。一応、防具一式は身に付けているのだが、所々がちぐはぐで、中には台所用品の一部ではないかと思えるようなものすらもある。実は、剣だけはどうしても手に入らなかったので貯金をはたいて買ったから真っ当だが、その他の防具は全て捨てられている物を回収して作ったハンドメイドなのだ。だからなのか、どこかしら牧歌的な雰囲気が漂っている。
そして彼女にはまだ奇妙な点があった。近くを不思議なモンスターが漂っているのだ。楕円体を半分に切ったような造形、色は白。断面になる部分から数本の触手が生えている。まるでラクガキのような顔。全体的に緩やかで、緊張感を削ぐような雰囲気がある。アーニャが言った。
「あんたもちゃんと役に立ってもらうからね。仲間になったからには。わたし、痛いの嫌だから、傷ついたらすぐに回復してよ」
その気の抜けたような不思議なモンスターは、それを聞いてコクリと大きく頷いた。それから彼女は「そういや、あなたの名前を決めていなかったわね」とそう言う。「うーん」と少し考えるとこう告げた。
「決めた。回復系モンスターだから、カイ。 カイくんよ!」
……彼女にネーミングセンスは、あまりないようだった。ただ、その名をまったく気にせず、カイくんはコクリと頷いたのだが。
その、ちょっと前のこと。
ダンジョンに向かう途中のアーニャはある剣士から話しかけられた。その剣士はよくダンジョンに挑む冒険者の一人で、彼女の宿の常連の一人だった。
「宿屋の娘じゃないか。どうしたんだ、こんなところで? しかも、そんな愉快な恰好をして」
どうも彼もダンジョンへと向かう途中らしい。彼女はこう返す。
「ちょっとねぇ、冒険者デビューしようと思って。身一つでお金を稼げるったら、やっぱり冒険者じゃない?!」
「つまり、また親と喧嘩したのか」
「なにが“つまり”よ!」
彼女が両親と喧嘩するのはいつもの事なのだ。それで家出する事が度々あるのだが、だから今回もそうだと彼は判断したのだろう。
「ほら、わたしってば、宿でダンジョンに行ったお客さんの話をよく聞いてるじゃない? 知識ならあるから有利なのよ」
図星だったので、彼女はそれからそう誤魔化した。
「知識だけで何とかなるほど、ダンジョンは甘くないぞ、アーニャちゃん」
剣士は面白そうにそう返す。
「なによ。諦めて帰れっての?」
「そうは言ってない。ただ、常連のよしみで、ちょっと協力をしてやろうと思ってな」
「協力?」
「そうだ。ダンジョン初心者のアーニャちゃんに、頼もしいパートナーを紹介してやろう。無料で使える回復系モンスターだ!」
「回復系モンスター?」
そう彼女が疑問の声を上げるのと同時だった。剣士の背後から、気の抜けたようなフォルムの不思議なモンスターが現れたのだ。円らな瞳で彼女を眺め、触手を上げて挨拶をしてくる。彼女はこう尋ねた。
「なに、この、はんぺんみたいな変な生き物は?」
「だから回復系モンスターだって。人によく懐いてな、傷ついた者を見ると回復の魔法で助けてくれる。しかも、魔力は底なしだ。なにしろ、オレはこいつの魔力が尽きたのを見た事がないからな!」
その言葉にアーニャは感動する。
「なにそれ! すごい! ありがとー!」
「はは。気にするなって。おっ、こいつも君が気に入ったみたいだぞ」
その回復系モンスターはアーニャに近付いていくと触手で彼女の服に触れた。それを見て彼女はこう言う。
「ふふ、なんだかかわいいかも。ありがたく、もらっておくわ」
どうも、どうして彼がそんな役に立つモンスターを彼女に譲るのかとか、そんな疑問はまったく感じていないようだった。彼女は冒険者になる前に、もう少しくらいは社会勉強をした方が良さそうだ。
それから彼女はこう尋ねる。
「ところで、これ、なんてモンスター?」
剣士は答える。
「だから、回復系モンスターだって」
つまりは分からないのだ。
「へー」
ただし、アーニャ自身はあまり気にしていないようだったが。
ダンジョンの奥。中層まで来た辺りで、ようやくアーニャ達の前にモンスターが現れた。凶悪な犬のような姿をしたヘルハウンドだ。
「金銭的にもレベル的にも、倒しごろなのが現れたんじゃない?」
彼女は剣を構えると、突っ込んで行く。ヘルハウンドの方も彼女に向かって突っ込んで来た。交叉する。彼女は腕を傷つけられたが、ヘルハウンドの方にもダメージがあった。その後で、直ぐにカイくんは魔法を使った(と言っても、無言だが)。
癒しの光がキラキラとアーニャを覆い、彼女の傷は瞬く間に治癒していく。彼女はそれに驚く。
