記憶、眠る
親しい女子生徒が交通事故に遭った。
しとしとと静かに雨が降る日、傘を差しての登校中、悲惨なそれが彼女を襲った。身体はむごたらしく破壊され、何週間も目を覚まさなかった。やがて彼女が目覚めたのは梅雨が訪れようかという雨の日で、そのころにはすでに身体はかなり回復していた。
彼女の妹とも親しかったので、目が覚めたその日の放課後に連絡を受け取って駆けつけてやることができた。
未だ包帯に巻かれ生々しい痣や傷が見える彼女だったが、存外に落ち着いていて、事故によって数週間眠っていたことをすんなりと受け入れていた。あまりに長く眠っているあいだに痛みがかなり少なくなっていたからこそだろう。それどころか、学校の勉強を心配しているふうですらある。まったく彼女らしいことだった。
心配しているようだったので、翌日から勉強を教えてやることにした。科目は彼女の得意科目であり最も好きな教科であった古文だ。事故によって滅茶苦茶になった鞄の中で、どういう運命なのか唯一古文の教科書だけはまともに読める状態で、毎日教えてやるという僕の提案を受けたときの彼女は、瞳を輝かせ声を震わせていた。
彼女の妹を交えての勉強会を開いた。彼女が事故に遭ったその日に受けるはずの内容から始めた。彼女が僕の指導に素直に従いすんなりと理解しくれたり、ひとりだけ格下の妹が難しすぎる内容を理解できると強がったりする。病院の個室で行うそれは三人で秘密を作っているかのようで、浮ついたくすぐったい時間が幸せだった。
あの事故によって失われたものは何一つなかったのだと、からから笑う彼女と肩を組んで勝利宣言した。
しかし、本当に壊れてしまったのは彼女の身体ではなく、頭だった。
彼女の新しい記憶は、ほんの数日でまったく消え去ってしまうのだ。彼女は事故に遭ったことを知り、受け入れ、明日を向いて進もうとしても――ある朝の日差しと共に、突如、事故のあった瞬間まで記憶を巻き戻される。
それは突然、彼女の母親が看護師から知らされた。
目を覚ました彼女は、自分の姿を見て小さく悲鳴を上げ、偶然見回りに来た看護師に、自分は事故に遭ってからずっと昏睡していたのかと尋ねたそうだ。医師なども交えて確認したが、勉強会のことも忘れてしまっていた。
会いに行っても会話が上手く進められない。彼女に数日間の記憶を失っていると教えても、信じようはずがない。勉強会のことをふと漏らすと、彼女はぜひやってほしいと期待に満ちた笑顔でせがんでくるのだが、もちろん気乗りしない。
いくつものすれ違いを残し、いさかいを起こし、しかもそれを解決できないままに時間が過ぎる。怪我をしているほかは至って健康な彼女は、僕よりもはるかに感情表現豊かで、様々な怒りや悲痛を見せて僕を苦しめてきた。感情的に叫ぶようなことはなく、静かに、ただあの事故の日に降っていた雨のように、罵り、詰り、不満を爆発させた。
そしてまた数日が過ぎた。
彼女は僕と口喧嘩したことを憶えていなかった。
やがて、彼女の記憶のサイクルにも慣れてきた。
彼女の母親や妹は悲しみに暮れていた。というより、諦めていた。退院とその後の通学を待ちわびる彼女を見て希望を抱いても、ほんの数日でリセットされてしまうのだから。
しかも、その時々で彼女の反応や言動は異なる。目を覚ましてすぐに自分の状況を理解することもあれば、傷だらけの身体に驚いて泣き叫ぶこともある。前回彼女を励まして喜ばせた言葉も、次のときにはむしろ彼女を怒らせてしまうことすらある。
何より窓が厄介だった。外を見て季節を知った瞬間、背筋が凍る。なぜなら彼女が自分の記憶と経過した時間とのギャップにヒステリーを起こしてしまうからだ。騒ぎださないときもあるが――外を見てこんなに時間が経ったのかと素直に驚いて終わったとしても、その場限りの安堵と杞憂の徒労、再び来るかもしれない狂気に頭が痛くなる。
僕はそれでも会いに行った。一緒に過ごした日々を何度忘れられようと、毎日過ごせることのほうが僕にとって大きかった。彼女の中には残っていなくても、僕の中には残っているのだから。それに、僕は彼女から古文を教えてほしいと請われるのが大好きだったのだ。そのときの彼女の笑顔は、断るという選択肢を許さない。
彼女の忘れていることは話さない――腫物に触れるように接するのは決して楽ではないが、やがて古文を教える腕も上がってきて、彼女を笑顔にできる機会も多くなった。もう彼女の妹は勉強会に混ざってこないけれど、いまとなっては、かえってそのほうが嬉しく感じてしまうときもある。
