理解できない思い
結婚することを自慢そうに話した澪子が理解できなくて、怖かった。他の乗客が私たちを見ていて視線が痛い。
詩織は、いつになくいらいらした様子で、電話をしていた。
「ダメだ。晶。出ないわ」
詩織は私を手招きした。
「私は、次の駅で降りて晶を探しに行く」
詩織は、澪子に聞こえないように配慮しているのか、小声でささやいた。
「晶、見つかるの?」
「たぶんまだ降りた駅にいるんじゃないかな。晶、慎重だから、次にどうするか考えてると思う」
「なるほど。で、私は?」
「真由は、このまま澪子と一緒に宿まで向かって、待ってて。絶対、晶を連れていくから」
「じゃあ別行動ってこと?確かに今のまま二人を会わせない方がいいかもね」
「真由は、澪子を落ち着かせて」
私は普段、優柔不断な詩織がきっぱりとした口調で言うので驚き、反射的にうなずく。
「晶の気持ち、澪子に話していいかな?晶は話したくないって言ったけど、私の口から澪子に説明しておいた方がいいと思う」
私は、詩織に言った。今の澪子と会わせても、晶をずたずたに傷つけるだけだ。晶は言わないって言ったけれど、私の口からそれとなく説明しておいた方がいいんじゃないか。
内心では、身体の中を色んな感情が回っていて、どうしていいかわからなかった。それでも、私は自分の問題を心の隅に追いやって、晶と澪子の仲を取り持とうと精一杯に思考を巡らせる。
なんで、澪子は結婚することをあんなに嬉しそうに話すんだろう。私たちに祝福してほしいって必死に言ったんだろう。
私はどんなに好きな人とも、結婚どころか付き合うこともできない。結婚することを嬉しそうに話す澪子を見ていると、私が欠陥人間だって責められているみたいに感じた。
なんで。私だって好きな人のぬくもりを気持ち悪いって感じたくないよ。愛しいって思いたい気持ちは人一倍あるのに、なんで私には受け入れられない。
胸の奥をじりじりと締めつけられて、苦しかった。四人で仲良く笑いながら旅行に行きたいよ。なんでこんなことになっちゃったの。
「じゃあ、澪子をよろしく」
私の葛藤を何も知らない詩織はそう言った。詩織も、私が澪子に対して複雑な感情を持ち合わせていることは知らない。この状況で澪子と二人になることが怖かった。
次の駅で詩織が降りて行った。
本当ならお菓子を食べながら楽しく向かうはずだった箱根。私が苦労して取った四人がけの席は二人で座るにはあまりにもさびしかった。
周りの楽しげな話し声に混ざって、澪子のしゃくりあげる声が聞こえてつらかった。
でも、私は泣けなかった。澪子の前で泣くと、私が負けることになってしまう。
「澪子、泣きやんでよ」
私は、そのまま澪子の隣に座り続けることしかできなかった。新宿から箱根までは、一時間ちょっと。楽しく過ごすはずの時間。私はどうにかなってしまいそうだった。
箱根の駅に着くころには、澪子の涙はおさまっていた。箱根の駅は、浮かれた観光客や売店のお土産を売り込む声で、騒がしい。
「このままホテルに向かっちゃっていい?」
本当なら、このまま昼食を食べてから、観光するつもりだった。今はそんな気分にはなれない。私の言葉に澪子は首を縦に振った。バスに乗ってホテルに着くと、時間はまだ昼過ぎ。澪子は終始無言だった。
チェックインは三時からなので、当然、まだ部屋には入れない。でも、フロント係の男性に荷物だけでも預かってもらえないかと頼むと、なんと部屋を用意してくれるという。
「お連れ様、具合が良くないんですか。それにあなたも元気ないですよ。バスにでも酔いました?」
心配そうにこちらを覗きこむ男性に、私はそんなことを感じている場合ではないのに、不覚にも、どきっとした。
私たちは、部屋に向かった。広々としたきれいな和室。座卓にお菓子が四人分並んでいて、また二人がいないことを痛感する。
二人分のお茶を入れて、澪子の前に置く。澪子は晶がいなくなってから初めて顔を上げ、こちらを見た。私は澪子の顔を見ながら、どう説明しようかと悩んでいた。
そのとき、座卓に置いた私の携帯のバイブが鳴り響く。無視しようと思ったが、つい習慣で画面を見る。表示されたのは、私の会社。無理やりねじりこんだ休み中に何か問題があったのだろうか。
澪子に小さく「ごめん」と言ってから、電話に出る。
「はい」
電話に出ると、後輩の切羽詰まった声が響いてきた。
「真由さん、ごめんなさい。お休みなのに。今、大丈夫ですか?でも、どうしてもわからなくて」
後輩は今にも泣きだしそうな程、動揺していた。
「うん。大丈夫だから。落ち着いて話してみて」
私は、後輩が話す内容を聞いた。後輩は焦っていたが、聞いているとすぐに解決策が見つかった。
「それなら私が前に作ったファイルがあるから、大丈夫」
私は、後輩にいくつか指示を出すと、電話を切った。
「澪子、ごめん」
思わず立ち上がっていた私は、澪子の前に座った。澪子は、また下を向いていた。
「仕事の電話?」
「うん。ごめん。もう終わったから」
私は携帯を床に置いた。