「凄い! 傷どころか、さっきまでの疲れまでどんどん癒えていく」
それから剣を握り直すとこう言う。
「これならいける!」
が、しかし、その瞬間だった。カイくんは再び魔法を使ったのだ。しかも、回復魔法を。ヘルハウンドに。
癒しの光がヘルハウンドを覆っている。ヘルハウンドが癒されていく。アーニャは叫ぶ。
「ちょっと、コラ! いったい、なにやってくれちゃってるのよ!」
カイくんはそれを受けて不思議そうに首を傾げた。何も分かっていない感じ。回復したヘルハウンドは、それからアーニャに向かって迫って来た。
「ほら! 見なさいよ、見なさいよ! 敵モンスターを回復させちゃったら、こーなるのよ! 当たり前でしょう?!」
カイくんはコクリと頷いた。そして澄ました表情のまま、ヘルハウンドに向けて、再び魔法を使う。ただし今度は回復魔法ではない。ミョンミョンミョンと、仮に効果音を付けるのならそんな感じの波紋がヘルハウンドに浴びせられる。そしてその瞬間、ヘルハウンドはヨタヨタとふらつくと、そのまま横になってしまったのだった。
「もしかして、これって眠ってるの?」
アーニャはそう呟く。
「凄い。もしかして、睡眠魔法? こんな強力なの聞いた事がない。でも、とにかく、チャンスだわ」
表情を明るくした彼女は、剣を大きく振り上げるとそのままヘルハウンドに駆けていく。
「うおぉぉ! わたしの一匹目の獲物ぉ!」
が、その時だった。彼女の背後から、またミョンミョンミョンといった感じの波紋が飛んできたのだ。カイくんの魔法だ。さっきと同じ。ただし、今度の標的はヘルハウンドではない。彼女だ。
“え? どうして、わたしに……”
アーニャはその波紋を浴びるなり、強烈な眠気に襲われた。立っていられなくなり、その場に倒れ込む。朦朧とした意識の中、カイくんが自分に近付いて来るのが分かった。
“こいつ…… もしかして、わたしを騙していたの? わたしを眠らせて、いったい、何をする気……”
カイくんは彼女の傍まで来ると、ころんと横になる。そして、目を閉じる。アーニャは思った。
“……もしかして、添い寝?”
「だからね、カイくん。わたし達は冒険者なのよ。冒険者ってのは、モンスターを倒して生活しているの。冒険者という名の殺戮者なの!」
アーニャが目を覚ますと、幸いにもヘルハウンドの姿は何処かに消えていた。カイくんは近くを澄ました顔で漂っている。それを見て、彼女はカイくんに説教を始めたのだった。
「あなたね、もしかしたら、争いを止めようと思ったのかもしれないけれど、それははっきり言って偽善よ? 自然界ってのは焼肉定食の世界なのよ(間違ってる)。もしも、肉食獣に肉を食うのをやめさせたら、いずれ飢えて死んじゃうでしょう? わたし達もそれと同じなのよ。分かった?」
カイくんは何故か嬉しそうな顔でそれを聞いている。
「カイくん。分かったなら、ちゃんと返事をしなさい」
「ウ」
「あら、あなた声出せたのね。よし、なら次のモンスターを探すわよ。今度こそ、モンスターを倒してお金をゲットしないと。いくわよ、オー!」
彼女が手を振り上げると、カイくんも触手を上げた。やっぱり嬉しそうだった。
そして。
「現れた! マンイーターよ!」
アーニャ達の前に、植物系のモンスターのマンイーターが現れたのだった。剣を握りしめると彼女は走る。
「カイくんは、後ろで援護をお願い!」
そう叫ぶ。するとカイくんは「ウ」と言う。その次の瞬間、ミョンミョンミョンという波紋が、彼女及びにマンイーターに浴びせられる。彼女は「またしてもぉ!」と叫びながら、睡魔に襲われ眠ってしまった。
意識が戻る。先と同じ様にモンスターは消えていた。ゆっくりとアーニャは立ち上がる。
「たっぷり寝た。本当に。多分、三日分くらいは寝た」
そう言いながら。カイくんはやっぱり嬉しそうにしている。
「カイくん。あなたのお蔭でね……」
それを聞くとカイくんは首を傾げるような仕草をし、それから触手で頭を掻いた。彼女は言う。
「照れないの! 褒めてない!」
カイくんは首を傾げる。
「どうするのよ? モンスターを倒さないとお金を稼げないのよ? お金を稼げないと生きていけないのよ?」
「ウ」
「“ウ”っじゃ、なーい! さては、あんた何にも分かってないわね!」
そうツッコミを入れながら、彼女はようやく気づき始めていた。
“もしかしたら、わたし、騙されたのじゃないかしら? あの剣士、この子をわたしに押し付けて厄介払いしたのじゃ……?”