彼女の記憶が定期的に消えることを、都合よく思ったことがなかったわけではない。
記憶が消えると思われる前日、どうせ忘れてしまうのだから触ってしまおうかと愚かにも手を伸ばしかけて自重したことが何度あっただろうか。僕を押さえつけるのは、翌朝触られたことを憶えていたらどうしよう、という下劣な恐怖でもあり、彼女を穢してはならないという偽善でもあった。
僕が我慢できるならそれでいい。けれども、時々彼女はとても感じやすくなって、突然好意を示してくることがある。そうなれば自然僕も想いを打ち明けたくなるが、どうせすぐに忘れられてしまうし、ゲームのようにリセットできる条件で恋仲になるのはあんまり卑怯に思えたから、一度として思い切るようなことはしなかった。
包帯がさらに少なくなったある日、看護師の注意も聞かず勉強会を続けていたら、すっかり日が沈んでしまった。
そのときの彼女が僕にどれくらい好意的だったのかはわからない。しかしそのとき初めてのお願いをされた。
家から薬を持ってきてほしい、ということだった。
それはいわゆる睡眠薬なのだという。市販のものだ。そんなものを常用しているなんて聞いたことがなかった。また、健気で美しい彼女からは、露も想像できなかった。
その日は彼女の記憶がふりだしに戻った日だった。事故に遭い眠っていたと説明され、家族の機械的な着替えの交換や体調を気遣う会話が済むと、ひとりぼっちの病室が寂しくて仕方がなかった、と彼女は声を震わせた。
その孤独に押しつぶされ、夜は眠れなかった――そう言って、彼女の手が僕の手に重ねられた。温もりを感じた瞬間、病院にそんなものを持ちこんで、まして怪我人が勝手に服用してもいいのだろうか、僕はそんな当然の心配を途中で投げ出してしまった。
持って来る、と言って頷くと、彼女は僕に合鍵を手渡した。そして、薬の保存場所と、家から人がいなくなる時間を伝え、首に縋り付いて大げさに感謝を述べた。自分の腕を彼女の背に回そうかと考えて、寸でのところで堪えた。
僕は彼女の頼みを慎重に実行した。
彼女は自分が薬を持って来るよう頼んだことを忘れてしまうので、彼女が記憶を失くす日が近づいたら、鍵と薬の箱を隠させた。そうして、彼女が翌日すべてを忘れたら、彼女が想像できない場所からそれらを回収する。そして、鍵は彼女の財布に戻し、薬は古い箱を処分し新しい箱を買って自分で隠し持つ。そうしないと、僕が鍵を持っているのを気味悪がったり、薬が病室に置いてあるのに驚いたりしてしまうからだ。一度だけ薬を見つけられたときは、いままで異常に長く眠っていたのは僕に睡眠薬を飲まされていたからだと、泣きながら僕を罵倒していた。
もちろん、やってはいけないことをしているとは思っていた。僕は彼女が薬を飲むのを止めるべきだ。けれども、彼女が一夜でも多く眠れない夜を過ごすのかと思うと、責任感とでも言うべき歪んだ感情がむくむくと膨れ上がって来て、悪行を続けさせた。彼女が薬を求めなかったときも、自分からそうしてしまおうかと思ったくらいだ。
その責任感とは相反するものも感じていた。
彼女が薬をせがむほど孤独を感じるようになったのは、彼女がすでに回復しているにも関わらず長期間眠り続けてついに目覚めた少女であるからだ。つまり回復すればするほど、彼女は孤独を感じて安眠を求める。当然、回復すれば退院を果たし、病室の孤独に目を腫らすことだってなくなる。
いけないことを繰り返し感謝される至福。
彼女が一歩ずつ快方に向かっている幸福。
どちらも捨てがたいものだった。
杖を使えば院内を自由に散歩できるようになった。
それまでは車椅子を恥ずかしがって散歩に出かけないことが多かったのだが、不自由とはいえ自分で歩き回れるとなれば大いに喜んで、僕や家族と一緒に出掛けて行った。しかし、松葉杖の使い方を何度も忘れてしまうので、結局は僕だけが根気よく彼女の散歩に付き合うのだった。
ある日、中庭を散歩していると、彼女の妹が着替えの交換にやって来たところに出くわした。すでに姉の世話に辟易してしまっていた妹だったが、僕に杖の使い方を教わり、日向ぼっこを楽しむ姉に抵抗はなかった。
中庭のベンチで古文の話をした。その内容がわからないのは彼女だけだから、二対一で授業する格好になる。悔しがる彼女と、姉よりも古文を理解している妹とのやり取りは、美しくも悲しい光景であった。
そして妹はぽつり、こういう毎日が続けばいいのにな、と呟いた。
一方で彼女の母親は荒みきってしまっていた。
