22.凱旋
「はぁ……はぁ……ゲホッ」
俺は片膝をつき、刀を目の前の地面に刺して体を支えた。息は切れ、咳き込むたびに口の中に新たな血の味が溢れる。
「夜川さん、すぐに治します。動かないでください」
神父さんに回復してもらって少し苦しさは和らいだが、頭の中がガンガンして吐きそうだ。
今回は冗談抜きで無理をしすぎた。使うなと言われた力をあれだけ使ってよく死ななかったな、と自分で自分に呆れるくらいだ。
「柊さん! 無理をしすぎです! 一回死なないと分かんないんですか!?」
桜花ちゃんが涙を流しながらポカポカと殴ってきた。結構強めで痛い。
「痛い痛い。その攻撃で死んじゃう!」
だがしかし俺はそれを心地のいい痛みだと思った。痛みを感じるのも生きているおかげだ。
桜花ちゃんを含め、皆にはすごく迷惑もかけたし助けてもらった。本当に感謝しなければ。
「はい、柊、お疲れ様」
そう言って茜が差し出してきたのは今回の目的である、大蛇の魔臓だ。
動けそうにない俺の代わりに取ってきてくれたようだ。
さすがは妖王と言うべきか、仮の魔臓がピンポン玉位の大きさなのに対して、ソフトボールと同じ位のサイズもある。
「さ、早く食べなさい」
「えっ、これを食べるの……?」
あまりのボリュームに躊躇してしまった。味がないというのが幸いだが、やはり臓器だと考えると抵抗はある。
「――じゃないと死ぬわよ」
確かにその通りなので、早速食べた。もちろん一口でというわけにはいかず、少しずつ齧ってだ。
途端に柔らかい食感と口に広がる血生臭い味。想定外の不味さに一瞬吐きかけたが、なんとか堪えて飲み込んだ。
「うぇっ、なんだこりゃ!」
よく見るとかじった断面から血が滴っている。
「なにって魔臓よ」
「いや、だって前食べた時はもっとこうカリカリして味も殆どしなくて――」
「普通は保存がきくように乾燥させるんですが、今はそんなことしてる時間もないので生です」
桜花ちゃんが「早く食べろ」というような視線を送りながら説明してくれた。
なるほど。あれは加工済みだったわけか。
生臭さを我慢しながら、できるだけ噛まずに飲み込んだ。
「うぷ! 水ない……?」
「そんなものありませんよ」
「いや、私が持っている。初めは皆そんなものだ」
やれやれといった感じで苦笑いして、阿部さんが竹の水筒を放ってくれた。
口の中にあった血の味が流され、すっきりした酸味が後に残った。柑橘系の香りも鼻に広がる。
「柚子水だからな、美味かろう」
「なるほど柚子ですか、美味しいですね」
この世界に来てから水と茶しか飲んでいなかったので、ジュース的なものがあるとは驚きだ。
「さて、皆さん心配しているでしょうし。帰りましょう」
「柊、まだ無理をしてはいけないわ。私につかまって」
「それだったら私の方が適任です。茜さんはボロボロですし」
一息ついて帰ろうとしたとき、俺がまだフラフラしているため、茜が肩を貸してくれようとした。なぜか桜花ちゃんがそれに対抗して、俺を奪い合うという変な図式が出来上がった。
「ははは、夜川さんはもてますね。喧嘩になるくらいなら私がお手伝いしますよ」
しかし、一触即発の空気はすぐさま神父さんによって霧散させられてしまった。
神父さんはそう言ったが、別に深い意味はないだろう。茜のは単なる親切心で桜花ちゃんは茜に対するライバル意識。こんなところか。
そういうわけで俺は神父さんに肩を貸して貰いながら加茂へと帰った。
途中で前から走ってくる行列に出会い何かと思ったら、逃げたメンバーが応援を呼んで戻ろうとしていたらしい。俺たちの姿が見えると、まず驚き、次に安堵の表情を浮かべて無事を喜んでくれた。
俺はその場で全員に改めて感謝の言葉を述べた。
「皆さん、本当にありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
自分のために命を張ってまで助けてくれたことは感謝しても仕切れない。
