78 由良 ◇ これが……?
「前からなんとなく雰囲気はあったけど。」
「だよね? 佐矢原くん、みゃー子には特別にやさしかったもん。」
「そうそう、ソフトボールの練習のときから!」
「ああ、そうだったね〜!」
「そ、そんなことないよ!」
文化祭の代休が明けた朝。9月最後の日。
いつもと変わりなくおしゃべりの輪に入ったら、話題が自分に集中してあわててしまった。
「佐矢原くんは、みんなに親切でしょ? あたしじゃなくても同じだったはずだよ。」
「そうかなあ?」
みんなが意味ありげに視線を交わす。こういうとき、どういう反応をしたら良いのか分からないのがつらい。
(こんなに言われるとは思わなかった……。)
きのうの打ち上げから始まった冷やかしの言葉。打ち上げに来られなかったひともいるから、今朝になって言いたいひとがいても仕方がないけれど。
(大きなイベントの最中だったからなあ……。)
佐矢原くんの気持ちを知っていたひともいたらしい。文化祭の二日目に佐矢原くんとわたしにお当番を早く切り上げさせてくれたのも策略……というか、気を遣ってのことのようだった。
そのあと、ふたりで一緒にクラスのお店に顔を出したのに、いつの間にか佐矢原くんはいなくなっていて、わたしは元気が無くなっていた。そして、後夜祭の途中でわたしもいなくなった。そんなことを近くで見ていたら、ひとこと言いたくなっても仕方ないとは思う。でも……。
「まあ、しょうがないよ。」
隣にいた利恵ちゃんが明るく言ってくれた。
「みゃー子は特別にぼんやりしてるから。面倒見がいいひとは黙っていられないでしょ。」
「そうだよ〜。あたしだってみゃー子から目が離せないも〜ん。」
反対側の隣から聡美がにこにこと抱き付いてくる。
「ありがとう、聡美〜。」
わたしも笑いながら抱き返すと、まわりのみんなが呆れたように笑った。
聡美と富里くんは、あの日のできごとを空野くんと利恵ちゃん以外には「何も知らない」で通してくれたそうだ。夜に聡美に報告とお礼の電話をかけたときに教えてくれた。マネージャーの女の子たちに責められたときも助けてもらったし、本当にお世話になってしまった。
「あ、ねえねえ、きのうの帰りに見かけたんだけど、ね、聖奈?」
「あ、そうだ! ほら、2組の伊波くん。」
(話題が変わった……。)
ほっとした。本当に困っていたから。
冷やかされることに慣れていないというのはあるのだけれど、本当の戸惑いは別のところにある。実は、今でもちゃんと分かっていないのだ。彼氏と彼女になったらどう変わるのか。
前に佐矢原くんに利恵ちゃんと空野くんのことを尋ねたときは、デートをしたり、手をつないだりするところが違うと言われた。確かにそれは分かる。きのうの利恵ちゃんと空野くんの様子も、学校とは違っていたし。
わたしと佐矢原くんも、そういう関係になったということも分かっている。手をつないだらドキドキするだろうな、とも思う。それに、佐矢原くんが相手なら、そういうことも嫌じゃない。
だけど、このくらいの気持ちでいいのだろうか、と思ってしまう。告白されて、「いいよ」と答えて、じゃあ、って……何が変わったんだろう?
今までだって、わたしにとって佐矢原くんは男の子の中では特別だった。佐矢原くんの背中とか、おしゃべりすることとか、一緒にいることとか、そういう「何か」を「好きだな」と思ってもいた。それに何より、わたしが描いていた理想の彼氏像は、そもそも佐矢原くんがモデルだ。だから、断る理由なんか無かった。
(そこが迷いの原点なんだよね……。)
佐矢原くんを好きか、と問われれば、「好き」と答えられる。それは間違いない。きのうの帰りも、一緒にいると安心するし、とても楽しかった。だけど――。
「あ、みゃー子。」
向かい側にいた聖奈が声をひそめてわたしを呼んだ。見返すと「ほら」と、視線で廊下の方を示す。
(え? あ。)
振り向いたら、佐矢原くんと富里くんが、前の入り口から教室に入ってきたところだった。日に焼けた大きな佐矢原くんが、声をかけた男の子に笑顔で答えながら歩いてくる。
(あいさつしないといけないよね……。)
まわりの女の子たちが自分に注目している気配を感じて、どうにも落ち着かない。
佐矢原くんが「あはは」と笑って教卓の手前で顔をこちらに向けて……目が合った。
(あ……。)
瞬間的にお互いに視線をそらしながら、ドキン、と鼓動が大きく響いた。
同時に胸の中に湧き上がるざわめき。嬉しいような、恥ずかしいような、そして……期待?