真相がどうであるにせよ、カイくんと一緒にいると戦闘にはならなそうだった。彼女は思う。
“こーなったら、手は一つ! 逃げるしかない!”
彼女はそれから猛然と走ってカイくんから逃げ始めた。多分だが、カイくんはそんなに速くないと彼女は踏んでいたのだ。ゆったりふわふわと緩慢な動きでいつも漂っているから。ところがどっこい、彼女が横を見ると、カイくんは全速力で走る彼女の直ぐ傍を平然とした顔で飛んでいたのだった。しかも、動き方自体はゆったりふわふわといった感じ。何故か速い。物凄く。彼女は叫ぶ。
「どーゆーことぉぉぉ?」
それからしばらく全速力で走り続けたがまったく無駄だった。カイくんは余裕でアーニャに付いて来る。しかもなんだかとても楽しそう。やがて力尽きて、彼女は息を切らして、地に手を付いた。
「なんで……、なんで、こんなに速いのよ」
カイくんは、そんなふうに息を切らしている彼女を触手でつつく。
「ウ?」
首を傾げている。アーニャは返す。
「違う。違うのよ、カイくん。“もっと、やらないの?”じゃないの。追いかけっこをして遊んでいる訳じゃないんだから」
「アー」
そんなカイくんを見ながら彼女は思う。
“これは、引き離すのも不可能ね。だとすると、残った手段は一つだけ……”
剣を握りしめる。
そう。カイくんを倒してしまえばいい。そうすれば、戦闘の邪魔をされる事もない。アーニャは剣を振り上げた。ところが、そんな彼女をカイくんは何の警戒感もなく眺めていたのだった。
「ウ?」
と言う。円らな瞳。
それを見て、アーニャは剣を元に戻した。
“ううっ くっそう、わたしには、やっぱ無理だわ……”
そのまま項垂れる。
カイくんはそんな彼女の肩に触手を乗せると「ア、ウ?」と声を発した。恐らく、慰めている。彼女は叫んだ。
「慰めているんじゃないわよー! 誰の所為で落ち込んでいると思っているのよ? こんなんじゃお金稼げないじゃない。ご飯が食べられないのよ? 街に帰ったら、いったい、どうすりゃいいのよー!?」
苦悩している。そのうち彼女は何だか余計な事まで思い出し始めたようだった。
「ええ、そうよ、どうせわたしは宿屋の娘よ! 客の呼び込みくらいしかスキルがないわよ! 大人しく実家で客の呼び込みやってりゃ良かったのよ!」
が、そう自分で叫んでアーニャは気が付いたのだった。
“ん? 待てよ。客の呼び込み?”
……数時間後。
ダンジョンを冒険者のパーティ一向が歩いていた。幾度かの戦闘を繰り返し、かなりのダメージを追っている。傷を癒したい。しかし回復アイテムはできるなら節約したい。これから先も長いのだ。そんな時、声がかかった。
「はーい。こちら、回復屋でぇっす! お安くしておきますよー いっちょ回復していきませんかぁ?」
場にそぐわない明るい声。まるで街の繁華街にいるかのようだ。見ると、何処かで見た事のある娘が客の呼び込みをやっていた。冒険者達の一人が声を上げる。
「おお! もしかして、ちょっと前に会った連中が言っていた“回復屋”か。完全に疲れと傷を癒してくれるっていう」
娘は答える。
「はーい そーでーっす! 評判のその回復屋でっす! ぐっすり眠る事のできるオプションもありますよぉ?」
冒険者達は顔を見合わせると言った。
「いいねぇ。じゃ、お願いしようかな?」
「はい。毎度ありー!」
それから彼女は目で合図し、少し後の方にいた緊張感を削ぐような姿のモンスターに回復魔法を使わせた。癒しの光が彼らを覆い、傷と疲れとを癒していく。
「おお! これは評判以上だ!」
冒険者達からはそんな感動の声。
その様子を見て、彼女、宿屋の娘のアーニャ・セイレンはガッツポーズを取った。
“よっしゃー! 生活費ゲットォォ! まだまだ稼ぐわよぉ!”
分かっているのかいないのか、回復系モンスターのカイくんは、そんな彼女を見て「ウ」とそう呟いた。