見知らぬ土地で自分でも知らず知らずのうちに精神を削られていた、ということもあるだろう。その、とてもありがたい好意を思うと胸の内から熱いものがせり上がってきて、目から涙が溢れた。
* * *
加茂に戻ると街は一種のパニック状態だった。援軍を呼びに戻った時に、「陰陽頭が伝説の妖王と戦闘中で窮地に陥っている」と言う情報が人から人へ伝わるうちに「陰陽頭を瞬殺した妖王が襲ってくる」的な情報に変えられ、最終的に「逃げろ!」となったのだ。
すでに門には大勢の住民たちが押し寄せており、門番たちはその対応にてんてこ舞いだった。
街の外には当然ながら魔物がいる。どこかに避難するにせよ護衛がいなければかえって危険だが、肝心の主力戦闘員は皆、大蛇討伐に出て行ってしまい街にいない。街の防衛すらままならない。どうすれば良いのか。俺たちが帰ってきたのはそんなときだった。
安倍さんは不安がる住民たちの様子を見て、わざわざ運んできた大蛇の七つの首を――おそらく陰陽術を使っているのだろう――空高く浮かせ、声を張り上げた。
「皆よく聞け! 須佐之男命が倒したと伝わる八岐大蛇は再びこの地に姿を現し、暴虐の限りを尽くそうとした。しかし、先刻この陰陽頭、安倍憲行が仲間と共に討ち取った! もう心配はいらん」
この話に俺が絡んでくると説明とかいろいろと面倒になってくるし、お礼も兼ねて安倍さんの手柄にするということで合意した。
そうなると当然、街の雰囲気は一転してお祭り騒ぎとなった。
「さすがは最強の陰陽師!」
「よっ、晴明の再来!」
皆、浮かれた様子で安倍さんを褒め称えた。
まぁ、伝説級の妖王を倒したとなれば、それこそ歴史の教科書に載っちゃうレベルで凄いんじゃないか? この世界に歴史の教科書的のものがあるかは不明だが。
その称賛の声に交じって聞きなれた――と言うよりは知っている単語が出てきたので隣の桜花ちゃんに聞いてみた。
「晴明って?」
「安倍晴明。私のご先祖様で、歴代の中で随一の才能を持ち、最強と謳われた伝説の陰陽師です」
またしても元の世界の偉人が出てきた。安倍晴明か……知らない人なんていないんじゃないかってくらい有名だよな。ていうか、陰陽師と言ったらこの人。みたいな印象すらある。
弁慶、八岐大蛇、安倍晴明。時代は違えど、どれも元の世界では日本の歴史に登場する人物や怪物で、その特徴や伝承は一致する。この世界はやはり元の世界と何らかの関わりを持っていると見て間違いなさそうだな。
「どうかしましたか?」
「あっいや、最強の陰陽師ってさぞすごい術とか使うんだろうなーって思って」
自分でも気付かないうちに真剣に考え込んでいたらしく、桜花ちゃんが心配そうに声を掛けてきた。それをなんとか適当に誤魔化すと、意外な情報が飛び込んできた。
「その術なら柊さんもついさっき見た……ていうか使ったりもしたじゃないですか?」
「へ?」
あまりに唐突すぎて変な声を出してしまった。使ったことがある? いやいや。もちろん俺が伝説の陰陽師の生まれ変わりとかそんなこともない。
「朱雀ですよ。あれはもともと晴明の式神です。晴明は十二の式神を従えていたと言われています。安倍家でも私だけ、その内の四体を使役することが出来るんです」
そう言えば、桜花ちゃんと初めて会った妖王戦の会議で安倍さんが、実力は確かだとか才能がどうとか言っていたな。伝説の陰陽師と同じ式神を使えるって、そりゃあ才能あるよね。
桜花ちゃんの隠れた? 才能に驚かされつつ、俺たちはひとまず安倍さんの屋敷に戻ることにした。
今回、討伐隊のメンバーに安倍家の長男である安倍保明さんは入っていない。本来ならば陰陽師の次席として参加してもらいたかったのだが、彼には別の仕事を依頼していたのだ。
それは陰陽寮にある資料から異世界転移や万物の創造などそれらに関連する物が無いか探す、という仕事だ。
おそらくその作業も終わっているだろう。
結果が待ち遠しいという理由からも足早に屋敷へと向かった。