僕や医師に、彼女の将来についてしばしば不安を述べる。彼女は退院できたとしても、目覚めるのは事故の翌日だし、学校に行って授業を受けても憶えていられようはずがないし、すべてを諦めさせて家事をさせようにも説得するのは容易ではない。しかも、それらの苦労は繰り返されるのだ。
時に母親は、このまま病院にいればいいのに、と暴言を口走り、僕を静かに憤慨させた。かと思えば、寂しいのではないか、学校に行きたいのではないか、眠れているのだろうか、などと憔悴しきって心配を口にするので、僕はこの母親はもう気が違ってしまったものと決めつけて無視を決め込んだ。
何人の彼女と接しただろうか。何人の彼女に古文を教えてやっただろうか。何人の彼女が事故と昏睡を受け入れるのを見届けただろうか。
その日は彼女がリセットされる周期だった。今度の彼女は目覚めた自分をどう思っただろうか、どのような彼女でも対応できる自信と経験はある。大きく息を吐いてから、無事だったか、と事故後最初の再会を装って扉を開いた。大丈夫か、と。
ところが、彼女はきょとん、としていた。
まさか事故の前の記憶まで失ってしまったのかと目の前が真っ白になった瞬間、彼女が笑い出した。何も命に関わるようなことなんてなかったよ、と。
僕は鞄を投げ出して駆け寄った。彼女が僕の形相に怯えるのも気にせず、憶えているのか、と両肩を摑んで問いただした。何を言っているかわからない、と彼女は泣きそうになりながら訴える。僕は手を放した。
何を憶えているのかを確かめるため、いままで僕だけが持つ思い出として留めておいた彼女の姿をいくつか聞かせた。彼女はさっぱりわからないという顔を繰り返し、結局、彼女の記憶が保たれる期間がいままでにない長さに突入したのだということがわかった。
これは彼女の記憶が忘却の迷路から抜け出す吉兆かもしれないと思った。僕は早速、これまでなかなか教えられなかった範囲を教えることにした。その教え方が覚束ないのに気付いた彼女は、わかりにくいよと笑った。
でも、翌日には忘れてしまっていたのだ。
僕の気持ちはついに折れてしまったのかと、自分自身に落ち込んだ。
新しい彼女は、ヒステリー一歩手前というところまで自分の長すぎる昏睡を悲しんでいた。髪がぼさぼさに乱れ、手の爪には血の滲んだ皮膚がこびりついている。ベッドの傍の椅子に腰かけると、彼女は僕の胸に身体を投げ出して泣いた。全身の怪我がほとんど完治していた彼女に抱き着かれ、いままで自制してきたものがぶるぶると震えだす。
そして、耐え切れず彼女を抱きしめた。
瞬間、僕を強い感情が襲って何かが外れ、涙が止まらなくなった。僕はようやく気が付いたのだ。僕は何人もの彼女を愛してきたが、どの彼女に対してもその悲しみに真剣に向き合ってはいなかった。そして、どんな彼女であれ、孤独や失望を感じることがあってはならないのだ。一日でも少なくなければならないのだ。
僕はすっかり、彼女と過ごす責任感と幸福に溺れていた。
彼女は共に泣いてくれる僕のことを何度も大好きだと言ってくれた。僕も好きだと言った。うるさいくらいに互いに愛を打ち明けた。洪水を堰き止める存在などなかった。
小一時間ほど嘆いて落ち着いてから、彼女と散歩に出かけることにする。彼女は未だ杖を必要としていたが、それを持たず、ふらつく身体を僕に預けて階段を下りた。
幸せな時間は終わった。
彼女は忘れてしまったのだ。ふたりの涙も、互いに想いを伝えたことも。
一方で、彼女の記憶はさらに長時間保たれるようになっていた。
それに、記憶の余白が増えたのなら、彼女の記憶がリセットされる回数も減る。一度に消える時間が長いぶん寂しさに睡眠薬を求められる頻度は増えたが、退院間近の彼女になら薬を手渡す罪悪感も少しは軽かった。また、たくさんのことを憶えられるからとついつい古文指導にも熱が入った。彼女もそれに応えるように理解が速くなる。
このままだろうといい、いざとなったら僕が生涯彼女の面倒を見てやる、と心に誓った。想いが消え去る苦しみに耐え、彼女を愛せるのは自分だけだ。
彼女は僕の決心に気が付いたのか、僕の手を取って散歩に出ようと誘ってきた。彼女は杖なしで僕にしがみつくようにして歩いた。もうふらつくことはない。
医師は呆れた表情で薬の箱を放り投げた。やはり黙認しておくのではなかった、と。ただ飲み方を間違えただけなら――というところまで言いかけて、うつむく僕と、彼女の母と妹を残して医師は頭を抱えながら去って行った。
彼女の身体は醜い生傷と鬱血、薄汚れた包帯に覆われていた。
そしてまた、事故の翌日に目を覚ますのだ。