「あ、おはよう。」
聞こえてきたあいさつは、直前の笑い声とは打って変わって小さな声だった。けれど、その声がわたしの体にやさしく広がる。
ふわっ……と、満たされた期待が胸の中ではじけた。口元にのぼってくる喜びと微笑み。もう一度、頑張って視線を合わせて。
「うん、おはよう。」
その途端――。
(うわ。)
佐矢原くんが照れた顔をした。
(か、かわいい。)
そう思った瞬間に、今度は胸が痛くなった。痛い――確かに痛いのだけど、心地良さも感じるこの痛み。そう言えば、前にもときどきこんなことがあったけれど……。
(もしかして、これが……。)
戸惑いと驚きに固まって見つめるわたしの前で、佐矢原くんはちょっぴり視線を下に向け、自分の席へと向きを変えた。最後にちらりと向けられた視線に、今度は思わず息を止めてしまう。
(やっぱりかわいい……。)
無造作に歩く横顔のきゅっと結んだ口元。もうこちらに向けない視線。途中の机に足をぶつけて「イテッ」と顔をしかめ、周囲の男の子にからかわれて何か言い返して。
「みゃー子! ほら、見惚れてないで!」
利恵ちゃんの声にハッとした。
「や〜ん、みゃー子はもう!」
「初々しくていいよね〜。」
「思わず目が離せなくなるなんてね〜?」
「やだな、違うよー。」
あわてて否定しながら気付いた。さっきとは気分が違ってる。
冷やかされるのはやっぱり恥ずかしいし困る。でも今はそれが……くすぐったい。
新しい話題に混ざりながら、さっきの佐矢原くんを思い出してみる。途端に戻ってくる心地良い胸の痛み。
(うわあ……。)
やっぱりこれがそうなのかも。恋をしたらやってくるもの。
胸がキューンとする――。
「恋」という言葉が浮かんだら、ふわりと頬が熱くなった。そしてまた胸が……。
(これがそうなんだ。)
驚きながら、自分で確認する。今までにも何度かあったけれど、恥ずかしいせいだと思ってた。でも、これは。
(あたし、ホントに。)
熱い頬はみんなに気付かれていないだろうか。笑い方が大げさではないだろうか。
(ホントに、佐矢原くんが。)
みんなに知られたら、きっと「今ごろ!?」って笑われてしまう。でも、本当に今、はっきりと分かった。
(佐矢原くんが、好き。)
「何が」とか、「どこが」とか、そんな理由なんか関係なく。心の深いところから湧き上がってくる、熱を持ったように強くて、それでいて体の力が抜けるような柔らかな想い。
(あたし、佐矢原くんが、好きだ。)
心の奥にあった気持ちが表に出てきたのか、あの瞬間に何かが変わったのかは分からない。今は佐矢原くんがただの「お友だち」とは違うって、はっきり感じる。そう、今ならわかる。「好き」という気持ちは、言葉で簡単に説明できるようなものではない。ただ感じるものなのだ。
(そして、佐矢原くんも……。)
わたしと同じ気持ちを持っている。だからあんな顔を――。
(うわ。)
思い出したら甘い気持ちが胸に広がって、またキューンと……。
(うわあ……。)
これが「恋をする」ってことなんだ。なんだか感動さえしてしまう。
告白されて二日目にやっと自覚するなんて、わたしはなんてぼんやりした「彼女」なんだろう。本当に、佐矢原くんに申し訳ない。
(佐矢原くん、ごめんね。)
分かっていなかったことも。「どう違うの?」なんて訊いてしまったことも。
でも、もう大丈夫。これで自信がついた。
わたし、良い彼女になるからね!
もう一話、由良が続きます。